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第二部 一章「暗躍の魔女」

「魔界をすべし十三の魔王」

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 この世には代表的な二つの世界が存在している。
 人がすべる【人間界】。そして、その対ともいえる【魔界】。
 そこは人が踏み込むにはあまりにも酷な世界。人間界よりも魔素が満ち溢れる魔界で人という種族は生きていくことができない。高濃度の魔素は人体には害を与え深き眠りにへと誘われ、二度と目覚めることはない。
 朽ちるまで眠り続けるか、眠りの最中に食い殺されるか……。
 魔界は魔族の故郷とも称され、今も人間界と繋がっている。そんな魔界も完全な無法地帯というわけではない。
 広大な魔界にはその世界を支配する【魔王】が存在している。
 ――その数は十三体。
 魔界の中心に存在する禍々しく、歪とした城ではその十三体が集う魔王の間がある。
 




 巨大な空間は天高くあり、天井に広がるガラス張りからは常に夜である魔界の月が中央にへと位置している。
 壮大な一つの空間では周囲から微かな音が響いていく。
 ある所では本のページをめくる音。
 ある所では時計の秒針がチクチクと動く音。
 ある所では鼻歌までも……。
 自由奔放と、時間を持て余す異形の者たち。
 そんな中、唐突に人の数十倍はある巨大な扉が開かれる。
 ほんの少し開けば人ひとりは容易く入れる隙間から、

「おっくれました、って、――がはぁッッ!!」

 と、慌てて入ってきた男は扉の前で見事になにもないところで躓き前面を床にへと衝突させた。
 ほとんど人と変わらぬ身。黒髪の若々しい成人とした男の頭には魔の者と主張するような二本の角があった。
 起き上がった頃には外で扉の開け閉めを担当している岩の巨人二体が男を見下ろす。その視線にビクリと身を跳ねさせ、瞬時に立ち上がると、コホン、と咳払い。

「お、遅れてしまって申し訳ないな。なんせ暇ではないので……」

 などと言って気を取り直すも、その顔には汗を滲ませ、微かだが脚も震わせていた。
 それを目にして一体が「ぷっ」と笑う。

「あっはは。さすがヴェルオーティス。キミは魔王よりも芸人の方がきっとうけるよぉ? ボクが保証しておいてあげる」

「ふ、ふむ。恐縮だがなセーレ……、我も十三魔王が一席の身でな。そこまで堕ちるつもりは(たぶん)ない……っ」

 ずっこけたヴェルオーティスは虚勢をはって顔をひきつらせる。小言に「たぶん」と付け加え本人もその座には乗り気ではないことをこぼす。
 彼を笑ったのは褐色肌に黒髪をした幼き姿。裸体すら透かしてしまうような薄手の衣を纏い七色の翼を絨緞にして寝転がる、少々高い位置に玉座を置く魔王の一体――セーレだった。
 腹を抱え、それは後に盛大に笑い出し涙までも浮かべてしまう。
 
「うるさいぞセーレ。ヴェルオーティスも久方に来たなら席に着け。遅れと言ってもお前の宣言時刻に間に合ってないだけで、そもそもこの集いに規則時間はないだろうが。全魔王招集など滅多にないからな」

 セーレよりも高い位置に玉座を置く、銀色の髪をした王はそう言って彼の席を指さす。
 床に置かれた玉座というよりはまるでどこかの学び舎にあるような簡単な椅子。それと、おまけと言わんばかりのそれに見合った机。
 机には十三番と書かれた札までもご丁寧に置かれている。
 
「……あのぉ、毎度思うが、これって虐めじゃないよな? ……ですよね?」

「いいじゃんいいじゃん。似合ってるよぉヴェルオーティス♪ 優遇されてるじゃん」

 とにかく、セーレには馬鹿にされているということだけは確信できた。
 渋々ヴェルオーティスは肩をおろし席にへと着く。
 この魔王の間では十三体それぞれに席を与えられている。
 一から十三。数が低い者ほどその座席は高く設置され下位の者を見下ろす。
 一番席は最奥の中心に。一番席の右には二番席。左には三番席。と、左右に分かれて徐々に席の位置が下がり、十三番であるヴェルオーティスは靴裏が床に着くという最も低い位置。一番席も床からその席はあるのだが、その圧倒的なこの空間の支配力を持つ巨体なため問題はない。一番席に比べれば自身など小指程度なのだから。
 疲れた様子でため息を吐き捨てると、ヴェルオーティスはふと隣の席を見上げた。
 彼の隣にあるのは十一番席。そこは空席となっていた。
 風もなく、玉座から垂らされた大量の鎖が揺れ、虚しく鳴り響く。
 
