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第10章
82話
しおりを挟むアニエスらの班が、大通りに差し掛かった。
辺りには人気が全くなく、変わりにあるのは鉄の匂いにも似た血の匂い。漂うその匂いの原因は、すぐさま発覚した。道端に倒れ込む骸。それは、紛れもなくヤンサの住民であることは、横目に彼らを見ていたアニエスでさえ理解できた。報告にあったのは、フードを被ったコート姿の集団だ。きっと、逃げ遅れたものから巻き込まれ、このような惨状になってしまったのであろう。と、アニエスは息を飲んだ。
「大丈夫か、嬢ちゃん。顔色が悪いぜ?」
「え、えぇ。魔物なら慣れているのだけれど、人の死体はちょっと……」
「辛いようなら、後ろに下がったほうがいい。ここから先は、ピリピリとした雰囲気を感じるぜ?」
アニエスの傍にいた冒険者が、背負っていた斧を手に取った。
冒険者の勘なのだろう。自分たちが向かっている先で一体何が起こっているのか。不安に押しつぶされそうになるアニエスとは違い、共に行動している冒険者たちは何か思い詰めた表情を一切見せず先を目指す。
次第と聞こえ始める雄叫びの数々。怒り任せに発せられているものから、殺意を孕んでいるであろう声音。時折聞こえる甲高い金属音同士が交わる音──戦場の匂いだ。
「そろそろ、か。お前ら、やることはわかってるだろうな!」
先頭を歩いていた者が、手に握る槍を高らかに掲げた。
住民の避難と護衛。その他、周囲の警戒と偵察。目的はあくまで住民の救助を優先としたものであり、決して戦いに来たわけではない。各々が気を引き締め、武器を手に何人かに分かれて別々に散っていく。アニエスもまた、先ほど声を掛けてくれた冒険者に続いて路地へと入っていく。
「まさか、ヤンサの街でドンパチするやつがいるなんてな」
「どこの誰なんでしょうね。こんな街でことを荒げるなんて……」
「さぁ、きっと頭の中がお花畑な連中だろうさ。サブマスターが前に出てるんだ。収まるのも時間の問題さ」
前衛であろう斧使い。弓を片手に羽根つき帽子を被りなおす少女。短剣と長剣を握り締めた男。その後ろに、黙々と続くアニエス。
ひとつのパーティーだと考えればバランスの取れたものである。彼らが辺りを警戒しながら路地を抜けると、そこに広がっていた光景は、目を疑うものであった。
「な、なんだこいつは……」
「数人なんて規模じゃない、何十人といるよ……これ」
「早く隠れるんだ! 見つかったら、僕たちも巻き込まれるぞ」
前を行くふたりの首元を掴み、通路脇に置かれていた木箱の後ろへと身を隠す。幸い、大通りを陣取っている輩たちには気づかれておらず、なにか中央に意識を向けている彼らを見て、一同は覗き込むかのように目を向けた。
「お、おい。あれって──」
「受付のカルミアさんよね……?」
「どういうことだ? なんで受付嬢の彼女が」
「たぶん、私の知り合いを助けるためだと思うわ」
「知り合い? カルミアさんが助ける程の人物って、彼氏……とか?」
「流石に違うと思うよ。僕が知ってる限りでは、例の『働かない調合師』の可能性が高い」
「ほほう。つまりはヒモってことか……!」
恋人を助けるためなら、命を懸ける者は少なくない。だが、カルミアの性格上恋仲を作るとは思えない。一同はあれやこれやと意見を述べたが、結論的なものは出てこなかった。傍で聞いていたアニエスは、苦笑いを浮かべながらもカルミアがなぜ集団の真ん中にいるのか。と、心配をしていた。
時折、取り囲んでいる者たちが移動したりすることもあり、カルミアが誰かと戦っていることを察した一同。
「どうする? 俺たちも前に出るか?」
「それはやめておきましょ。私たちの仕事は偵察。それ以上のことをして、この身を危険に晒すことはないと思う」
