とある警察官の恋愛事情

萩の椿

文字の大きさ
上 下
15 / 18

第十五話

しおりを挟む



部屋に残された和泉は暫く呆然と立っていた。


そして、気づいた時には頬に涙が伝っていた。自分が守り抜いてきたものがすべて壊されてしまったような、そんな感覚だった。


ゲイであることを否定され、一ノ瀬の存在を否定され、そして傷つけた。


自分がゲイだという事は、母親にあんな顔をさせてしまう程、罪深い事なのだとあの時分かった。もう、悲しんでほしくない、絶望してほしくない、その一心で母親が言う事に常に従ってきたけれど、あの日からじっとりと自分を監視するような母親の目が嫌いになった。


家に帰っても心が休まらない。 だから、大学進学と同時に家を出て、実家に帰ることはなかった。


「母さん、俺今までずっと息が詰まりそうだった」


 和泉の声に、机に伏せていた母親が顔を上げた。


「ゲイが気持ち悪いっていう母さんの感覚を否定するつもりはないよ。でも、一ノ瀬先輩が言ってた通り、俺だって人を好きになる、それがたまたま男性だったっていうだけなんだ」



 溢れてくる涙が止まらない。喉が熱くて、何かで締め付けられているように上手く言葉を発することができない。




「でも、それが理解できない母さんとはもう縁を切る。もう、これ以上自分の気持ちを踏みにじることはしたくないから……。好きな人にちゃんと好きだと言ってあげたいからっ」




 どんなに心の中で否定しても、和泉は一ノ瀬と再会した日から分かっていたような気がする。結局、自分は一ノ瀬の事がまだ好きなのだと。必死で記憶を消そうとしたってかなわなかった、突き放さなければいけない相手だと分かっているのに、できなかった。



 もう自分に嘘をつきたくない。和泉は涙を拭いて、しっかりと母親の顔を見た。



「もう二度とこの家に帰ることはないと思う。もう、連絡もしないで」



 長い間縛られてきた呪縛からやっと解放されたような気分だった。自分にはもうこれ以上失うものもない、そう思うと長年ため込んできた思いを素直に母親にぶつけることができた。


「こんな息子でごめん」


 一人息子だから、孫の顔を見せてあげることができるのは和泉ただ一人だけだ。そういう当たり前の幸せを両親に与えてあげることができないことを申し訳ないと思う事もあった。けれどもう、この家に自分の居場所がないことは十分に分かっている。




「なにも……、批判の対象になることないじゃない。同性愛なんて、認めてくれる人の方が圧倒的に少ないはずよ。単純に女性を好きになればいい話じゃない。何が難しいの」




 和泉の母親は、まだイマイチ「ゲイ」というものを理解できていないのだろう。和泉にとって、女性は恋愛対象には絶対に入らないのだ。



「……じゃあね、母さん。父さんにもよろしく言っておいて」



 高校の時にはとれなかった家族を捨てるという決断。昔はもちろん一ノ瀬のことも大切だったけれど、なにより家族を失うのが怖くて仕方なかった。

自分のカミングアウトによって壊してしまった家族仲を元に戻すために、必死で普通の男性を演じることを頑張ってきたのだ。


けれど、今の和泉の中ではもう一ノ瀬の方が大切な人になっていた。どちらか一方をとらなければいけないならば、家族を捨てていいと思えるほどに。和泉は持ってきた鞄を肩に掛けて家を出た。



 自宅を出て、ニ十分ほど歩くとスーパーがある。和泉はそこでスマートフォンを取り出した。


「携帯番号、変わってないかな」


 機種変更をしても、ずっと一ノ瀬の電話番号は消さなかった。自分からかけることもないし、一ノ瀬から電話がかかってきても出ることはなかった。けれど、消したくはなかった。



 通話ボタンを押すと、四回目のコールで聞きなれた声が聞こえてきた。






「先輩、今どこにいますか。会いたいです」









 二人が再開したのは、それから二時間後の事だった。実家の近くまで帰っていた一ノ瀬に戻ってきてもらうのは申し訳ないので、和泉が電車で一ノ瀬の実家の最寄りの駅まで向かった。



