七宝物語

戸笠耕一

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第5章 火中の救出

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 部屋は相変わらずうだるように熱い。

 キイッと部屋が開いた。なぜだか彼女には開けられる扉。

「お着替えをお持ちしましたわ」

 女の声は、相変わらず人がうっとりするような口調で話す。

「あなたは、私に何を思い近くに寄り添ったのです?」

 希和子は身を引いて言う。

「私は、あなたが皆の欲しいと思うものを全て持っていると思っています。」

 なにを、と希和子は言う。

「お美しい……」

 祥子はすっと主の背を撫でる。

「近くでこうしてお仕えできるのが、なんて崇高なことか」

 気味が悪く、下がってもらおう。不快だ。

 祥子は着替えを手伝うわけでもなく、ただ体を触れるばかりで、何か卑しい感情を持っているように思えた。

 そう、求めていた人は前にいて、望みを叶えるときは来た。

「その手を放しなさい! この……」

「力比べでは、負けませんわよ」

 祥子は、グッと希和子の細い腕をねじる。

「痛い」

 彼女は蛇のようにまとわりついてくる。近くに侍り、親身に寄り添う気遣いの裏に、このような邪心が隠させているのを見抜けなかった己の未熟さを恥じた。

「ふふ」

「あなたに信を置き、己の身と心を委ねた私が浅はかでした」

 組み伏せられる中で、希和子はやっとの思いで言う。その言葉は呪詛に近い。

「いえ、違いますわ。あなた様は今でも私の中に光を見出そうといらっしゃる」

「嘘です。心得違いというものだわ。あなたの心根は腐っている。主を身も心も汚そうと悪と結託した」

「なるほど、一理あるかもしれませんね」

 確かに、祥子が近くで聖女を目の当たりにしたとき、芽生えたのは――嫉妬という小さな芽であった。

「こんなことをして、自分の卑しさがわかりませんか!?」

 咆哮。今、二人の女がもみあいになっている。だが状況はあまりにも一方的だ。片方の女が、もう一方を組み伏せていた。

「陛下は――私の半生をご存じない」

「知りません!」

「でしょうね」

 つくづく威厳だけは確かに身についているのだ。全く。

「少し話をしましょうか? この世界の闇の面について」

「何を言っているの?」

 ずいぶん、昔の話。ある雨の日のこと。

 聖女希和子、十歳のお披露目会の日。

 祥子が、必死に背を伸ばして見た聖女は自分より幼い愛らしい子であった。

 西王に引き連れられ、馬車から降りた聖女はいわば祝福された存在である。皆に注目され、賛辞を贈られる。

 ふと自分と重ね合わせみた。自分もああいう馬車に乗り、皆から注目されたら、とつかの間思った。彼女はお姫様だ。奉公に出ている娘なら、多少なりともそう感じるはず。

 だが家路に着けば、小間使いとして扱われ粗末な扱いを主から受ける。失態を犯せば手のひらを鞭で叩かれる日々が待っている。

 十七という大人の一歩手前まで来た祥子は、何の人生の豊かさを経験していない。一方ですでに欲しい物を手に入れた者がいる。彼女のような年ごろになると、大体は大通りで商いをする売り子になるか、名士の屋敷に住み込みで働くかの選択をした。

 屋敷での奉公は、つらく苦しいものだ。

 今日は雇い主から解放される一日――自由になれる日――若い年頃の女性は、奉公先を離れた。帰省をすることが多かった。でも祥子は、幼いころに両親と死別していたので、特に帰る当てもない。育ててもらった孤児院に戻るわけにもいかない。かといって奉公先にいれば、何かと嫌味を言われるので屋敷を出た。

 その日は、聖女のお披露目の日。

 聖女――存在は、とうの昔に役割を終えて消えたとされた。人々を救い、導く至高の者。だが聖女は皆を祝福された土地に導いて役割を終えた。後は、七人の王に権力を与え、自身は単なる象徴としてあるだけだった。後は、血統が脈々と続いたが、ある時途絶えた。やがて人々は、聖女という存在を忘れた。

