地獄の道の罪人ども

酸性元素

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鬼蜘蛛編

生きる場所、死ぬ場所

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「あいつだ。」

 指を刺される少年がいた。コツン、と頭に石が当たる。

「江戸のモンは出ていけ!」

 部落の子供は、彼に向かって言い放つ。少年は、トボトボと自身の家に帰る他なかった。

「カンダタだ。」

「本当に嫌になる……」

 周囲はヒソヒソと、少年に向けて陰口を叩く。カンダタ。彼はその名前が嫌いだった。 言葉の響きからして縁起が悪く、実際漢字に起こすと不気味だったからだ。

「……なんで帰ってきた?」

 カンダタがボロボロの家の戸を開けると、そこには見窄らしい女がいた。一応は、彼の母親。

 彼がここまで迫害されるには、理由があった。父と母は、江戸の出身者だった。普段差別されてきた彼らに取っては謂わば恨みの対象。

「ったく……なんでアンタなんか生まれてきたんだか……」

 母親はブツブツ悪態をつく。母親の口癖はいつもこうだ。父は死に、母は生みたくもない息子を産む羽目になった。

 部落からは差別され、親からも蔑まれる。

「……」

 食べ物を分けてもらわなければ。カンダタは再び家を出ると、隣の家の戸を叩いた。

「……今日の分、分けてください。」


 カンダタは、ぺこりと家主に頭を下げる。家主は、一袋分の米を放り投げる。

「たったこれだけ……一日中働いたのに。」

「文句を言うな、クズが。」

 家主は、ピシャリと戸を閉めてしまった。カンダタは何も言わずに家に戻ると、米を炊き始める。母親はそれに何も言わずに、その場に横になったままだった。

「おふくろ……出来たよ。」

 カンダタは、炊き上げられた米を母に渡す。母は米の大部分を食べてしまい、その1割程度しか残さなかった。

「……」

 夜になり、カンダタはひっそりと家を抜け出すと、森の中へと入っていった。タタタタタ……と木の棒を片手に草の上を駆け抜ける。ブン、と棒を振り回し、涙を振り払う。

「あああああああ!!」

 どうしてこんなに悲しいんだ。俺が何をしたっていうんだ。好きでこんなふうに生まれて来たわけじゃない。

「うう……うっ…ううう……」

 ただ泣くことしかできない。この現状を変えることなどできない。どうしたらいい?どうやって生きたらいい?カンダタが泣きじゃくっていたその時だった。

 グルルルル、と唸り声が聞こえる。これは、まさか。

「く、熊……!」

 ボタボタと涎を垂らす、巨大な生物。それは紛れもなく、こちらに殺意を向けている。

 熊は鋭い爪でカンダタの腹部に傷をつける。痛い。痛い痛い痛い。今腹から出る血は、紛れもなく本物だ。死にたくない。このまま死にたくない。

 誰か………

 手を伸ばす。霞む視界で誰かに願う。その時だった。激しい金属音が鳴り、熊は激しく後退した。

「大丈夫か!……クソッタレ、待ってろ!」

 誰かに担がれる感覚がする。

 そのままカンダタは、気を失ってしまった。


「……」

 目を覚ました頃に映っていたのは、木でできた天井だった。ここはどこだ、とカンダタは起き上がる。そこにいたのは、白髪の老人だった。

「よお、起きたかい坊主。……一日中寝てたんだぜ、お前。」

 老人は、囲炉裏の火を眺めながらカンダタに話しかける。カンダタは警戒心を解かず、ジリジリも老人から距離を取る。しかし、突然腹部に痛みが走り、全身の力が抜けてしまった。

「おいおい、あんまり動くもんじゃねえぞ。取って食おうって訳じゃねえんだからよ。」

 クックック、と笑いながら老人は言う。

「ま、動けるようになるまでここにいな。」

 老人はそう言うと、再び囲炉裏の方に視線を移した。そうだ、この老人の事は知ってる。

「聞いた事がある…アンタは山籠りのジジイ……名前は山田現楽《やまだげんらく》!」

 山にひっそりと籠っていると言う老人。迫害されてきた彼でも、その話は耳にしていた。噂では人も殺すとか。

「ど、どうするつもりだよアンタ!」

「だーかーら。何もしねえっつってんだろ。ほれ、飯。」

 現楽はカンダタに食事を差し出す。見たこともない豪華な食事がそこには飾られていた。ゴクリ、と唾を飲む。畜生、今の所は従ってやる。と言わんばかりに、カンダタは勢いよく食事を口にかき込んだ。

