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第十話
王妃様が案内するヴィンセント城ダンジョン2
しおりを挟む「──マイリは、いったい何を企んでいるんだ?」
王宮の三階に位置する国王執務室。
その窓から下を眺めて問うのは、第百代ヴィンセント国王ウルである。
彼の灰色の瞳は、今まさに王宮の玄関に現れたちっちゃいの──真っ白いローブに身を包んだ五歳児マイリを映していた。
そんなウルに、彼の幼馴染で悪友で右腕で、さらにマイリの父親であるロッツが視線を向ける。
にっこりと、ロッツは麗しい笑みを浮かべた。
「ねえ、陛下? 僕は、赤ん坊の頃からあなたの側におりましたからね? 陛下が、己の失言に気づける人間だとちゃーんと理解しておりますよ?」
ウルも理解している。ロッツのこの笑顔が、盛大にキレ散らかす三秒前であると。
どうやら、〝マイリが企む〟といった言い回しが気に障ったようだ。
面倒を避けたかったウルは、可及的速やかに訂正する。
「マイリはなんだって、自分がマチアスを出迎えるなんて言い出したんだ?」
ちょうどその時、一台の馬車が王城の門を潜った。
ヴォルフ帝国からやってきた、皇弟マチアスが乗る馬車だ。
まっすぐに王宮の玄関を目指すそれを一瞥したロッツが、笑顔のまま続けた。
「マイリちゃんはまだかわゆい五歳さんですけど、ヴィンセントの王妃ですよ。友好国の皇弟を王妃がもてなすのは、ごくごく自然なことだと思いますけど?」
「確かにな。では、質問を変えよう──俺が今、ここで足止めを食らっている理由はなんだ?」
今回、マチアスがヴィンセント王国を訪問したのは、姉レベッカとエレメンス国王ジルとの結婚式の招待状をウルに届けるのが目的である。
その大役を理由にして、彼の軟禁は解かれることとなった。
ウルは、無事娑婆に戻った旧友との再会を楽しみにしていたし、早計な真似をした彼を一発くらいはぶん殴ってやらねばと思っていたのだ。
マチアスの馬車がヴィンセントに入ったと国境警備隊が早馬で知らせてきた時には、いの一番で出迎える心算だった。
それなのに、マイリは自分がその役目を担うと言って聞かなかったばかりか、ウルが言うように彼をこの国王執務室に足止めしてしまったのである。
父ロッツに、大量の書類を持ち込ませることによって。
そのロッツは、笑みを深めて言った。
「足止めって、なんのことでしょう。陛下の決裁が早急に必要な書類が、たまたま今、集中しただけじゃないですかー」
「うそつけ。何が、早急に必要だ。これなんか、来年の催しの許可証じゃないか。こっちは、さらにその半年後……って、おい! この〝人気のお菓子頂上決戦〟っていうの! 俺のサインいるか!?」
「それ、キノコかタケノコかで毎年血みどろの争いになるんですよ。陛下のサインをいただいて国軍を警備に当てる必要があります」
「いやもう、その催し自体を中止しろよ。軍にもキノコ派とタケノコ派がいるだろうが」
ちなみに、ウルはキノコ派でロッツはタケノコ派だが、それを言い出すと血で血を洗うことになると理解している賢明な二人はけして口にしない。
そうこうしているうちに、ドラゴンの紋章を掲げた馬車が王宮の玄関前へと辿り着いた。
扉が開けて降りてきた旧友を眺め、ウルは苦笑いを浮かべる。
「おいおい……マチアスにあれ着せたの、絶対レベッカ女史だろ?」
「生粋の王族であそこまで衣装負けする人も珍しいですよね。いえ、素朴で親しみやすいというのが、マチアスの売りですけど」
「それで? あのやたら着飾らされた男は、俺に会うのが役目だぞ。マイリが何を考えているのかは知らんが、俺はあいつと面会しないわけにはいかないんだが?」
「ご安心を。マイリちゃんは何も、陛下とマチアスを会わせたくないわけではないんですよ。ただ、条件があるだけで」
条件? と片眉を上げるウルを、ロッツはすっと指差した。
「──ウルは、囚われのお姫様」
