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後日談
花見酒
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今日も今日とて、私は焚火の前にいた。
隣国の民を長年悩ませてきた原因不明の奇病が『焚火の聖女』の力によって無事解決されたのは、先月のこと。
蓋を開けてみればいわゆる公害病で、鉱山から流れ出た水が周辺の川を汚染したことが原因だったらしい。
『焚火の聖女』つまり私が解決したはずなのに、なぜ『らしい』かと言えば、実際に解決したのはほとんど『紅眼の魔女』だから。
科学が発展していないこの世界では、そういった現象は全て『呪い』って話になるのだけど、『呪い』の専門家である魔女の手にかかれば、宴席での雑談レベルで解決できてしまったのだ。
で、私がなんで焚火の前にいるかっていうと、今日はその御礼ということで隣国の女王陛下御一行が私の元を訪ねて来ていたのだ。
「聖女殿!この度は、本当になんとお礼を言っていいか。我が国の民を長年苦しめてきた奇病を、まさかたった数ヶ月で解決してしまうなんて!」
いやいや、解決したのは私じゃなくて魔女だから!
と声を大にして言いたいけど、魔女たちは権力者が大っ嫌いだから、そもそもこういった場には絶対出てこない。
そんなわけで、魔女たちの代わりにこういった接待を全てを私が担うことになってしまい、現在に至るわけだ。
まあ、魔女たちに意見を求めたのは私だから、当代の筆頭聖女としての責任はあるわけなんだけれども。
でもまさか、わざわざ隣国から来てくれた女王陛下に、『ああ、あれは魔女がイカの一夜干しを食いちぎりながら解決してくれました。』なんて言えるわけがない。
***
隣国の女王陛下を神殿の出口まで見送り、ホッと息をついた私が視線を感じて振り返ると、そこには日本風の前掛けを見事に着こなすヴィンスが立っていた。
その前掛けは、聖女仲間たちが私たちの結婚を祝って特別オーダーしてくれたもので、日本語で『居酒屋めぐみ』って書いてある。
え?ここは神殿なの?それとも居酒屋?
一瞬、我が目を疑う。
最近、ヴィンスは聖女仲間たちに『板長』って呼ばれ始めているし、もういっそのこと居酒屋にしちゃった方が清々しい気さえする。
いや、その方が私も気が楽かも。
「お疲れ様。今日は大変だったな。」
柔らかく微笑むヴィンスがこちらに近づいてきて、そして、当たり前のように私をハグした。
私も思わず力が抜けて、本音が漏れる。
「もうさー。私が解決したことにするの無理があるって。大魔女様に言ってよ!次は同席してくれって!」
この世界で最も恐れられている魔女たちだけれども、実は魔力だけでなく、とんでもなく知識も豊富だ。
今回の件についても、もう随分と前から病の原因を知っていたらしい。
けれど、自分たちに害が及ばない限り手を出さないのが魔女のやり方で、頼まれなかったから何もしなかったというわけだ。
まあ、魔女たちは隣国の女王陛下が頭を下げたって手を貸さなかっただろうけど。
「いや、無理だな。そもそも、あの王家とは十四代前に因縁がある。」
そう。魔女たちは長い歴史の中で、ほぼ全ての王家と何らかの因縁を持っており、それもあって権力者が大嫌いなのだった。
確か隣国は、当時の王家に嫁いだ魔女の娘が、男子を産まないという理由で虐げられたのをきっかけに、絶対に男子が生まれない呪いをかけられているとか。
「ヴィンスのお兄さんたちだって今でも緊張するのに、他国の王室とか本当に無理!私はそもそも地方出身の兼業農家の娘なんだから!」
筆頭聖女に選ばれてからのセレブリティー接待は、本当に苦行だった。
お酒は好きだけど、普通に飲みたい。
気兼ねせず、くだらないことだけ言って、グダグダと飲んでいたい!
