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〈レオン視点〉報告
しおりを挟む王城の廊下をシュミットに先導されながら歩く。
今二人がいるのは王族専用の居住フロアだった。
一定の距離を空けて近衛が立っているだけで、長い廊下にはレオンとシュミットの足音だけが響いている。
「聞いていた通り綺麗な女性ですね。」
「だろう?」
「それに聞いていたより強い方だとも思いました。」
「そうだな。・・・私を責めてくれていいのに。」
「それだけ殿下を信頼なさっているのでしょう。それにしても、貴方のあんな表情は初めて見ました」
斜め前を歩く澄ました横顔を見る。感情を読み取らせないその表情からはどれを指しているのかわからないが、大体言いたいことは想像がついた。
シュミットの言葉に返事はせずに、静まり返った廊下を歩き続ける。
頬に感じる空気は室内に比べると寒いが、外気温に比べるとずっと暖かい。
嵌め込まれた窓から見える空には無数の星が瞬き始めていた。
いつかリリナの世界で見上げた夜空を思い出す。いま、同じ星の下に彼女がいる。そう思うと一言では言い表せない様々な感情が去来した。
初めは警戒と、ほんの少しの好奇心だった。
身分を明かさないために母の家名を名乗ったが、咄嗟に、もう誰も呼ぶことがない自分の愛称を告げたのはただの気まぐれのはずだった。
だが、今になって思えば既にあの時、何か予感めいたものも感じていたのかもしれない。
彼女が本当に自分のことを知らないと確信した時、王子ではなく一人の人間として過ごしてみたいと思うようになった。
そしてリリナと共に過ごす束の間の時間は、レオンがこの23年で初めて得た安らぎだった。
さっきのシュミットの言葉が頭をよぎる。
自分にこれほど誰かを想う気持ちがあったのかと、リリナと過ごすたびに驚かさせる。
くるくると変わる表情も、笑う仕草も、レオンが用意した菓子を食べる指先すら、何もかもが愛しかった。
リリナの気持ちは最大限尊重してあげたいと思う。彼女の世界へ渡る手立ても必ず見つけ出すつもりだ。
だが同時に、絶対にリリナを失いたくないとも思う。
彼女と過ごした穏やかな日々は、それを手放すことを恐れるには十分すぎるほどのものだった。
「これから、どうなさるおつもりですか?」
「さっきリリナに話した通りだ。そのためにまずは父上から承認を得なければな。」
「陛下から了承を得たとしても、これを機に騒ぎ立てる者が出るでしょうね。」
「全て振り払ってみせるよ。それだけの力はあるつもりだ。」
障害となり得るものは、全て排除する。王太子となって2年、地盤は盤石に固めてきた。リリナの世界へ行くようになって数ヶ月は、これまで以上に中立派の貴族への根回しも行ってきた。
リリナの優しさが彼女自身に牙を向かないためにも。
勝手に連れてきて、勝手に役割を与えられて、リリナはもっと怒っていいのに。罵るどころか、自分から聖樹を癒す提案をするなんて人が良すぎる。優しさは彼女の美点だが、何でも背負い込もうとするきらいがあることを短い付き合いながらも感じていた。
花姫について何も伝えなかったのは、確証がないまま不安にさせたくなかったという思いもあるが、話したことで自分か叔父、どちらかを天秤にかけるような事を彼女にさせたくないと思ったからだ。
自惚れでなければ、リリナの中でレオンの存在はそれほどに大きくなっている自負があった。
どちらを選んでもきっとリリナは傷付くことになる。
けれど、何も説明せずにこの世界に連れてきたのなら、リリナはレオンだけを責められる。
触れれば折れてしまいそうな細い身体に、これ以上の後悔や罪悪感を背負わせたくなかった。
だが、これも結局は言い訳なのかもしれない。
彼女を手放さない事はもうずっと前に決めていたのだから。
一際豪奢な扉の前で立ち止まる。
先触れは出していたので、待つことなく控えていた侍従に部屋へと通された。
