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人ナラ猿モノ

第四話 不完全解答

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「・・・・・・おかえり。」

「・・・・・・」

「早くも帰って来たね。」

「・・・・・・」

 僕はあの後、人猿に精神操作を受けた可能性がある、だとかなんとかで手足を拘束された。すぐに護送車に乗せられて「関東支部」とやらに連行されていたのだが・・・

「移送されている間に眠ってしまったと?・・・まあ、体を改造されたばかりで意識もハッキリしていなかったんだろうけど・・・」

 白神さんが呆れて深くため息をつく。
 
「君があの猿にどれだけ残酷なことをされたのか・・・それと、私達の言葉の本当の意味・・・理解しているんだよね?理解出来ているのなら、なぜ呑気に眠れているんだい?常人であれば少なくとも、眠れないぐらいに悩んで然るべきだと思うんだけど?」

「・・・・・・悩んでいる暇がなかったもので。一秒でも早く、この夢に戻らなければいけない理由がありました・・・あの二人は?」


 本庄ほんじょうかなえと権藤章ごんどうあきら


 今、この体を構成している二人の死者。

 何を彼らに伝えればいいのかわからない。けれど、なにか、絶対に伝えなければならないことがある・・・そう思った。

 この体を継ぐ者として。

「君が夢から覚めた後すぐに成仏したよ。」

「・・・・・・」

 間に合わなかった。

「あの場で君に真実を伝えないようにしてくれ・・・そう提案したのは権堂君だよ。残酷な真実を知った後に会うのは、君の心が持たないと考えたんだ。」

「・・・・・・」

「逆に『他人の人生まで責任をとる必要はない』、と彼ら自身が伝えないことも、君に悪いと考えた。」

「・・・・・・そうですか。」

「酷い顔色だね。」

 当たり前だ。自分の体が自分のモノではない・・・こんな現実、どう受け止めろというんだ。
 説明しようのない感情で頭がいっぱいだ。思考が絵の具を全色混ぜ合わせたパレットよりも混濁している。焼け石でも入ってるかのように脳が熱い。頭の奥に怪物が住み着いたかのように圧迫感がある。


 どうして・・・・・・どうして僕なんだ?

 何で僕がこんな、死よりも辛い地獄を味合わなくてはならない?

 何故、他人の体と入れ替えられるなんて理不尽を受けなければいけない?

 一体全体どうして・・・・・・誰か助けてくれよ・・・・・・教えてくれよ・・・・・・何で僕がこんな目に合わなければならない?

 弱気な考えしか出てこない。理不尽を呪うことしか出来ない。あの猿に出会った偶然が許せない。

 

「・・・・・・僕に・・・何をしろと?どう生きろと?」

 音が出るほど歯を食いしばり、血が滲むほど拳を強く握って声を絞り出した。

「・・・・・・それは、君自身が考えなければいけない問題だよ。」

 僕自身が考えなければならない・・・・・・その通りだ。そうでなくてはならない。白神さんの言葉は至極当然で、正しい・・・・・・正論だ。

 けれど、泣きたくなる位、残酷だ。

 ふざけるな。無理難題じゃあないか!?僕はこれからどうすればいい?
 僕が彼らの体を勝手に使うことは、許されないことだろう。だったら、大人しく死を選べばいいのか?それとも、彼らの体を傷付けまいと、安穏に生きればいいのか?それとも・・・・・・

 駄目だ。どれだけ思考を巡らせてもこの問題を解決する手段が・・・・・・無い。皆無だ。



 真実を知った上で彼らと会っていれば何か変わったか?

 分からない

 彼らともっと話が出来ていれば、何か変わったか?

 分からない

 彼らとそもそも会っていなければ、何か変わったか?

 分からない

 どうすればよかった?

 分からない

 どうすればいい?

 分かるわけがない



 意味の無い、答えのない自問自答を繰り返す。
 たとえこの現実が人智をこえた理不尽によるものであったとしても、考えずにはいられない。考えなければいけない。
 白神さんが言う通り、自分に非がなくとも、これは自分が向き合わなければいけないことだ。

