七宝物語

戸笠耕一

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第4章 さまよう聖女

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 しばらく馬車は走り続ける。車内はひっそりと静かになる。

「ついたね。降りるよ。ね、手足の枷を外してあげて」

「はい、仰せのとおりに」

 祥子は懐に閉まっていた鍵を取り出す。

 カチャカチャと音がして希和子は手足を動かせるようになる。彼女は機会をうかがっていた。逃げ出すチャンスを……

「あ!」

 枷を外され自由の身になった希和子は、祥子が馬車を降りるのを待った。背を向けた瞬間に隙がある。

チャンスはやって来た。

希和子は、迷いを振り去り、ドンと祥子を突き飛ばし、急ぎ馬車から降りどことなく駆け出す。

外は真っ暗で未知の世界。辺りに該当もなく、やけにひんやりと寒い。果たしてこの格好で逃げられるのか。

 ここはどこだろう?

 知らない土地。日は暮れ、辺りは真っ暗だ。でも逃げないといけない。私は聖女であって、都にいなくてはいけない。恐らく都は自分がいなくて大騒ぎになっているはずだ。

 彼女の頭にあったのは、帰還だけだ。

 逃げないといけない。そう思い駆け出したときだ。

「きゃ」

 ドシンとぶつかり、希和子を弾き飛ばした何かは壁のように固いが壁ではない。人であった。

「やあ姉さん、久しぶりに会えてよかった。先ほどのご挨拶は実に素晴らしかった、さすがは姉さんだよ」

「誰ですか、あなた?」

 話しかけられたとっさに相手に切りかえす。

「おいおい、唯一の身内である弟を忘れるなよ」

 ぽうっと彼の顔が光る。光源は彼が持っていた棒にある。奇妙な棒だ。いや違う。先端が三つにさけて、鋭く尖る。武器だ。さっき見た人の肉を抉るためにつくされたおぞましいもの。

