壺花

戸笠耕一

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ストーリー

19

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 八月十六日。

 午後七時過ぎ。京都駅に近美は降り立った。実家の大津から京都までは十分ほどで着いてしまう。

 着物は群青色に染まり牡丹が咲いている。少し恥ずかしかった。

「よう似合っているわ。かいらしいわ」

「こんな着たことがないわ」

 結衣も同じ着物に包んでいたが、身のこなしはどこかの御寮人さんのようで気品が伴っていた。

「あんたはいけずやわ」

「ほな、行くで」

 御寮人の手は冷たかった。

 京都駅から北に烏丸通りを進んでいく。学校に始めて向かったバスのルートだ。今日は人通りが多い。

 十六日といえばお盆に戻ってきた先祖の霊を送り出す京都五山の送り火がある。夏休みもあと一週間で終わってしまう。淡い気持ちが残る中、結衣は送り火に行かないかと誘われた。

 ちょうど縁起のいい日だ。

 妹の麻衣をきっちりと送り出してあげられるのではないか?

 近美の脳裏に希望がよぎる。

「人がたくさんおるわな」

「そやな。見に来る人が大勢折るわな」

 あ、大やと結衣はつぶやいた。どこか懐かしがるような声にかつての思い出を描いているのかもしれない。

 今出川通りから学校近くの銀閣寺のそばに「大」の文字がぼうっと山肌に浮かび上がる。人々の目は赤い文字に惹きつけられる。

 誰しもが大切なものを喪っている。結衣も妹を喪い、近美も去年祖母を喪った。それでもこうして生きた人が集まって死者を弔えるならば寂しくない。人が死ぬのは誰にも覚えられなかった時だ。近美はなくなった祖母の優しさを
今でも覚えている。

「きれいやな」

 結衣の顔はうっとりとして、頬をどこか紅潮とさせていた。

「暑いな」

「夏やしな。戻ろうか?」

「せやな」

 二人は手を握り元来た道を戻る。二人は本当の姉妹のように、仲睦まじい姿でいた。

「な、まだ帰るつもりはない?」

「さすがや。うちの妹らしゅうなってきたな」

「どこに行くん?」

「今日は泊りや。お姉さんが払ってやる。駅前のシティホテルに幾で」

「予約したんか?」

「そや。一日くらいは付きおってくれ」

「友達の家に泊まるって言っておくから」

「おおきに」

「金は大丈夫かいな? そんなないでうち」

「なんとかなるわ」

 結衣は外に映る無数の光をじっとにらんでいた。さっとカーテンを閉める。結衣の視線が近美を見ていた。

「来ないところにつれて、なんかあるのか?」

 久しく結衣と何もしていなかった。

「ご無沙汰だったわな」

「ふん、珍しくあんたが何もせんから」

「あんまり下手なことは打てんから」

「なんかあるの?」

「うち、モデルになる」

「ほんまかいな。どこの?」

「元子のとこ。あいつの叔母さんが社長をやっていんのや」

「だからお忍びで人を連れだしたんかい」

「ええやないか」

 どこか結衣は言いたいことを言えずにいるようだ。

「何に悩んでいるの?」

「悩んでいるわけやないで」

 近美は喉が渇いた。コップに水を注いだ。

「あんたは妹になってくれへんのか」

「びっくりさせんといて。いきなり目の前に出てこんでよ」

 振り返ると結衣が目の前に立っている。近くで見ても結衣は奇麗だった。本当にモデルになってもおかしくない可愛さだ。

「決心はついたか? そろそろ答えを聞かせてくれ」

 近美は結衣と唇を交わした。コンと近美の手からコップが滑り落ちて、床が水で湿った。

「うちを見とると麻衣を思い出すの?」

「そやな。かいらしいなあ」

「あんたはそればっかり。何がいいの?」

 女同士がベタベタして何がいいのか近美にはわからない。そういう関係性を否定するつもりは毛頭ない。

「あんた、約束してくれるか?」

「なんやキスするのに何もあらへんわ」

「いやや。うちいやなんや」

「今更何言っているの? どんなに逆立ちしてもなあ、あんたはうちの妹になったのに。ちゃうか? 約束したんや。今さら反故にするなんて許さん」

「そや。せやけどうちは近美や。麻衣と違うの」

「どっちでもええ」

 結衣は近美の汗がにじんだ額を舌先で舐める。

「麻衣と違うで。うちは近美や言っているのに」

「なんや。つまらんことでわめくなや」

「はあ? あんたうちを何だと思っているの?」

「うちのかいらしい妹や。少し我儘なやつやけど」

「大概にせえ。うちは麻衣やない。近美や。わかっているはずや」

 結衣はきょとんと近美の表情を眺めていた。まじまじと見つめる目には初めて近美と会った時と同じように未知なるものを興味深そうに見つめる視線を注ぐ。

「ほんまや。あんたは麻衣やないわ」

「当たり前や。なんでほかの人の名前で呼ばれなあかん」

 それもそう、と結衣は一人でうなずいていた。

「なら近美って呼ぶで。それでいいのに?」

「ちゃうわ。名前やけやない。自覚せえ言っているのよ。麻衣はな、死んだのに」

 結衣の心に巣食う麻衣の幻影はいつまでも離れない。これを退治することが付き合う条件だったのに。

「すまん……」

 見ると結衣はぐずぐずと泣いていた。手で拭っても涙はあふれていくばかりで、近美は対応に困った。

「なんや、そんな顔したらモデルになんてなれんで」

「知っとる。麻衣は死んだって。せやけど…」

 近美は涙ぐむ結衣に木箱に収まったティッシュを渡してあげる。結衣はチーンと鼻をかんだ。

「子どもみたいや。あんたのほうがかいらしいわ」

 喪失体験。その気持ちはよくわかる。亡くしたものはもう戻ってこないのだから……だから生きている者同士で互いの傷を舐め合うしかできないのだ。

「あんたの妹の代わりぐらいはできるで。それであんたがいいのなら、うちはもう構わん」

 ただ知ってはほしい。過去の幻影に囚われていても何もいいことは生まないという事実をわかるべきなのだ。

 まだ時間はかかるだろう。

 近美はしばらくの間、首筋にくすぐったい感じを覚えておく必要あった。
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