焚火の聖女

石原こま

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4.魔女の林檎酒

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 その場所に着いた時、そこには冷たい雨が降っていた。 

 灰色の種は、湖の側に建つ、打ち捨てられた古い神殿の中にあった。

 しかも、ギリギリ雨がかからない神殿の柱の下に。

 もし風が吹けば土の上に落ちて、もしくは雨が強く降ったら水がかかって、簡単に発芽してしまうだろう場所に。



***



「ヴィンス、あんたも知ってたのね!あんたも所詮は王家の男よ。私のこと・・・利用されていることにも気付かない馬鹿な女だって思ってたんでしょう!」



 そう言って、姉さんが魔法陣の中に立ったとき、俺は返す言葉を見つけられなかった。

 七番目の兄上が、姉さんへの気持ちを失っていることには気づいていた。

 異父姉である魔女エルヴィラと七番目の異母兄は、十年以上前からずっと恋人同士だった。

 けれど、俺と同様に結婚が簡単には認められない兄上と姉さんの関係は、長らく秘密にされていた。

 だから、姉さんは兄上に手柄を立てさせるため、魔女としての知識と魔力を惜しみなく使い、長い間、兄上の功を陰で支え続けていたのだ。

 もちろん、最初は兄上もいずれは爵位をもらい、姉さんと結婚するつもりだったのだろう。

 しかし、長すぎる時が、いつしか二人の関係を違うものへと変えていた。

 なかなか手柄を立てられない兄上に姉さんはイラつき、時には暴言を吐くこともあった。

 姉さんが三十歳を過ぎたあたりから、二人の関係は徐々に悪化していった。

 ここ数年はそんなことが続き、兄上は忙しさを理由に、ほとんどこの塔を訪れなくなっていたのだ。

 そして、そんな中、過去最大規模の魔獣討伐に率いた兄上は、同行した聖女と恋に落ちてしまった。



「ずっと待ってたのに・・・やっと結婚できると思ったのに・・・ぽっと現れた二十歳の聖女と結婚ですって?しかも、春には子供が生まれるって言うじゃない。なんで、なんで一言も言ってくれなかったのよ・・・。ひどいわ、ヴィンス。」



 姉さんの涙で濡れた紅眼が俺を睨んでいた。



「違うんだ、姉さん。」



 騙すつもりはなかった。

 ただ、言えなかった。

 ずっと信じ続けている姉さんに言えなかった。



「魔女の恐ろしさを思い知るといいわ!あんた達なんて・・・みんな、みんな・・・呪われればいいのよ!」



 そう言って、姉さんは呪いをかけた七つの種を空にばら撒き、魔法陣の中に消えた。



 七つの種。

 通称『目絶やしの種』と呼ばれる、対象とした血族の瞳に呪いをかける古の禁呪。

 種に瞳の色に合わせた魔石を埋め込み、その種から芽が出た時、同じ色の目を持つ者が死にいたる。

 死にたくなければ、種を探し出して処分するか、もしくは目を抉り出すか。

 巧妙で凄惨な呪い。



 魔女は恐ろしくも偉大な存在。

 その力は絶大で、一国を滅ぼす力をも持つ。

 魔女は残酷、魔女は傲慢。



 兄上の瞳と同じ色がはめられた種を手に取る。

 姉さんは、この種だけは必ず芽が出る場所へ撒いたのだと思っていた。

 けれど、種はまるで姉さんの心の迷いを映したかのように、ギリギリのところで踏みとどまっていた。



 魔女は我儘、魔女は気まぐれ。

 そして、魔女は愛情深い。



 終わった。

 これで終わったんだ。

 

 ***



 メグミの元を訪れたのは、それからすぐのことだった。

 灰色の種が見つかったことを報告し、そして、メグミと酒を酌み交わしたかった。

 この胸に燻る思いも、メグミと共にいれば解消されると思った。



「いらっしゃい。どうしたの?随分、顔色が悪いけど。」



 メグミは今日もいつものように焚き火を囲んで待っていた。

 この場所に来ると、心が落ち着く。

 その笑顔に、ホッとする。



「ああ、少し疲れたのかもしれない。ずっと走り回っていたしな。」



「でも、これで終わったんでしょ?少しゆっくりしたらいいのよ。お休みとかもらったら?」



 メグミの言葉に軽く頷く。

 そして、今日の土産をメグミに手渡し、いつものように、その隣に座った。



「今日は何のお酒なの?なんか、手作りっぽいけど。」



 ラベルも何もついていない酒瓶を見て、メグミがそう尋ねた。



「ああ、これは俺の姉が作った林檎酒だ。姉さんも魔女なんだが、魔女の林檎酒は普通の林檎酒と違って辛口なんだ。だから、メグミも好きなんじゃないかと思って。」



「魔女の林檎酒!この世界でも魔女といえば、やっぱり林檎なのね!」

 

