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第四話

王妃様のハロウィンパーティー2

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「……母上」

 国王夫妻主催のハロウィンパーティー。
 招待客が揃った大広間に最後に現れたのは、前王妃――ウルの母だった。
 一年前、玉座を降りた前国王とともに自らの故郷へと移り住み、彼を看取った後も生家で静かに暮らしていたはず。
 そんな母が突然目の前に現れたことに戸惑う一人息子に、前王妃はにっこりと微笑んで言った。


「まあ、イヌ」
「他に言うことはないのか」


 特別なお客様こと前王妃を招いたことは、ウルだけではなくフェルデン公爵夫妻にも秘密にされていたらしい。
 旧知の仲である彼らも、思わぬ再会にたいそう喜んだ。
 マイリ以外には基本無関心の猫型悪魔ドンロも、初対面のはずの前王妃に珍しく抱っこをねだっている。
 けれども、一番はしゃいでいるのは意外にもマイリ自身であった。

「母上や、ここへお座り。どれ、わらわがいっとううまいものをかき集めてきてやるでの」
「まあまあ、嬉しい。至れり尽くせりねぇ」

 前王妃をソファへ座らせ、立食式のテーブルを回って料理を集めてきたり、とマイリはちょこまかと世話を焼いては彼女にべったりだ。
 それこそ、実の母であるアシェラも妬くほどの懐きっぷりだった。
 とはいえマイリと、彼女が王妃となってすぐに隠居先に移った前王妃は、これまでさほど接点がない。
 そんなウルの疑問に、マイリはぷくぷくの丸い頬を上気させて答えた。
 
「おぬしの母には、先代のネコをしていた時分にずいぶんと可愛がってもらったからの。わらわの腹を撫でていいのは、いまもむかしも彼女だけじゃ」
「なるほど、そういうことか……」

 マイリは前王妃がすこぶる好きらしい。
 ウルのためのサプライズゲストなどと銘打ってはいたが、本当は自分が会いたくて彼女を呼んだのではなかろうか。
 それどころか、今宵のハロウィンパーティーの開催自体が、そもそもは前王妃を招くための口実だったのでは――そう、ウルが茶化す。
 ところがである。
 マイリは大きな菫色の瞳をぱちくりさせて、ウルをまじまじと見つめて反論した。

「何をばかなことを申しておるか。あれもこれも、なにもかも全部、ウルの――おぬしのためじゃ」
「うん? 俺の、とは……つまり、どういうことだ?」
「おぬしが、仕事ばかりしているからに決まっておろう」
「……は?」

 今度はウルが両目をぱちくりさせて、マイリをまじまじと見つめる番だった。
 マイリの言う通り、ウルは確かにここのところ働き詰めだ。
 玉座に就いて二年目に入り、父と同世代の家臣達に囲まれる中で功を急いでいたことも否めない。
 かつて彼は、たった一人の妃である母に寂しい思いをさせ、一人息子の自分に優しい言葉をかけることもない父王は家族を蔑ろにしていると憤っていたが、いつしか自分も同じ轍を踏もうとしていた。
 なにしろ、働き方改革だと言って守衛さえ優雅にお茶の時間を過ごしているというのに、国王のウルにはペンを置く暇さえなかったのだから。
 けれども、ちっちゃな王妃はそれを許さない。

「今宵、おぬしはヴィンセント国王ではなく、わらわのかしこいワンちゃんじゃ。仕事のことなど忘れて、ぱーっと楽しくさわごうぞ」
「だから、犬ではなくてオオカミだと何度も……」
「ほれ、アメちゃんをやろう。あーん、せい」
「……」

 ちっちゃなふくふくの手でもってウルの口の中に強引に突っ込まれたのは、目玉を模した悪趣味なキャンディー。
 見た目に反して、それは優しい味がした。
 キャンディーの形に膨らんだ彼の頬を見下ろし、老婆の格好をした鬼畜面の守衛がからかう。

「ちっ、陛下は妃殿下に愛されておられますね。羨ましいことです」
「今、舌打ちしたか?」

 マイリはというと、ケットの言葉にさもありなんと頷いて言った。

「わらわ、ヴィンセントの国王達はどいつも愛しておるぞ。みんな、いいやつじゃった」

 そんな歴代のヴィンセント国王の中でも、マイリはウルの父である先代国王を特別に贔屓した。
 当時の器であった猫の寿命を譲ってまで、彼の最後の願いを叶えてやったくらいだ。
 その願いというのが、遺されるウルと母のために時間を使うことだったおかげで、ウルは国王の仕事を余すことなく引き継げたし、母も最後の一年で穏やかに愛を確かめ合い、思い残すことなく父を見送ることができた。
 それでも、マイリが愛おしそうな顔をして父のことを語るたび、ウルは少しだけ妬けてしまう。
 むっすりとして、目玉のキャンディーをバリボリ噛みしだく彼の気持ちを知ってか知らずか、じゃが、とマイリは続けた。