「……やっぱり、死んだん、だよな? ――【獄鎖ごくさのディアボロス】」

 その時、周囲の音がピタリと止んだ。
 誰もが口と手を止め、秒針の音すら止んでしまう。
 一度になってこの場にいた数体の魔王の目が十三番にへと向けられる。

「えっ、えっとー……。すんません、俺、全然此処……これないから……っ」

 虚勢もはれず身を子犬のように震わせる。

「……遅いなぁ。時代に追いついていけよ」
「けっさく~。ヴェルオーティスってマジで最高!」
「だが残念なことに、奴の魂は冥府まできておらんぞ」
「年がら年中、最下位の席の取り合いをしているところはさほど忙しいとみれるな」

 愚弄するは笑われるはと、言葉の暴力がポンポン十三番にへと投げられた。
 そのことにもはや傷ついた心が折れそうなヴェルオーティスはこの話をなかったことにしてほしいと、頭を抱え伏せ込んだ。
 最下位。十三番の席は最も魔王の中で弱小とされその座は常に取り合いとなっている。それが続いてどれくらい経つか。ヴェルオーティスはなんとかその座に居座っているだけにすぎない。

「でもさぁ~、魂が冥府に行ってないってことは、今はあっちで彷徨ってるかもねぇ。元々ディアボロスって陰気臭さがあって、ボクはちょっとなじめないかな~って思ってたし、まぁいっか~ってねぇ。それでぇ、そこら辺の管理、どうなってるのかなぁ? 三番席魔王の――ハーデス」

「や、やかましいわい! 冥府の仕事も楽ではないのだぞ! セーレ、ワシの所に来たときは貴様を永久に闇の中へ閉じ込めてやるぞ」

「やーん、ハーデスこーわーいー。愛らしいボクに免じて許してよぉ」 

「悪いがワシに貴様の魅了は効かぬぞ。いつまでもなめておるとすぐにでも導いてやるのだからな?」

「……ぶぅ。これだから大昔からの年増はぁ」

 ふてくされたセーレが文句を言うと、上方に居座る三番席から唸るような低い声と共に鋭い眼光が刺した。静粛とセーレは息を呑み、何重にも敷かれた翼の中にへと潜り込んでいく。セーレは七番席であったため、同じ壁側にいたヴェルオーティスにまでもそれは届いてしまい、ガタガタと身を震わせてしまった。

 そんな雑談をしつつ、しばらくすると続々として空席が埋まっていく。

 十三席の内、九番席と十番席と十二番席は来ておらず、計四つの席以外が埋まりその室内の空気は一気に重いモノとなった。
 おそらく、そう感じているのは最下位であるヴェルオーティスのみだけだろう。
 それ以外は清々しい顔で自身の席に。
 