 たとえ、自分が何に苦悶しているのか分からなくとも。

 たとえ、何に向き合えばいいのかさえわからなくとも。

 たとえ、その先に答えが本当に無いとしても。







 僕にしか、分かるはずはないのだから。















 一つ、見つけた。

 僕が前に進むための選択肢。

 決して、正しい答えでは無い。

 完全な回答では無い。

 むしろ間違っている。

 間違い過ぎている。

 ただの現状維持の誤魔化しかもしれないし、問題から目を背けているとも言えるのかもしれない。

 けれど・・・・・僕にはこれしか思い付かない。

 これが僕なりの・・・・・・間違いだらけで捻くれていて天邪鬼で、そして人間らしくない・・・・・・けれど、真剣な答えだ。


 言うなれば、『不完全解答』


 「何のためにそれをするのか」と聞かれても答えられないけれど・・・この借り物の体を使って、僕がなすべきこと。



 ・・・・・・あの猿を止める



 そのためにまず、僕を助けてくれている優しい白神さんに、酷いことをしなければいけなくなった。
 あの猿の、そして僕の・・・怪物の思考を彼に伝えなければならない。

 彼を傷つけることになる。

 けれど、もう決めたことだ。


「二つ、聞かせてください。」

「・・・なんだい?」

「あの化け物・・・人猿は何がしたいんですか?」

「・・・・・・」

「本庄さんの姿に権藤さんの心臓・・・・・・そして、極め付けに僕の脳髄。あの猿は、一体何を作ろうとしたんです?」

「・・・私にはわからない。」

「そうですか。だったら・・・・・・」

 しっかりと顔を上げ、白神さんを真っ直ぐ見据えて吐き捨てる。

 本庄さんの顔を白神さんにしっかりと見えるようにして。





「本庄さんの姿があなたに似ているのは気のせいですか?」





「・・・・・・・・・・・・え?」




 僕の言葉の意味するところを理解して、白神さんの顔から血の気が引いていく。もともと白い肌がさらに蒼白になる。赤い瞳が大きく見開かれ・・・・・・息を飲む。
 最初に彼女を見たときは泣いた跡で顔の印象が変わっていて分からなかった。
 けれど、現実で自分の体、いや、彼女の体を見たときに理解した。
 髪や目の色は全く違う・・・けれど、短髪で落ち着いた感じ・・・不思議な、影のある美しさを秘めた外見、華奢な体・・・どことなくこの二人は似ている。
 生き写しとまではいかない。完全に同じ顔をしているわけではない。「偶然」だと言われれば納得してしまうぐらいのことだ。


 けれど、


 この体を作った張本人が普通の殺人鬼であれば・・・ただ人間を殺して楽しむだけの、安っぽい存在であれば・・・普通の、人間らしい殺人鬼であれば・・・そんなこと考えつくはずがない。ただの偶然だと僕も思うだろう。


 しかし、


 あの幼稚で、人間らしくもあり、それでいて人間らしからぬ狂気を持ったあの無知な猿であるならば・・・

 
 ありえてしまう。


 白神さん自身も・・・いや、本庄さんも、権堂さんもそのことに気づいていたかもしれない。けれど、人猿が彼女を殺した理由と結びつけはしなかった。
 なんとなく、白神さんと本庄さんは雰囲気が似ていると・・・・・そう感じただけだったのだろう。

 それが普通だ。正常だ。

 僕が異常だ。

 いやでも思い出してしまうのは白神さんの語った過去・・・



 『人猿は、私が40年ほど前・・・まだ私が生きていた頃に封印した魔物なんだ。』



「あなたが封印したということは、奴はあなたと戦ったということですよね?あなたの姿を見ているんですよね?」

「・・・・・・」

「これは偶然なんですか?」

「・・・・・・」

 白神さんは真っ青になって俯くだけで、答えてくれない。

 ・・・認めよう。僕が狂っているから・・・人間らしくないから奴の・・・『人なら不る』者の思考が理解出来るんだ。


 『人のような猿』であり、『人なら不る』者の思考が・・・・・・『人らしくない人』であり、『人である』僕だからこそ分かってしまう。


 こんな残酷な考え、人に押しつけるべきではないと分かっている。

 けれど、だとしても・・・僕は向き合わなければならない。

「答えてください・・・奴は・・・人猿は、あなたを真似た人間を作って、何がしたいんですか?本庄さんを殺したのは、彼女があなたと似ているからではないんですか!?・・・・・・奴と戦ったことがあるあなたにしか、この謎は分からないんです!」

「・・・・・・」

 白神さんはただ、拳を握りしめてうつむくだけだった。

 彼もまた、分からないのだ。













 日本魔法使協会、関東支部支部長、鈴城美鈴すずしろ みすずはイライラしていた。

 カツカツと、歩みを進めるたびに革靴の踵が床に当たって廊下に響く。私の顔はおそらく、不機嫌過ぎて大変なことになっている。時折すれ違う職員が私の顔を見ると小さく悲鳴を上げて廊下の端に飛び退き道を譲るのだ。私の顔が般若みたいになっていることは確実だろう。

