上 下
48 / 66
第三章 悪人たちの狂騒曲

47.公爵令嬢の行方

しおりを挟む
 状況が動いたのは、日も落ちたあとだった。

   王宮からクレヴィング公爵に至急参上するようにとの命令が届いたのだ。

 公爵──ギルベルト・クレヴィングは嫡男のヴィクトールを連れ、アマーリア捜索の指揮を弟のフランツに委ねると王宮へと向かう馬車に乗った。

「ラルフ、おまえも来い」
 ヴィクトールが言った。

「いや、しかし……」

「王命には、『クレヴィング公爵令嬢アマーリアの失踪に関する件で、至急四大公爵を召喚する』と書かれていた。アマーリアに関することならおまえが一番の関係者だ。いいから来い」

「ああ。事と次第によってはその場からすぐ騎士団を率いて出動して貰うことになるやもしれん。同行して欲しい」

 公爵にまで頭を下げられては断る理由はなかった。

 王宮に着くと、すぐに謁見の間に遠された。
 玉座のシュトラウス二世の隣りには青ざめた顔のクラウス王妃。

 そこから一段下がった諸侯たちの席にはすでに、国王の叔父のシュワルツ大公、その子息のエリックがつき、バランド公爵、ザイフリート公爵、そして残る一つの公爵家ベルトラン公爵家の当主のエドワルドが着席していた。

 それぞれの子息たちは、そこからまた少し離れた末席に控えている。
 クレイグやルーカスの顔も見えた。

 ヴィクトールに促されてラルフもその席の一番端に遠慮がちについた。

「遅くなって申し訳ありません」
 クレヴィング公爵が頭を下げた。

 「いや、このような時に……」
 口を開きかけた国王は、ぎょっとした顔で口をつぐんだ。
 それも無理はない。
 クレヴィング公爵の額には黒いインクででかでかと「平常心」と書かれているのだ。

 ヴィクトールの額にもまったく同じ文字が書かれている。

 アマーリア行方不明の報を聞いて、動揺から挙動不審な状態に陥ったこの父子は、
「まずは落ち着こう!!」
 と互いの頬を思いきり打ち合ったあとで、
「アマーリアを無事取り戻すまで平常心を忘れず、落ち着いて行動出来るように」
 とお互いの額にあの文字を書いたのだ。