 空席を空けつつも、その席には魔界をすべる王たちの席がある。

 最奥。最も偉大な最初の魔の者。その姿は漆黒の鎧を纏う。魔界の創造主にして魔の者の産みの親とも称された。
 一番席魔王――【極魔神きょくまじんのイブリース】

 一番席から見て左、上から。
 
 彼女は時の管理人。時の流れのある者は全て彼女の手のひらの上。銀の君と称され過去から未来にその眼を届かせることができる。
 二番席魔王――【時遊びのクロノス】。

 その力は燃え盛る業火の如く。逆鱗に触れれば全ては灰燼にへと誘われる、赤き竜種の王。
 四番席魔王――【豪竜のドラゴニカ】。

 それは鋼の鎧。蝕み食い荒らす、無数の蟲を束ねる暴食君主と名のある蟲の王。
 六番席魔王――【鋼殻蟲のセントゥール】。

 美しき花は時に嵐の如く荒れ狂う。魔界の樹海を支配する緑草花卉の王。
 八番席魔王――【猛華のアリトド】。

 価値は戦いの中に在り。争いは宴のように、力の全てを肯定する戦いの王。
 十番席魔王――【戦乱王のバルバトス】。

 魔界の沙汰も金次第。金銭もまた支配の力なり。貨幣という概念を与えた獣の王。
 十二番席魔王――【商業王のソファレ】。

 更に右側。

 魂の行き着く場所、冥界を作りし者。人も魔族も死しては冥府に招き来世へ帰す、冥府の王。
 三番席魔王――【冥王のハーデス】。

 永遠なる夜の魔界。全ての淫魔が敬愛すべき不死にして吸血鬼、夜の王。
 五番席魔王――【夜王のロード】。

 美は罪なもの。その美の前では全てを委ねてしまう。残酷にして美の化身。
 七番席魔王――【美像のセーレ】。

 消えることのない産な精命。精霊界を創造した自然の化身、精霊の王。
 九番席魔王――【霊王のオリジン】。

 その鎖は束縛。あらゆる力はその鎖により無力にへと帰される。封印の束縛者。
 十一番席魔王――【獄鎖のディアボロス】。

 この王に称すべき名はない。その座は常に奪い合いの場であることを忘れない、無の王。
 十三番席魔王――【無名のヴェルオーティス】

 以上、十三体による王こそがこの魔界の支配者である。
 人の形に近ければそうでない者も……。
 その全てが異形にして強大な魔の者として魔界では恐れ、崇められている。

「それにしても、今日は最下位もいるとは珍しい集いだなぁ、名高き王たちよ」

 沈黙しきった空気の中で最初に口を開くのはこの男――セントゥールだ。
 陽気さと社交的な顔で和ますような軽い口調で語る。
 外見は人と全く変わらない。貴族的な身なりをした小柄な青年男性は手を隠すような大きな袖を揺らす。
 
「景気はどうだヴェルオーティス? 配下が見たそうだが先日はワーウルフの群れが攻めたそうだねぇ? 上手く一掃できたのかな?」

「そ、それは……もう。……ウチの軍団長が、軽くぶっ飛ばした……」

「確か氷竜の……コキュウトスだったか。優秀な部下がいてよかったなぁ。こっちの部下はできの悪いのが多くてな。羨ましいねぇ。だがそれもそのはず。なんせ氷竜のコキュウトスといえば、四番席の出だからね。ワーウルフという中途半端な獣なら圧勝か。苦労させられているのは主ではなく部下の方なんだろうな」

「……っ」

 言い返せないことに苦虫でも噛みしめたかのような表情でヴェルオーティスは黙り込んでしまう。
 正論だと、彼自身も認めているからだ。
 
「まぁ、あまり獣を侮辱するのも十二番席に申し訳ないか。今日も欠席で仕事熱心と精の出る王だからなぁ。しかし、さすがドラゴニカの配下。こんな最下位の元に部下を置いておくとは、相当寛大なことだ」

「黙れ蟲風情が。竜種としての誇りを守るのであれば我は配下を束縛するようなことはせん。それだけのことだ」

「じゅうぶん寛大なことだ。我が部下は付き従うのはいいが、役に立たなければ……。っふ」

 セントゥールの傍らでは長く大きなムカデが寄り添いその顎を撫でる。カラカラと蠢く鋭い脚を鳴らすムカデの隣で、セントゥールはペロリと舌なめずりして妖艶とした笑みを浮かべる。
 
「共食いほど醜いモノはないな……。これだから蟲は……」

「そう冷たくしないでほしいな。魅力的な姿が台無しとなってしまうぞ?」

 髪も鱗も身に纏うローブも赤い。竜の一部を取り除けば、それは人の女性と変わらずある姿をしている。
 よって、ドラゴニカの性別は女性ということになる。
 口説くようなセントゥールから不快とドラゴニカは顔をそらし、話を打ち切った。

「……~っ」

 セントゥールが右隣ばかりに集中していると、ふと反対側から視線を感じ左にへと向く。
 そこでは同じく女性の型をしたアリトドが隣のセントゥールをじっと睨むように熱い視線を送っていた。
 そんな彼女はイライラと植物の太い触手を蠢かせ、頬を膨らませてもいる。