 その日の夜は、カンダタは眠ることができなかった。腹が痛い、と言うのもあるが、それ以上に他人に泊めてもらうという経験がなかったためである。親、集落の人間のことなどは正直どうでも良かった。その時だった。何処からか、唸り声が聞こえるのだ。

「……?」

 カンダタは起き上がると、その声のする方を見る。そこには、汗をかきながらうなされる現楽の姿があった。

「はぁ!はあ……はあ……」

 彼は勢いよく目覚めると、洗面所に向かっていった。

「……」

 カンダタは敢えてそれを問いただす事はせず、眠るフリをした。そうして一夜が明けると、現楽はいつものようにクックックと笑い、カンダタを叩き起こした。

「ほれ、起きな坊主。出かけるぞ。」

 そのまま現楽はカンダタを、丸太の並べてあるところに連れて行った。

「今日は丸太を切らなきゃなんねえ。少しは動けんだろ、手伝いな。」

「……」

 何も言わずにカンダタは丸太を差し出す。はあ、とため息をついて現楽は丸太を斧で切っていく。

「なあ……お前さん見たところあそこんとこの集落から来たんだろ?親には後々説明するから心配すんな。」

「親なんかいねえよ。……あんなの親とは言わねえ。」

「そうか……だとしても他の奴らも心配するんじゃ……」

「いねえよ!あそこの奴らはみんな俺を江戸の奴だのなんだのと馬鹿にしやがる!何も知らねえくせに好き勝手言うんじゃねえ!」

 カンダタはそう言うと、腹を抑えながら森の奥に行ってしまった。

「おい、待て!」

 現楽はカンダタを追う。お前のところなんかにいてたまるか。カンダタは走り出し、彼から必死で逃げる。怪我をしているとはいえ、森の中。その小さな体躯では、木の中に紛れることも容易だった。

「はあ…はあ……へへ……お前なんかの言うことを聞いてたまるか……うわぁ!」

 カンダタが後ろを確認したその時、彼は足を踏み外し、そのまま坂道を転げ落ちてしまった。

 ゴロゴロと転がり、やがて川のほとりにある木に体を激突させる。

「痛っ……!」

 立ちあがろうとして、ズキリと痛む足を抑える。しまった、さらに怪我をしてしまった。暫くここからは動けまい。どうすれば……
 そう考えるうちに、夜になってしまった。

「くっそ……どうするかな。」

 このままここで一夜を過ごすしかない。その後に……考える中で、現楽の顔が頭に浮かんだ。いやいや、あんな奴信用できない。なんとか自分で下山しなければ。彼がそう決意を固めた時だった。

「グルルルル……」

 彼の目の前に、巨大な熊が居たのだ。

「またかよ……!畜生!またお前かよこの野郎!」

 必死で足を引きずって熊から距離を取る。だが、熊は容赦なくカンダタに襲いかかった。ガブリ、と右肩を噛まれる。痛みが走り、思わず叫ぶ。

「あ…あ…あああああ!死にたくない!死にたくない……!誰か!誰かあああああ!!」

 このままでは、死んでしまう。死にたいと思っていた俺が、今は生きたくて仕方がない。
 誰か…誰か………必死で誰かに祈った。その時だった。熊の右目が何者かによって切り付けられたのだ。

「じ、ジジイ……」

 そこにいたのは、紛れもない現楽だった。

「無事か、小僧!」

 老人と熊。一見すれば不釣り合いな両者。だが、老人の……現楽の右手には刀が握られていた。これで対等、と言うわけではなかろう。しかし、勝つ可能性は十分に見える。

 両者は睨み合いながら、ジリ、ジリと距離を詰める。いつ動き出すのか、それは誰にもわからない。両者でさえも把握していなかった。しかし、動き出したのは同時だった。
 現楽は縦に刀を振る。熊は間一髪でそれをかわすと、元徳の首に数を走らせる。噴出する血液。大丈夫、まだ致命傷ではない。フーッ、と彼は息を吹かせる。