 ・・・・・・だからって、見知っている上司の顔面に悲鳴を上げるのはどうかと思うのだが。

 普段は部下達に「上官の中で唯一の癒やし要素」だとして慕われている(?)彼女も、睡眠不足と膨大(ぼうだい)な仕事の精神的ストレスで部下も驚くほど険悪な形相になっていた。三日間は不休で働いている。今回の事件の処理が終わらないのだ。

 死亡者の死因の偽装、一般人の目撃者の記憶操作、それらにより矛盾の生じる監視カメラや音声レコーダーの情報改竄、人猿の能力の解明・・・・・・エトセトラエトセトラ・・・・・・
 人猿の被害を受けた中部と関東支部の魔法使協会は、今までに類を見ないほど事後処理に忙殺されていた。
 という言葉はおかしい。事件はまだ終わっていない。人猿はいまだに捕獲、および駆除出来ていない。どの地域に潜伏しているかどうかも不鮮明になってしまった。


 ・・・・・ただ、急増し続けていた被害者の数を表す棒グラフは何故か、から零のままピタリと動かないままであった。


「・・・意味分からん。」

 と、意味もなく舌打ち混じりに一人、吐き捨てる。

 人猿の行動基準は人には到底理解できないモノだった。大抵の生物種せいぶつしゅの魔物と同様に本能で動いているのであればここまで驚異的な存在にはならなかっただろう。
 まず、生物種はたとえ人間に対してどれだけ好戦的であろうと、縄張りから離れることがほとんどない。そのため場所の特定が容易だ。捕捉(ほそく)さえ出来れば対策はいくらでも立てられる。魔物の能力の解明が出来るまで待ってから、その弱点を突ける能力を持った魔法使いを多数集め、策を用意してから攻勢に出ればよい。

 しかし、人猿は違った。奴は今回、四十五年前の記録に記された当時の縄張りを大きく超えて行動している。行動範囲が広くなりすぎて包囲出来ない。数の有利を生かせない。栃木県で封印が破られたかと思えば、ニ日後には隣の県、次の日には元の県に戻ったり隣の県に移ったり・・・・・・暫定、最後の出没と見られる、二十五日の件までに数えて七つの県を跨いで移動していた。

 奴の出現する場所が把握出来ないことが災いして、率いる小隊が警戒区域の巡回中に「偶然」奴と遭遇。
 奴に不意を突かれた形で交戦が始まったため、ほとんどの隊員が殉職した。
 さらに胸糞悪いことに、権堂小隊長は戦いの場に「偶然」居合わせた一般人の少女を庇って攻撃を受け、意識を失い拐われたらしい・・・運の悪い奴だ。「偶然」に殺されるとはな・・・・・・本当に惜しい人材を失った。

 その上、昔の記録と当時の事件の関係者から聴取したところ、「昔」の奴の能力の特徴と「今」の能力の特徴がなぜか異なっていた。今回のような人体改造は四十年前には全く見られていない。
 昔の奴はただ暴力を振りかざすだけであったはず・・・人間を改造するなんて異質な悪意を孕んだこと、記録に残っていなかった。奴と実際に対峙した人々も、人猿の行動に違和感を覚えている。

 そのため、能力の解明も滞っている状況に陥っていた。

 そもそもここまで人に執着することが異常なのだ。魔物となった野生動物は食料を得るために活動する中で「偶然」遭遇した人を襲う。別に人間でなくともよいのだ・・・・・・食べられさえすれば。通常の肉食獣と変わりない。
 むしろ、多くの動物は「人間が危険な動物である」ことを経験で理解しているため、人を避けようとする傾向が強い。強い力を持っているからと言って自分勝手に生きられるほど、この世界は甘くは無い。それぐらい、人間でなくとも全ての動植物は本能で理解している。

 一番不味いのが奴に改造された被害者の状態が伝わるたび、隊員の士気が下がっていくことだ。
 テレビ、バイク、自動車、パソコン・・・挙げ句の果てにはゲーム機まで。人間と組み合わせたものもあれば、機械同士、人間同士を合体させたものも現場から発見されている。
 「死んでもこうはなりたくない」という隊員たちの意思が戦闘に直接関わっているわけではない彼女にも、報告書や現場の中継映像を通してヒシヒシと伝わってきた。


