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第八話

王妃様はお姉様に進化する2

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「――おぬしは、〝おねえさん〟か?」
「――いかにも。私は、〝お姉さん〟だよ」

 ブロンドの髪の愛くるしい幼女が、燃えるような赤毛の美女と対峙していた。
 前者は言うまでもなく、わずか四歳の我らがヴィンセント王妃マイリ。
 そして、後者は……

「こら、マイリ。まずは〝初めまして〟と自己紹介だろう? 城を出る直前まで、侍女頭に口を酸っぱくして言い聞かされただろう? ――失礼した、レベッカ女史」
「ふふ……可愛い奥さんだね、ウル」

 レベッカ・ヴォルフ――大陸の北一帯を統べる大国、ヴォルフ帝国の現皇帝である。
 ヴォルフ帝国側からウルとの会談を求める書簡が届いてから十日。この日、二国の君主はヴィンセント王国の国境近くにて相見えた。
 ただし、ヴィンセント王国とヴォルフ帝国は隣り合ってはいないため、この場合の国境というのはヴィンセント王国から見て北側にあるデルトア王国との境界のことである。
 ヴォルフ帝国との間にはさらにエレメンス王国という古い国が挟まっており、レベッカは遥々二つの国を越えてヴィンセント王国までやってきたのだ。
 デルトア王国との国境付近一帯は、ウルの母親の実家であるマーラント伯爵家が古くから治める土地であり、会談にはその別荘の一室が使われる予定になっていた。
 この別荘は、死を悟った前ヴィンセント国王が過ごした終の住処であり、彼を看取った前王妃は今もここで隠居生活を送っている。
 先代の猫をやっていた時代に前王妃にたっぷり可愛がられたというマイリは、前日入りしてからずっと彼女にベッタリだったが、レベッカが到着するなりウルが止める間もなくすっ飛んでいって――からの、冒頭の台詞だった。
 ちなみに、城から一緒にくっ付いてきた猫悪魔ドンロは、今もまだ前王妃にベッタリである。
 話を戻して、場面はマーラント伯爵家別荘の玄関。
 馬車を降りたばかりのレベッカを捕まえたマイリは、背の高い彼女を見上げて首を傾げた。

「レベッカとやら。わらわ、なんぞ失礼をしたか?」
「いいや、何も。ところで、マイリと言ったか? そのぷくぷくのほっぺに触れてもいいかい?」
「うむ、くるしゅうない。減るものでもなし。好きなだけ触れるがよいぞ」
「それではお言葉に甘えて……うーん、ウルよー……何ちゅう可愛い奥さんなのー……」

 マイリの前にしゃがみ込んだレベッカは、そのほっぺをもちもちと堪能したかと思ったら、ふいに抱き上げる素振りをする。

「これ、もらって帰っていいか?」
「いいわけないだろ」

 冗談にしては相手が真顔すぎたため、ウルは慌ててマイリを奪い返すように抱き上げた。
 マイリもウルの首筋に抱き付き、ぷくぷくの頬を彼のそれに押し付けて大真面目な顔をして言う。

「すまんな、レベッカ。ウルは寂しがり屋さんなのでな。わらわがそばにいてやらんとならんのじゃ」
「へえ? ウルにも可愛いところがあるんだねぇ」

 とたんに面白そうな顔をして立ち上がったレベッカは、柔らかなシルエットのドレスの上に、豪奢なマントを羽織っていた。
 そんな彼女の姿が、ウルの目には随分と新鮮に映る。
 弟のマチアスより五歳年上のレベッカは、ウル達がヒンメル王立学校に入学した時にはすでに最終学年に達していた。
 わずか十歳の新入生たちの目に、十六歳の最上級生達は随分と大人に見えたものだ。
 中でもレベッカは文武ともに秀でており、当時の学校にまるで王のように君臨していた。
 普段から男物の衣服を着ていることが多く、またそれが非常によく似合っていたこともあり、女子からの人気も凄まじかったことをウルはよく覚えている。
 それゆえ、目の前の彼女の女性らしい格好には少々面食らったのだが、それを口に出すほど彼も野暮ではなかった。
 
「それにしても、いい庭だね。よければ案内してくれないかな。散策しながら話をしよう」
「それならば、わらわが案内してやろう。昨日母上と一緒のお散歩したゆえ、ウルよりは詳しいぞ!」

 今回の会談は、実は非公式なものだ。
 そのため、やってきたのはレベッカ本人と、護衛を務める騎士団の精鋭六名のみで、会談が終わればそのまま蜻蛉返りする予定になっていた。
 また、非公式であるからこそ、王妃という立場にあるとはいえまだ四歳のマイリが同席することも問題にはならない。
 そんなマイリがレベッカの手を取って歩き出せば、ヴォルフ帝国の護衛騎士達もそれに続こうとする。
 ところがレベッカが彼らを制し、この場で待つように告げたため、ウルも護衛として付いてきていたケットに待機を命じた。
 それにしても、ヴォルフの騎士達もケットに負けず劣らずのなかなかの面構えである。
 並べばまた凄まじい迫力なのだが、マイリがそれに怯むはずもない。
 
「ケット、わらわの代わりにお茶をふるまっておあげ」
「御意にございます、妃殿下」
「そこな騎士達よ。わらわの可愛いケットがお相手するでな。しばし、くつろいでおれ」
「お、お気遣いいただき恐縮です……」