 太古の昔の話。失われた時代とか、名もなき時代とか、言われた。

 だが、時代は荒れていく。諸王は戦乱に明け暮れた。血で血を洗う日々が続いた。人々は嘆き、叫んだ。自分たちを救済してくれる存在を。

 なぜ今になって聖女が現れたのか。誰もが不思議がる。でも祥子には、どうでもいい歴史であり、彼女にとって気がかりなのは幼くして人々に畏敬の念を与えられる子が、一体どんな子なのか、そこに絞られていた。

 麗しい姫君。集う大勢の群衆の間から垣間見られる姿は、そんな感じだ。この子なら、お仕えできると思えた。ああ、魯鈍で愚図なうちの家主とは大違いだ。

 だが宮廷でお仕えするには、コネクションが必要だ。例えば、名家や議員の出などだ。

 叶わない夢だ……

 願うことのない夢を見続けている。休みの時に捨てきれず屋敷から近い宮殿をよく眺めていた。そこに自分が住む情景を思い浮かべていた。

 帰りたくもない家路が点々と続く。

 無機質な白い塗装が少し剥げた屋根が見えてきた。もうじき屋敷だ。足取りが遅くなり、止まった。

 戻りたくない……

 祥子は来た道を振り返った。

 行くべきは細い道をまがった大通りの先にある宮殿。

「視線の先に見えるのが理想、でも君が行こうとしているのは受け入れたく現実――」

 詩を諳んじたような声が聞こえた。彼女は、びっくりした。

「そうじゃない?」

 男だった。驚いた彼女の表情は、次に眉尻をひそめ、相手をにらんだ。不審な者に対する当たり前の挙動だった。

「君のことは、よく知っているよ。ほらいつも宮殿を羨ましく眺めているね?」

 男は白い服に身を包んでいた。背は高く、色白。壁によりかかり、長い脚を組みながら話を続ける。被った帽子のせいで表情が見えづらい。だが笑みを浮かべた口元は、人を惹き付ける魅力に富んでいた。

 しかし祥子にとっては、怪しい不審者でしかない。

「そう睨まないで。怖い顔はしない方がいい」

「何ですか?」

 祥子はむっとなった。体面はいいのだが、どうもいけ好かないのだ。何か、人を小ばかにしたような、上からの視線というか、もやもやした得体の知れない男だ。

「君は、今のずんぐり太っていて、定期的に罵倒をする家主なんか捨てて、麗しくて可愛い聖女にお仕えしたい」

 この男は?

 まるで自分の心を見透かしたような。人の心を朗読するような滑らかな口ぶり。

 きっと頭が変だ。無視しよう。相手にしてはいけない。祥子は踵を返すとスタスタと歩き出す。

「ああ信じてくれないのか」

 男はわざとらしいため息をつく。困ったという顔を作り、彼は指を鳴らした。

 妙なことが起きた。あまりにも突然で、理解のしようがないことだ。

 祥子の身なりは、薄汚れた布で作られた服で、地味で、貧弱な印象しかない。髪もゴムで結わいただけだ。しかし、そこにいる彼女は水色の淡いドレスをまとい、ブローチを付け、髪をきれいなかんざし止め、立派な貴婦人がいた。