 誰だってはなりたくない。


 鈴城は頭の中で現状整理をしながら進むうちに長い廊下を抜けて「魔物用監房」に到着した。
 入り口に立っていた男性警備員に「お疲れ様です」と声をかけて、扉の前に設置された指紋認証装置に指を押しつける。
 警備員が「とんでもありません!支部長の方がお疲れでしょう・・・お体にお気をつけください。」と嬉しいことを言ってくれた。
 数秒して、「承認しました」と装置が無機質に言葉を発して自動扉が開く。世間話をする暇もなく、鈴城は苦笑いを彼に返して奥に進んだ。

 ガラス製の扉が後ろ手に閉まる。ただのガラスでは無い。協会の研究課が開発した、魔法障壁をまとった強化ガラスだ。魔物が監房から脱走しても易々とは敗れない。

「はぁ・・・今日見に来たのは魔物じゃないけどね。」

 ため息と一緒に独り言を吐き出す・・・・・・さっきから何度も同じような愚痴を繰り返している。ため息と独り言をつかなければ、こんなことやってられるか!・・・・・・傍目から見れば、一人言が五月蝿い変な人だが。

 頑丈な扉が両側にズラリと並んだ廊下をしばらく進むと、目的の監房監視室の扉に到着した。

「関東支部局長、鈴城です。失礼します。」

 ノックをして、自分の名前を告げて扉を開けると、暗い室内に三人の大物が集まり、マジックミラーの向こうをじっと見ていた。
 研究課の記録係が数人、奥の方に待機している・・・こんな重鎮(じゅうちん)達と狭い部屋に一緒にされたくはないだろうに・・・かわいそう。
 私も彼らの視線の先、今回の事件の、現状最後の被害者であり、改造された中で唯一の生存者である彼女を見るために、マジックミラーに近づく。

 一人の女性がベッドの上に手錠と足枷をつけられたまま座っている。数時間前に栃木県の廃病院で保護された。しかし、人猿の能力が判明しておらず、彼女が人猿に操られている可能性があるため魔物用の監房に拘束されていた。
 理不尽なことではあるが・・・しょうがない。少しは我慢してもらおう。既に、地獄のような苦しみを受けているであろうことを鑑みれば、心が痛むけれど。

「本当なんですか?彼女・・・いや、彼?・・・脳と心臓とそれ以外がそれぞれ別々の人間のモノだって言うのは?」

「どうやら本当のようだ。彼の発見された病院に、と、・・・権堂君の遺体が発見された。それと、もな。他にも改造された死体がゴロゴロしていたらしいが。」

「・・・・・・」

 答えたのは協会本部、魔法・超常存在対策課課長の守塚剣正もりつか けんせい

 協会の最高権威である三人の課長の一角。

 本部が関東に置かれている都合上、私は何度も顔を合わせたことがある。とは言え、定期的に本部で開かれる会議以外では滅多に会わない。

 こんな異常事態でも無い限り。

 六十歳を超えたと言うのにその貫禄は衰えを見せない。白髪が多く混じった青い髪を後ろで束ねている。浅黒い肌に鍛え抜かれてがっしりとした体つき。スーツで隠れてはいるが、体の表面は筋肉だけでなく、治りきらなかった古傷によってでこぼこしている。
 年を取った今でも、この国で「最強の魔法使い」と列せられるうちの一人。


 さらに言えば、使でもある。


「なぜ猿の被害がこの五十人目の被害者で止まったと思う?」

「知らねえよ。」

 深紅のポニーテールを下げた小女が守塚課長の疑問を一言で切り伏せる。

「あんな化け物の考えがわかるわけねえだろぉが・・・つーかお前は、あの猿野郎と戦ったことがあんだろ?どうして能力が分かんねぇんだよぽんこつが・・・」

「・・・・・・すまん。」

 守塚課長にこんな馴れ馴れしく(?)話しかけられるのはこの人だけであろう。

 鬼打千華きだ せんか鬼打千華。災害級危険事物処理班さいがいきゅうきけんじぶつしょりはん班長。

 最重要役職に最年少で抜擢された天才小女。歳は十四歳。三年前にその座に着き、優秀さを実績で示している。二年前に実行した巨大毒土蜘蛛の巣の発見と殲滅、魔法犯罪組織による無差別テロの阻止。今年の初めに出現した、外来種の引力竜を他国との連携により討伐・・・歴代班長に劣らず、目覚ましい活躍をしていた。
 着任当初、彼女の能力の高さを知らず、見くびっていた人々も次第にいなくなった。