「──は!?」
「勇者マチアスは、試練を乗り越えないと姫とは再会できないそうですよ」
「いや、お前……いったい、何を言って……」
いきなりお姫様呼ばわりされたウルが、困惑の極みといった顔をする。
王宮の玄関前ではこの時、ヴィンセント城ダンジョンの案内役マイリが、戦闘力ミジンコの勇者マチアスと向かい合い、鬼畜面の妖精さんを紹介しているところだった。
階下にいるマチアスの頭の中で妖精とかわゆいと愛らしいの概念がパーンする一方、三階ではロッツがたまらず吹き出す。
「ぶふっ……! ウルが、おひめさまー!?」
「いや、自分で言っておいて笑うな」
「あー、おかしい! エリック、君も我慢しないで笑っていいんだよ?」
「い、いえ……私は……」
主君を指差して笑う不敬極まりない次期宰相と、それにぶすくれた顔をする国王。
そんな大人達のやりとりに呆気に取られているのは、まだあどけなさを残す少年だった。
エリック・ワニスファー──不祥事を起こして王都を追放された父や二人の兄に代わり、思いがけず爵位を継ぐことになったワニスファー公爵家の三男坊である。
年は、十六歳。前ワニスファー公爵の庶子で王妃専属のお針子となったソマリとは、腹違いの姉弟に当たる。
エリックはひとしきりウルとロッツの顔を見比べてから、おずおずと口を開いた。
「あの……陛下がお姫様かどうかは、ともかくとして……」
「ともかくとするな。大事なとこだぞ。俺は断じて、お姫様などではない」
「はい、すみません……ええっと、こちらにまとめましたのは、正真正銘取り急ぎ目を通していただきたい書類です。その他は期日に余裕があるものと、陛下の決裁が必ずしも必要ではないものです……よね? ロッツさん」
「うんうん、そうだねー。エリックは理解が早くて頼もしいよ」
「おい、ロッツ。〝人気のお菓子頂上決戦〟の書類、思いきり後者に入っとるじゃないか。やっぱり俺のサイン、いらんだろう」
隣国ヒンメルの王立学校にて、やがてかの国の女王となるオリビアと机を並べて学び、この春帰国したばかり。
両親も兄達も追い出された王都において、現在エリック少年の面倒を見ているのは、後見人となったフェルデン公爵とその息子ロッツだった。
彼らに師事する形で宰相執務室で働き出したのはごく最近のことだが、将来は大臣の一人としてヴィンセント王国のさらなる発展に貢献するであろう、有望な人材である。
ウルは、そんなエリックから手渡された書類を確認してサインを施しつつ、またちらりと階下を見下ろした。
目の前に跪かせたマチアスに向かって、何やらマイリがふんぞり返っている。
今回、あのちっちゃくて可愛いのが何を考えているのかは、ウルにはさっぱりわからないが……
「まあ、いい……マイリの好きにさせるか」
この土地の主たる彼女の機嫌がいいうちは、ヴィンセント王国に大きな禍がおこることはない。
それに……
(俺が本当に困るようなことを、マイリがするはずないからな)
なんといっても、歴代ヴィンセント国王はかの家主に愛されている。
中でもウルは、一等マイリに愛されている自信があった。
最後に馬車から降りてきた犬を加えて、マイリ達はようやく王宮に入るようだ。
ちっちゃなヴィンセント王妃が賓客の手を引いていくのを、周囲の大人達が温かく見守っている。
お馴染み鬼畜面の守衛と、これまた気合の入った顔面をしたヴォルフ帝国の騎士も再会を喜び合うと、主人達の後を追いかけた。
犬も、ぷりぷりしっぽを振ってついていく。
彼らを見下ろし、ウルは苦笑いを浮かべたが……
「ところで、エリックはキノコ派? タケノコ派?」
「えっ……」
「おい、やめろ。大人げないぞ」
いたいけな少年に悪魔の問いかけをする男の胸ぐらを掴むため、慌てて窓際を離れる。
ウルが次にマチアスと相見えた時──その格好は、レベル一の新米勇者になっていた。
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