室内には国王レヴナントと、宰相であるリヒター・ファン・リーデルシュタイン公爵がソファに腰掛け、顔を突き合わせながら何やら話し込んでいた。公爵はレオンの姿を認めると立ち上がり最上位の貴族礼をして国王の隣に移動した。レオンはそれに応えながら、幼い頃から知っている自分に対しても常に敬意を忘れない彼の気質を改めて好ましいと思った。
「お待たせして申し訳ございません。」
「かまわん、積もる話もあっただろう。」
謝罪の言葉にレヴナントは手を振り、向かいの席を指し示す。レオンが座りシュミットがその背後に控えると、茶器が整えられるのを待たずに国王が口を開いた。
「それで?」
「最終的な判断は教会に任せますが、間違いなくリリナが花姫でしょう。」
リヒターが小さく息を飲む音が室内に響いた。
レヴナントは深く息を吐くと、脚の上に肘をついて顔を覆う。
父王には事前に、ある程度リリナのことを話してあった。
「そうか・・・。」
国王は小さく呟くとゆっくりと瞼を上げた。視線はレオンに向けられているが、その瞳はここではないどこか遠くを写しているようにぼんやりとしている。普段の気力に満ち溢れた姿は鳴りを顰め、皺が刻まれた目元には安堵と、そして苦悩が垣間見えた。
「神託が下りて20年余り、この知らせをどれほど待ち侘びたことか。少しずつ力を弱めていく聖樹を前に、ただ見守ることしかできなかった歯痒さは言葉に余りある。花姫降臨の吉報は全ての民の希望の標となろう。」
感情が滲む声に、誰も言葉を発することなく静かに耳を傾ける。
聖樹の力の弱まりを誰よりも憂いていたのは父だとレオンは知っていた。
結界が綻び始め、それに伴い徐々に増えてきた魔獣の被害。そしてもたらされた神託と、それが成されなかったことの衝撃。
神託に湧いた民は、現れない花姫に動揺した。魔獣被害は騎士団によって抑えられてはいるが、国民の不安は少しずつ人々に暗い影を落としている。
父だけではない、自分も含めみなが心から、花姫が現れること待ち望んでいた。
それだけに、これから自分がする提案は父を悲しませるだろう。
だが彼女の世界でその手を掴んだ時、自分自身と女神に誓った。たとえこの身がどうなろうとも、自分の全てをもってリリナを守り抜くと。いつか彼女に約束したように。
「時期はずれたが、今代の花姫が神託通り我が国に顕現されたのは光栄な事だ。各国へ通達を出さねば。聖樹も喜ぶだろう。」
「父上、そのことで王太子として要望いたします。」
「なんだ?」
「リリナの後ろ盾としての立場と、聖樹も含め、花姫に関わることは全て私に預からせていただきたいのです。」
レヴナントの眼光が鋭くレオンを射抜いた。国を統べるものとして数多の修羅場を潜り抜けてきたその眼差しは、何度対峙しても心の中まで見透かされているような気分になる。だが、ここで気圧されるわけにはいかなかった。
「その理由は?」
「何の説明もなく私はリリナをこの世界に連れてきました。向こうの世界に家族も残したまま。私たちから見れば神託通りかもしれません。けれど彼女にしてみれば、誘拐されたも同義です。花姫としての役割を押し付けるのではなく、まずはリリナの意思を尊重したいのです。」
「殿下、言わんとしていることはわかります。しかし、みなが待ち望んだ花姫です。顕現されたにも関わらず、このまま何もせずだだ時間だけが過ぎていくことはとても許容できません。」
「傍観するつもりはない。リリナにこの国の全てを知ってもらい、その上で彼女の気持ちを優先したいと言っているんだ。」
「・・・花姫の恩恵を殿下が独占しようとしていると捉えるものも出てくるでしょう。」
「むしろその逆だよ、リヒター。花姫は女神と並び最も尊い存在だ。何人も彼女に強制することがあってはならないんだよ。」
「そうは言っても、この知らせはすぐに世界を巡りますぞ。国内の声は殿下のお力で抑えきれたとしても、諸外国はそうはいきますまい。」
「シュエ・ランシアは特に被害が増えてきていると聞く。焦りが見えるだけに黙ってはいないだろう。知ればすぐにでも国使を派遣してくるはずだ。その対処もできると?」