 再び、先ほどと同じ構え。そしてほぼ同時の動き出し。全く同じ流れだった。縦に振られる刀を熊はかわし、今度こそ現楽にトドメをさす……はずだった。縦に振られたはずの刀は即座に上に振り上げられ、熊の首を切断したのだ。熊の首から血煙が上がる。

「はあ……はあ……無事か……小僧……」

 ヨロヨロと、現楽はカンダタの方を振り返る。

「なんで……」

「お前さんが何を抱えてるかは知らねえ。……だがな、守ろうと思ったモンを守る……それが武士ってものなのさ。だから……お前もお前を守れ。」

 元徳は掠れる声でそういうと、バタリとその場に倒れ込んだ。

「ジジイ……!おい!起きろよ!起きてくれよ弦楽!!」

 なんとかしなければ……なんとかしなければ……!カンダタは必死で考える。その時だった。足の痛みが、なくなったのだ。先ほどまでの腫れが一切なくなっていた。何が起きたのだ、と混乱するが、そんな暇はない。カンダタは現楽を担ぎ上げると、あの家へと向かっていった。死なせない。絶対死なせたりはしない。


「………ここは。」

 現楽は起き上がると、隣で囲炉裏を眺めるカンダタの方を見る。奇しくも以前と逆だな、と彼は思わず苦笑した。

「なあ……アンタは言ったよな。俺も俺を守れって。あれはどういう意味なんだ?」

「言った通りさ。お前さんは、あまりにも自分を大事にしなさすぎる。」

 現楽のその言葉に、思わずカンダタは自身の過去を語り始めていた。

「俺は………俺の親は江戸出身者なんだ。それが最終的にここに流れ着いてさ。江戸のモンだ、って周りから石を投げられ続けてきたんだよ。親は俺を産みたくて産んだんじゃないらしくてさ。おふくろは毎日俺に罵詈雑言さ。」

「そうか……」

 現楽も、その詳細を聞いてしまったら何も言えなかった。生まれた時から迫害されてきた少年。果たしてそれが背負う重荷はどれほどのものなのだろう。

「俺たちみたいに暮らしてる奴らをよ……江戸の奴らは差別するんだろ?