「俺さ」

 目の前にいる人物の正体も。

「あ、あなた――」

 希和子は弟の猛留の顔を見るなり、反対方向に逃げ出した。しかしそこには、聡士と祥子が待ち構えていた。

「頼むから逃げないでよ。ここは、もうずいぶん都から離れている。当てもなく逃げるのは危険だと思わない?」

 逃げ場を失った彼女を背後から忍び寄る魔の手が捕らえた。

「まあいいさ」

 後ろからにゅっと伸び出た手は鋼のように固くとても振り払えるものではない。

「やめて」

「会えてうれしいよ」

「その手を放しなさい!」

「いいよ、ほら」

 猛留は言われた通りパッと手を放す。

「でもどこへ行くつもり?」彼はからかい交じりに聞く。

「どこって――帰るに決まっているでしょう!」

「素晴らしい。君はまだ民のために聖女としての役割を果たそうと。でもそれは聖都じゃなくてもいいのでは?」

「駄目です」

「僕らの都にも来てほしいな。火都で聖務に励んでほしい。姉弟二人、信頼できる下僕と仲良くやって行こう」

「陛下、ぜひここは臣下の王をご信用下さいまし」

「行きたくありません」

「だめだよ。それはできない相談ですよ」

「私は聖女ですよ!?」

「姉さんは姉さんさ」

「あなたとは、すでに契りを絶ったはずです!」

「あーあ、ひどい、ひどい。あれは事故だよ、なにも父さんと母さんを殺したくて殺したわけじゃない。最もこいつの力を制御できなかった俺が悪いけど」

「あなたが殺したのよ!」

「やってはいけないことをしたよ」

「あなたが――火で焼き殺した……」

 希和子の声は憂えている。そして瞳には涙が宿っていた。

「ね、こうして久しぶりに姉弟再会したのに、責めてばっかりいたら酷だよ」

 いつの間にか背後に聡士がいてポンと彼女の肩に手を乗せる。

「彼はもう立派な王として民をしっかり束ねて、罪を償っているし」

「嘘おっしゃい! 力で押さえつけ民を酷使していると聞いています」

 希和子はヒステリックに叫び続ける。

「一度、業を犯した者は、一生業を犯し続けます!」

「あーいいよ。早く行こう。聡士、さっさと頼むよ」

「悪いね」

 聡士は、すっと希和子の額に手をやり、彼女の瞳を見ながら呪文を唱える。

 すると希和子は、前後不覚になりカクっと崩れ落ちるようにして聡士の手に滑り落ちた。

「大人しくなった、うるさい女は嫌いだよ。どうすればこっちの言うこと聞いてくれるかな?」

「お得意の懲罰はどうだい?」

「やるわけがないだろ? 真面目に答えろ」

「ならば、私にお任せくだいませ」

「おう、策でもあるのか?」

「さあ、殿方はすぐに策、策と申しますが、私の考えは果たして値しますかしら?」

「何でもいいよ。とにかく言いな」

 猛留は、まどろっこしい言い方は嫌いだ。でも祥子のようなお気に入りの妾は、特別だ。

「私、陛下の御そばにお仕えした身。ですから色々とご心中察することが出来ると思いますの」

「ああ」

「まずはゆっくりとお気持ちを汲み取り、お話を聞き、火の都に馴染んで頂くしかござません。大事なのは誰がその役を担おうかですが……」

「で、時間はどれくらいかかる? いつまでも聖女様のお話ばかり聞いてもらっても困るな」

「そう、そこが難しいところ……」

「なんだ、そりゃ?」

 猛留は訊いてあきれる。結局この女は何が言いたい?

 グリっとこぶしに力が入った。だが、横で大きな笑い声がした。

あはは、と大きな哄笑。聡士は片手で顔を覆いながら、引きつった笑いを続ける。

「あー、面白い。実に痛快だよ。全く君って人は」

「おい、何を笑っている?」

 わけがわからない。意味不明だ。

「いいよ、いいよ。祥子にすべてを託そうよ。彼女なら適任だ。ほら、僕らはすっかり彼女に嫌われているからね」

「ええ、残念なことに」

 祥子はにっこりと笑って相槌を打つ。

「まずは聖女が当方にある限り、我々は正規軍だよ。たてつく者は皆賊軍だ。たとえそれが、西王であってもね」

「腕輪はどうする?」

 猛留は、こちらに聖女がいるのと同様に、向こうには聖なる腕輪がある。先方があれを旗印に攻め込んでくることを危惧した。

「腕輪は聖女と一緒じゃなきゃ、ただの装飾品さ。何の役にも立たない、まぶしいだけの御利益のない代物さ」

「戦は?」

「うーん、まだ気が早いよ。戦いは、聖戦にしないといけない。ならば聖女の聖断がなければいかない。彼女が僕らの意志を受け入れてくれないと」

「厳しいだろ?」

「僕たちじゃ無理かな。でも、祥子なら」

「ほお」

「ねえ猛留、祥子がお任せくださいって言った意味理解している?」

「ああ分かっているよ。だけど……」

 猛留はそっと左腕で右腕をつかむ。今でも傷む。かつての古傷が、痛みを伴っていた。

「ご安心を。陛下の御身がある限り、いかに西王とて攻めてくれますまい」

「よし、いいだろう。任せるぞ――聡士、転変の準備を頼む」

「はい、了解」

 聡士は、クルッと指で円を描いた。するとポンと古びた本が出てきた。彼はページをぱらぱらとめくり、読み上げる。

「あ、ああああああっ!」

 咆哮。

 彼の身体は両手で地を這い、悶え打った。彼の身体に変化が起きる。指先は鷲鼻のように尖り出し、顔は縦長に伸びる。やがて服は裂け、体はバキバキと音を立て巨大化していく。

 呪文は、猛留の身体を変貌させていた。王は身なりを所有する宝の性質によって変えられる。

 本来王なら、自ら己の姿かたちを変えられる。しかし猛留の場合は違う。

 彼の力は巨大で、自身でも抑えきれない部分がある。転変は、王の力をすべて解放した姿である。彼が自ら転変を行うのは危険を伴うことだ。力に飲まれれば、一生人の身なりに戻れなくなる。魂を宝に吸い尽くされるまで龍として虚しく暴れ続ける羽目になる。

 結果、彼は制御に長けた聡士を相棒に持つことで、力の制御を委託した。聡士は猛留の力を熟知していた。彼の力をうまく利用し敵を幾度となくなぎ倒してきた。

 目の前に巨龍が現す。体長は三十数メートル。全身を血のように深く赤い鱗に覆われ、なまこは黄色く濁り、口と鼻からほとばしる吐息は生暖かい風を起こす。

 やがて龍は身をおこし、天を仰ぐ。そして腹からこみ上げてきたものを吐き出した。

 紅蓮の火焔が、夜空を突き刺す。

 辺りはパッと明るくなり、周囲の森が焼け、パチパチと火花が散る。

「威勢がいいな。さ、一足飛びで帰ろうか!」
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