 さも得意げな顔をしたケットと、可愛い……可愛い、だと? と目を丸くして彼を凝視する騎士達をその場に残し、ヴィンセント国王夫妻とヴォルフ皇帝は庭へと足を踏み出す。
 常春の国と謳われるヴィンセント王国だが、その最北に位置するこの別荘の庭には王都では見られない植物も多かった。
 さらにずっとずっと北にあるヴォルフ帝国の庭とも、随分と様相が違うのだろう。
 物珍しそうに庭を見回すレベッカの手を引いて、マイリは穏やかに水を湛える湖のほとりにやってきた。そして、その側に立つ東屋の下のベンチを勧める。
 
「レベッカよ、おいで。ここにお座り。ここからの眺めはすばらしいぞ」
「ありがとう、マイリ。ああ、本当だ。いい景色だね……まるで、風景画を見ているようだ」
 
 凪いだ湖面は鏡のごとく、ぐるりと囲んで植栽された木々の姿が映り込んでいる。
 その向こうに見えるのは、雲がかかったデルトア王国の高峰。
 湖の手前には、まるで青い絨毯を敷いたようにブルーベルが群生していた。
 この庭を管理しているのはマーラント伯爵家に仕える庭師だが、最期の一年間をここで過ごしたウルの父も、母ととも随分と庭仕事に勤しんだという。
 難しい顔をして書類ばかり睨んでいた父が土いじりをしている姿は想像できないが、彼の死顔があんなにも穏やかだったのは、きっとここで過ごした日々のおかげなのだろう。
 レベッカが腰を下ろしたベンチの脇に立ったまま、ウルは改めて、父が最期に愛した風景を眺める。
 なんとも言えない切なさが胸に込み上げかけるが、ふいにそこにちっちゃくて可愛いのが紛れ込んだとたん、感傷は吹き飛んでしまった。
 ブルーベルの花畑を駆けていくマイリの背中に、ウルは慌てて声を掛ける。

「マイリ、遠くへ行くな。俺から見えるところにいろよ」
「うむ!」

 とたん、くすくすと聞こえてきた笑い声に、ウルは口をへの字にした。

「……何か、おもしろいことでも?」
「いや、子供の相手がすっかり板についていると思って。……ああ、もうウルがあの子と夫婦になって一年以上も経つんだね」

 いまだ独り身を貫くヴォルフ皇帝はそう言って、マイリの小さな背中に目を細めた。
 その表情が、ウルの記憶にある彼女よりも随分と穏やかになったように感じる。
 王立学校で学んでいる時は、ウルもレベッカもまだ子供で、大人に守られていた。
 しかし年を重ね、今は二人ともこうして一国の長となっている。
 守られる者から守る者へ――君主ともなれば、彼らの守る相手はあまりにも多かった。
 レベッカは優しい目をしてマイリを見守っていたが、やがて彼女が湖のほとりに落ち着くと、ようやく本題に入る。
 
「先の年の瀬――弟が面倒を持ち込んで、すまなかった」
「いや……」

 昨年末、クーデターに失敗したレベッカの弟マチアスは、かつての級友であるウルを頼ってヴィンセント王国の国境まで逃げてきた。
 内乱罪は、どこの国でもだいたい死刑か無期禁錮に処される。
 しかし、国境警備隊に確保されて面会を求めてきたマチアスを、ウルは悩みに悩んだ末、二度と会えぬ覚悟でヴォルフ帝国側に引き渡すよう命じたのだ。
 今後のヴォルフ帝国との関係や自国の民のことを思えば、ヴィンセント国王としてはああする他なかったし、その決断をウルは後悔していない。
 けれども、友を見捨てるような命令を下さねばならなかったあの時の苦しみは、決して忘れることはないだろう。
 結局、新年早々に天啓が降りたとかで、マチアスには恩赦が与えられた。
 死刑や無期禁錮は免れ、現在は王宮の自室で軟禁状態にあるという。

「これは、俺が言っていいものかどうかわからないが……マチアスへの寛大な処遇、感謝する」
「いや、礼を言うのは私の方だ。弟を思いやってくれてありがとう。ウルに、苦渋の決断をさせてしまったこと、心より申し訳なかったと思っているよ」

 実を言うと、ウルはヴィンセント国王としてではなく、一個人としてマチアスの助命を求める嘆願書を送っていた。
 また、マイリの祖父であるフェルデン公爵も、王立学校時代の同級生であるヴォルフ帝国の宰相と神殿長へ慎重に対処するよう勧める手紙を送っていたことも後に判明した。
 加えて、見計ったかのように天啓が下ったものだから、大義名分は申し分ない。
 それに、そもそもクーデターの首謀者は、レベッカとマチアスの叔父だった。
 彼らの母の弟で、随分な野心家だという。
 御し難いレベッカに代わり、大人しいマチアスを皇帝に据えて、自分の思い通りに動かそうと企んだのだろう。
 とはいえ、それを聞いてもウルは到底納得がいかなかった。

「マチアスは、叔父の口車に乗せられたわけではないんだろう? あいつが、そんな単純な理由であんたを裏切るなんて考えられない」
「どうして、そう思う?」
「マチアスは、ずっとあんたを尊敬していた。姉上の治世を支えられる人間になりたいと努力を重ねるあいつを六年間ずっと近くで見ていたんだ。俺は、自分の目が節穴だったとは思わない」
「そうか……」

 きっぱりとマチアスへの信頼を口にしたウルに、レベッカは滲むような笑みを浮かべる。
 それから、珍しく逡巡していたが……

「マチアスがあんなことをしたのはな……本当は、私のせいなんだ」

 意を決した様子で、彼女が呟いた瞬間だった。


「――わっ」


 ふいに聞こえたマイリの悲鳴に、ウルは考えるよりも先に走り出していた。


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