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第一章 十四歳の花嫁

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 日が落ちて刻限がきた。
 婚儀は、本殿の大広間で行われる。
 広間は詰め掛けた御親類衆や家臣たちでいっぱいになっていた。

 白無垢に身を包んだ佐奈が、世話役の老女に手を引かれて着座すると、一座の間からほうっとため息が漏れた。
 花嫁をみつめる人々の顔にはいずれも安堵と喜びの表情が浮んでいた。
 皆、此度の北条との縁組が無事、相成ったことに心からほっとしているのだ。

 続いて勝頼が入ってきた。
 正装に身を包んだ姿は、武田の血とともに神氏である諏訪氏の血を引いていることを感じさせる、あたりを払うような気品に溢れていた。
 俯いている佐奈からは勝頼の顔は見えなかったが、勝頼の方からは佐奈の横顔がよく見えた。

 柔らかそうな白い頬にはあどけなさが残っていたが、伏せ目がちにした睫毛の煙るような長さは初々しいなかにもほのかな色香を匂わせていた。

(似ている……いや、そうでもないか)

 勝頼は、佐奈姫のなかに最初の正室であり、十五歳で織田信長の養女として甲斐に嫁いできた妙姫たえの面影を無意識に探している自分に気がついて内心ひそかに狼狽した。

妙姫は美しい姫だった。
当時、二十歳の青年であった勝頼は、夢中になって妙姫を愛したが嫁いできて間もなくみごもった妙姫は、嫡男の信勝を産み落としたあと産褥熱でそのまま亡くなってしまった。
その後、周囲のすすめもあり幾人か側室を迎えたが、そのうちの誰も勝頼のなかの妙姫への想いを忘れさせることは出来なかった。

 今、あの時の妙姫と同じ年頃で同じように、白無垢と幸菱の打ち掛けを纏って自分の隣りに座っている
佐奈姫を見て勝頼は、妙姫がもう一度、自分のもとへ帰ってきてくれたような錯覚に捕らわれた。
 愚かなことだ、と思ったが、その胸の疼くような思いは婚儀の間じゅう消えることはなかった。

 御親類衆、家臣たちが次々と祝いをのべにふたりの席前までやって来る。
 その一人一人に盃を与えひと言、二言、言葉を与える勝頼のとなりで佐奈はただ、背後に控えた老女に教えられるままに会釈を繰り返していた。

 幾人かの挨拶を受けたあと、勝頼が、
「姫」
 とはじめて佐奈に声をかけた。

「はい」
 突然のことに驚きながら返事をすると、
「倅の信勝だ。そなたには義理の息子になる。よしなに頼む」
 と言葉をかけられた。

 白練のかつぎの下からわずかに視線を上げると、目の前にいかにも聡明そうな切れ長の瞳をした少年が きちんと膝をそろえて座っていた。

「太郎信勝にございます。母上さまにおかれましてはご機嫌うるわしゅう。
 本日より何卒よろしくお願い申し上げます」
 張りのある声で口上を述べ、礼儀正しく一礼するその堂々とした挙措に人々から感嘆の声が洩れた。

(この方が、御館さまのご嫡男、信勝さま…)

 話には聞いていたが、実際に自分といくつも年のかわらない少年に「母上」と呼びかけられるのは妙な気分だった。
 佐奈は、小さく息を吸って、吐いて、それからにっこりと微笑んだ。
 小田原の家中で「花のような」と賞された微笑みである。

「こちらこそふつつか者ではございますがよろしくお願い致します」
 信勝は、一瞬、虚をつかれたような表情になりそれからわずかに頬を染めてもう一度一礼した。

「四郎どの。この度はおめでとうござりまする」
 慇懃な表情でそう祝いを述べた初老の男を勝頼は、
「御親類衆筆頭の、穴山信君だ」
 と紹介した。

 信君は、佐奈を一瞥しただけで
「いや、古府中には久方ぶりの慶事で祝着至極。この次は是非とも我が嫡子、勝千代にとく姫さまをお迎えし、四郎どのに我が城においでいただきたいものでございますな」
と広間じゅうに響くような声で云った。
 
 勝頼はにこやかに
「是非ともに」
 と請け合い、信君は満足げな顔で下がっていったが、佐奈の胸にはなんとなしに違和感が残った。
 信君は他の家来衆が
「なんとお可愛らしい」
「花のような御台さまで」
 とお世辞を口にするなか、まるで佐奈に興味を示さなかった。
 このような小娘などどうでもよいのだという態度であった。

 それは別に良い。
 だが、信君が勝頼の婚儀への祝辞もそこそこに自分の嫡男と勝頼の息女、督姫の婚約の件をことさら周囲に印象づけるように大声で口にし、それが終ると要は済んだとばかりにさっさと立ち去ったのは気になった。

 穴山信君は一度も勝頼のことを「御館さま」とは呼ばなかった。
 終始、「四郎どの」と叔父が甥に対するような態度であった。

 信君の母は、亡き信玄の妹であり、その妻は信玄の娘で勝頼には異母姉にあたる加津かつ姫である。
 つまり、年長の従兄であり義兄でもあるわけで身内として振る舞う理由はあるのだが……。

 勝頼の実弟の仁科盛信や、叔父である逍遙軒しょうようけん信廉のぶかどらが、筋目正しく
「御館さま」と呼んでいるなかで、信君の態度はいかにも不遜に思われた。
 


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