そんな私の気持ちを知ってか、ヴィンスが子供をあやすかのようにポンポンと私の背中を叩く。
超女系家族に生まれたせいなのか、ヴィンスは女の扱いが妙にうまい。
こういう時は、下手なことは言わずに、ただただ聞き役に徹しているのが一番だと分かっているんだろう。
初めは戸惑っていたものの、今では私もすっかり甘えることに慣れてしまった。
まあ、結婚してもうすぐ一年が経つんだから、当たり前なのかもしれないけど。
「そういえば、女王陛下が持って来てくれたアレ。ナナサンに聞いて作ってみたけど、どうする?明日にする?」
ヴィンスの言葉に、アレのことを思い出す。
アレとは『あん肝』のことだ。
この度解決した公害病は骨に異常をもたらすものだったのだけれど、元栄養士である『薬味の聖女』こと清香ちゃんが、『骨と言ったらビタミンD。ビタミンDと言ったらあん肝!』と言って、勧めてきたのだ。
隣国では『あんこう』の身は食べても、『肝』を食べる文化はなかったらしいのだが、清香ちゃんからのアドバイスを軽い気持ちで伝えたところ、それがまさかの大当たり。
こちらのあんこうは、こちらの世界の生き物らしく不思議な力を持っていて、肝にだけ特別な力があり、一瞬で病を治してしまったのだ。
隣国ではブイヤベースのような魚介スープとして食べるようなのだけど、『あん肝』と言ったら、やっぱり『あん肝ポン酢』しかない!
「もちろん食べる!今日は緊張して、全然飲めなかったから飲み直したい!」
私の言葉に微笑んだヴィンスが、手のひらを上に向けて何かを小さく唱えた。
すると、何もなかったはずの空間から『あん肝ポン酢』がのった皿が出てきた。
何度見てもビックリするけど、この世界の魔法は本当にすごい。
これも比較的ポピュラーな魔法らしいのだけど、こちらの世界には冷蔵庫がない代わりに空間に保管する魔法がある。
ヴィンス曰く、その空間の中では時間の流れが止まっているので、物が腐ることもないのだそう。
こういうのを目にすると、女神様が向こうの世界の文明の利器を『不要』と判断した理由がわからないでもない。
さっきまで女王陛下がいた焚火エリアは神官たちが片付けをしているので、邪魔にならないよう、またいつもの端っこへ向かう。
ヴィンスが用意してくれた焚火の前に座り、一升瓶に残った『純米大吟醸研ぎ二割三分』をグラスに注いだ。
そして、あん肝ポン酢を一口齧り、その濃厚な味わいが口の中に残るうちに日本酒を飲む。
あん肝のしつこさが日本酒で中和されて、口の中が幸せで満たされる。
「くーっ、たまらん!」
やっぱり日本酒はいい!
あん肝と言ったら、やっぱりこの組み合わせしかない!
考えついた人、天才すぎる。
私が欲望のまま、あん肝と日本酒を堪能していると、すぐそばに座ったヴィンスが目を細めた。
「メグミは相変わらずいい顔で飲むな。」
ヴィンスはそう言ってくれるけど、こんな煩悩剥き出しの顔、そうそう他人の目に触れさせられるものじゃない。
出会いの時から酔っ払っていたこともあり、ヴィンスの前だと最初からあまり抵抗なかったけれど。
「ちょっと……、ヴィンスも飲みなさいよ!」
ヴィンスにもあん肝と日本酒を勧める。
異世界のイケメンがあん肝ポン酢を頬張る姿は、何とも形容し難い不釣り合いな感じだけれど、それも今更だ。
あん肝ポン酢も気に入ったようで、ヴィンスもいい顔を見せてくれる。
お酒も強いし、つまみの趣味も合うし、本当にいい旦那だ。
この世界に来なければヴィンスと出会うこともなかったんだと思うと、今では死んで良かったとさえ思う。
向こうの家族に知らせられないのが残念だけれど、もし知らせることができたのなら、私は間違いなく『今、とても幸せに暮らしている』と言うだろう。
と、その時、急に春の風が私の髪を撫でた。
どこからか漂ってきた花の香りが、急に懐かしい風景を思い出させる。
「それにしても、こっちの世界には桜がないのだけが残念ね。この時期、毎年花見をしてたから、桜を見ないと春が来たって感じがしないのよね。」
不意に、実家の庭に植えられていた桜の木を思い出す。
実家を出る前はもちろん、実家を出てからもなるべく桜の時期に合わせて帰省して、家族と共に桜の花を眺めたものだ。
「それ、前も言ってたな。薄いピンク色の花が咲く樹だって言ってたな。」
「よく見るとピンクだけど、遠くから見るとほとんど白で、雲みたいにふわふわとたくさんの花が咲くのよ。それが本当に綺麗で、私が生まれた国では桜を見て、春が来たことを知るのよ。」
もう見ることができない故郷の風景を思い浮かべる。
胸の奥が熱くなり、少し鼻の奥がツンとしてくる。
私の異変を感じたのか、ヴィンスがそっと私の肩を抱いた。
その温もりに、素直に体を預ける。
その時、焚火の中に故郷の景色が映った。
満開の桜。
風に舞い踊る桜の花びら。
「え?」
私は思わず声を上げた。
今まで、私の欲しているものが見えたことはないのに!