「どうしたアリトド? そんなにふてくされて、ドラゴニカと話していただけだろう?」
 
「ふ、ふてくされてなどおらぬわ!」

 ――どう見ても嫉妬してただろうが。
 と。他の魔王は内心で呟く。

「安心しろアリトド。いつお前を捨てるなんて言った? せっかくの愛らしい顔をそう台無しにするな」

 大ムカデに乗り、セントゥールはアリトドに寄り添いそっと頬を撫でる。
 怒りで顔を赤らめていたアリトドの顔は余計に赤くなり、動揺してキツい顔を緩めてしまう。

「そうそう。そうやって薔薇のようにしているアリトドは可愛いよ。もの足りないなら、後でいっぱい構ってやるさ」

「そ、そそ、そんなんじゃないから平気だっ。もう席に戻れっ!」

「うん。キミはいつでも可愛い花だよ」

 アリトドの怒りを治めると席に戻っていく。
 相思相愛な二体の様子など此処ではほぼ日常茶飯事だ。セントゥールがこの場にいればアリトドもいる。逆にいなければ一緒になってアリトドもいない。この二体の組み合わせはセットで考えられている。
 そんな王二体を目に、ぽつりとロードが小さく口を開き呟く。
 
「いいように、アリトドも丸め込まれおって……」

「仕方なかろう。彼奴らの付き合いは長いからな。一見親しみよく振る舞っているが、あれほど澱んだ魂の奴も早々おらん……。隙あらばこちらにだって牙を向く野心家だ……」

 同情をするハーデスも一緒になって呟いた。

「ロードからすればあのような関係は気に喰わぬか?」

「……特には。どういう意味で言っている、ハーデス?」

「いやいや。お主の領地は淫魔の集いであろう?」

「少しばかりくだらんな。余のは普通の生き物が喰うことと何の変わりもないものだ。配下の者たちは余のために集めてきた生気を余に献上する。……それだけだ」

 ロードの配下は淫魔が多く存在している。配下は魔界だけでなく人間界に赴いては生き物から生気を抜き取りそれをロードにへと届けることが役目でもある。その収集方法は肉体的な交わりもあるとか……。
 淡々と、当たり前に語るも意味深なものがちらほらと。聞いていたハーデスはどこかほっこりと和むような表情をとってしまう。

「……ワシ、何気にお主のそういうズケッと言うところ、和むところがあるのぉ」

 吹く様に笑うハーデスにロードは無愛想な顔で首を傾ける。
 二体の王だけではない。セントゥールとアリトドの関係は誰もがそれを理解しつつ、あえてそれを言わないのだ。
 いつなにがあろうと、それは己が責任となるだけ。この魔界で生きるにはそれ相応の覚悟も必要であることを彼らは知っている。
 
 そんな雑談をしに集う日常を送る魔王の前に、またしても扉が開け放たれた。

 扉が開かれる直前、奥ではなにやら崩れるような音が聞こえてもきた。一同は沈黙し開かれた先を直視する。
 空席の魔王が来たなどと誰も思ってなどいない。なんせそこから現れた気配は魔王のものではないからだ。
 真っ先に見えたのは扉の管理をしているゴーレムの腕がゴトリと音をたて落ちた光景。その手には門番にふさわしく槍を携えていた。だが無意味だったかのように腕ごと落とされている。
 扉をくぐってきたのは小さな人影。黒い日傘を差し可憐とした華奢な体の少女を飾るは黒のドレス。
 王たちの前に出てきた少女は軽く頭を下げ言葉を紡ぐ。

「――ごきげんよう。偉大なる魔王様方」

 顔を上げた少女は自身を左右から見下ろす魔王たちを悠々と眺める。
 沈黙と動揺に全ての魔王は口を閉ざした。人が生きられない魔界だけでなくこの魔王の間にへと訪れた者は紛う事なき人を超えた存在だ。それは少女の瞳を見ればわかること。
 レースで覆われた頭部から覗くのは宝石かのような真っ赤な瞳。
 
 ――それは魔女の証だ。

「――なんの用だ。

 誰の発言も押しのけるかのような重圧のある声。
 これまでずっと声を閉ざしていたイブリースが、低い声で少女に向け言葉を放った。
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