 村の中でも、村の外でも忌み嫌われる。だったら俺はなんだ?何者なんだ?……俺はどうすれば良いんだよ。」

 思わず、カンダタは泣き出していた。齢11歳。とうに限界など超えていたのだ。そんな彼に対し、現楽は表情を一切変えずに答える。

「……お前はお前だよ。どれだけ汚れた人生でも、決して歩んできた道は無駄じゃあない。」

「……」

「名前は?」

「カンダタ。」

「そうか……いい名前だ。」

 現楽はフッと笑ってそう言った。いい名前。今までそう言われた事は無かった。そんなことを言われて仕舞えばもう……涙が、止まらなかった。

「生きろ、カンダタ。お前は生きてもいいんだ。」

 良いのか、生きて。俺は生きてもいいのか。

「ああ……うう……うううう~…」

 沈み込むように涙が溢れ出る。そんな彼に対し、現楽は食事を差し出す。いまだ涙が止まらぬまま、カンダタは食事を口にかき込んだ。

 あれから数日経ち、2人はすっかり打ち解けた。カンダタの顔には、若干ではあったが笑みが溢れるようにもなった。

「なあ、アンタ武士なんだろ?剣の振り方、教えてくれよ。」

 真剣な表情で、ある日カンダタは頼み込んだ。護身用に、と渋々承諾した現楽は、カンダタに剣術を教え始めた。

「筋がいい…お前さん……かなり才能あるんじゃねえか?」

 不意に現楽がこぼす褒め言葉が、カンダタには嬉しくてたまらなかった。

 だがカンダタには、少し気がかりなことがあった。

 毎晩うなされる現楽。普段の頼もしさとは似ても似つかない恐怖に怯える顔が、そこにはあった。

「なあ…現楽。あんたさ、何があったんだ?……毎晩うなされてる。俺にだって知る権利があるはずだ。」

「……」

 現楽は暫く考え込むような表情をした後、詳細を話し始めた。

「俺ぁよ……臆病者なんだ。山田家ってのは武士の名門でよ……代々いくさで功績を上げてきた。だが俺は違った。

 …怖かったんだ、死ぬのが。戦を前にして、俺は逃げ出しちまった。その結果、家からの追放だよ。俺のこの、愛刀一本だけが家にいた証拠になっちまった。

 ……今でも夢に見るさ。人1人の命を殺める恐怖、自分が死ぬ恐怖。だけどな、カンダタ。お前さんを助ける時はよ……自然と体が動いちまったのさ。」

 照れくさそうに現楽は笑う。そうか、変わったのは俺だけじゃなかったんだな。カンダタはフッと笑い返す。

「……なあ、この怪我が治ったらさ、俺は帰らなきゃいけないのか?」

「ああ、そうだ。どれだけ汚れてても、お前さんの家はお前さんの家さ。……それは変わる事はない。」

「そっか……また、来ていいか?」

「おう、いつでも来な!」

 次の日、カンダタは現楽に別れの挨拶をすると、山を下山した。

 それからは、過酷な毎日への逆戻りだった。母親はカンダタが生きていた事に何の感情も示さず、村人達は皆恨めしそうに彼を見るだけだった。でも、彼はそれでも良かった。現楽が彼にはいたのだから。夜になるといつも彼のもとに行き、剣を習う日々。それだけでよかった。

 だが、それから2年経ったある日、異変は起こった。

 江戸からの使いが、突然村に現れたのである。

「なんと見窄らしい……」

 鼻をつまみながら、使いはキョロキョロと辺りを見渡すと、村の長に耳打ちした。内容を聞き取った長は突然、村人達に言い放った。

「これより戦を行うそうだ。この方は召集を要求しておられる。希望者は、挙手を!」

 希望者、などと銘打っているが、部落の人間に人権などない。ほぼ強制的な召集となる。当然戦の報酬など部落の人間には大して見込める訳もない。当然、誰も手を挙げなかった。畜生、何故このような時代に今更戦などするんだ。ギリ、とカンダタは歯を食いしばった。

「ふむ……手を挙げないと言うのなら、今いる男全員を持っていってもいいのだが?」

 使いな男は刀をギラリと光らせると、一同を睨みつけた。

「こ、こちらはどうでしょうか?!」

 突然カンダタの母親は彼の肩を掴むと、使いの前に突き出した。混乱するカンダタを無視し、両者は会話をする。

「まだ子供だ、使えんぞ。」

「ま、まあ観てください。この筋肉。この子は山籠りして鍛えています。きっとお役に立てますよぉ?」

 母親の媚び諂うような態度に、カンダタは怒りを覚える。畜生、本当に俺のことはどうでもいいってのかよ。

 すると、周囲の村人達が、突然打って変わったようにカンダタに声援を送り始めた。

「ほら、行けって!」

「活躍、期待してるぞカンダタ!」

「お前ならやれる!やれるって!」

 見てくれだけ良くした、形だけの声援。その中身は、薄汚れた欲望だらけ。

「……そこまで言うのなら、このガキを連れて行こう。ハナからここのもの達には期待していないからな。……来い!」

 使いはカンダタの腕を掴むと、両手に縄を結ぼうとする。待ってくれ、誰か。誰か俺を助けてくれよ。誰か………必死で手を伸ばす。だが、誰も助けてはくれない。涙がポロリと溢れる。死にたくない……死にたくない……
 その時だった。