「これがサクラか!」
驚いたように目を見張り、ヴィンスも炎の中を見つめている。
「そう。これが桜なの!そして、これが私の故郷。ヴィンスにも見せられて良かった!」
ヴィンスとのシンクロ率は日増しに上がっているのだが、ついに私の欲しいものまで見せられるようになるとは。
嬉しい反面、今後は色々筒抜けになりすぎそうで怖い気もする。
そんなことを考えていると、ヴィンスが隣で何やら思い悩んでいるのに気づいた。
どうしたの?と声をかけようと思った時、ヴィンスが突然パチンと指を鳴らした。
と、同時に満開の桜の花が周囲に咲き乱れる。
「ええっ!何これ!すごい!桜?」
驚く私に、ヴィンスが微笑んで答える。
「これはアーモンドの花だ。こっちの世界にある花の中で一番近いものを咲かせてみた。」
「こんなことできたの?」
「俺は魔女のように本能で魔法を使うことはできないんだが、『花の魔女』として知られる母上の影響で、花だけは咲かせられるんだ。」
ヴィンスがそう言って、少し気恥ずかしそうに微笑む。
花を咲かせる魔法が使えることは、あまり人には教えていないらしい。
「すごい。確かに少し違うような気もするけど、本当に桜の花みたい!」
まさか、異世界で花見ができるなんて!
思わず立ち上がって、空を仰いだ。
夜空が全て花で覆われて、なんて綺麗なんだろう。
「喜んでもらえたようで良かった。これからは、俺が毎年メグミのためにこの花を咲かせるよ。春になったら必ず一緒に花見をしよう。」
ヴィンスが私を後ろから抱きしめ、そう耳元で囁いた。
私はその言葉に大きく頷き、後ろから伸ばされたヴィンスの腕に自分の手を重ねた。
桜によく似た花は、風に舞い踊り、遠い空へと飛び去っていく。
それは、きっと私の故郷に届いている。
そんな気がした。
◇◇◇
「親父、またやってんのかよ。っていうか、この前もらった酒、もう開けちゃったの?」
俺が、焚火の前で飲んでいる親父に声をかけたのは、家の庭の桜がちょうど満開になった日の夜のことだった。
最近、親父は酒量が増えた。
「・・・何だかな。ここで焚火をしていると、不思議と恵が側にいるような気がしてな。」
すっかり小さくなってしまった親父の背中を眺める。
姉貴が死んでから、もう二年が経った。
突然の別れに涙した日々も、もう遠くなりつつある。
お袋は、いまだに東京に行かせたせいだと嘆いてばかりいるが、俺は楽しそうにしている姉貴の姿を見てたから、そんな風には思わない。
こんな早死にするとは思わなかったけど、姉貴は姉貴なりに人生楽しんでいたと思うから。
「俺にもくれよ。独り占めするなって。」
親父から日本酒の瓶を奪う。
姉貴が死んだ時に抱えていた『純米大吟醸研ぎ二割三分』。
最後に会った時、『お正月用に奮発した』と言って自慢していたのに飲まずに死ぬなんて、今頃あの世で悔しがってるだろうなと思う。
「特に、この酒を飲んでると近くにいるような気がするんで、つい開けてしまってな。」
姉貴を発見してくれた会社の人たちは、姉貴の死に責任を感じているのか、今年も命日に『純米大吟醸研ぎ二割三分』を贈ってくれた。
俺たちも、何となく姉貴のために買っておかないといけないような気がして、あれからこの酒が我が家の仏壇から消えたことはない。
まあ、結構値段のする酒だから、こう頻繁に親父に飲まれたら堪らないのだが。