一ノ瀬は、駅の地下駐車場に車を止めて待っていてくれた。




「お母さんは、大丈夫だったのか?」
「はい、色々と話をつけてきました。もう大丈夫です」




 車に乗り込むやいなや、一ノ瀬が早々に聞いてくる。それに対して和泉は胸を張って答えた。流石に縁を切ってきたところまでは伝えるつもりはない。一ノ瀬に変な責任を感じてほしくないし、そんな事を言えば絶対に心配させてしまうと分かっているから。





「俺、もう自分の気持ちに嘘をつかないって決めたので」



 和泉は、運転席に座る一ノ瀬を見つめた。




「俺は、……俺は、先輩の事が好きです。いや、ずっと好きでした。離れてからもずっと。今更、むしがいいことを言っているというのは分かってます。たくさん先輩を傷つけてきたから……でも、俺はまた先輩と……」





 その瞬間、和泉は苦しいくらいに抱きしめられた。



「せ、先輩……?」
 密着した一ノ瀬の体が少し震えているように思える。一ノ瀬の顔を見ようと体を引き離そうともがいてみるが、さらに強く抱きしめられるだけだった。






「何も言わず俺の前からいなくなったときは、お前の事を憎みもしたけど……、透の母親から話が聞けて、やっと理由が知れた。お前、俺の事守ってくれてたんだな」






和泉は無言でこくりと頷いた。



「自分の親からあんな風に言われたら、きついだろ……」




 一ノ瀬が和泉の頭をそっと撫でる。それだけで、こらえていた涙が再び溢れ出した。



 同性愛が世間から認められない傾向が強い事は知っている。でも、身近な人や大切な人からの批判は、他の誰に批判されるよりも辛い。同じゲイとして生きてきた一ノ瀬にはこの感情が伝わっているのかもしれない。




「悪かった。事情も知らず責めたりして」
「何で先輩が謝るんですか……」




 二人は暫く抱きしめ合った。その間二人の間で会話が交わされることはなかったけれど、お互いに負った傷を慰めるように強く、強く抱きしめあっていた。その後「今日は一日一緒にいよう」という一ノ瀬の言葉に和泉は頷き、ホテルへと車を走らせた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ダメな男

高菜あやめ
BL
蒼は自立できない友人に悩んでいた。頼られるとつい世話を焼いてしまう。このままではダメだ……でも本当に離れられないのはどっちだ? 学生同士、もやもやした日常。【美形×平凡】 ※一話毎に完結、受け攻め視点が変わるオムニバス形式です。

【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます

猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」 「いや、するわけないだろ!」 相川優也(25) 主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。 碧スバル(21) 指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。 「僕の方がぜってー綺麗なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ」 「スバル、お前なにいってんの……?」 冗談? 本気? 二人の結末は? 美形病みホスと平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。

こっそりバウムクーヘンエンド小説を投稿したら相手に見つかって押し倒されてた件

神崎 ルナ
BL
バウムクーヘンエンド――片想いの相手の結婚式に招待されて引き出物のバウムクーヘンを手に失恋に浸るという、所謂アンハッピーエンド。 僕の幼なじみは天然が入ったぽんやりしたタイプでずっと目が離せなかった。 だけどその笑顔を見ていると自然と僕も口角が上がり。 子供の頃に勢いに任せて『光くん、好きっ!!』と言ってしまったのは黒歴史だが、そのすぐ後に白詰草の指輪を持って来て『うん、およめさんになってね』と来たのは反則だろう。   ぽやぽやした光のことだから、きっとよく意味が分かってなかったに違いない。 指輪も、僕の左手の中指に収めていたし。 あれから10年近く。 ずっと仲が良い幼なじみの範疇に留まる僕たちの関係は決して崩してはならない。 だけど想いを隠すのは苦しくて――。 こっそりとある小説サイトに想いを吐露してそれで何とか未練を断ち切ろうと思った。 なのにどうして――。 『ねぇ、この小説って海斗が書いたんだよね?』 えっ!?どうしてバレたっ!?というより何故この僕が押し倒されてるんだっ!?(※注 サブ垢にて公開済みの『バウムクーヘンエンド』をご覧になるとより一層楽しめるかもしれません)

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

推しに監禁され、襲われました

天災
BL
 押しをストーカーしただけなのに…

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

ハイスペックストーカーに追われています

たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!! と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。 完結しました。

処理中です...