 ・・・・・・彼女の家柄を考えれば、彼女の能力が優秀なことなど、魔法使いの端くれであれば誰でも予想が付く筈なのだが。

 性格はかなり攻撃的で、仕事中は彼女の名字にある通り、鬼のように厳しい。全くと言っていいほど笑わない。
 一方、仕事以外の時は・・・・・・驚くほどいい加減だ。


 ・・・・・・鬼打ちゃんは口が悪くなければ小さくてかわいいんだけど・・・・・・


「アァ?鈴城テメエ、今俺のことをカワイイとか考えただろ?」

 クリムゾンレッドの瞳が私をギロリと睨む。まだ中学生であるべき齢のはずだが、彼女の眼力と語気は、大の大人を怯ませる気迫がある。

「え?いえいえそんなことは。」

 フルフルと首を振って否定する。怖い・・・・・・なんでばれたんだ?

「揃ったんですから、喧嘩してないで聴取始めましょうよ・・・鬼打ちゃんは今日も元気ですねえ・・・」

 おっとりとした、感じのいい老婆が私達を宥める。

「・・・・・・チッ」

 鬼打さんが大きく舌打ちしてから、視線を私から監房内に戻す。
 何故か彼女は佐竹(さたけ)課長に弱い・・・意外とお婆ちゃんっ子なのだろうか?・・・まあ、誰もあのおっとりオーラには勝てないと思うけれど・・・

 その腹黒い本性を知っていたとしても。

 本部、魔法・超常存在研究課課長、佐竹安子さたけ やすこ

 一見ただのおばあちゃんにしか見えない。だが、協会内で彼女を知らない人は誰もいない。今は研究分野から離れて管理職にいるが、現代の魔法研究の基礎を作った一人だ。
 とても残念なことに、研究室時代の私の元上司だ・・・・・・よくこき使われたなあ。
 研究員だった頃の記憶が思い出されるが、そんな回想はしていられない。佐竹課長の言うとおり、早く彼から情報を引き出さねば。

「・・・始めていいぞ。」

 守塚課長が研究課の子達に声をかける。女性研究員がマイクのスイッチを押し、事情聴取が始まった。

「こんにちは。このような仕方でご挨拶しなければならないこと、どうかお許しください。」

 無難(ぶなん)な挨拶に反応して、監房内の彼がスピーカーの方を向く。

「かまいません。当然なことでしょう?僕が人を襲うよう脳に機械が埋め込まれている可能性だってあるんですから。」

 抑揚の無い声で質問に応じた彼は、生気の感じられない目をしていた。いきなり化物に遭遇して誘拐された上、理不尽に体を入れ替えられたのだ・・・・・・意気消沈していてもしょうが無い。

「・・・なんだ?」

 守塚課長が戸惑いの声を上げる。

「あの被害者、中身はただの一般市民なんだよな?物わかりが良すぎないか?」

 ・・・そう言われればそうだ。普通であれば、本来被害者である彼を監禁している協会の仕打ちに怒ったり、非日常に混乱して、詳しい状況説明を真っ先に求めたりするだろう。

「・・・そうですか。では、確認したいことがあるので質問にいくつか答えてもらえますか?」

「はい。いくらでも。」

「ありがとうございます。では、あなたのお名前は・・・」

 しばらく、すでに渡されてあった情報以上のことは話されなかった。彼の名前、年齢、職業・・・猿に襲われた状況、病院で目覚めたときの状況・・・・・・

 ここまでスラスラと被害者から聴取が取れるのも珍しい。魔法という非現実的な事象を目撃した一般人は大抵、動揺して上手く会話出来ない。だというのに、彼はあっさりと非日常を受け入れ、思考に組み込んでいるようだ。
 これだけ落ち着いた人であれば、人猿捕捉につながる手がかりが引き出せるかもしれない。


 違和感は研究員がつい、同情を示すためにこぼした言葉から始まった。


「そんな体にされたこと、心から同情します。あなたが襲われる前に奴を捕縛出来なかったこと・・・本当に申し訳なく思っています。」

「・・・・・・そうですね。、こんなことされるなんて、たまったものではなかったでしょう。」

 そう言って、彼は座っていたベッドからゆっくりと立ち上がった・・・・・・・・・ん?

