16 / 17
4話 新しいコーヒーを召し上がれ
新しいコーヒーを召し上がれ 7
しおりを挟む「――王宮から出ていけっ!!」
突然響き渡った罵声に、人々はぎょっとして立ち止まった。
十時、王宮一階大階段脇。
一時間前に開店した『カフェ・フォルコ』には、本日も店長代理のイヴが立っていた。
この前日、一月ぶりに帰国した店長オリバーは、旅先で手配していた荷が届いたために席を外している。
荷の中身は、言わずと知れたコーヒーの豆――アンドルフ王国の要人達の試飲を経て、期間限定で『カフェ・フォルコ』の品書きに加わることになった、新しい品種だ。
「お待たせしました。シナモンコーヒーでございます」
湯気を立てるカップをカウンターに置いて二歩後ろに下がったイヴは、罵声が聞こえた王宮の玄関に目を遣る。
カップの中身は、豆と一緒にシナモンを挽いて淹れたコーヒーで、注文者はイヴが離れたのを確認してからそれを手に取った。
「なんだ、あれ。騒がしいな……」
カップに口をつけつつ、イヴの視線の先を訝しげに見るのは金髪碧眼の優男、ダミアン・コナー。
二股騒動にイヴを巻き込んだ末、彼女の胸ぐらを掴んだところをウィリアムに見咎められ、一晩留置所に放り込まれた、あのダミアンだ。
その後、一連の関係者に真摯に謝罪したことでひとまずはお咎めなしとなったものの、ウィリアムからはイヴに手が届く距離まで近づかないよう言い渡されている。
それでも、週に三度は『カフェ・フォルコ』に顔を出すのは、彼が純粋にイヴの淹れるコーヒーを気に入っているからだ。
この日もウィリアムの命に従って、イヴからは距離をとりつつをシナモンコーヒーを堪能していたダミアンだが、なおも続いた罵声にそれを吹き出しかけた。
「そこの小娘! 聞いているのか! おい、お前だ――イヴ・フォルコ!!」
「――げほっ……イ、イヴさんに言ってたのか!? って、あれ、まさか……」
「その、まさかですね――メイソン公爵閣下です」
王宮一階正面玄関は、この時騒然となっていた。
今朝早く、議席剥奪の通達を受けたメイソン公爵が、それを不服として押しかけてきたのだ。
とはいえ、これは想定の範囲内。
玄関を守る衛兵が集まって、彼の侵入を阻止していた。
メイソン公爵が城に入ることを制限する理由はないが、彼は国王陛下から『カフェ・フォルコ』への接近禁止を申し渡されているため、店からほど近い場所にある正面玄関は利用できないのだ。
また、ウィリアムが直々に手配した信頼のおける衛兵――いつぞやイヴが侍女との仲を取り持ったオズ・ウィンガーも、『カフェ・フォルコ』の側で警備に当たっている。
玄関にはすでに何人もの衛兵がいるため、オズの出番はないかと思われたが……
「ダミアンさん、ほら、モフモフですよ。お好きでしょう?」
「いや……あれは、ちょっと……」
実は、現メイソン公爵もオオカミの耳と尻尾を持つ先祖返りだ。
ただでさえ常人より力が強い上、獣の耳が大好きなダミアンでも食指が動かないような、筋骨隆々とした恵まれた体格をしている。
そのせいで、心なしか衛兵達も押され気味だった。
「あいつのような、どこの馬の骨とも知れない女の子供を王宮でのさばらせておいて、由緒正しきメイソン家を排除しようなどと――いったいどういう了見だっ!!」
「ち、父上っ……どうか、落ち着いてください! これ以上問題を起こしてはっ……」
「黙れ! この、できそこないが! 後継のお前がそのように気弱だから、舐められるんだっ!!」
「……っ」
一方、メイソン公爵に罵声を浴びせられつつも、衛兵と一緒に彼を止めようとしている身なりのいい男性は、本妻が産んだ長男エリアス・メイソン――ルーシアの腹違いの長兄だ。
父親に似ず優しげな面立ちの男だが、あいにくオオカミ族の特徴を持ってはいない。
偏った考えに縛られるメイソン公爵家において、嫡子にもかかわらず彼がどれほどの辛酸を舐めさせられているのかと思うと、直接親交のないイヴでさえ胸が痛んだ。
埒が明かないと判断したのか、衛兵の一人が上役に知らせようと大階段を駆け上がっていく。
「イヴさん、カウンターの中にいてくださいね」