「分かる気がするよ。姉貴は酒が好きだったからな。それに、花見をするのも好きだった。毎年、ここで一緒に飲んだよな。だから、きっとその辺にいるんじゃないかな。」
仕事柄、盆や正月にさえ帰省しない姉貴だったが、桜の時期には必ずっていいほど帰省していた。
だから、きっと死んでからもお盆とかじゃなく、この季節に帰って来そうな気はする。
「そうだな・・・。でもな、未だに信じられなくてな。実は、あれは恵じゃなくて、本当の恵は何処かで元気でやってるんじゃないかって思えてならないんだよな。」
親父がポツリとつぶやいた。
でも、それは俺も同じ気持ちだった。
確かに姉貴は死んだけど、その遺体を目にしても何か中身が入っていない作り物のように見えて、実感が湧かなかったのは事実だ。
「・・・意外と本当にそうかもな。今、世間では異世界転移とか転生モノが流行ってるんだけどさ。姉貴も本当は異世界に行ってて、向こうで楽しくやってたりして。」
俺はそう言って、グラスに注いだ酒に口をつけた。
目を閉じ、姉貴が好きだった日本酒の味を堪能する。
目を開ければ、そこに姉貴が笑っているような気がした。
と、その時、急に一陣の風が吹き抜けた。
『・・・・・・・・・・』
桜の花びらを舞い上げて吹き抜けた風の中に、何か聞こえた気がした。
耳を澄ませても、もう何も聞こえない。
だけど、俺には何故か分かった気がした。
急に目の奥が熱くなる。
『こっちのことは気にすんな!幸せにな!』
俺は心の中で、そう強く叫んだ。
桜の花びらを乗せた風は、どんなに遠くの空へだって届くだろう。
どこまでも、どこまでも。
隣国の民を長年悩ませてきた原因不明の奇病が『焚火の聖女』の力によって無事解決されたのは、先月のこと。
蓋を開けてみればいわゆる公害病で、鉱山から流れ出た水が周辺の川を汚染したことが原因だったらしい。
『焚火の聖女』つまり私が解決したはずなのに、なぜ『らしい』かと言えば、実際に解決したのはほとんど『紅眼の魔女』だから。
科学が発展していないこの世界では、そういった現象は全て『呪い』って話になるのだけど、『呪い』の専門家である魔女の手にかかれば、宴席での雑談レベルで解決できてしまったのだ。
で、私がなんで焚火の前にいるかっていうと、今日はその御礼ということで隣国の女王陛下御一行が私の元を訪ねて来ていたのだ。
「聖女殿!この度は、本当になんとお礼を言っていいか。我が国の民を長年苦しめてきた奇病を、まさかたった数ヶ月で解決してしまうなんて!」
いやいや、解決したのは私じゃなくて魔女だから!
と声を大にして言いたいけど、魔女たちは権力者が大っ嫌いだから、そもそもこういった場には絶対出てこない。
そんなわけで、魔女たちの代わりにこういった接待を全てを私が担うことになってしまい、現在に至るわけだ。
まあ、魔女たちに意見を求めたのは私だから、当代の筆頭聖女としての責任はあるわけなんだけれども。
でもまさか、わざわざ隣国から来てくれた女王陛下に、『ああ、あれは魔女がイカの一夜干しを食いちぎりながら解決してくれました。』なんて言えるわけがない。
***
隣国の女王陛下を神殿の出口まで見送り、ホッと息をついた私が視線を感じて振り返ると、そこには日本風の前掛けを見事に着こなすヴィンスが立っていた。
その前掛けは、聖女仲間たちが私たちの結婚を祝って特別オーダーしてくれたもので、日本語で『居酒屋めぐみ』って書いてある。
え?ここは神殿なの?それとも居酒屋?