「アァ?」
「ちょっと!」
「あれ?」

 その場にいた全員が驚いて顔を見合わせる。

「おい、誰か、彼に入れ替えられた体の持ち主の名前・・・・・・権藤章のことを教えたのか?」

「いえ、そんなはずはありません・・・救出した隊員が、本庄あかねの苗字を口にした、とは先ほどの質疑応答で聞きましたが・・・」

 私たちが動揺している様子がスピーカー越しに伝わったのか、彼が言われなくとも説明を始めた。

「夢の中で白神さん・・・白神孝士郎しらかみ こうしろうに会いました・・・本庄さんと権堂さんにも。」

 白神孝士郎って確か・・・あの『嫌われ者の英雄ヘイテッドヒーロー』のことだよな?・・・・・・いやいや、そもそも何故彼はその名を知っている?魔法使いならまだしも、一般人が知っていていい話ではない。


「・・・・・・あいつに?」


 守塚課長が怪訝そうにつぶやいて、研究員からマイクを乱暴に奪い質問する。これほど取り乱した守塚課長は今まで見たことがない。

「そんなはずはない・・・白神はもう死んでいる。会えるはずはない。」

 白神孝士郎・・・三、四十年前に人猿を含む、他の多数の危険な魔物を封印した本物の英雄・・・・・・


 生きる英雄、


「ええ。ですから、幽霊となった白神さんに会いました・・・なんでも、自分自身の魂を封印することで現世にとどまっているとか・・・魔法のことをあまり知らない僕にはよく分かりませんが・・・・・・白神さん、人猿の封印が解かれてしまったことに責任を感じて、今回の被害者達に夢の中で謝罪していました。」

「あいつ・・・」

 守塚係長がマイクを力強く握りしめる・・・マイクが壊れそうなほど。私たちが言葉に詰まっていると、今度は彼がこちらに質問してきた。

「あの猿が、なぜこんなモノを作ったのかわかりますか?」

 彼は自分を指さして「こんなモノ」と言った。冷淡に。

「・・・・・・」

「何故、被害者が僕で最後かわかりますか?」

「・・・・・・お前は分かるというのか?」

「三分の二は。」

「・・・・・・三分のニ?何を言っている?」

 動揺する守塚課長を見かねて、鬼打さんが守塚課長の腕を引き下ろし、マイクを強引に奪い取る。

「どぉいう意味だ?俺達にも理解出来るように説明しやがれ!」

 鬼打さんがマジックミラーの向こうを睨んで、冷たい声で質問を続けた。

「僕が最後の被害者なのは、現時点の猿の目的がこの体を作ることで達成されたからです。」

 彼を作ることで人猿の目的が達成された?・・・・・・どういうことだ?

「まず、何故僕の容姿を本庄さんの姿にしたのか・・・それは、白神孝士郎に似た人間を作るためです。」

 ・・・・・・は?

 いきなり何を言っているんだこいつは?

「・・・・・・オイ。」

 誰もその答えを理解出来ない中、鬼打班長が白神孝士郎の外見を知っている守塚課長を膝で小突いて、彼の言っていることが正しいかどうかを聞く。

「確かに似ている。だし・・・・・・雰囲気も静かな感じがするというか・・・」

 守塚課長が苦しそうに呻く。

 鬼打さんは『本庄あかねと白神孝士郎が似ている』事実が正しいことを理解すると、不快そうに顔を顰めて、質問を続行する。

「何故そんなことを?」

「白神さんに昔、猿が起こした事件のことを聞きました・・・奴は、ただ周囲の動物を殺すだけだったそうですね?今と違って人間だけに執着していなかった。改造もしなかった・・・自分が他の生物より勝っている愉悦に浸かって、ただ殺戮(さつりく)を楽しんだ・・・他の魔物と同じように。」

「・・・・・・」

 彼の話に皆が耳を傾ける。

「けれど、奴はうぬぼれていた。自分の能力に・・・自分の魔法に・・・強さに。自分が最強だと思っていた・・・・・・」


 白神さんとその仲間に封印されるまでは。


「・・・・・・」

 大分、私でも話が見えて来た。

「今まで格下だと思っていた人間に完全に敗北した・・・・・・自分の強さはまやかしであると気づいた。自分は本当の強さをまだ会得していないと・・・」

「・・・つまり、自分より勝っている人間・・・自分を打ち負かした白神孝士郎に興味を持ったってことか?・・・だからってなんで、お前を作る必要がある?」

「理解したかったんでしょう。」

「・・・・・・あ?」

「自分を超える強さを持った人間を、奴は理解したかった。だから、自分にとって強さの象徴であった白神さんをよく観察したかった。」

「・・・・・・観察?」

「けれど、四十年の眠りから覚めた奴は、生身の白神さんに会うことはもう出来ないと直感した。彼はもう死んでいるのだと。」

「・・・・・・」


「ならば、と考えた」


 誰かが、ゴクリとつばを飲み込んだ。







 ・・・こんなの、おかしい。狂っている。何故そんなことがわかる?ただの推測だろう?根拠も何もないじゃないか。やめてほしい。意味が分からないままでいさせてほしい。あの猿の行動原理など、もう分からなくていい・・・



