七宝物語

戸笠耕一

文字の大きさ
上 下
56 / 156
第5章 火中の救出

2

しおりを挟む
 祥子は、たかが書類に署名をさせるだけに一時間を費やしていた。聖なる腕輪もない、ただの娘を操るのに手こずるとは。少々なめていたか。

 希和子の意志の強さは、悪しきことを一切受け付けないのだ。

 だがやっと西王から玉座を奪い取り打倒する文を書いてもらった。聖女はわが方にあり、彼女は王の任免権を持つ唯一の存在だ。彼女の裁定を覆すのは王でも厳しい。

 希和子は疲れ果て寝所に横になった。重大な役割を担ってくれた。さっそく届ける必要がある。

 部屋を出て向かったのは王の間だ。次の作戦会議で誰一人として入出を禁じされている。尋ねれば激怒し、最悪殺される。火の王は実に気が短い。

「殿下、殿下」

「誰だ!」

中からけたたましい猛獣の雄叫びが、扉越しに聞こえてくる。やはり邪魔が少しでも入ると怒るのだから。

「私でございます。祥子です」

 やがて重くがさつな足取りがして、向こう側の扉の前にやってくるとバンッと大きな音がして高さ数メートルある黒い扉が開いた。

「入れ」ぶっきらぼうな言い方だった。

「はい、失礼を」

 祥子は一歩後ろに下がり、スカートの裾をつかみ、膝を下げる。宮廷で仕込まれた礼儀作法である。火都では、全くと言っていいほど不要なものだ。

「挨拶はいい。入れよ」

 彼女の入室も礼儀正しかったし、存在は侍女や妾の中でも一線を画していた。

「お忙しいところ恐縮ですが、ご期待に応えるお品をお持ちいたしました」

「お、本当かい?」聡士が興味深そうに言う。

 王の間は広い。白い大理石で敷き詰められ、壁伝いに人口の滝が流れている。水は、そこを起点とし、川となり大理石の間と間を蛇行しながら部屋の端々を流れ循環している。

 唯一火のない領域だ。暑さがなく、王に気に入られた者しか入出ができない部屋である。

 祥子は川に掛けられた橋を渡り、王が座すスペースに向かう。

「こちらですわ。私苦労しましたのよ」

「ああ、そうだろうね。おしえてもらってすぐには、人は操るのは難しいよ」

「何をしてきた?」

「西王に対する王の罷免と打倒の文ですわ、聖女直筆の」

「なに?」

 猛留の表情が変わって、声も裏返る。

「ちょっと貸してみろ」

 祥子の手にした誓紙を猛留は見てさらに驚きを露わにした。

「お前、どうやった?」

「はは、催眠術だよ。ここ数日で急いで教え込んだのさ。いけない、もっと早くから教えとくべきだった。君は素晴らしいよ」

「確かに姉さんの字だな」聖女直筆の西王打倒の文だ。

「これを刷り、全国にばらまくのさ。そして西王の評判を地へ落とす。相手は聖女の逆賊だ。立場は――」

「逆転」聡士は肝心なところを猛留に言わせた。

「よし、でかした。でかしたぞ」

「今、姉さんはどうしている?」

「大役ご苦労さまとおっしゃってあげてください。すっかり疲れて寝込んでおります」

「そうか、そうだよな」猛留はうん、うんと納得の表情をする。

「もうあの部屋から出してあげてもよろしいのでは?」

「いやもうちょいこの国の流儀を学んでもらいたいな」

 猛留はにやりと笑う。

「まあ酷なことを」

「いいけども、猛留――侵入者が来ているよ」

「本当か?」

「まさか山を越えて来ているとはね、さすが向こうも対応が早い」

「誰だ?」

「姉さんさ、僕の」

 ああ、と猛留は顔を手で覆う。厄介な奴が来やがった。

「あとフィアンセもね」

「フィアンセ?」

「あのどこの馬の骨ともわからぬ流浪人でしょう」

 全くうっとうしい、と祥子は最後に付け加える。あの男さえ、いなければもっと啓作はスムーズに移行したのに。とんだお邪魔虫であった。

「聡士、お前何とか対応してくれ」

 わかった、と聡士は返事をした。

「なら私は陛下の御そばに」

「頼む。じゃ俺は正面に押し寄せてくる敵を蹴散らす」

「やんわりいなすだけでいいよ。文をまき散らせば、皆混乱してきっと意見が割れるからね。この世には西王に不満を持つ輩は大勢いる。勝機はある」

「いいぜ、ただお前の考えるいなしとはちっとは違うぜ?」

「細かいところは好きにしてよ。じゃあ早速対応に当たるよ」

「ああ」

 聡士はフッといなくなる。現身幻滅の術。王ならだれでもできる姿隠しの離れ業である。

「では私も」

「待て」

「なんです?」

「そう急いで行くこともないだろ?」

 猛留は二人きりになり、つい欲が出た。ほっそりと細い彼女の腕を捕まえ己の懐に手繰り寄せる。

