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第七部 六章「もう一度、此処から」

「許されない安らぎ」

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 ――ちゃぷん……。
 水音と鼻歌を奏でながら、湯煙に紛れ白い肌をするりと撫でる。
 
「……はぁ~、極楽極楽~♪」

 色気もない声で、ネアは湯に浸りながら満喫をその身で堪能する。
 街から少し離れたレガルの天然温泉。景色もよく、少し熱いくらいの温度。時折底から上がる泡が良い感じに肌を刺激もする。
 昼前ほどに訪れたが、ネア以外の人影はなく完全に彼女の貸し切り状態。
 それもそのはずだ。この温泉はただの温泉ではない。
 レガルには人が利用できる温泉と、利用できない温泉がある。一つは普通の温泉。もう一つは魔素を含んだ、いわば精霊専用ともいえる温泉だ。
 今ネアは魔素を含んだ湯に浸る事で失った魔力を回復する真っ最中。そのおかげか、体にあった傷の治りも早く、もはやかすり傷程度まで塞がっていた。

「よし。さすがにアイツらに任せっきりで足手まといとか最悪だから、早く万全の状態にしないとね。……いつまでも上から目線されるなんて屈辱だし~」

 にやにやと、これ以上の上下関係を揺るがせまいと、悪い笑みがネアから絶えない。
 
「ずっとはお肌に悪いし、休憩を入れつつ魔力を回復。ついでになまらない様に運動もしとかないと。ああ~、でもこのお湯最高~♪ 定期的に来るのも悪くないわね~。お気に入りに追加しとこ~。体の芯まで魔素が染みる~~~」

 これ以上の娯楽があるだろうか。いや、ない。そう言い切れる自信があるほどだ。
 肩まで湯に浸り、緩んだ表情に。
 ……しかし、ふと思い出したようになる。

「エリーちゃんと一緒に入りたかったけど、このお湯でなんかあったら怖いしね~。今度普通の温泉見つけたら楽しもう」

   ◆

「…………」

 ベッドから起き上がったクロトはぼーっとしながらしばらくそのまま。眠気がまったく取れず、遅れて窓にへと顔を向けた。
 眩しい日差し。時刻は昼前と朝がすっぽ抜けている。
 自分で昼間で寝ると宣言したが、本当に目覚めたのが真昼間と思うと…………。という思考すら眠気に負けて浮かばない。
 そして、ようやく枕元にあった手紙にへと気付く。
 ぼーっとした思考のままその手紙を読んだ。

 ――起きそうになかったから置いとくわ。お姉さんこれから治療のために出かけてくるんで、遅くても夕方前には戻ってくるから。だからってエリーちゃんに迷惑かけんじゃないよ? 
 ――追伸。コレを期に置いていったら例え地の底だろうが見つけ出してしばくからそのつもりで。
 ――みんなの頼れるお姉さんより。

「…………」

 ネアからの手紙。一部物騒と恐怖を覚えるようなものもあるが、クロトの眠気が覚めるほどではない。
 頭をかきながら、クロトはその内容を把握してから、再度思考がぼやけていく。
 ぼやけながらも、手紙の内容からどうしようかと頭が無意識に働いていく。

 ネアがいない→しばらくは平和→→それまで好き勝手できる

 頭の奥底で、ピーンと閃いた音が鳴った気がした。
 隣のベッドでは未だ起きずにいたエリーが横たわっている。そのエリーもようやく目覚め始めてきたのか、目をこすりながら身をむくっと起こす。

「……んん~。朝……れふかぁ? おはようございますぅ……ぅう?」

 完全に目覚め切る前に、エリーの身が急に引っ張られた。
 なにがなにやら。状況を把握するよりも先に、クロトによって強引に抱かれたという事実が飛び込んでくる。
 
「ク……クロトしゃん? 朝じゃないんれふか?」

 まだエリーの思考も眠気に押されている。
 朝なのかと問われれば、眠気を帯びた声でクロトはそれを否定した。
 
「まだ朝じゃない……」

「……? 明るいですよぉ?」

「気のせいだろぉ?」
 
 自分が安眠するために誤魔化し続ける。

「……そうなんれふか?」

「そうでなくてもこっちは死に数が過去一記録更新したから疲れてる……。百回死んだと考えれば……あと100分」

「うぅ……」

 ついに眠気に負け、エリーは再度眠ってしまった。あと仕方ないとも思い断念したのだろう。
 クロトもこの自由な時間を逃さぬため、エリーを抱き枕に二度寝を開始する事とする。
 相も変わらずこの癖になる抱き心地だけは手放したくないものが感じられる。ネアがいない今だけでもと、その抱き心地に甘えてしまう。
 