「歴代の王の中で、一番おもしろいのはウルじゃな」
「は……」

 ぽかんとするウルに、ちっちゃな王妃はそれはもう、弾けるような笑みを向けてこう言った。


「わらわはな、おぬしと過ごす今が、一番楽しい!」


 マイリはお世辞など言わないし、言葉による駆け引きなどもしない。
 彼女にはとんと必要のないことだからだ。
 つまり、彼女が発する言葉は紛れもない本心で、それを知っているからこそ、ウルの顔は自然と綻んでいった。
 そんな彼の頬を、マイリはまたちっちゃなふくふくの両手でもって包み込む。
 いつもみたいにむぎゅっと鼻頭同士がくっついたが、ウルもこの時ばかりはそれを阻まなかった。

「だからな、ウル。長生きするんじゃぞ? おぬしがこの世にいる限り、わらわはずうっと一緒じゃ」
「ああ……そうだな」

 歴代のヴィンセント国王達を愛している、とマイリは憚ることなく言う。
 けれどもそんな愛する者達と、彼女はこれまで九十九回もの別れを味わってきた。
 そして、いつかウルも、彼女に百回目の別れをもたらすことになるのだろう。

 ――生きているものはみんな死ぬ

 初めて出会った戴冠式の夜、父の死期が近いことを知らされて愕然とするウルに向かってマイリが静かに告げた言葉が、今になって胸に沁みた。
 ウルは、彼女が九十九回目の国王との別れで見せた泣き顔を覚えている。
 自分が死ぬ時も、きっと彼女はあんなふうに悲しむのだろう。
 けれどもその時、自分はもうその涙を拭ってやることも、抱きしめてやることも、側にいてやることさえできないのだと思うと、ぎゅっと胸が痛んだ。






「今宵はお招きいただきありがとうございます」

 宴もたけなわ。
 客達はそれぞれ、招待状を出したマイリに礼を言う。
 ようやくゆったりと腰を落ち着けてワイングラスを手に取ったウルの元にも、次々と招待客が訪ねてきた。
 マイリが招いた客なので、ウルとは面識のない者ばかりだったが、誰も彼もがとにかくよくしゃべる。
 やれ、即位して一年あまり経つが、ウルは国王としてよくやっている。
 国民はちゃんとその働きを評価してくれているだろう。
 しかし、何でもかんでも一人で抱え込まず、もっと周囲を頼ってもいいのではないか。
 経験豊富なフェルデン公爵はもちろん、大司祭コリンも神と王家には忠実な人間だから、信頼しても問題ない、などなど。
 彼らの話はお節介に感じることもあれば、はっと気付かされることも多々あった。
 共通していたのは、全員がウルを労り慈しもうとしているのがひしひしと伝わってきたことだ。
 おかげで、ウルも素直に彼らの話に耳を傾けることができた。

「とはいえ、お前は大丈夫だ。なにしろ、この方が側にいてくれるのだから」

 そんなふうに、彼らは最後に決まって、ちっちゃな王妃に全幅の信頼を表す。
 印象的だったのは、そのマイリが話が終わった客に対し、腕に提げた籐のカゴからせっせとお菓子を配っていたこと。
 そして――

「九十八」

 ウルと話す客の数をいちいち数えていたことだ。
 やがて、マイリがその九十八人目の客にお菓子を渡し終えた時だった。


 ――カチッ


 大広間の柱時計の針の音が、いやに大きく響く。
 ウルがはっとして見れば、長針と短針が今まさに頂点を指して重なったところだった。
 時刻は午前零時。
 日付が変わったのだ。
 ボーンボーン、と時計が鳴り始めて、ウルはまるで夢から覚めたような心地になる。
 ウルだけではない。
 彼の母も、フェルデン公爵一家も、大司祭親子も、侍女頭や侍従長も、年老いた料理長も、そして鬼畜面の守衛さえ、どこか呆然とした面持ちで日付が変わったことを知らせる音を聞いていた。
 平然としているのは、魔王と面識があると噂のフェルデン公爵と、その孫娘であるマイリだけ。
 ウルは慌ててワイングラスを手放すと、いまだおめめぱっちりな王妃を自分の腕の中へ引き寄せた。

「おいおい、マイリ。ねんねの時間が過ぎているぞ」
「うむ」

 こんな時間まで、中身はともかく四歳児の器を持つ彼女が起きていたこと。
 それに対し、マイリの両親や祖父母も、面倒見のいい侍女や侍従達も、彼女に心酔している守衛さえも、何より自分自身が疑問を持っていなかったことに、ウルは愕然とする。
 けれども、腕の中に収まったマイリの菫色の瞳は、いまだ爛々と輝いていた。
 彼女はその瞳を、少し離れた所で前王妃に寄り添う猫型悪魔――前国王の名を持つ存在に向けて呟く。
 
「九十九」

 そのとたん、ウルは激しい違和感を覚えた。
 慌てて周囲を見回した彼は、その灰色の瞳を目一杯見開くことになる。
 そもそも、今宵のパーティー会場となった大広間には、九十九人もの客はいないのだ。
 それなのに、ウルはいったい、今の今まで誰を相手にしていたのだろうか。
 マイリは、いったい誰にお菓子を配っていたのだろう。
 そう思い至ったと同時に、背筋がすっと冷たくなった。
 けれども、そんなウルの腕の中でマイリはにっこりと微笑む。
 そして、パンッ、とちっちゃなふくふくの両手を打ち鳴らしてこう言った。

 
「はろうぃんぱーてぃーは、これにてお開きじゃ」





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