一瞬、我が目を疑う。
最近、ヴィンスは聖女仲間たちに『板長』って呼ばれ始めているし、もういっそのこと居酒屋にしちゃった方が清々しい気さえする。
いや、その方が私も気が楽かも。
「お疲れ様。今日は大変だったな。」
柔らかく微笑むヴィンスがこちらに近づいてきて、そして、当たり前のように私をハグした。
私も思わず力が抜けて、本音が漏れる。
「もうさー。私が解決したことにするの無理があるって。大魔女様に言ってよ!次は同席してくれって!」
この世界で最も恐れられている魔女たちだけれども、実は魔力だけでなく、とんでもなく知識も豊富だ。
今回の件についても、もう随分と前から病の原因を知っていたらしい。
けれど、自分たちに害が及ばない限り手を出さないのが魔女のやり方で、頼まれなかったから何もしなかったというわけだ。
まあ、魔女たちは隣国の女王陛下が頭を下げたって手を貸さなかっただろうけど。
「いや、無理だな。そもそも、あの王家とは十四代前に因縁がある。」
そう。魔女たちは長い歴史の中で、ほぼ全ての王家と何らかの因縁を持っており、それもあって権力者が大嫌いなのだった。
確か隣国は、当時の王家に嫁いだ魔女の娘が、男子を産まないという理由で虐げられたのをきっかけに、絶対に男子が生まれない呪いをかけられているとか。
「ヴィンスのお兄さんたちだって今でも緊張するのに、他国の王室とか本当に無理!私はそもそも地方出身の兼業農家の娘なんだから!」
筆頭聖女に選ばれてからのセレブリティー接待は、本当に苦行だった。
お酒は好きだけど、普通に飲みたい。
気兼ねせず、くだらないことだけ言って、グダグダと飲んでいたい!
そんな私の気持ちを知ってか、ヴィンスが子供をあやすかのようにポンポンと私の背中を叩く。
超女系家族に生まれたせいなのか、ヴィンスは女の扱いが妙にうまい。
こういう時は、下手なことは言わずに、ただただ聞き役に徹しているのが一番だと分かっているんだろう。
初めは戸惑っていたものの、今では私もすっかり甘えることに慣れてしまった。
まあ、結婚してもうすぐ一年が経つんだから、当たり前なのかもしれないけど。
「そういえば、女王陛下が持って来てくれたアレ。ナナサンに聞いて作ってみたけど、どうする?明日にする?」
ヴィンスの言葉に、アレのことを思い出す。
アレとは『あん肝』のことだ。
この度解決した公害病は骨に異常をもたらすものだったのだけれど、元栄養士である『薬味の聖女』こと清香ちゃんが、『骨と言ったらビタミンD。ビタミンDと言ったらあん肝!』と言って、勧めてきたのだ。
隣国では『あんこう』の身は食べても、『肝』を食べる文化はなかったらしいのだが、清香ちゃんからのアドバイスを軽い気持ちで伝えたところ、それがまさかの大当たり。
こちらのあんこうは、こちらの世界の生き物らしく不思議な力を持っていて、肝にだけ特別な力があり、一瞬で病を治してしまったのだ。
隣国ではブイヤベースのような魚介スープとして食べるようなのだけど、『あん肝』と言ったら、やっぱり『あん肝ポン酢』しかない!
「もちろん食べる!今日は緊張して、全然飲めなかったから飲み直したい!」
私の言葉に微笑んだヴィンスが、手のひらを上に向けて何かを小さく唱えた。
すると、何もなかったはずの空間から『あん肝ポン酢』がのった皿が出てきた。
何度見てもビックリするけど、この世界の魔法は本当にすごい。
これも比較的ポピュラーな魔法らしいのだけど、こちらの世界には冷蔵庫がない代わりに空間に保管する魔法がある。
ヴィンス曰く、その空間の中では時間の流れが止まっているので、物が腐ることもないのだそう。
こういうのを目にすると、女神様が向こうの世界の文明の利器を『不要』と判断した理由がわからないでもない。
さっきまで女王陛下がいた焚火エリアは神官たちが片付けをしているので、邪魔にならないよう、またいつもの端っこへ向かう。
ヴィンスが用意してくれた焚火の前に座り、一升瓶に残った『純米大吟醸研ぎ二割三分』をグラスに注いだ。
そして、あん肝ポン酢を一口齧り、その濃厚な味わいが口の中に残るうちに日本酒を飲む。
あん肝のしつこさが日本酒で中和されて、口の中が幸せで満たされる。
「くーっ、たまらん!」
やっぱり日本酒はいい!
