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第四章 初恋は叶うもの

63.立太子の儀と結婚式

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 そして、エリックの立太子の儀と、それに続く結婚式の日がやって来た。

 立太子の儀には、王族の他に伯爵家以上の当主ならびに各騎士団長の出席が許されている。
 ラルフは、現クルーガー伯爵家の当主として出席することになっていた。

 一年前なら考えられないことだ、とラルフはここ数ヶ月で自分の環境に起こっためまぐるしい変化を思い起こした。
 すべてはアマーリアとの出逢いから始まった。

 アマーリアは、その明るさと優しさ、そして無鉄砲ともいえる行動力で、それまでラルフの周りの世界を包んでいた灰色の澱のようなものを軽やかに吹き飛ばし、一変させてしまった。


(しかし、まさか俺が王家の式典に出席することになるとはな。少し前なら、王宮の警備か王都の警戒に当たってただろうに)

 実際、かつての同僚たちの多くは今日もそうして警護の任務についているのだろう。

(俺も本当はそっちの方が性に合ってるんだが)

 なかなか着心地に馴れない、パリッと糊のきいたドレスシャツを着て無造作にタイに手を伸ばすと、
「旦那さま」
 と横から声をかけられた。
 
 見ると、新しく雇い入れた従僕のアーネストが遠慮がちに白いシルクのタイを差し出していた。

「本日は第一礼装ですのでタイはこちらのものを。それからお支度ですが……」
「君に手伝って貰うんだったな。悪い。まだ馴れなくて」

「いえ。タイの前にこちらのウェストコートをお召し下さい。カフスとポケットチーフは先日、奥さまがご用意下さったものでよろしいでしょうか?」

「ああ。いいよ。全部、君にまかせる。恥ずかしながらそういったことには本当に疎くてね。これからも色々と教えて貰えると助かる」
「恐縮に存じます。私で良ければ喜んで」

 アーネストを雇うことを提案したのはアマーリアだった。

「伯爵位につかれるのでしたら、お身の回りのお世話をする従僕が必要だと思いますわ」
 ラルフは最初、それを退けた。

「いいよ、身の回りのことは自分で出来る。それに家のことはバートラムがいれば十分だ」

 アマーリアは困ったように首を傾げて、それでもはっきりと言った。

「いいえ。バートラムは執事です。彼には屋敷全体を差配するという仕事があります。旦那さまのお身の回りのお世話を彼にさせるのは相応しくありませんわ。それ専用の使用人を雇って、バートラムには彼らの管理をして貰うべきです」

 そう言われてアーネストの他にも、数人の男性使用人と、クララの下で働くメイドを数人雇い入れた。

 急激に大所帯になった屋敷のなかを、苦もなくずっとそうしていたように差配しているアマーリアを見て、やはり彼女は生まれながらの公爵令嬢なのだと実感した。

(今さらながら俺には不釣り合いというか……改めて前途は多難だな)

 そう思いながら階段を降りていったラルフの不安は、階下で待っていたアマーリアを見たとたんに消え去った。

 伯爵夫人である彼女は、立太子の儀には出席しないのだがそのあとに続く結婚式と披露宴には出席することになっていた。

 襟と袖のついた、貴族の女性としての第一礼装のローブの上にクルーガー伯爵家の家紋の縫い取られたサッシュをかけ、髪をきちんと結い上げたアマーリアは、日頃見慣れたラルフでも、思わずはっとするほど気品があり美しかった。

 だが降りてきたラルフを見るなり、
「まあ、ラルフさま。素敵ですわ」
 ぱっと顔を輝かせて微笑むその顔は、ラルフのよく知っている愛らしい少女のものだった。

「どうかな。どこか変じゃないか?」
「変どころか、とてもご立派ですわ。このまま肖像画にして玄関に飾っておきたいくらい」

「おい、肖像画はもう勘弁してくれよ」
 ラルフは苦笑した。

 ただでさえアマーリアは結婚式のときの夫婦の肖像画をいくつも模写させて、屋敷のいたるところに飾っているのだ。
「だってこうすればあなたがお仕事の時でも少しは寂しくないんですもの」
ということらしいのだが、友人が来た時など恥ずかしくて仕方がない。

「旦那さま、馬車のご用意が出来ております」

 バートラムが、若い伯爵夫妻を誇らしげに見つめながら言った。
 ラルフが幼い頃からクルーガー伯爵家に仕えていた彼には、今日のラルフの姿は感慨無量だった。

「ありがとう、バートラム」

 ラルフは礼を言ってアマーリアを振り返った。

「では後で。王宮で会おう」
「ええ、あなた。お気をつけて」
 アマーリアは微笑んで夫の頬にキスをした。

 立太子の儀に出席するラルフは一足先に伯爵家の馬車で家を出て、結婚式から出席するアマーリアはこの後、アンジェリカの馬車に同乗して会場に向かうことになっていた。


 立太子の儀は厳かに行われた。

 新王太子となるエリックは、アドリアンより三つ年上の二十二歳。
 
 父の大公譲りの長身と、精悍なその容貌。
 気品と落ち着きに満ちた振舞いは、参列した貴族たちの誰もを「すべてがあるべきように、最良の道におさまった」と納得させるのに十分だった。

