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第五部 美しき王
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「私はこれから?」
「あなた様は陛下の初子として生まれ変わるのです。今までの地位と名誉を捨てて、自らの罪と向き合い、陛下のお考えを体現する役割を担います」
「大変光栄ではありますが、私のような不束者に務まるのかしら?」
「生まれ変わるのです。こちらへ」
美弥子は静々と千紗の後を付き従う。もはや己の罪を払うには、王の家臣になるほかにない。本国に戻っても元通りの生活は送れるはずがない。
「千紗様、私は悔い改めねばと思っております。でも道が分からないのです」
「美弥子様、急ぐことはありませんわ。これは難しき道です。ここへお入りなさい」
千紗に誘われてきた場所は高くそびえる五連山の麓であった。かつて大帝が住まいし時、
聖女希和の奪還をかけて、密かに通った王の道の入り口があって、今はレンガ造りの礼拝堂がある。
「ここは?」
「始まりの場所です。皆ここで陛下の飲まれている泉の水を浴び、体を清めて宮仕えとなるのです。皆さまお連れしました」
「ようこそ」
女人たちは一同に同じ声を言う。
「私は洗礼を終えた後に会うことにしましょう。皆さま、この方をお任せ致します」
美弥子は見知らぬ女人たちをまじまじと見ていた。誰もが笑顔を絶やさず不安に駆られた美弥子を暖かい目で見守る。
「私はどうしたら?」
「まずはこちらへ」
美弥子はまたも奥の部屋に連れてかれる。そこは丸い木の椅子が置いてあり、黒いカーテンが引かれていた。何が始まるというのだろう。
「おかけください。これよりあなた様は自らの罪を打ち明けなければなりませんわ。しかし怖がることはないのです。罪を打ち明けることから洗礼は始まるのです」
「怖いですわ。私はあのような!」
「正直に話すことは怖い事です。でも乗り越えなければ」
「かしこまりました」
女は部屋から出ていった。やがて部屋の照明が落ち、真っ暗になった。美弥子は全てを失うきっかけになったあの惨劇を思い出した。今の私は皇位をはく奪され、地位も何もない。今の私は暗黒に身をやつしている。このような状況からどうやって。
「美弥子様ですね」
その声はどこからともなく聞こえてきた。
「あなた様のお話をお聞かせください」
「あなたは?」
「私は陛下の代理人。御多忙なあのお方に代わり、あなた様の御心に耳を傾ける者でございます」
「私は」
美弥子は一気に罪を白状しようとしたが、果たしてあの出来事だけが罪なのだろうかと思っていた。
「急ぐ必要はありません。時間を要する者もおりますわ」
「私は分からないのです。何が罪なのか、どうしてそうなったのか、分からないのです」
「分からない?」
「はい。私は殺生を致しました。しかしそれは陛下の品位を貶め入れる者がいたからです。かの者は公然と陛下を非難しておりました」
「あなたは陛下のためを思い、殺生をしたというのですか?」
「はい」
「それでは侍従の後始末を依頼したのは?」
「怖かった。ただ自分の地位が失われるのがとても怖かった。でもあの娘が捕られ、刑に処されると聞き、私はおのれの所業の浅はかさに気づいたのです」
「あなたは沈黙を守れば侍従の命と引き換えに、自身の地位は確保できると考えなかったのですか?」
「考えました。でも私にはできなかった」
「それはどうして?」
「罪なき者が死にゆこうとしているのです! 私が! ああ! どうして!」
「お心を確かに。まずは胸にお手を当てなさい。深く息を吸って吐くのです。それを繰り返しなさい」
「はい」
感情の高ぶりをなくさなければと、美弥子は自身に言い聞かせる。
「あなたは陛下の信厚き者として友好を接せられたが、同胞のあまりの所業に耐えかねず激情に駆れて殺害してしまった。その罪を小間使いに言って始末をさせたが、失敗してしまった。小間使いが刑に処すことに罪悪感を抱き、自らの罪を陛下に奏上した」
「おっしゃる通りですわ」
「あなたは陛下を心から理解しておられない」
「そんなはずは、現に私は」
「陛下はあなた様の思い人でも、ご友人でもござりませぬ。まるで己が大事なものを穢されたというような考えは御捨てなさい」
「陛下は一体なにと?」
「陛下は兆しなのです。朝起きるとき、家族と話すとき、食事をするとき、ふと窓の外をごらんなさい。そこにひっそりとたたずんで見守る気高きお方が陛下なのです。あなた様は気高きお方に欲情を抱き、我が物にせんと心なしか思っている」