「だから二つ目、魔法使いである権堂さんの心臓を使った。」

「・・・・・・」

「白神さんに似た本庄さんを見つけたのはいいけれど、彼女は魔法使いじゃなかった。奴が思い描く理想の強さのための条件・・・魔法を持っていなかった。」

 そっと自分の左胸に手を添える。

「だから、魔法使いの心臓を使うことで、この体が魔法を使えるようにした。」

 たしかに、魔法使いの臓器・・・それも心臓を移植した一般人は魔法使いになるだろうが・・・
 ちょっと待て。人猿はその知識はどうやって得た?人体実験でもしない限りそんなことは・・・・・・いや、違う。


 人猿は他にを拐っているではないか!!!


 権堂さん以外にもやつに遭遇して連れ去られた魔法使いの隊員はいる・・・・・・目の前の彼を作り上げるための実験体として使ったというのか?けれど・・・

「機械と合体させられた他の被害者はどう説明する?」

 しばらく顎に片手を添えて考え込んでいた鬼打さんが聞く。

「・・・・・・人猿は四十年も眠っていた。現代に昔の人がタイムスリップしたようなものです。当然、四十年前になかった、または昔より改良された電子機器を見て驚いたはずです。初めて見たんですから。」

「・・・おいおいまさか・・・」

 鬼打さんはこの時点で既に予想が付いたようだが、私にはまだ分からない。
 
「試してみたかったんでしょう。」

 試す?何を言って・・・・・・

「まるで世界がそのままそっくり切り出されたかのように見える液晶テレビや、人が簡単に時速何十キロものスピードで移動出来る自動車・・・どれだけ遠くの人とでも会話出来る電話に、何でも出来るコンピューター・・・・・奴にとって、好奇心がそそられない物の方が少ないでしょう。そして・・・奴がこう思うのも、ある意味必然でしょう。」

「・・・・・・」

・・・そう考えたのだと思います。」

「・・・・・・」

 なんて残酷で無邪気な発想だろう。機械と人間を組み合わせる・・・そんな、子供が違う人形同士を組み合わせるのと同じ発想で・・・

「けれど、試してみても機械と人間の融合体は元の人間より劣っていた・・・理想の強さとは程遠かった。ただ面白いだけだった。元の目的には合わなかった・・・だから、この体に機械は組み込まれなかった。」

「・・・・・・」

 誰も彼の話を否定出来なかった。

「三つ目、これが僕には分からない。です。」

 ・・・どこに疑問があったのだろうか?気圧されてしまった私にはもう分からない。

「何故・・・・・・僕なのか?」

「・・・・・・」

「ただ魔法を使える白神孝士郎を作るだけなら本庄さんのままでいいはずだ。いや、もともと魔法を使っていた権堂さんの脳を使っても良かったはずだ・・・なのに、僕をこの体の主体として選んだ・・・何故です?」

 彼にもわからないことが私たちに分かるはずがない。

「だから、三分の二です。この体を構成する三つの要素のうち、二つしか、その存在価値が分かっていないんです。」

 こうして話すうちに、生気の無かった彼の目に何か強い、使命感のようなモノが宿ったのがわかる。
 彼の使命感が、正しい物・・・良いものかどうか、私には判別出来ないけど。


「僕は知りたい。その理由(わけ)を・・・僕が選ばれた理由を。」

 少なくとも、彼には迷いは無いようだ。

「僕は奴を止めたい・・・・・・僕一人で止める力は無くとも、止めるために僕の命を使いたい・・・・・・それが、僕が前に進むための解答だ。」




 シン・・・と、あれだけ混乱に満ちていた室内が静まりかえっていた。

 誰も何も言わない。言えない。

 彼の「人間らしくない狂気」と「人間らしい覚悟」に圧倒されて。
 人猿の「人間らしい狂気」と「人間らしい好奇心」に吐き気を催して。

 彼によって私達が解明出来なかった謎の多くが解明されてしまった。
 彼によって私達が理解したくなかった謎の多くが解明されてしまった。

 分かったところで、人猿を捕捉することには役に立たない、無意味な謎だったけれど。


「僕なら・・・あなた達には理解出来ない、人猿の思考回路が分かる・・・人間らしくない僕なら・・・いや、人間らしくない僕だからこそ、奴を止められるかもしれない・・・」

 ・・・・・・彼は何を言うつもりなんだ?