「あなたは――魔法使い?」一瞬にしてすっかり自分の姿形を変えた男を信じられないという顔で見返す。

「そうさ、そう思ってくれていいよ」彼は笑う。彼は話す。「もっと僕の魔法を見たいかい?」

 また彼はパチンと指を鳴らす。彼の姿は消えた。代りに、表れたのはリスだ。

 リスはきょろきょろと辺りを見渡す。小さな足をテテテと前に進ませ、祥子の肩に止まる。

 何てことだろう……

 やがてリスは消え、すまし顔のいい顔立ちをした男がまた祥子の目の前に姿を現した。

「どうだい? 僕なら君の夢をさらりとかなえて上げられると思わない?」

 祥子はごくりと、唾をのむ。

 この男は、すごい。得たいが知れないけど、信じられない力を感じる。内面は、謎だったが、とてつもない力の持ち主であることは間違いない。

 不意に二人の間を風が吹き抜ける。風は東から吹いていた。サーっと心を貫く冷たい風だった。

「君は強い。誰よりも、きっと聖女の心をつかめるさ。さあおいで」

 言葉は風に乗ったかのように力強く人を説得する強さを持つ。男が手を差し出す。祥子はそっと彼の手を取り、目の前の現実を捨てた。

 今、こうして聖女のそばにいて、お仕えできるのは彼――聡士のおかげだった。

 最初は自分をなぜ宮廷に送り込んだのか、教えてくれなかった。でも今になって彼の智謀の深遠さ、凄まじさを知り恐れ入ったほどだ。自分は彼の計画の一番おいしい部分を頂いている。

 こんな芸当ができるのは、彼が後になって七つの宝を持つ王の一人であると知ってからだ。なるほど王ならば。だが彼は並みの王ではない。優れた智謀と力を持ち、大勢の人々の心を操ることが出来る存在――彼を人は魔術王や、奇術師と呼んだ。

 自分は間違いなく彼の一番の弟子であり、聖女ですら手駒にとれる力を持っている。

「あなたは、私に何をもって近づいたの?」

 祥子がずいぶんとみじめな生活を強いられていた少女の一人だったこと、また聖女である自分を羨ましいと感じていたこと、全ての望みを叶えてくれる存在に出会えたこと。

「本当に――、本当に、あなた様はこの世界の光しか知らないのですね」

彼女はクスリと笑う。

 おかしい、自分だけがいい思いをするのは不公平というのだ。

「やめてよ。やめて」

 でも今は打開する力を持っている。パチンと指を鳴らせばいいと聡士は言った。まさにそうだった。現に、聖女は私の目の前で身動きを取れず、抗うことができない。

 また魔法を使った。希和子の両腕両足は布で縛られ、体を大の字にさせられる。屈辱だ、なぜ彼女が……

「あっ……」

「十七のときに仕えていた家主は、中々のサディストでしたのよ」祥子はそう言って首に結わえた布を締め上げる。

「ああ……」

 のどが絞まっていく。苦しい。何が苦しいのか、単にのどが絞まるだけではない。希和子自身が祥子の救いがたい闇に犯されていくことにもあった。

「緩めてもらえる? そうしてくれる? あなたの中には、多分そうなるという楽観的観測が見受けられますわ」

 あるとき心に変化が生じた。祥子があこがれていた者への願望が、羨望に変わり、やがて嫉妬に形を変えつつあることを。祥子は否定しなかった。

 むしろ楽しんでいた。心が歪み、堕落していくことを欲していた。きっと快楽とは歪んだ状況でしか生まれ得ない。

「お願い……お腹の、お腹の子だけは」

 床に手を付き、膨らんだ腹を希和子は抑えながら訴えた。失いたくないもの、かけがえのない生命、次の聖女となるべき存在。もうじき母になろうとしている女。

「はい陛下。お辛いのですか?」

「いやよ、殺さないで」

ふふ、殺さない。殺すわけがない。こうして少々苦しい思いをして、味わってほしいだけだ。苦労とは何かを……

 聡士は言った。相手を従えたければ、罰を与えすぎても優しくし過ぎてもだめだと。じっくりと双方の加減を見極めながらやらなければ、と。

「でも今少しばかり私のお遊びに付き合ってくださいますよね?」

 祥子はにっこりとほほ笑む。偽りの希望がそこにあった。絶望より深く救いようがない程に絶望的だった。
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