「待て!」

 老人のしゃがれた声が、彼の耳に届いた。

「適切な人材ならここにいる。」

 そう言って歩み寄ったのは、紛れもない現楽だった。まさか……まさか。カンダタは、彼のやろうとしている事を予想し、ワナワナと震え始める。

「ほお……ご老人、何者かな?」

「山田現楽。元山田家、免許皆伝です。」

「山田家!嘘ではあるまいな?」

「山田の紋様も、この通り。」

 現楽は、服につく紋様を見せる。ボロボロだが、しっかりと縫い付けられたものがそこにはあった。

「現…楽……!」

「ごめんな、カンダタ。……わたくしめはこの小僧よりも使える筈。是非とも、お役に立たせていただきたく存じます。」

 寂しげな顔で現楽は笑うと、使いに向けて頭を下げる。

「……良かろう。山田家がいるとなれば心強い。その小僧の代わりに連れて行け。」

 使いはニヤリと笑うと、カンダタを解放し、代わりに現楽に縄をつけた。

「待ってくれ……現楽……!現楽ぅーーーー!」

 カンダタは必死で馬車を追う。息が切れても追い続ける。しかし、そのうち彼は見えなくなってしまった。

「チッ……余計な事を……」

「死に損ないがまた生き残った……」

 周囲からはそんなため息混じりの声が聞こえる。

 結局、現楽は帰ってこなかった。カンダタは放心し、最早完全に動かなくなってしまった。

 あいつは俺のために出たのに。

 それを見ても、何も感じなかったのか?

 お前らは俺をバカにするが、俺から見ればお前らの方がよっぽど最低だ。

 行動に移すには早かった。その日の夜、人々が寝静まった時。刀を一般握りしめ、心臓を一突きで刺して行った。悲鳴の一つも上がらない、静かな大量虐殺。実の母親でさえも、彼は殺すのに躊躇わなかった。

「……お前まで来ることはなかったのに。」

 荷車の中で、現楽とカンダタの2人は会話する。

「いーのいーの。戦が怖えんだろ?俺だって行くさ。」

 カンダタは、おどけるように言った。

「そうか……ありがとな。」

 現楽は、優しく彼の頭を撫でた。

 ………そんな時に、彼は目を覚ます。そうか、これは妄想だ。現楽はもういない。部落は、人々の血によって悪臭が立ち込めている。

「……行くか。」

 あの人は俺に生きろと言った。だからなんとか生きてみせる。だけど、もう誰も信じない。誰1人として、信じはしない。険しい表情を崩さぬまま、カンダタは部落を後にした。

 ……………………………………………………

 それからは、犯罪のことしか覚えていない。現楽を連れて行った使いのやつを殺した。俺を貧乏人だと罵った幕府の使いを殺した。

 俺を客として迎え入れなかった団子屋を放火した。

 俺を拒むやつは、みんな殺せばいい。それだけで、俺は良かった。楽しくて仕方がなかった。

 だが、ある日のことだった。道に蜘蛛を見つけたのだ。俺の道を邪魔するな、と踏みつけようとした。だが、俺は直前で踏みとどまったのだ。

 その蜘蛛は、足を怪我していた。ここで殺したら、現楽を裏切ることになるのではないか。そう思ったのだ。

 俺の中にも、少しの良心があったのか。その時、俺は気付かされたのだ。

 だから捕まった時の処刑の言葉も、俺は決めていた。

「言い残すことはあるか?」

 処刑人が問う。

「……ごめんな。」

 その一言だった。今までの犯罪に対してではない。あの人に対してだった。あの人だけが、俺の唯一の良心だったのかもしれない。

 きっと誰かに助けてもらうのも、あれが最初で最後なんだろう。地獄に落とされても、それは変わらない。きっと………

 と言うところで、俺は目を覚ました。

「カンダタさん、居眠りはダメですよ。……今日の担当は私たちなんですから。」

 めっ、とマカは、目を覚ました俺の鼻をつつく。俺は頭をボリボリと掻きむしりながら、ソファから起き上がる。その時だった。

「やっほー、六道のクソッタレファッキンども。」

 マカと俺の背後に、何者かが立っていたのである。そいつは自身の背中から触手を伸ばすと、俺たちに向けて時放った。

「……!」

 マカは咄嗟に剣を取り出し、触手を切り裂く。その正体不明の男は、言葉を続ける。

「羽山額はこの感じじゃあいねえのか。ま、いいや。ここで死んでくれや。」

 男は、先ほどの倍以上の触手を生やすと、俺たち2人に襲い掛かった。
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