七宝物語

戸笠耕一

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第五部 美しき王

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王の魂胆
 
 黄昏時。美しき王は窓の外を眺めていた。西日に照らされた白亜の都は紅に染まり、やがては暗黒に身をゆだねるばかりだった。美しいばかりの景色をそう長くは味わえないのが心残りだった。多くの者から信頼をもらっても、聖女の目だけは欺けない。やはり手に携えた聖なる腕輪がある限り、王の邪気は取り繕っても隠し通せるものではない。しかし成果はある。美しき王はすでに多くの聖族たちから信頼が高い。何より大帝の妃なのだ。ここまではうまくいっている。降伏を遅らせたのも、獄車につながれ人々の好奇の目に晒されたことも、すべては聖都と新都を少しずつ自身の手にするためだ。さらなる力を勝ち得るために計算することは王の宿命である。美しき王は、王の宿命に何もためらいもなかったが、大それた野心を笑顔で包み込めるだけの術を会得していた。

 それにしても、あの娘だけは厄介だ。賢しい小娘に過ぎないが、聖女という立場は気を遣う必要がある。娘は気丈で機知に富み、他の家族たちとは違い、傑物の雰囲気を漂わせていた。あれを操るのは至難の業。ならばどうすると美しき王は考える。

 美しき王はカーテンを閉めて、背後を振り返る。どうやら向こうから来てくれたらしい。

「そのようなところに隠れて、いささか窮屈でございましょう」

 客室には誰にいないはずだった。つい数時間前までは。美しき王はおもむろに歩み、机の前でしゃがむ。机の内に小さく丸まる娘がいる。美しき王は手を差し伸べ、娘を連れ出した。娘は美弥子妃だった。

「無礼をお詫びいたします。ただどうしてもお時間を頂戴したいと」

 美しき王は笑顔を絶やさない。何事もこうすることが一番なのだ。

「お気になさらず、聖族の方はお忍びがお好きですこと」

「え?」

「いいえ。なんでもございませんわ」

 美弥子妃は明日にでも去る王と接触したいと願っていた。本来なら聖族の間に戻らないといけないが、皇宮の長でもある地位を利用して密かに王に密会を図ったのだ。

「大事な御用なのでしょう。まずはおかけになってくださいまし」

「ええ」

「さあ気を落ち着かせて。一体何があったのです?」

「あなたは、陛下にあそこまで邪険に扱われて何とも思わないのですか?」

「邪険?」

「ええ。まだ来訪して浅い王を何もすぐに出立せよとは、あまりにもひどい仕打ち。王は我々聖族の信も厚く、民衆の評判もよいというのに」

 美弥子妃の顔に悲しみが灯る。身を案じるその言葉に美しき王はそっと顔を背ける。

「私は大帝陛下の意に背き反逆した身。本来ならば首を刎ねらえても仕方がないものでございます。それを赦免され、領地と民の統治を委ねられたのです。大任を忘れてご厄介になるなど畏れ多く。お優しい妃殿下のお言葉とはいえ、ご希望には沿えかねます」

「あなたは! この私を置いて戻ってしまうの? 今、聖族の者たちは陛下の心中を察せず測りかねております。もしあなたがいれば助けになるというのに!」

 美弥子妃は心の存念を吐露した。感情を押さえて生きてきた妃にとって自分でも予想外の行いで、すぐに恥じた。

「私としたことが、お許しください。あなたの立場を慮れず」

「いいえ。陛下の心中は図り難きものでございます。あのご年齢で位を継承し、民の安息を願うのですからご心労は察するにあまりにございます。もちろんあなた様の献身なお心も」

「私の心なんて。もうそんなもの」

 美弥子妃は涙した。美しき王の思いやりのある眼差しに涙せずにはいられなかった。

「一人で苦しむことはありませんわ。短い時間でよろしいなら私が力になることなら」

「やはり思っていた通りですわ。あなたは一族のためになる方だわ」

「私では力不足でございます。王位を継承して宮殿にいるだけ」

「なら私と一緒。私もただいるだけの器に過ぎませんわ。陛下に進言しても聞かれず己が道を進まれてしまい、私は置いて行かれる始末」

 なるほど。美しき王は得心した。どうも聖女は自らの考えが強く、周りの意向を聞かず困らせている。しかもその事実を把握していない。妃は内情を知らせてくれた。大事なことだ。まさか皇宮長ともあろうものがこうも容易く手中に転がり込むとは。

「ならば私は互いに協力し合う立場ですわ」

「本当にそう思ってくれるのですか? ならば」

「しかし聖都にはおれませぬ。やはり王は領土の保全を守る者。ただ私は大帝の妃。密かに新都に身を寄せる所存でございます。領土は幸いにしてよき配下の者にしばし任せてみようと」

「新都?」

「ええ。我が都ははるか東方。しかし新都ならば数日もかからない距離にございますわ。妃殿下や聖族の方々がご来訪の際は、ぜひとも私を訪ねて下されば。僭越ながら御助力できるかと存じます」

 しかし美弥子妃の顔は浮かばない。

「とても素晴らしいことだけど。私は、いえ聖族の方々は皆あの大帝を恐れているのです。大帝は武功ばかり求め、暴虐を極めた方。争いごとを我らは好みませぬ。ゆえに新都に脚を踏み入れようとする者は少ないのです」

「大帝のことはご安心を。私が荒ぶる魂を沈めてごらんに入れます。私は大帝の妃でございます。大帝と皆様の橋渡しになりとうございます」

「お任せするわ。あなたならば可能かもしれないわ」

「妃殿下は何も案ずることはございませぬ。陛下のお傍でこれまで通り、信を」

 美弥子妃はすっと美しき王に身を寄せる。もはやここまで体が思うように効かないとは。

「殿下?」

「不思議なのね。あなたを初めて見たときに何か感じてしまったの。女人の身でありながらどうして同性に」

「私のような穢れた者に触れては殿下の美しきお体に触りまする」

「あなたがどうして汚れているの?」

「私は王のみ。王の邪な気配に、高貴な身のものが触れては」

「いいのよ。いっそ汚れてしまいたい。こんな器だけの自分に何の価値があるというの?何もない器は空しいもの」

 美弥子妃は知らず知らずのうちに美しき王の放つ情欲の力に吸い取られていた。見つめ合うだけであったが、妃はそっと王の唇に触れた。

「とても柔らかいわ」

 こうまでしてもらったら、もう長居は不要だった。戻らないといけない。美弥子妃は現実を見た。聖女の妹、皇宮を取り締まる立場だということだ。だが、去ろうとしたとき王の白い腕がすっと美弥子妃を掴んだ。

 目と目が合った。妃は動けなかった

「何もお急ぎにならなくても」

 美しき王の目は愛くるしく、妃を離さなかった。ここで離せば効果は薄れる。たっぷりと注ぎ込む必要がある。愛という毒を妃の体に。大きな獲物だった。まずは外堀からゆっくりと埋めていこう。この娘を土台にして。
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