「お戯れを――私は殿下のお邪魔虫になりたくありませんわ」

「お前は俺の妾だ。王の相手をしろよ」

「そうですのね」

「何だ。最近冷たいぞ?」

 フフ、祥子は笑う。相手を誘惑しているのだ。

「何だよ?」わけがわからない。時々女と言う生き物は行動が謎だった。

 まあいい。猛留は、手で彼女の臀部を触る。たくましく、濃密であった。

「いやらしい手」

 二人は笑う。ここは王の魔窟だ。流れる川は蛍光塗料により七色に輝き、その場で戯れる二人をより一層彩っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

くノ一その一今のうち

武者走走九郎or大橋むつお
ファンタジー
お祖母ちゃんと二人暮らし、高校三年の風間その。 特に美人でも無ければ可愛くも無く、勉強も出来なければ体育とかの運動もからっきし。 三年の秋になっても進路も決まらないどころか、赤点四つで卒業さえ危ぶまれる。 手遅れ懇談のあと、凹んで帰宅途中、思ってもない事件が起こってしまう。 その事件を契機として、そのは、新しい自分に目覚め、令和の現代にくノ一忍者としての人生が始まってしまった!

龍騎士イリス☆ユグドラシルの霊樹の下で

ウッド
ファンタジー
霊樹ユグドラシルの根っこにあるウッドエルフの集落に住む少女イリス。 入ったらダメと言われたら入り、登ったらダメと言われたら登る。 ええい!小娘!ダメだっちゅーとろーが! だからターザンごっこすんなぁーーー!! こんな破天荒娘の教育係になった私、緑の大精霊シルフェリア。 寿命を迎える前に何とかせにゃならん! 果たして暴走小娘イリスを教育する事が出来るのか?! そんな私の奮闘記です。 しかし途中からあんまし出てこなくなっちゃう・・・ おい作者よ裏で話し合おうじゃないか・・・ ・・・つーかタイトル何とかならんかったんかい!

斬られ役、異世界を征く!!

通 行人(とおり ゆきひと)
ファンタジー
 剣の腕を見込まれ、復活した古の魔王を討伐する為に勇者として異世界に召喚された男、唐観武光(からみたけみつ)……  しかし、武光は勇者でも何でもない、斬られてばかりの時代劇俳優だった!!  とんだ勘違いで異世界に召喚された男は、果たして元の世界に帰る事が出来るのか!?  愛と!! 友情と!! 笑いで綴る!! 7000万パワーすっとこファンタジー、今ここに開幕ッッッ!!

プラネット・アース 〜地球を守るために小学生に巻き戻った僕と、その仲間たちの記録〜

ガトー
ファンタジー
まさに社畜! 内海達也(うつみたつや)26歳は 年明け2月以降〝全ての〟土日と引きかえに 正月休みをもぎ取る事に成功(←?)した。 夢の〝声〟に誘われるまま帰郷した達也。 ほんの思いつきで 〝懐しいあの山の頂きで初日の出を拝もうぜ登山〟 を計画するも〝旧友全員〟に断られる。 意地になり、1人寂しく山を登る達也。 しかし、彼は知らなかった。 〝来年の太陽〟が、もう昇らないという事を。  >>> 小説家になろう様・ノベルアップ+様でも公開中です。 〝大幅に修正中〟ですが、お話の流れは変わりません。 修正を終えた場合〝話数〟表示が消えます。

呪われ姫の絶唱

朝露ココア
ファンタジー
――呪われ姫には近づくな。 伯爵令嬢のエレオノーラは、他人を恐怖させてしまう呪いを持っている。 『呪われ姫』と呼ばれて恐れられる彼女は、屋敷の離れでひっそりと人目につかないように暮らしていた。 ある日、エレオノーラのもとに一人の客人が訪れる。 なぜか呪いが効かない公爵令息と出会い、エレオノーラは呪いを抑える方法を発見。 そして彼に導かれ、屋敷の外へ飛び出す。 自らの呪いを解明するため、エレオノーラは貴族が通う学園へと入学するのだった。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜

駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。 しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった─── そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。 前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける! 完結まで毎日投稿!

処理中です...