 
 新王太子の従者として、バランド公爵家の嫡男にしてこの後、新王太子妃となるミレディの実兄のクレイグ。
 
 そしてクレヴィング家の嫡男のヴィクトール、ベルトラン公爵家の嫡男の嫡男マクリミリアンが従っている。
 やがて、エリックが王座についた時には彼らが重臣として国を支えていくのだ。

 初めてこういった場に出席するラルフは緊張のし通しだったが、会場に着くと何人もの貴族が親しげに声をかけてきてくれた。

 どうやら舅のクレヴィング公爵が事前に声をかけてくれていたようで、貴族たちの方でも公爵の愛娘の婿となった若き伯爵と知り合いになれる絶好の機会とばかりに先を争うようにして親切にしてくれる。
 ラルフはつくづく妻の実家の持っている勢力と人望を思い知った。


 立太子の儀が無事に済み、結婚式会場に移動した。
 会場になっている王宮の水晶宮でアマーリアをみつけた時は心底ほっとした。

 式が始まり、厳かな音楽とともに入場してきたミレディの姿は出席者たちの目を奪った。
 会場のあちこちから夫人たちのうっとりとしたような感嘆の声が上がった。

 それだけ純白のウェディングドレスに身を包み、王家に代々伝わる王太子妃のみがつけることを許される銀に青いサファイアが嵌め込まれたティアラを髪に頂いたミレディの姿は、気高く美しかった。
 年配の貴族たちの中には、彼女がその母である王姉サリア王女の若い頃に生き写しだという者もいた。


 こうして新王太子の立太子の儀──そして、結婚式は滞りなく行われた。





 その頃、王妃宮にほど近い場所にある小宮殿、紅玉宮。

「やっぱり私はいいよ。披露宴には出席しない」

 端正な顔をうつむけてそう言ったアドリアンに、王妃付きの女官のマリアは困ったように首をかしげた。

「けれど王太子殿下」
「私はもう王太子ではない」

「……失礼いたしました。アドリアン殿下。式典には無理でもその後の披露宴には出席するように、というのが国王、王妃両陛下からのお言いつけでございます。エリック新王太子殿下からの是非にとのご要望だそうで」

 アドリアンはふっと笑った。

「それはエリック従兄上あにうえはそう仰られるだろう。お優しい御方だからな。だが、それを真に受けてのこのこ出て行ってどうなる? 貴族たちのいい笑いものだ」
「そんなことは決して……」

「なぜそう言える? それは面と向かって何か言ってくるようなものはいないだろうが、私の存在に対して何かしら思うところのある者は当然いるだろうし、私が出ていくことで祝いの席が妙な空気になっては新王太子ご夫妻にも申し訳ない。私は出席しない。体調が悪いとでも言ってくれ」

「はあ……。なれど国王陛下直々のお言いつけですのに。エルリック殿下もご出席なさるそうですよ」

「エルリックはいい。あいつはザイフリート家の陰謀に利用されかけたとはいえ、当人は何も知らなかったのだし罪はない。私とは違う」

 なおも何か言いかけるマリアに向かってアドリアンは軽く手を振って下がるように言った。

「何も仮病を使おうと言うんじゃない。本当に足が痛むんだ。この間、捻ったところがズキズキと」
「この間、ご散策に出られた折に、犬に追いかけられて転ばれた時のお怪我ですか? そんなにたいしたものでは……」

「犬じゃない」
 アドリアンはムッとしたように言い返した。
「熊か狼か、そういった類の猛獣だ。もう少しで脚を食い千切られるところだった」

「まあ。でも警護の騎士たちから聞いたところでは、どこかの貴族の令嬢が連れていた飼い犬のようだったと……」

「い、犬は犬だったかもしれないが、ただの犬じゃない! 真っ黒で熊くらいの大きさの、地獄の番犬みたいなもの凄いやつだったんだからな!」
「はいはい。そんな猛獣に襲われたわりにはお怪我がなくてよろしゅうございました」

 古くから王妃に仕えているマリアはアドリアンやエルリックを幼い頃から知っている。
 その口調には、幼子をあやすような余裕があった。

「怪我をしたと言ってるだろう。足を捻ったんだ。まだ痛む。だから今日の披露宴には出ない!」

 アドリアンはそう言って、わざと大袈裟に足を引きずるようにしながら庭園の方へと出ていった。

「どちらへ? 足が痛まれるのならお休みになられては?」

「ここにいたら、そのうち母上がお戻りになってまた宴に出ろだのなんだのうるさく言われるだろう。私は散歩に行ってくる」
「まあ、では今、供の者を」

「いい。すぐそのあたりを回ってくるだけだから」
「まあ、でも……殿下、アドリアン殿下!」

 慌てたようなマリアの声を背中に聞きながら、アドリアンは紅玉宮を出て、今日の盛儀のために普段より人気のない王宮の庭園の方へと歩いていった。


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