「僕も同意見だ。カルミアさんを助けたいのはわかるが、あの数を前に僕たちだけでどうこうできるとは思えない」
斧使いが得物を背負いなおし、『報告しに戻ろう』、と。来た道を引き返そうとした時。
「ぐわぁあああッ!!!」
苦痛に叫ぶ声と共に、カルミアの身体が傍の壁へと叩きつけられた。
「「「────ッ!?」」」
びくり、と。肩を震わす三人。
「ッ!? カルミアさん!」
だが、アニエスだけは違った。
彼女は路地を飛び出し、颯爽とカルミアの元へと駆けつけたのだ。煉瓦造りの建物に叩きつけられ、ぐったり、と。力なくへたり込んでいるカルミアの口元からは血が伝い、顎を経由して太ももへとぽつんぽつんと垂れてしまっていた。
「あ、アニエス……? なんで、ここに……いるのよぉ?」
意識が飛んでしまいそうな程の苦痛に顔を強張らせながらも、カルミアは肩で息をしながらアニエスへと声を掛けた。
「だ、大丈夫なの? 今、ものすごい勢いで飛ばされて……それに、血が……ッ!」
目じりに涙を浮かべながら、どうすればいいのかもわからずにあたふたとするアニエス。
駆けつけたはいいものの、ここは戦場。先ほどまでカルミアを囲んでいた輩たちが、ぞろぞろと近づいてくる中で、路地に隠れていた三人は武器を手に前に出た。
「こうなったらやけくそだぜ!」
「アニエスさん、カルミアさんを連れて逃げて!」
「あぁ、ここは僕たちが引き受ける!」
アニエスとカルミアの前に立ちはだかり、迫り来る輩たちに武器を向ける三人。
せめて、ふたりがここを離れるまでの時間を稼ごう。と、身を挺してくれたのだ。三人の背中に小さく頭を下げると、アニエスはカルミアに肩を貸してその場を離れようとした。
──だが。
「な、なんだおま──ぐぁッ! は、離せ!」
集団の中から、むくり、と。現れたブギーによって、先頭に立っていた斧使いは頭を鷲掴みにされて持ち上げられた。
「ちょ、こんなやつがいるなんて聞いてないよ!」
咄嗟に反応した弓使いの少女が、ブギーの脇腹目掛けて矢を射る。
「待て、無暗に矢を射るな!」
止めようと手を伸ばした双剣使いの男。だが、その声は虚しくも間に合わず、放たれた矢が刺さるであろう寸前のとこで、横から滑り込んできた斧使いの身体へと刺さる。
「うぐほぁッ!?」
必死に手を解こうと奮闘していたところに、背後から襲い掛かる仲間の一矢。
まるで、最初からこうなることを予想していたかのように、ブギーは不気味な笑いをこぼした。
「ぶほ、ぶほほ! だれもぼくにはかてない。ぼかぁ、つよい!」
仲間を射てしまったことに対して弓使いは脱力してしまい、双剣使いは彼女を守るかの様に前にでた。
退却しようとしていたアニエスでさえ、目の前で起こっていた光景には足を止めてしまっていた。助けてくれようとした人たちが、真っ先に負傷し、戦意を削がれてしまったのだ。これより先にあるのは、一方的な殺戮か蹂躙かの二択しかない。
アニエスの肩にしがみついているカルミアは、戦闘に参加するどころかまともに歩くことができないほどの怪我だ。早く治療をしなければ、最悪の場合命に関わる可能性が高い。
どうすればいいのか、どうすれば皆を生かしてこの場を離れることができるのか。考えれば考える程、刻一刻と時間が過ぎていく。だが、どうすることもできない。
──無理だ。
まさに絶体絶命の状態。打破しようにも、アニエスにそんな技術も経験もない。ただただ絶望に押しつぶされそうになりながら、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「さぁ、つづきをたのしもう!」
斧使いを投げ捨てたブギーが、もう片方の手に持っていた錨を肩に掛けると、一歩、また一歩とアニエスたちの元へと足を踏み出した。
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