「だから、僕をあなた方の一員に加えて下さい。」


「・・・・・・」

「奴を止めたいのはあなた方も同じはずだ。」

「・・・・・・」

「奴はこれからも、僕のことを観察しようとするでしょう。」

「・・・・・・」

「奴はいつか必ず、僕の目の前に現れる。」

「・・・・・・」

「あなた方が奴の居場所を特定出来ないのであれば、僕を見張っていればいい。」

「・・・・・・」

「僕が人猿を誘き出す餌になって見せます。」

「・・・・・・」

「命に変えても。」







 




「ハハッ・・・・・・オモシレェ・・・・・・」

 鬼打さんが静寂を壊した。

 マイクを床に投げ捨てて、ズンズンとマジックミラーの前まで早歩きで近寄ると、右足を後ろに大きく振り上げる。

「え?ちょっ!!!・・・」




 ガッシャ---------ンッッッッ!!!




 マジックミラーが彼女の一蹴りで木っ端みじんに砕け散る。ガラスの破片がキラキラと監房の宙を舞う。

 このガラスも魔物用にかなり硬くしてあるんだけど・・・手榴弾や銃弾、さらにはトラックが高速で突っ込んだ程度では傷一つ付かない、研究科自慢の商品なのだけれど・・・・・・まあもういいや。

 鬼打さんに常識は通用しない。

 飛び立った破片が、引力に従って彼に降り注ぐ寸前、割れた鏡の枠を乗り越え、破片と共に飛び降りた鬼打班長が、空中で右手の中指と親指をパチンと鳴らす。


 ゴウッ!!!


 突風が吹き、破片が全て壁際へと吹き飛んだ

 ・・・無茶苦茶な人だ。あと先なんて考えていない。これからこの監房を掃除する人に誤って欲しいものだ・・・・・・さすがに、後でマジックミラーは弁償してもらおう。特注だから結構値段が張るのだ。


 ・・・鬼打班長が彼の目の前に着地する。端に寄せ切れなかった、鏡の細かい破片がフワフワと鬼打さんと彼の周囲に漂う・・・・・・照明の光が反射して、二人の立つ監房の中央周辺だけがぼんやりと明るく見える。

 しばらくそのまま彼の瞳を覗き込んでいた鬼打さんは、彼が着ている患者衣の胸ぐらを掴んでグイッと手前に引き寄せ・・・


「オイ・・・・・・オモシレェじゃん?気に入ったぜ。」


 今度はクルリとこちらに振り返り、彼の首に腕を回して、無邪気な、子どもっぽい満面の笑みで宣言した。


「こいつは俺の班に入れるぜ!異論は認めねぇ!」


「「「・・・ハァ・・・・・・・」」」


私を含む三人が、額に手を当てて深くため息をついた。












―――どんな人間も被ったことがことがない非日常に触れて初めて、自分がどれだけ人間らしく苦悩しているか、いや、出来ているかに彼はまだ気づいていない。

第四話終
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45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

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 主人公・森下陽和は幼少の頃、ピアノを弾くことが好きだった。  しかし、ある日医師から『楽譜“だけ”が読めない学習障害を持っている』と診断されたことをきっかけに、陽和はピアノからは離れてしまう。  月日が経ち、高校一年の冬。  ピアニストである母親が海外出張に行っている間に、陽和は不思議な夢を視る。  そこで語り掛けて来る声に導かれるがまま、読めもしない楽譜に目を通すと、陽和は夢の中だけではピアノが弾けることに気が付く。  夢の中では何でも自由。心持ち次第だと声は言うが、次第に、陽和は現実世界でもピアノが弾けるようになっていく。  時を同じくして、ある日届いた名無しの手紙。  それが思いもよらぬ形で、差出人、そして夢の中で聞こえる声の正体――更には、陽和のよく知る人物が隠していた真実を紐解くカギとなって……  優しくも激しいショパンの旋律に導かれた陽和の、辿り着く答えとは……?

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