『いや~、ホント。ウチの主は寝ている時は可愛げあんよな~』

 一部強調して、そんな言葉が眠る意識をかすめ不快度が増した。
 せっかくの安眠の時間にいったい誰が邪魔するのか。そんなものはニーズヘッグしか心当たりがおらず、無視を決めようとする。
 ……が。それが許せない。許せる状況ではなかった。
 ふと開いた目先。自分の中でこの悪魔が何をしていたのか。それを知った途端、クロトの眠気が一気に消え失せた。
 何を血迷ったのか。炎蛇は心地よさそうに添い寝しているではないか。まるで子供を寝かしつけるように、ぽんぽんと手を当ててもくる。
 不覚にも思考が停止してしまい、そんな様を数秒間も与えてしまう。
 明らかに「何をしている」と聞きた気なクロトの様子に、ニーズヘッグはとりあえずこの経緯を語る。

『え~っと~。間接添い寝? ここんとこに姫君いて~。…………みたいな??』

 わずかなこの隙間を言っているのか。もしエリーがいたとするならそれはもうゼロ距離ではないか。
 怒りを通り越してあまりの気色悪さにクロトは第一声を前にニーズヘッグの腹を蹴り上げてやった。

『ごふっ!?』

「――キッッッッモイわぁああああぁああああ!!!!」

 自分の中から出て行けという勢いで、クロトは怒号をあげてニーズヘッグを投げ飛ばす。
 一刻も早くこの空間から抜けたいと、我に返った時には現実で悪夢を見た後かの様に目が覚めて起き上がっていた。
 いや。あれは悪夢だろう。
 寝汗と鳥肌で眠気などまったくない。まさかこの様な嫌がらせをニーズヘッグがするとは油断ならない。今後寝る時も注意せねばと心に決めた。
 すっかり目が覚めてしまい、どうするかと周囲に目を配る。
 自分の二度寝に付き合わされたエリーは未だぐっすり。のんきなものだと呆れていれば、手がなにやら柔らかいモノに触れた。
 無意識に目を向けてみれば……いったいどういう事だろうか。同じベッドに自分とエリーと……いつの間にか追加でイロハまでもが寝ているではないか。
 自分の寝ていた位置を考えて、イロハはクロトの後ろからしがみつくような姿で寝ていた事になる。
 いわば、密着した川の字だ。

「……お前も何してんだぁああぁあああああ!!!!!!!」

 無我夢中で、クロトはイロハも投げ飛ばす。
 扉に向けて放り投げられたイロハに、追い打ちの如く扉が開かれ跳ね飛ばされる。
 
「ただいまぁ~♪ いや~、気持ちよかったわ~♪」

 ――ああぁあああぁあああああ!!!!

 クロトは心で絶叫した。
 戻ってきたネアを見て、眠気の吹っ飛んだ頭が急速に事態を把握する。
 ネアにエリーを抱き枕にして寝ていたなど知られれば何を言われるか。いや、何をされるかわかったものではない。
 今同じベッドにいるのはまずい。非常にまずい。
 
「……今扉になんか当たったんだけど、何してんのこの馬鹿?」
 
 扉に跳ね飛ばされたイロハは床で今も爆睡中。そして次にネアはクロトにへと目を向けた。
 妙に汗を流すクロトに、ネアの目が疑いの視線を向ける。

「……で? アンタは何してるわけ?」

 ここで黙るのはよくない。
 クロトはいたって普通に接する様に対応を試みる。

「い、いや……。いい加減クソガキ起こさねーとなーって、……な」

 と。エリーを起こす素振りを見せておく。
 ネアは一度頷くも、更に問いかけてきた。

「なるほど。でもなんでそんな汗びっしょりなわけ? お姉さんに隠し事なわけ?」

「寝ている間にそこの馬鹿とクソ蛇に添い寝されるという世にもおぞましい悪夢を体験させられた」

「なにそのカオス。男同士でキモイからそういうのやめてよね? はぁ~、よかった。お姉さんそんな吐きそうな光景見なくて」

『ただのスキンシップでそこまで言うか!? お前クロトの愛でたくなる寝顔知らねーだろ!? ちょっとキュンときたわ!』

 本人は嫌がらせと思っていないらしく、そんなニーズヘッグには「二度と話しかけてくるな」と言っておく。
 せっかくの安眠抱き枕での二度寝も存分に堪能することができなかった。
 そして思っていたよりもネアの帰りが早い。

「お前こそ、早くねーか戻ってくるの?」

「お姉さんだって予定の変更くらいあるわよ。数時間も温泉に浸かってたらお肌に悪いし、定期的な運動ついでにアンタたちの様子も見に来たの。……あ。この後また私出てくるから。そこんとこよろしく」
 
 つまり、ネアが出た所でまともな自由時間はないという事だ。
 見た様子ではネアの力はほぼ回復している。先ほどの事はなんとかうやむやにできたが、次はあるかどうか……。
 本当に、時折あの目は節穴に思えて、時折そこが救いな気がする。
 同時に、ネアの天下がまた戻ってきて、どこか遠い目をしてしまうクロトがそこにはいた。
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