見かねたオズがそう言いおいて、メイソン公爵を阻止する同僚を加勢しに行った。
いやはや、大変だなぁ、なんて他人事のように呟きながら、優雅にシナモンコーヒーを飲んでいたダミアンは、次の瞬間ぎょっとする。
オズの忠告にもかかわらず、イヴがカウンターの外に出てきたからだ。
「ちょっ、ちょっと? ちょっとちょっと!? 何を……」
「公爵閣下は私に御用のようですので、お話ししてまいります」
「えっ!? いやいやいや! 危ないよ! だめだって!」
「飲み終わったカップはカウンターに置いておいてくださいね」
イヴを引き止めようにも、触れるどころか近づけないダミアンはおろおろするばかり。
その間に、イヴはエプロンドレスもヘッドドレスも付けたまま、とことこと玄関の方へ歩いていってしまった。
そうして、何人もの衛兵をぶら下げた巨漢に、平然と声をかける。
「公爵閣下、ごきげんよう」
「なにが、ごきげんようだ! ふざけるな! どこの馬の骨とも知れない女の子供が……」
「五十回目」
「――は!? 何だがっ!!」
衛兵達――特に、イヴの警護をウィリアムから任されたオズも、メイソン公爵家の後継エリアスも、大慌てで離れるように訴える。
しかし、イヴは背筋を伸ばして王宮玄関に立ち塞がった。
「どこの馬の骨とも知れない女の子供、と閣下に言われた回数ですよ。さっきのが四十九回目で、今のが五十回目です」
訝しい顔をする相手に向かい、彼女は毅然と続ける。
「最初は一歳の時。兄の王立学校の入学式でしたね。その次は、ロメリア様の二歳のお誕生日パーティー、ウィリアム様の七歳のお誕生日パーティー。それから、当店のカウンター越しに二十一回、庭で鉢合わせして十三回、馬車の窓から十回、それから――父の葬儀の時」
記憶力がいいというのも考えもので、いい記憶も悪い記憶もイヴの中には鮮明に残っている。
自分を罵るメイソン公爵の口調も表情も、その時の周囲の反応も、自身が覚えた気持ちも、何もかも全て。
それを踏まえた上で、イヴは続けた。
「実は、ずっと閣下にお伝えしたいことがあったのですが――これが最後の機会になるかもしれないので、今ここでお伝えしておきますね」
「な、何を……」
コーヒー一杯に付き伝言一件。
思えば、人の気持ちを代弁する機会は多々あるものの、自分の言葉を誰かに伝えることは多くはない。
いや――世界一かわいい、とウィリアムにだけは頻繁に伝えてはいるが。
それを伝えた時の、彼の困ったような、照れくさそうな顔を思い出してしまったものだから、自然と顔が綻んでしまう。
イヴは、笑顔のまま言った。
「どこの馬の骨とも知れない女の子供ですけど、私は結構幸せですよ?」
「なっ……?」
思いも寄らないことだったらしく、メイソン公爵が一瞬ポカンとした顔になる。
ピンと立ち上がった彼のオオカミ耳を、イヴは不覚にも、ちょっとかわいい、などと思ってしまった。
彼女はそれを払拭するみたいに、こほんと一つ咳払いをする。
「確かに、私は母がどこの誰なのかを知りませんし、父も教えてくれないまま亡くなってしまいましたので、閣下が私をそうお呼びになることは否定できませんが」
イヴはそこで一度言葉を切ると、ぐるりと周囲を見回してから続けた。
「でも、家族にも友人にも、それから今は素敵なお客様にも恵まれて、私は幸せでございます」
この時、王宮玄関での騒ぎに足を止めた人々の中には、『カフェ・フォルコ』の常連客も大勢いた。
彼らは、イヴの言葉に心なしか誇らしげな顔をする。
それを目の端に捉えたイヴは勇気づけられた気分になって、メイソン公爵の厳めしい顔も真っ直ぐに見据えることができた。
「ですので、どこの馬の骨とも知れない女の子供という言葉で私を傷つけようとお考えなのでしたら、それはことごとく失敗に終わっております。ええ、今さっきのは、記念すべき五十回目の失敗――残念でございましたね?」
「な、なな……何だと……」
「――ぶふっ!」
ここにきて、イヴの言葉にたまらず吹き出したのは、離れたところで見ていたダミアンだった。
それに釣られたみたいに、観衆にもじわじわと笑いが広がってしまう。
