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第2章 さまよう心

4 突然のお別れ

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「こっちに来なさい」
 マーティンはついてくるよう手招きすると、通路の奥の窓を開け放ち、確かめるように辺りを見渡した。
「この窓から降りて逃げなさい」
 ファンローゼは驚いたようにマーティンを見上げた。
「奴らに捕まってはいけない。無事逃げるのだよ。こんなことくらいしかしてやれなくて、守ってやれなくてすまないね」
「いいえ! それはできません」
 もし、ここで自分が逃げてしまえば、おじさんたちがあの男たちに問いつめられ、責められるだろう。
 ファンローゼの思いを察したのか、マーティンはにこりと笑った。
「わたしたちのことは気にしなくていい」
 それでもファンローゼはいやいやをするように首を振る。
「いつかこの日が来ると思っていたよ。三年前、国境付近のラーナリア河に倒れていたファンローゼを見て、すぐにエティカリアから逃げてきたのだろうということは想像できた。辛いことがあったのだね」
 マーティンの手がそっとファンローゼの頭を優しくなでる。
「さあ、お行きなさい。私たちはファンローゼの過去を知らない。知らないのなら聞かれても答えようがない」
 自分のことが何も分からないから、おじさんたちには何も話せなかった。
 この時ばかりは、記憶を失っていたことに感謝したいと思った。
「ほら、はやく。奴らが来ないうちに」
 促されファンローゼは窓辺に足をかけよじ登った。
「いつでも帰っておいで。私たちの可愛い娘。それと……」
 おじさんは小さな鞄をファンローゼに手渡した。
「こんな日が来ないことを祈っていたのだが……妻が必要最低限の荷物を用意していてくれていた。中に着替えといくらかのお金も入っている。持っていきなさい」
 受け取った鞄とマーティンを交互に見つめ、ファンローゼは泣きそうに顔をゆがめた。
「マーティンさん……ありがとうございます。アレナおばさんにもありがとうと……」
 その後の言葉が繋げなかった。
 おじさんは分かっているよ、といわんばかりに深く頷いた。
 ファンローゼは窓から身を躍らせ屋根に降りる。と、同時に、男たちが二階へとあがってきた。
「さあ、行きなさい!」
 早口で言うマーティンおじさんに促され、ファンローゼは走り出した。
 屋根伝いに走り、路地に降りられそうなところを見つけたファンローゼはそこから地上に降りた。
「いたぞ! 娘を見つけたぞ」
 背後を振り返ると、数名の男たちが必死の形相で追いかけて来るのが目に入った。
 家の外にも見張りがいたのだろう。
 ファンローゼは逃げ道を探して辺りをきょろきょろと見渡す。
 けれど、迷っている暇も考える余裕もない。
 近くの脇道に滑り込む。が、ファンローゼは悲鳴を上げた。
 そこは袋小路であった。
 三年近くこの町で暮らすようになり、それなりに詳しいと思っていたはずなのに、焦りと恐怖で判断能力を失った。
 引き返そうにも男たちの足音が間近に迫ってくる。
 逃げられない。
 ファンローゼは悲痛な表情を浮かべた。
 助けて。
 ふと頭の片隅にうっすらと、一人の少年の姿が過ぎっていった。
 それは誰だったか。
 とても懐かしい気がして。
 よく知っているはずなのに、名前すらでない。
 思い出せそうで思い出せないもどかしさに胸を痛めたその時。
「手をのばして」
 頭上から落ちてきた声にファンローゼは上空を仰ぎ見る。
 塀の上でクレイが手を伸ばし叫んでいた。
「この手に捕まれ!」
 言われるがまま、ファンローゼはクレイに向かって大きく手を伸ばした。
 クレイが苦しそうな顔でさらに手をのばしてくる。
 その間にも後方で男たちの叫び声が迫る。
 ファンローゼは迷った。
 もし、この光景を男たちに見られたら、クレイまで疑われることになる。
 クレイを巻き込むわけにはいかない。
 手を引っ込めようとするが、それよりもはやく腕を掴まれ一気に壁の上に引き上げられた。そのまま壁の反対側へと降ろされる。と、同時に壁の向こうで男たちの足音が聞こえた。
「娘はどこにいった!」
「間違いなくこの路地に入ったはずだ」
「どこに消えた!」
「反エスツェリア組織の幹部の娘だ。絶対に娘を捕らえろ。絶対にだ!」
 壁一枚隔てたその向こうで、男たちのそんな会話が聞こえてきた。
 反エスツェリア組織の幹部の娘? それは私のこと?
「こっち」
 クレイに手を引かれファンローゼは走る。
 しばらく走り、クレイのアパートに飛び込んだ。
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