「ええ、被害の現状も国の状況も把握しています。特にあの国に関しては、我が国からも騎士を常駐させ被害は最小限に食い止められています。私に対し強く出ることは出来ないでしょう。」
レヴナントの見定めるような視線に、臆することなく見つめ返す。
なるべく感情を抑え、レオンは二人へ穏やかに語りかけた。
「リリナは確かに花姫かもしれません。けれど、ただ聖樹を癒すだけの存在とみなすのではなく、彼女は一人の女性として迎え入れられるべきです。」
国王は訴えかける息子の声に耳を傾けながら、考え込むように顎に手を当てた。
しばらく無言で睨み合う。
やがて、レオンに引く気がないのを悟ると、溜め息をついて背もたれに上体を預けた。
「お前が花姫に入れ込んでいるのはよくわかった。」
父の言葉にぐっと奥歯を噛み締める。理解のある人だが、民のためには非常になれる人だ。自分の言葉は届かなかったのか。さらに言葉を重ねようと口を開きかけた時。
「だが、レオニシアスが連れてきた花姫だ。ならば全てお前に任せよう。」
「っ、ありがとうございます。」
「くれぐれも、民あっての国であることは忘れるなよ。」
「はい、心得ています。」
レオンの返事にレヴナントが纏っていた空気を和らげる。部屋に張り詰めていた緊張が緩み、知らずに込めていた力を身体から抜いた。口内の渇きを感じて、温くなった紅茶に手を伸ばす。
「それから、花姫とお前の仲についてだが。」
ぴくりとレオンが反応したのを見て口の端を引き上げてレヴナントが笑った。
「当面の間、公表はしないこととする。異論は受け付けないからな。」
「・・・私は非難を受ける覚悟はできています。理由をお伺いしても?」
「貴族にはいまだ、花姫を待ち続けている家も多くあるのはお前も知っているだろう。その花姫が、現れた瞬間に王家に囲われたとなったら反感を持つ家も出てくる。隠しても勘のいい家は気付くだろうがな。」
反論しようとしたが片手で制されて口をつぐむ。
少し離れたところで新たに紅茶を淹れ直す音が聞こえた。
「余計な軋轢は避けるに越したことはない。聖樹の元へすぐに行かないというのならなおさらな。」
「・・・わかりました。ただ、私が彼女の後見人となることだけは周知してください。」
「いいだろう。それから身辺が落ち着き次第、花姫の顔見せを行う。準備をしておくように。」
「承知いたしました。」
レオンの返事に満足げに頷き、茶菓子に手を伸ばしながらレヴナントが思い出したように続ける。
「それと、聞いたが花姫を奥の部屋に泊めたそうだな。」
「相変わらず耳が早いですね。」
「貴族の方が余程耳聡い。あまり目立って彼らを刺激するなよ。」
「リリナの身の安全を第一に考えた結果です。それに、後見人としての立場は最大限有用に使わせていただくつもりですよ。」
肩をすくめて答えるレオンの開き直った態度にレヴナントが呆れた顔をした。目の前に置かれた紅茶から立ち上る香りが鼻腔を擽る。ふと、リリナの家で飲んだコーヒーの香りを思い出して懐かしく思った。探し続けてはいるが、結局こちらで似たものは見つけられていない。
「お前は一体誰に似たのか、昔から強情な上に豪胆だ。牽制もほどほどにしろ。お前だけではない、花姫のためにもな。」
「ええ、わかっています。ですがご心配には及びませんよ。」
レオンもカップに口をつけながら、にこやかに笑顔で返した。
会話をしながらも、頭の中は目まぐるしく動いて今後の算段をつけていく。リリナがこの国で何不自由なく過ごせるよう、予測される動きも含めてどんな小さな芽も摘んでおきたい。
全ては自分のエゴなのだ。
心の中で自嘲する。
胸元のブローチへ目を落とした。
予言や聖樹のことを持ち出したところで、結局は自分にリリナを手放す勇気がなかっただけだった。
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