あん肝と言ったら、やっぱりこの組み合わせしかない!
考えついた人、天才すぎる。
私が欲望のまま、あん肝と日本酒を堪能していると、すぐそばに座ったヴィンスが目を細めた。
「メグミは相変わらずいい顔で飲むな。」
ヴィンスはそう言ってくれるけど、こんな煩悩剥き出しの顔、そうそう他人の目に触れさせられるものじゃない。
出会いの時から酔っ払っていたこともあり、ヴィンスの前だと最初からあまり抵抗なかったけれど。
「ちょっと……、ヴィンスも飲みなさいよ!」
ヴィンスにもあん肝と日本酒を勧める。
異世界のイケメンがあん肝ポン酢を頬張る姿は、何とも形容し難い不釣り合いな感じだけれど、それも今更だ。
あん肝ポン酢も気に入ったようで、ヴィンスもいい顔を見せてくれる。
お酒も強いし、つまみの趣味も合うし、本当にいい旦那だ。
この世界に来なければヴィンスと出会うこともなかったんだと思うと、今では死んで良かったとさえ思う。
向こうの家族に知らせられないのが残念だけれど、もし知らせることができたのなら、私は間違いなく『今、とても幸せに暮らしている』と言うだろう。
と、その時、急に春の風が私の髪を撫でた。
どこからか漂ってきた花の香りが、急に懐かしい風景を思い出させる。
「それにしても、こっちの世界には桜がないのだけが残念ね。この時期、毎年花見をしてたから、桜を見ないと春が来たって感じがしないのよね。」
不意に、実家の庭に植えられていた桜の木を思い出す。
実家を出る前はもちろん、実家を出てからもなるべく桜の時期に合わせて帰省して、家族と共に桜の花を眺めたものだ。
「それ、前も言ってたな。薄いピンク色の花が咲く樹だって言ってたな。」
「よく見るとピンクだけど、遠くから見るとほとんど白で、雲みたいにふわふわとたくさんの花が咲くのよ。それが本当に綺麗で、私が生まれた国では桜を見て、春が来たことを知るのよ。」
もう見ることができない故郷の風景を思い浮かべる。
胸の奥が熱くなり、少し鼻の奥がツンとしてくる。
私の異変を感じたのか、ヴィンスがそっと私の肩を抱いた。
その温もりに、素直に体を預ける。
その時、焚火の中に故郷の景色が映った。
満開の桜。
風に舞い踊る桜の花びら。
「え?」
私は思わず声を上げた。
今まで、私の欲しているものが見えたことはないのに!
「これがサクラか!」
驚いたように目を見張り、ヴィンスも炎の中を見つめている。
「そう。これが桜なの!そして、これが私の故郷。ヴィンスにも見せられて良かった!」
ヴィンスとのシンクロ率は日増しに上がっているのだが、ついに私の欲しいものまで見せられるようになるとは。
嬉しい反面、今後は色々筒抜けになりすぎそうで怖い気もする。
そんなことを考えていると、ヴィンスが隣で何やら思い悩んでいるのに気づいた。
どうしたの?と声をかけようと思った時、ヴィンスが突然パチンと指を鳴らした。
と、同時に満開の桜の花が周囲に咲き乱れる。
「ええっ!何これ!すごい!桜?」
驚く私に、ヴィンスが微笑んで答える。
「これはアーモンドの花だ。こっちの世界にある花の中で一番近いものを咲かせてみた。」
「こんなことできたの?」
「俺は魔女のように本能で魔法を使うことはできないんだが、『花の魔女』として知られる母上の影響で、花だけは咲かせられるんだ。」
ヴィンスがそう言って、少し気恥ずかしそうに微笑む。
花を咲かせる魔法が使えることは、あまり人には教えていないらしい。
「すごい。確かに少し違うような気もするけど、本当に桜の花みたい!」
まさか、異世界で花見ができるなんて!