 自分の額だと見えないから、らしい。
 ラルフも書くように勧められたが全力で辞退した。

 ちなみに公爵邸で待機中のフランツ・クレヴィングの額にも同じ文字が書かれている。

 本人たちは落ち着くのかもしれないが、見ている側はかえって不安定な気持ちにさせられる。

 しかし、公爵とは学生時代からの付き合いである国王はさすがにすぐに驚きから立ち直り、

「い、いや、ギルベルト。このような時に呼び立てて済まぬ。しかし皆に集まったのは他でもない。アマーリアの失踪に関わることなのだ」

 と言葉を続けた。
 一同にざわめきが広がった。

「アマーリア嬢が失踪とはどういうことでしょう? しかも、それに関わることで我ら四大公爵を皆、招集されるとは……」

 ベルトラン公爵が、戸惑ったように言う。

 シュトラウス二世は片手を上げてベルトラン公爵を制し、沈痛な面持ちで話し始めた。
 それは驚くべき内容だった。

 今日の午後、王宮の門に投げ文があった。
 石に包まれた布に書かれたそれには、前王太子アドリアンの名で、

「私は、アマーリア・クレヴィング嬢への真実の愛に気がついた。愛する彼女と二人で幸せになるためにともに王国を出奔する。探さないで欲しい」

 と書かれていたというのだ。

「そんな馬鹿な! アマーリアはすでにそこにおりますラルフ・クルーガーと婚約を交わした身。今さら、アドリアン殿下とどうこうなどありえませぬ!!」

 ギルベルトが声を荒げた。
 ヴィクトールもすかさず立ち上がった。

「その通りです。これは駆け落ちを装った拉致、誘拐です。すぐに捜索のための兵を出す許可を!」

 国王が頷きかけるよりも早く、ザイフリート公爵ニコラスが立ち上がった。

「待たれよ。ヴィクトール卿。それは少々、早計というものではないかな」
「何がですか」

「この文がアドリアン殿下の虚言と言い切ってしまっても良いものなのかと言っているのだよ。早まったことをすれば汚名を着るのはそちらのアマーリア嬢の方ではないのかな」

「どういう意味だ。ニコラス」
 ギルベルトが低い声で尋ねた。

「いや。親子とはいえ、年頃の娘の心などは分からぬもの。父や兄が知らぬだけで当のご息女はかねてより殿下と心を通じておったのではないのかな、と言っておるのだ」

「もしそうならば、拉致だ、誘拐だのと騒ぎ立てて兵などを派遣すれば、とんだ恥さらしということになりますね」
 父に同調するようにルーカスが言う。

 ギルベルトがさっと顔を険しくした。
 
「貴公らはアマーリアが親に隠れて婚約者以外の男と情を通じるような恥知らずな女子だと申しておるのか! もし、そうならば我が娘に対する重大な侮辱だ。絶対に許さぬぞ!!」

 雷鳴のような声で怒鳴られルーカスは顔色を白くしたが、父のニコラスの方はさすがにそんなことでは怯まずににやりと笑い返した。

「いや侮辱など、とんでもない。そんな大袈裟な話ではなくアマーリア嬢が長年、婚約者として互いへの気持ちを深め合ってきたアドリアン殿下のことをそう簡単に忘れられなくても仕方ないのでは、という話だよ。ギルベルト」

「あり得ぬ! 昔はいざ知らず、アマーリアという婚約者がいながら他の娘に心をうつし、その娘の嘘八百を鵜呑みにして、公衆の面前で罵倒し、婚約破棄を突き付けるような厚顔無恥、自分勝手、無知蒙昧、傲岸不遜、人面獣心、放蕩三昧のバカ王子をなぜにアマーリアがいまだに想うてやらねばならぬのか! あんなクズとよりを戻すくらいなら庭の石の下のダンゴムシと結ばれた方がまだマシと言うものだ。馬鹿も休み休み言うがいい!!」

 ギルベルトの発言に、声もなくうなだれる国王とクラウス王妃。


「父上! 言い過ぎです! 陛下の御前ですよ!」
 ヴィクトールが自分の額を指し示して言う。

「そうだったな。平常心、平常心……」
 ブツブツと呟きながら、ギルベルトは着席した。

「今のふざけた発言に関する報復は、アマーリアが無事に見つかってから考えましょう! ええ、そりゃあもう二度とそんな馬鹿げた口がきけないように徹底的に……」

「ヴィクトール! そなたも落ち着け!」
 ギルベルトが自分の額を指して言う。

「そうでした……妹のことになると、幼い頃から殿下の婚約者としてふさわしくあろうと、健気に努力を続けていたのを無残にも踏み躙られたのを目の当たりにしていたものですから誰よりも幸せにしてやりたいと思うあまりつい……平常心、平常心」

 ヴィクトールが自分の両頬をバシバシと叩く。
 ますます、うなだれる国王と王妃。


 ラルフはその様子をよそに考え続けていた。

 アドリアンの手紙の内容に関しては、少しも信じていなかった。

 アマーリアは失踪直前まで、自分のためにランチを持ってきてくれ、今度の武術大会の応援に行くと言ってくれていた。それがその日のうちにアドリアンと示し合わせて姿を消したなど到底信じられない。

 そもそも、あの自分に向けてくれた愛情に溢れた眼差しと笑顔をほんのかけらでも疑う気にはまったくなれなかった。


(考えろ、ラルフ。今、クレヴィング公爵家を敵に回してまで彼女を攫って得をするものは誰だ)

