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第2章

第45話

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「……最前線で戦いを見てきたからこそ、もう二度と争いを起こしたくないとは思わないのか?」


「なに」


 セルの声色が明らかに低くなった。


「ルーシュだって敵国のブロン国と同盟を結ぶことが簡単じゃないことは分かってる。自分の戦友だって殺されてるんだから。でも、それでも二度と争いを起こしたくないから、悲しむ人たちの顔をみたくないからって頑張ってるんだ」

 
 セルは黙ったまま、ノアの顔を見つめた。


「俺、最近思うんだ。相手を疑う事は簡単だけど、信じることは本当に難しいことなんだって。でもルーシュはブロン国を信じて国境をなくして、一生懸命……」



 その瞬間、ノアはセルに襟首を掴まれ、背中に壁を打ち付けられていた。まるで、一瞬の出来事に頭がついて行かない。目の前には鬼の形相をしたセルが、こちらを睨みつけている。



「お前誰だ」
「え……」



「ノアはこんなに饒舌じゃなかった。自分の考えを相手に伝えるようなタイプでもない。ただ記憶を無くしただけというなら、根本的な性格は変わらないはずだ」


「うっ」


 セルに片手で首を絞められ、ノアの呼吸がどんどん制限されていく。


「お前、俺に嘘ついているだろ? 本当の事を言え。でなければ、このままお前の首を絞める」


 セルの威圧に心臓が縮み上がる。セルが醸し出す雰囲気は先ほどとはまるで違う。生死を握られているような恐ろしい錯覚に捕らわれ、ノアの本能が嘘をつかない方がいいと訴えている。


(でも、だからって他になんて言って誤魔化せばいいいんだ……?)

現実離れした、ノアとアキの精神の入れ替わり。それを言ったところで、信じてもらえるのだろうか?

けれどもう、セルに嘘は通用しないだろう。ギロリと睨みをきかせているセルの前では、騙し通すことなど不可能だとノアは悟った。




「おれ……、ノアじゃない‥‥‥」




「どういうことだ、ならお前は誰なんだ」




「は、はせ、がわ……アキだっ」





 ノアが自分の名前を名乗ると、セルは手を離した。


「ごほっ、ごほっ」


 呼吸を止められていたせいで、上手く息が吸えない。苦しさからノアの頬に涙が滴り落ちた。



「はせがわ、アキ……? それがお前の名前か?」


 ノアは返事が出来ず、ただ首を縦に振る。



「記憶を無くしたのではなかったのか? 何故、他人の名前を名乗る? そういうふりをしているのか?」


 呼吸を整えている間に問われ、まともに言葉を返すことができない。それに、一度に何個も質問され、ノアの頭がこんがらがっていく。


「答えろ」


 セルの瞳に見降ろされ、ノアはごくりと唾を飲み込んだ。どうしてこんなにも、冷めた目ができるのだろうか。怒鳴りもされていないのに、体の底から恐怖が込み上げてくる。



「じ、じつは……」



 ノアはしどろもどろになりながらも、セルに真実を伝えた。セルは途中、ノアの話を遮ることもなく、ただノアの顔をじっと見つめ、表情の変化などを逐一見逃さずに確認していた。



「にわかには信じれないな。お前は俺に嘘をついていたわけだし。もう何を信じればいいのかも正直分からない」



 セルからしてみれば、最愛の恋人が記憶を失ったふりをしていて、しかし、今度は自分はノアではないと言い張るのだから、頭が混乱しても仕方がない。



「もう、嘘はついてない……。本当だ」 



ノアがセルから距離を取ろうと後ろに下がると、セルはすぐにノアの腕を掴んで捻りあげた。


「もしそれが本当の話だったとして……。お前は他人の体を借りて何をしている?」



「いたい……」


 爪が皮膚に食い込みそうな程の強い痛みに、ノアの顔がゆがむ。



「それはノアの体だ。お前が好きなように使っていいわけがないだろ」



 セルはノアの体に馬乗りになり、そして、ノアの頬を平手打ちした。



「うっ」
「出て行け。ノアの体を返せ」


 セルはノアの顎を掴み、もう一度頬を叩いた。



「何をしている。早く出て行け。もっと痛い思いをしないと分からないか?」


「や、やめて……」


 痛みに耐えかねて咄嗟にセルの手を掴んだノアは、息を飲んだ。



 セルの不愛想な表情は変わらない。しかし、その瞳からは涙が流れていた。


「ノアを返せ……」


 セルの声は震えていた。







(何で俺、今まで気づかなかったんだろ……)



 セルにとって、ノアは最愛の恋人だったのだ。やっと会えた恋人が、知らない人の名前を名乗り、自分はノアじゃないと答えたら。アキがノアの体を借りて生き続けることは、ノアを大切に思っている人からすれば、絶対にいい気などしない。アキはセルの心を無神経に抉っていたのだ。



「ごめんなさい……」


 ノアの体から出て行く方法なんて知らない。ノアはただそう答えるしかなかった。セルは顔を歪めて、また手を振りかざした。ぶたれる、そうノアが覚悟を決めた時、玄関のドアが轟音を立てて吹き飛んだ。
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