思わず立ち上がって、空を仰いだ。
夜空が全て花で覆われて、なんて綺麗なんだろう。
「喜んでもらえたようで良かった。これからは、俺が毎年メグミのためにこの花を咲かせるよ。春になったら必ず一緒に花見をしよう。」
ヴィンスが私を後ろから抱きしめ、そう耳元で囁いた。
私はその言葉に大きく頷き、後ろから伸ばされたヴィンスの腕に自分の手を重ねた。
桜によく似た花は、風に舞い踊り、遠い空へと飛び去っていく。
それは、きっと私の故郷に届いている。
そんな気がした。
◇◇◇
「親父、またやってんのかよ。っていうか、この前もらった酒、もう開けちゃったの?」
俺が、焚火の前で飲んでいる親父に声をかけたのは、家の庭の桜がちょうど満開になった日の夜のことだった。
最近、親父は酒量が増えた。
「・・・何だかな。ここで焚火をしていると、不思議と恵が側にいるような気がしてな。」
すっかり小さくなってしまった親父の背中を眺める。
姉貴が死んでから、もう二年が経った。
突然の別れに涙した日々も、もう遠くなりつつある。
お袋は、いまだに東京に行かせたせいだと嘆いてばかりいるが、俺は楽しそうにしている姉貴の姿を見てたから、そんな風には思わない。
こんな早死にするとは思わなかったけど、姉貴は姉貴なりに人生楽しんでいたと思うから。
「俺にもくれよ。独り占めするなって。」
親父から日本酒の瓶を奪う。
姉貴が死んだ時に抱えていた『純米大吟醸研ぎ二割三分』。
最後に会った時、『お正月用に奮発した』と言って自慢していたのに飲まずに死ぬなんて、今頃あの世で悔しがってるだろうなと思う。
「特に、この酒を飲んでると近くにいるような気がするんで、つい開けてしまってな。」
姉貴を発見してくれた会社の人たちは、姉貴の死に責任を感じているのか、今年も命日に『純米大吟醸研ぎ二割三分』を贈ってくれた。
俺たちも、何となく姉貴のために買っておかないといけないような気がして、あれからこの酒が我が家の仏壇から消えたことはない。
まあ、結構値段のする酒だから、こう頻繁に親父に飲まれたら堪らないのだが。
「分かる気がするよ。姉貴は酒が好きだったからな。それに、花見をするのも好きだった。毎年、ここで一緒に飲んだよな。だから、きっとその辺にいるんじゃないかな。」
仕事柄、盆や正月にさえ帰省しない姉貴だったが、桜の時期には必ずっていいほど帰省していた。
だから、きっと死んでからもお盆とかじゃなく、この季節に帰って来そうな気はする。
「そうだな・・・。でもな、未だに信じられなくてな。実は、あれは恵じゃなくて、本当の恵は何処かで元気でやってるんじゃないかって思えてならないんだよな。」
親父がポツリとつぶやいた。
でも、それは俺も同じ気持ちだった。
確かに姉貴は死んだけど、その遺体を目にしても何か中身が入っていない作り物のように見えて、実感が湧かなかったのは事実だ。
「・・・意外と本当にそうかもな。今、世間では異世界転移とか転生モノが流行ってるんだけどさ。姉貴も本当は異世界に行ってて、向こうで楽しくやってたりして。」
俺はそう言って、グラスに注いだ酒に口をつけた。
目を閉じ、姉貴が好きだった日本酒の味を堪能する。
目を開ければ、そこに姉貴が笑っているような気がした。
と、その時、急に一陣の風が吹き抜けた。
『・・・・・・・・・・』
桜の花びらを舞い上げて吹き抜けた風の中に、何か聞こえた気がした。
耳を澄ませても、もう何も聞こえない。
だけど、俺には何故か分かった気がした。
急に目の奥が熱くなる。
『こっちのことは気にすんな!幸せにな!』
俺は心の中で、そう強く叫んだ。
桜の花びらを乗せた風は、どんなに遠くの空へだって届くだろう。
どこまでも、どこまでも。
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面白かったです(*´ω`*)こういう聖女物なかったので、いいなぁって思いました(^^)最後の現世の父子のやり取りもなんか素敵でした(^^)ここが一番感動したかも知れません。大変良かったです(*´ω`*)
感想通信をOFFにしており、お返事が遅れてすみませんでした。
ただ焚火が無性にやりたくて書いたのですが、個人的にもとても気に入っている作品なので、嬉しいです。
今後とも宜しくお願いします。