「私は」
「言葉が出ないということはまさしく答えが傍になるのです。欲情に駆られ、人を殺めてしまうことが罪ではありません。尊きお方を欲するという感情が罪なのです」
「欲するという感情が罪?」
「あなたの業はとても深い。清めるためには一生涯かかるかもしれません」
「そんな」
「しかしあなた様の道は開かれました。これより洗礼を受ける資格を得たのです」
そういうとさっと灯りが付いた。
「さあご自身の罪と向き合えましたか?」
ええ、と美弥子は力なく言った。
「これより洗礼の儀を行います。どうぞこちらへ」
美弥子は部屋を出て、礼拝堂の前に膝を折った。
「その前に、お召の物をお脱ぎにならないといけませんわね。さあこれへ」
「ここで?」
「ええ」
美弥子は付けていた装飾品を取り、衣を脱ぎ下着姿を晒す。にこやかな笑みを絶やさぬ者たちに小恥ずかしさを感じる。
「その可憐な下着も」
「恥ずかしいのです。せめて隠す何かを」
「いいえ。御身を我らの晒す勇気がなくて洗礼はできませぬ」
「わかりましたわ」
小間使いでもないものに素肌を晒すなんて。美弥子の心には皇位にいたという気位が邪魔をしていた。それでも自分はここで生きるほかにないのだからせねばならない。
「よろしくて?」
「首につけているお飾りもお外しなさい」
「これは母のお形見です。とても」
「いいえ。あなた様のお母上はこれより陛下。皆洗礼を受けたものは陛下の初子であり、平等であります。自らの所有物は陛下に差し出すのです」
「わかりました」
美弥子は礼拝堂の中央で一人裸身になり、身を周りに委ねた。音楽が流れてきた。奥の扉から女たちが甕を持ってきた。
「あなたは今このときから聖なる泉の水により清められ、罪の浄化を始めます。ここに誓いを立てなさい」
「はい、仰せの通りに」
「これより侍従として陛下の恩ために尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
美弥子が誓いを立てるたびに頭上から水が注がれる。誓いは12個あった。すべてが終わると、美弥子は麻衣に着替えて、洗礼は終わる。聖女の二女であり、皇宮の主だった美和子は死に、新たに王の侍従十和子が生まれた。
「あなた様は陛下の初子として生まれ変わるのです。今までの地位と名誉を捨てて、自らの罪と向き合い、陛下のお考えを体現する役割を担います」
「大変光栄ではありますが、私のような不束者に務まるのかしら?」
「生まれ変わるのです。こちらへ」
美弥子は静々と千紗の後を付き従う。もはや己の罪を払うには、王の家臣になるほかにない。本国に戻っても元通りの生活は送れるはずがない。
「千紗様、私は悔い改めねばと思っております。でも道が分からないのです」
「美弥子様、急ぐことはありませんわ。これは難しき道です。ここへお入りなさい」
千紗に誘われてきた場所は高くそびえる五連山の麓であった。かつて大帝が住まいし時、
聖女希和の奪還をかけて、密かに通った王の道の入り口があって、今はレンガ造りの礼拝堂がある。
「ここは?」
「始まりの場所です。皆ここで陛下の飲まれている泉の水を浴び、体を清めて宮仕えとなるのです。皆さまお連れしました」
「ようこそ」
女人たちは一同に同じ声を言う。
「私は洗礼を終えた後に会うことにしましょう。皆さま、この方をお任せ致します」
美弥子は見知らぬ女人たちをまじまじと見ていた。誰もが笑顔を絶やさず不安に駆られた美弥子を暖かい目で見守る。
「私はどうしたら?」
「まずはこちらへ」
美弥子はまたも奥の部屋に連れてかれる。そこは丸い木の椅子が置いてあり、黒いカーテンが引かれていた。何が始まるというのだろう。
「おかけください。これよりあなた様は自らの罪を打ち明けなければなりませんわ。しかし怖がることはないのです。罪を打ち明けることから洗礼は始まるのです」
「怖いですわ。私はあのような!」
「正直に話すことは怖い事です。でも乗り越えなければ」
「かしこまりました」
女は部屋から出ていった。やがて部屋の照明が落ち、真っ暗になった。美弥子は全てを失うきっかけになったあの惨劇を思い出した。今の私は皇位をはく奪され、地位も何もない。今の私は暗黒に身をやつしている。このような状況からどうやって。
「美弥子様ですね」
その声はどこからともなく聞こえてきた。
「あなた様のお話をお聞かせください」
「あなたは?」
