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第十五話
しおりを挟む部屋に残された和泉は暫く呆然と立っていた。
そして、気づいた時には頬に涙が伝っていた。自分が守り抜いてきたものがすべて壊されてしまったような、そんな感覚だった。
ゲイであることを否定され、一ノ瀬の存在を否定され、そして傷つけた。
自分がゲイだという事は、母親にあんな顔をさせてしまう程、罪深い事なのだとあの時分かった。もう、悲しんでほしくない、絶望してほしくない、その一心で母親が言う事に常に従ってきたけれど、あの日からじっとりと自分を監視するような母親の目が嫌いになった。
家に帰っても心が休まらない。 だから、大学進学と同時に家を出て、実家に帰ることはなかった。
「母さん、俺今までずっと息が詰まりそうだった」
和泉の声に、机に伏せていた母親が顔を上げた。
「ゲイが気持ち悪いっていう母さんの感覚を否定するつもりはないよ。でも、一ノ瀬先輩が言ってた通り、俺だって人を好きになる、それがたまたま男性だったっていうだけなんだ」
溢れてくる涙が止まらない。喉が熱くて、何かで締め付けられているように上手く言葉を発することができない。
「でも、それが理解できない母さんとはもう縁を切る。もう、これ以上自分の気持ちを踏みにじることはしたくないから……。好きな人にちゃんと好きだと言ってあげたいからっ」
どんなに心の中で否定しても、和泉は一ノ瀬と再会した日から分かっていたような気がする。結局、自分は一ノ瀬の事がまだ好きなのだと。必死で記憶を消そうとしたってかなわなかった、突き放さなければいけない相手だと分かっているのに、できなかった。
もう自分に嘘をつきたくない。和泉は涙を拭いて、しっかりと母親の顔を見た。
「もう二度とこの家に帰ることはないと思う。もう、連絡もしないで」
長い間縛られてきた呪縛からやっと解放されたような気分だった。自分にはもうこれ以上失うものもない、そう思うと長年ため込んできた思いを素直に母親にぶつけることができた。
「こんな息子でごめん」
一人息子だから、孫の顔を見せてあげることができるのは和泉ただ一人だけだ。そういう当たり前の幸せを両親に与えてあげることができないことを申し訳ないと思う事もあった。けれどもう、この家に自分の居場所がないことは十分に分かっている。
「なにも……、批判の対象になることないじゃない。同性愛なんて、認めてくれる人の方が圧倒的に少ないはずよ。単純に女性を好きになればいい話じゃない。何が難しいの」
和泉の母親は、まだイマイチ「ゲイ」というものを理解できていないのだろう。和泉にとって、女性は恋愛対象には絶対に入らないのだ。
「……じゃあね、母さん。父さんにもよろしく言っておいて」
高校の時にはとれなかった家族を捨てるという決断。昔はもちろん一ノ瀬のことも大切だったけれど、なにより家族を失うのが怖くて仕方なかった。
自分のカミングアウトによって壊してしまった家族仲を元に戻すために、必死で普通の男性を演じることを頑張ってきたのだ。
けれど、今の和泉の中ではもう一ノ瀬の方が大切な人になっていた。どちらか一方をとらなければいけないならば、家族を捨てていいと思えるほどに。和泉は持ってきた鞄を肩に掛けて家を出た。
自宅を出て、ニ十分ほど歩くとスーパーがある。和泉はそこでスマートフォンを取り出した。
「携帯番号、変わってないかな」
機種変更をしても、ずっと一ノ瀬の電話番号は消さなかった。自分からかけることもないし、一ノ瀬から電話がかかってきても出ることはなかった。けれど、消したくはなかった。
通話ボタンを押すと、四回目のコールで聞きなれた声が聞こえてきた。
「先輩、今どこにいますか。会いたいです」
二人が再開したのは、それから二時間後の事だった。実家の近くまで帰っていた一ノ瀬に戻ってきてもらうのは申し訳ないので、和泉が電車で一ノ瀬の実家の最寄りの駅まで向かった。
一ノ瀬は、駅の地下駐車場に車を止めて待っていてくれた。
「お母さんは、大丈夫だったのか?」
「はい、色々と話をつけてきました。もう大丈夫です」
車に乗り込むやいなや、一ノ瀬が早々に聞いてくる。それに対して和泉は胸を張って答えた。流石に縁を切ってきたところまでは伝えるつもりはない。一ノ瀬に変な責任を感じてほしくないし、そんな事を言えば絶対に心配させてしまうと分かっているから。
「俺、もう自分の気持ちに嘘をつかないって決めたので」
和泉は、運転席に座る一ノ瀬を見つめた。
「俺は、……俺は、先輩の事が好きです。いや、ずっと好きでした。離れてからもずっと。今更、むしがいいことを言っているというのは分かってます。たくさん先輩を傷つけてきたから……でも、俺はまた先輩と……」
その瞬間、和泉は苦しいくらいに抱きしめられた。
「せ、先輩……?」
密着した一ノ瀬の体が少し震えているように思える。一ノ瀬の顔を見ようと体を引き離そうともがいてみるが、さらに強く抱きしめられるだけだった。
「何も言わず俺の前からいなくなったときは、お前の事を憎みもしたけど……、透の母親から話が聞けて、やっと理由が知れた。お前、俺の事守ってくれてたんだな」
和泉は無言でこくりと頷いた。
「自分の親からあんな風に言われたら、きついだろ……」
一ノ瀬が和泉の頭をそっと撫でる。それだけで、こらえていた涙が再び溢れ出した。
同性愛が世間から認められない傾向が強い事は知っている。でも、身近な人や大切な人からの批判は、他の誰に批判されるよりも辛い。同じゲイとして生きてきた一ノ瀬にはこの感情が伝わっているのかもしれない。
「悪かった。事情も知らず責めたりして」
「何で先輩が謝るんですか……」
二人は暫く抱きしめ合った。その間二人の間で会話が交わされることはなかったけれど、お互いに負った傷を慰めるように強く、強く抱きしめあっていた。その後「今日は一日一緒にいよう」という一ノ瀬の言葉に和泉は頷き、ホテルへと車を走らせた。
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