上 下
75 / 212

俺を信じて

しおりを挟む
「あのね、私シンのことが好きよ。でも、その好きはハルの好きとは違うの」
「分かってる」
「私、シンと出会えてよかったと思ってる。ほんとよ!」
「ああ……」
「さっきも言ったわよね。私、シンと出会ってからたくさん笑ったし、楽しかった」
「俺も楽しかったよ」

 振り回されてばかりだったような気もするが。
 それでも、楽しかったと思う。

「裏街に行ってとっても怒られたけど、でも、私カイやエレナさんとも出会えた」
「あの時はひやりとさせられたな」
「口紅も嬉しかった。こんな嬉しい贈り物は初めて。それに、星の物語も初めて知ったの。すごくわくわくした」

 しかし、サラは突然表情を曇らせた。

「シン……私ね、もうテオやベゼレート先生の所に戻れない」
「俺も裏街に戻るよ」

 サラは瞳を揺らした。

「私、八十八の星の物語、全部聞いてない」

 シンは静かに笑って、ごめんなとサラの頭をなでる。

「どうして……どうして、ごめんって言うの? なぜあやまるの?」

 シンは静かにまぶたを伏せた。
 途端、サラの目に大粒の涙が盛り上がった。

「また、会えるわよね?」

 おそるおそる問いかけてくるサラにシンが答えることはなかった。ただ、口元にかすかな笑いを浮かべるだけ。
 サラの目からひとしずくの涙が落ちた。

「もっとシンと一緒にいたい」
「そう言ってもらえて嬉しいけど、それは俺に言う言葉じゃない」
「でも!」
「ごめんな。サラを泣かせたくないって言っておきながら、俺が泣かせているんだよな」

 シンはそっと手を伸ばし、サラのこぼれ落ちる涙のしずくを指先ですくいとった。それでも、あとからあとからあふれ落ちる涙で頬を濡らすサラの顔を見て、シンは戸惑いの表情を浮かべる。

「サラ……」

 思わず抱きしめようと伸ばしたシンの手が虚空でとまる。
 とまったまま、手をきつく握りしめ震わせた。
 これ以上サラに触れたら、抱きしめたら、必死で抑え込んでいる感情が爆発してしまいそうだったから。
 みっともない自分をさらしてしまいそうだったから。
 伸ばした手を引き、シンは乱れかけた心を落ち着かせるように息を吸って吐き出した。と、同時にシンの心に一つの決意が過ぎった。

「俺もほんとお人好しだな」
「え?」
「いや……あのさ俺、必ずあいつを、ハルをサラの元に連れてくる。サラに会わせてやる」
「シン……」

 やっぱり、サラには笑っていて欲しい。
 サラが笑顔でいてくれるなら、俺も嬉しいから。
 シンの濃い紫の瞳に切なげな翳が揺れた。

「約束する」

 シンは手にした抜き身の剣を地面に突き刺した。そして、側の薔薇の垣根から一輪の赤い薔薇を手折り、丁寧に棘をとってサラの前に差し出した。
 サラはその薔薇に手を伸ばす。

「この薔薇が枯れ落ちるまでに必ずハルに会わせてやる。だから、もう泣かないと……」

 約束してくれるか? とシンは微笑んだ。
 サラは手にした薔薇とシンを交互に見つめ、頷いた。
 うなずいた瞬間、再び大粒の涙がサラの目からぱたぱたとこぼれ落ちていく。

「ほら、涙を拭いて」

 サラはもう一度うなずき、手の甲で目の縁をごしごしとこすった。

「笑って」

 ぎこちないながらもサラは口元に笑みを浮かべる。

「よし」

 もう大丈夫だね。
 その笑顔であいつの胸に飛び込めばいい。たぶん、あのファルクとかいう野郎のことも、きっとあいつが何とかしてくれるはず。
 だから、何も心配することはない。
 必ず約束するから。
 俺を信じて待っていて。

 シンは剣を手に取り鞘におさめると、すべての思いを振り切り、サラに背を向け歩き出した。

「シン!」

 呼び止めるサラの声に振り返らなかった。
 突如吹く風に、薔薇の花びらが空へと舞い上がる。

 さようなら、サラ──。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】反逆令嬢

なか
恋愛
「お前が婚約者にふさわしいか、身体を確かめてやる」 婚約者であるライアン王子に言われた言葉に呆れて声も出ない レブル子爵家の令嬢 アビゲイル・レブル 権力をふりかざす王子に当然彼女は行為を断った そして告げられる婚約破棄 更には彼女のレブル家もタダでは済まないと脅す王子だったが アビゲイルは嬉々として出ていった ーこれで心おきなく殺せるー からだった 王子は間違えていた 彼女は、レブル家はただの貴族ではなかった 血の滴るナイフを見て笑う そんな彼女が初めて恋する相手とは

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

拝啓、大切なあなたへ

茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。 差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。 そこには、衝撃的な事実が書かれていて─── 手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。 これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。 ※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

愛する義兄に憎まれています

ミカン♬
恋愛
自分と婚約予定の義兄が子爵令嬢の恋人を両親に紹介すると聞いたフィーナは、悲しくて辛くて、やがて心は闇に染まっていった。 義兄はフィーナと結婚して侯爵家を継ぐはずだった、なのにフィーナも両親も裏切って真実の愛を貫くと言う。 許せない!そんなフィーナがとった行動は愛する義兄に憎まれるものだった。 2023/12/27 ミモザと義兄の閑話を投稿しました。 ふわっと設定でサクっと終わります。 他サイトにも投稿。

好きな人と友人が付き合い始め、しかも嫌われたのですが

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
ナターシャは以前から恋の相談をしていた友人が、自分の想い人ディーンと秘かに付き合うようになっていてショックを受ける。しかし諦めて二人の恋を応援しようと決める。だがディーンから「二度と僕達に話しかけないでくれ」とまで言われ、嫌われていたことにまたまたショック。どうしてこんなに嫌われてしまったのか?卒業パーティーのパートナーも決まっていないし、どうしたらいいの?

王子は婚約破棄を泣いて詫びる

tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。 目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。 「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」 存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。  王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。

妻は従業員に含みません

夏菜しの
恋愛
 フリードリヒは貿易から金貸しまで様々な商売を手掛ける名うての商人だ。  ある時、彼はザカリアス子爵に金を貸した。  彼の見込みでは無事に借金を回収するはずだったが、子爵が病に倒れて帰らぬ人となりその目論見は見事に外れた。  だが返せる額を厳しく見極めたため、貸付金の被害は軽微。  取りっぱぐれは気に入らないが、こんなことに気を取られているよりは、他の商売に精を出して負債を補う方が建設的だと、フリードリヒは子爵の資産分配にも行かなかった。  しばらくして彼の元に届いたのは、ほんの少しの財と元子爵令嬢。  鮮やかな緑の瞳以外、まるで凡庸な元令嬢のリューディア。彼女は使用人でも従業員でも何でもするから、ここに置いて欲しいと懇願してきた。  置いているだけでも金を喰うからと一度は突っぱねたフリードリヒだが、昨今流行の厄介な風習を思い出して、彼女に一つの提案をした。 「俺の妻にならないか」 「は?」  金を貸した商人と、借金の形に身を売った元令嬢のお話。

処理中です...