 アドリアンには、こんな風にアマーリアを拉致する理由がない。
 もし、まだ彼女を愛しているのなら自分の間違いを認めて、正面切ってもう一度求愛すればいいのだ。

 断られる危険を回避しようとしたとしても、こんなやり方はあまりにリスクがあり過ぎる。
 それにアマーリアから聞いていた性格から、ラルフはアドリアンはこんな荒っぽい手段に出るようなタイプではないと思った。

 アドリアンは王太子ではなくなったとはいえ、今の時点ではまだシュトラウス二世の第一王子だ。
 父国王も母王妃も、何だかんだと息子を愛している。

 だが、こんなことをすれば国王だとて庇いきれない。身の破滅だ。

(いや……これはアドリアン殿下を破滅させたい者の仕組んだことなのか)

 ラルフはさらに考えた。

 アドリアンが邪魔な者。
 クレヴィング家を恨んでいる者。

 そして、アマーリアがラルフと結婚する前に彼女を消してしまいたいと願う者。

 真っ先に継母エリザベートの顔が思い浮かんだ。
 あの女ならラルフを公爵家の婿にしないためにそれくらいはするかもしれない。

 
 そして、息女のカタリーナがエルリック王子の妃となることが決まった今、ザイフリート家にとってアドリアンは目の上のたんこぶだろう。

 アドリアンとラルフ。
 邪魔な二人を排除するためにザイフリート公爵とエリザベートが企んだのだとしたら。

 ラルフは立ち上がった。

「どうした?」
 尋ねてきたヴィクトールに、今頭に浮かんだ考えをざっと説明し、クルーガー伯爵家のエリザベートのところへ行ってきたいという考えを伝える。
 
 ヴィクトールはさっと表情を改め頷いた。

「分かった。行け。ここは俺にまかせておけ」

 平常心、と額に思いきり書かれたヴィクトールが何をするつもりなのか不安が頭をかすめたが、クレイグが隣りにいる限り、大丈夫だろうと思い直し、国王と王妃に向かって騎士の礼をすると退出を願う。

「ラルフ・クルーガーか。さぞやアマーリアの身が心配であろう。で、どこへ行こうというのか」

 国王が尋ねるのに、ヴィクトールが恭しく進み出てあとを引き取った。

「それに関してはあとは私からお話しさせていただきとう存じます。事は一刻を争いますので、この場で何卒、クルーガーに退出の許可を」

「よし。許そう」
 国王は即座に頷いた。

 ラルフはもう一度、その場の人々に礼をして踵を返すと厩舎に向かって駆けだした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

夫と親友が、私に隠れて抱き合っていました ~2人の幸せのため、黙って身を引こうと思います~

小倉みち
恋愛
 元侯爵令嬢のティアナは、幼馴染のジェフリーの元へ嫁ぎ、穏やかな日々を過ごしていた。  激しい恋愛関係の末に結婚したというわけではなかったが、それでもお互いに思いやりを持っていた。  貴族にありがちで平凡な、だけど幸せな生活。  しかし、その幸せは約1年で終わりを告げることとなる。  ティアナとジェフリーがパーティに参加したある日のこと。  ジェフリーとはぐれてしまったティアナは、彼を探しに中庭へと向かう。  ――そこで見たものは。  ジェフリーと自分の親友が、暗闇の中で抱き合っていた姿だった。 「……もう、この気持ちを抑えきれないわ」 「ティアナに悪いから」 「だけど、あなただってそうでしょう? 私、ずっと忘れられなかった」  そんな会話を聞いてしまったティアナは、頭が真っ白になった。  ショックだった。  ずっと信じてきた夫と親友の不貞。  しかし怒りより先に湧いてきたのは、彼らに幸せになってほしいという気持ち。  私さえいなければ。  私さえ身を引けば、私の大好きな2人はきっと幸せになれるはず。  ティアナは2人のため、黙って実家に帰ることにしたのだ。  だがお腹の中には既に、小さな命がいて――。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

最悪なお見合いと、執念の再会

当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。 しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。 それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。 相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。 最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。

処理中です...