七宝物語

戸笠耕一

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第三部 戦争裁判

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 政本の自宅は、司法府から徒歩一五分の社宅にある。毎日同じ通勤路だ。大通りをしばらく先に進んで、右の細い道に入る。固い土塊がボコボコと現われている。地に差し込む光が、土塊がくっきりと照らされて土気色ではなくはっきりと光と影に分かれていた。

「政本博也さんですね?」

 抑揚のない声だ。彼らは全員黒服を着込み、帽子を深くかぶり、マフラーで口元を覆っているから、正体が分からない。

 気味が悪いと思い、背後を本能的に向く。だが背後にも同じ格好をした男たちがいて、政本は完全に退路を断たれていた。

「何もお気になさらず。お昼にお話しあったでしょう?」

「あなたたちは?」

「我々は王の直属機関に属する者です」

 王? 王と言えば政本の頭に思い浮かぶのは一人しかいない。

「詳しい話は、馬車を用意しております。そちらで」

「まずは身支度を整えてからというわけには、行きませんか?」

 仕事帰りに、風呂につかる習慣があった。こんな状況下でも、彼は通常通りであろうとしたかった。

「ご安心を。必要最低限のものは、お住まいから運び出しております」

「急ぎなのですね」

「ええ」

 政本は黙って彼らの手引きに従った。もと来た道を返すと、黒い辻馬車があり、これに乗った。目的の人物を乗せ
た馬車は静かに音もなく発車した。

「突然の無礼をお詫びください」

 いえ。

「我々も驚いていましてね」

 彼の視線は、自らの手元に向かっていた。

「今大戦の裁者の長を務める方が、あなたのような地方官とはね」

 マフラーがちょうど口元の覆いを外れたとき、彼の微妙な笑みが垣間見られた。

 もっともな反応だろう。彼は馬鹿にされたとはちっとも感じていない。これから裁かれるである戦争犯罪人には、
烈王と呼ばれた参の王がいて、以下高位高官を遇された者たち。

 まあいい、と黒服の彼は言う。

「裁者は、あなたに決定された。これは殿下のご意思であられる。裁判は、聖女と王と人と法によって裁かれるべし
と仰せです。あなたには、王直属の特別司法官としての地位が与えられる。一時的ですが」

 彼は言葉を切って、政本の横にいた男に目配せをする。合図を受けた男が、懐より白いカードを取り出す。

「それがあなたの新しい身分証だ。くれぐれも無くさないで下さい。あと。今お持ちの身分証をお出しください」

「ええ」

 彼は黙ってポケットの財布から己の身分を保証するカードを差し出した。

「これからあなたの新しい仕事場、住まいにご案内します。その後は、直ちに仕事に取りかかってください、というわけではない」

 だろうな……

「ご承知の通り、被疑者は現在取り調べ中だ。中には、起訴されない者もいるだろう。なにせ千人を超える者たちが
審議を受けている」

「まだ時間がかかると?」

「二月より被告が起訴されるから、それまであなたは、閑職だ。色々と上との顔合わせなどあるが、それを除けばで
すが」

「でしたら、被疑者などの資料を回していただきたい。ぜひ裁判に役立てたい」

「いいでしょう。ご要望があれば、何なりと仰せつかってください」

「ええ。今後の詳しい日程や資料はそちらからすべて降りてくるのでしょう?」

「そうだ。あなた方は、提出された資料を元に合議の上で裁きを下せばいい。いつも通りだ」

 簡単に言う、と彼は思う。人が人を裁くことは、単なる事務作業ではない。彼が死を宣告すれば、その者は死ぬ。
言葉の重さは、裁く側になった者にしか分からない孤独さがある。どんな指示にも忠実に従う政本であるが、裁きを
下すという点には、妥協はありえなく、時に上に意見することも辞さない精神を彼は持っていた。

 しかし、彼が行う裁判は、前例にない戦争裁判だ。旧暦より、戦争は合法的なものであるとして敗者を裁くことは
少ない。もっぱら軍を主体に行政がやってしまう事柄であり、

予想以上に熟慮を重ねる必要があるとみている。それに、各国より召喚される裁者は、いかなる者か知らないし、地
方官である彼がまとめ上げられるか心配であった。

 窓には、いつの間にかさらさらと雨が当たって景色がにじんでいる。あらかたの話が済んで、新たな住まいに着く
まで外のかじかんだ景色に視線を移している。いつまでもこうして、知りもしない男と目を合わせる気など彼にはさ
らさらなかった。

 辻馬車は、小一時間ほど走り、目的地に着いた。風景は、みるみるうちに変わっていく。寂れた大地を離れ、聖都
の北征門を通過すると、きらびやかなコーデが彩られている。都の風景は、つい先日戦争が終わったというのに、勝
ち祝い皆浮かれ上がっているのだ。

「こちらです」
 なるほど。

 そこは、宮殿の左隣に位置する聖都ホテルだ。一度だけだが、彼は訪れたことがある。父とともに。聖女即位式の
際だ。

 辻馬車は、正面横に乗り付けた。扉が開けられ、彼らは正面の玄関口を通り過ぎる。彼に用意されたのは、最上級のスイーツルームだ。空調はしっかりと完備され、ベッドはいかにも寝心地の良さそうである。極めつけは、窓の外から聖都の夜景が、一望できる。きらめく灯りは、聖都を祝していた。

「ここがあなたの住まいだ。食事、設備は用意されている。何かあれば二十四時間係の者が対応する。この二十四階
に、まもなく各国の裁者たちが到着する。作業場は二十階の会議室を取っている」

 黒服の男は淡々と説明していく。丸で用意された台本を読み上げるように。 

「ええ」

「外出だが、基本自由だ。夜十時までには、戻っていただきたい。また聖都より外には、出ないでいただきたい。以
上ですが、質問ありますか?」

「いや、まずはいい。取り調べ中の被疑者の資料を回してくれればいい」

「そうですか。では我々はこれで」

 ああ。

 黒服の男は、少し首をもたげると去っていった。バタンと扉が閉じた。政本は、鍵を閉めると、ほっと一息ついて
ベッドに横になる。

 突然のことだ。人生がおおよそ思い描いたことと違う方向へ向かっていた。わずか一日で。もはや、この戦争裁判が終わっても、彼は元通りの仕事ができるとは思えなかった。

 政本以下五人の裁者が下した判決は、どうであれ世間の注目を受ける。

 裁判は、思うように捗るのか?

 その後の人生はどうなるのか?

 政本博也という一介の地方官の人生が、世界の一端から姿を現した時だった。
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