「私は陛下の代理人。御多忙なあのお方に代わり、あなた様の御心に耳を傾ける者でございます」
「私は」
美弥子は一気に罪を白状しようとしたが、果たしてあの出来事だけが罪なのだろうかと思っていた。
「急ぐ必要はありません。時間を要する者もおりますわ」
「私は分からないのです。何が罪なのか、どうしてそうなったのか、分からないのです」
「分からない?」
「はい。私は殺生を致しました。しかしそれは陛下の品位を貶め入れる者がいたからです。かの者は公然と陛下を非難しておりました」
「あなたは陛下のためを思い、殺生をしたというのですか?」
「はい」
「それでは侍従の後始末を依頼したのは?」
「怖かった。ただ自分の地位が失われるのがとても怖かった。でもあの娘が捕られ、刑に処されると聞き、私はおのれの所業の浅はかさに気づいたのです」
「あなたは沈黙を守れば侍従の命と引き換えに、自身の地位は確保できると考えなかったのですか?」
「考えました。でも私にはできなかった」
「それはどうして?」
「罪なき者が死にゆこうとしているのです! 私が! ああ! どうして!」
「お心を確かに。まずは胸にお手を当てなさい。深く息を吸って吐くのです。それを繰り返しなさい」
「はい」
感情の高ぶりをなくさなければと、美弥子は自身に言い聞かせる。
「あなたは陛下の信厚き者として友好を接せられたが、同胞のあまりの所業に耐えかねず激情に駆れて殺害してしまった。その罪を小間使いに言って始末をさせたが、失敗してしまった。小間使いが刑に処すことに罪悪感を抱き、自らの罪を陛下に奏上した」
「おっしゃる通りですわ」
「あなたは陛下を心から理解しておられない」
「そんなはずは、現に私は」
「陛下はあなた様の思い人でも、ご友人でもござりませぬ。まるで己が大事なものを穢されたというような考えは御捨てなさい」
「陛下は一体なにと?」
「陛下は兆しなのです。朝起きるとき、家族と話すとき、食事をするとき、ふと窓の外をごらんなさい。そこにひっそりとたたずんで見守る気高きお方が陛下なのです。あなた様は気高きお方に欲情を抱き、我が物にせんと心なしか思っている」
「私は」
「言葉が出ないということはまさしく答えが傍になるのです。欲情に駆られ、人を殺めてしまうことが罪ではありません。尊きお方を欲するという感情が罪なのです」
「欲するという感情が罪?」
「あなたの業はとても深い。清めるためには一生涯かかるかもしれません」
「そんな」
「しかしあなた様の道は開かれました。これより洗礼を受ける資格を得たのです」
そういうとさっと灯りが付いた。
「さあご自身の罪と向き合えましたか?」
ええ、と美弥子は力なく言った。
「これより洗礼の儀を行います。どうぞこちらへ」
美弥子は部屋を出て、礼拝堂の前に膝を折った。
「その前に、お召の物をお脱ぎにならないといけませんわね。さあこれへ」
「ここで?」
「ええ」
美弥子は付けていた装飾品を取り、衣を脱ぎ下着姿を晒す。にこやかな笑みを絶やさぬ者たちに小恥ずかしさを感じる。
「その可憐な下着も」
「恥ずかしいのです。せめて隠す何かを」
「いいえ。御身を我らの晒す勇気がなくて洗礼はできませぬ」
「わかりましたわ」
小間使いでもないものに素肌を晒すなんて。美弥子の心には皇位にいたという気位が邪魔をしていた。それでも自分はここで生きるほかにないのだからせねばならない。
「よろしくて?」
「首につけているお飾りもお外しなさい」
「これは母のお形見です。とても」
「いいえ。あなた様のお母上はこれより陛下。皆洗礼を受けたものは陛下の初子であり、平等であります。自らの所有物は陛下に差し出すのです」
「わかりました」
美弥子は礼拝堂の中央で一人裸身になり、身を周りに委ねた。音楽が流れてきた。奥の扉から女たちが甕を持ってきた。
「あなたは今このときから聖なる泉の水により清められ、罪の浄化を始めます。ここに誓いを立てなさい」
「はい、仰せの通りに」
「これより侍従として陛下の恩ために尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
美弥子が誓いを立てるたびに頭上から水が注がれる。誓いは12個あった。すべてが終わると、美弥子は麻衣に着替えて、洗礼は終わる。聖女の二女であり、皇宮の主だった美和子は死に、新たに王の侍従十和子が生まれた。
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