 メグミが酒を受け取りながら興奮したような声を上げた。

 持ってきて良かったと思った。

 最後にここへ持ってくる酒は、この林檎酒にしようと決めていた。



「リンゴを使った酒は、メグミの世界にもあるのか?」



「あるけど、そういえばあんまり飲んだことはないわね。甘口なものばかりだと思ってたから、頼んだことないのよ。」



「そうか・・・。では、ぜひ飲んでみてくれ。」



 メグミが持つカップに、林檎酒を注ぐ。

 その酒は、カップの中でシュワっと微な音を立てた。



「美味しいわ。思ってたより辛口で、でもどこか優しい味ね。」



 一口飲んで、メグミはそう言って微笑んだ。

 その微笑みが、いつかの姉さんの微笑みに重なって見えた。



「ああ・・・そう言ってくれると姉さんも喜ぶ。」



 異母兄弟姉妹はたくさんいるが、真の意味で姉と呼べる人は、エルヴィラだけだった。

 母上がいなくなってから、ずっと側にいて守ってくれた。

 同じ母から生まれた、ただ一人の姉。



 *** 



『みんな・・・呪われればいいのよ!!』



 そう言って姉さんが夜の闇に消えた後、呆然と立ち尽くす俺の目の前に、コツンと音を立てて、何かが落ちた。

 手に取ると、それは赤い石がはめられた種だった。



『冗談よ。あんたのことは呪わないわ。たった一人の弟だもの。』



 耳元で囁く、姉さんの声が聞こえた気がした。

 姉さんは、許すという意味で、これを俺の目の前に落としてくれたのだろう。

 けれど、俺はそれをすぐ処分する気にはならなかった。

 結果的に姉さんを騙していた自分への戒めとして、全ての種が見つかったら、一番最後に処分しようと思って、ずっと大事にしまっていたのだ。



 ***



 俺が異変に気づいたのは、林檎酒の瓶が空になろうとしていた時のことだった。

 メグミは今日も気分良く飲み進め、俺もそれに合わせ、かなりの酒量を重ねていた。



 ドクン!と、突然跳ねた心臓の音で、自分の体に何かが起きたことに気づいた。



「どうしたの、ヴィンス?飲み過ぎたんじゃない?なんか今日は顔色も悪いし、疲れてるのよ。今日はこのくらいにして、横になったら?目が、白目まで真っ赤よ。」



 メグミの言葉で、自分の体に起きた異変の正体に気づく。

 慌てて胸ポケットに手を伸ばすが、そこにあるはずのものは、そこになかった。

 まさか、、、種がどこかで芽吹こうとしている?



 その時まで、俺はこの呪いのことをよく分かっていなかったのだと思う。

 そして、魔女である姉エルヴィラの偉大な力も。

 万が一呪いが発動したら、目を抉り出せばいいと思っていた。

 しかし、そんな余裕はなかった。

 何かに導かれるように体を横たえれば、言葉を発することもできずに体に力が入らなくなり、瞼が急速に閉じていく。

 そう。それは、まるで深い眠りに落ちていくような安らかさだった。



 ◇◇◇



「ヴィンス、寝ちゃったの?」



 突然寝てしまったヴィンスを見て、私はこの王子様が本当はすごく疲れていたんだろうってことに気づいた。

 まあ、考えてみれば、種はこの国の四方八方に飛び散っていて、それを一人で探し回っていたヴィンスはそれこそ眠る時間も惜しんで働いていたんだろうと思った。



「ダメよ。若いからって自分の体力を過信したら。ちゃんと休まないとね。」



 そして、いつかの自分の生活を思い出し、その体にそっとブランケットをかける。

 ヴィンスは早くも寝息を立てている。よっぽど疲れていたんだろう。

 少しの間、ここで休ませてあげようと思った。

 知り合ってから、まだ一ヶ月くらいしか経っていないけれど、その間に何度も差しで飲み、随分と親しくなった。

 この世界に来て、あと3日でちょうど一年。

 つまみの趣味も合うし、こんなに楽しいお酒を一緒に飲める相手ができるなんて!

 10歳年下のヴィンスのことを、いつしか勝手に弟のように思ってもいた。

 だから、もし彼が私の前で居眠りできるくらい心を許してくれているんであれば嬉しいなと素直に思った。



「しかし、何で赤の種は探さなくてもいいのかしら。ヴィンスはいらないって言ってたけど、燃やさないと願いが叶わないわけでしょ?芽が出ると願いは叶わないって言ってたし。もしかして私に依頼する前に見つけてたのかしらね。ちゃんと聞いておけば良かった。」



 そんなことを思いながら、カップに残った林檎酒をちびちびと飲んでいたとき、焚火の炎の中に見たことがある景色が映った。

 いつのまにか住み慣れた壮麗な神殿、裏庭、焚き火、そして、そこに積まれた薪。



「なんだ、こんなところにあったのね。」



 それはいつも焚き火をしている裏庭にある、薪を積んでいる場所の景色だった。

 歩いて、その場所に向かう。

 手に取ってみると、それは少し濡れていて、そして、少し変形していた。



「やだ。これ、芽が出そうになってるじゃない。」



 ヴィンスを起こしてどうするか聞こうとも思ったけれど、せっかく気持ちよく寝ているヴィンスを起こすのも気が引けて、私はそれを手に、焚き火の前へ戻った。



 そして、



「願いが叶いますように!」



 私はそう言って、その種を炎の中へ投げ込み、柏手を二回打った。

 赤い石が嵌められた魔法の種は、焚火の炎の中で一瞬だけ大きくゆらめき、そして儚く燃えた。
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