一方で、衛兵やエリアスは顔を強張らせた。
気位の高いメイソン公爵が笑い者にされて黙っているはずがないからだ。
案の定、彼は顔を真っ赤にして怒り出した。
「こ、この小娘が……ぬけぬけと! 私を馬鹿にしているのかっ!!」
大きな身体を奮い立たせ、自身を押し留めていた者達の手をついに振り解く。
そうして、まさしく獣のごとく凄まじい咆哮を上げた。
「その生意気な口をきけなくしてやる――!!」
3
お気に入りに追加
139
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
二度目の人生は異世界で溺愛されています
ノッポ
恋愛
私はブラック企業で働く彼氏ナシのおひとりさまアラフォー会社員だった。
ある日 信号で轢かれそうな男の子を助けたことがキッカケで異世界に行くことに。
加護とチート有りな上に超絶美少女にまでしてもらったけど……中身は今まで喪女の地味女だったので周りの環境変化にタジタジ。
おまけに女性が少ない世界のため
夫をたくさん持つことになりー……
周りに流されて愛されてつつ たまに前世の知識で少しだけ生活を改善しながら異世界で生きていくお話。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
婚約破棄されたら魔法が解けました
かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」
それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。
「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」
あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。
「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」
死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー!
※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です
ヤンデレお兄様に殺されたくないので、ブラコンやめます!(長編版)
夕立悠理
恋愛
──だって、好きでいてもしかたないもの。
ヴァイオレットは、思い出した。ここは、ロマンス小説の世界で、ヴァイオレットは義兄の恋人をいじめたあげくにヤンデレな義兄に殺される悪役令嬢だと。
って、むりむりむり。死ぬとかむりですから!
せっかく転生したんだし、魔法とか気ままに楽しみたいよね。ということで、ずっと好きだった恋心は封印し、ブラコンをやめることに。
新たな恋のお相手は、公爵令嬢なんだし、王子様とかどうかなー!?なんてうきうきわくわくしていると。
なんだかお兄様の様子がおかしい……?
※小説になろうさまでも掲載しています
※以前連載していたやつの長編版です
甘すぎ旦那様の溺愛の理由(※ただし旦那様は、冷酷陛下です!?)
夕立悠理
恋愛
伯爵令嬢ミレシアは、恐れ多すぎる婚約に震えていた。
父が結んできた婚約の相手は、なんと冷酷と謳われている隣国の皇帝陛下だったのだ。
何かやらかして、殺されてしまう未来しか見えない……。
不安に思いながらも、隣国へ嫁ぐミレシア。
そこで待っていたのは、麗しの冷酷皇帝陛下。
ぞっとするほど美しい顔で、彼はミレシアに言った。
「あなたをずっと待っていました」
「……え?」
「だって、下僕が主を待つのは当然でしょう?」
下僕。誰が、誰の。
「過去も未来も。永久に俺の主はあなただけ」
「!?!?!?!?!?!?」
そういって、本当にミレシアの前では冷酷どころか、甘すぎるふるまいをする皇帝ルクシナード。
果たして、ルクシナードがミレシアを溺愛する理由は――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる