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4話 新しいコーヒーを召し上がれ

新しいコーヒーを召し上がれ 1

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 大陸の西に位置するアンドルフ王国。
 その王宮一階大階段脇にて、コーヒー専門店『カフェ・フォルコ』は本日もコーヒーのいい香りを漂わせている。
 カウンターの奥で客を迎えるのは、コーヒー色の瞳をした可愛らしい店長代理――

「じろじろ見ていないで、さっさと注文してくれる?」

 ではなく、愛想の欠片もない男だった。





「――の議席剥奪について、満場一致で可決します」

 張りのある若い男の声が、容赦無く断罪を下すがごとくそう言い切った。
 異議を唱える者はない。
 ある者は押し黙り、ある者は唸るような声を上げてただただ頷いた。
 十五時、大会議室。
 王宮の三階にあるこの部屋では、王国の要人を集めた定例会議が開かれていた。
 円卓を囲んで用意された十六の席のうち、一つだけがかれこれもう一年余り空いたままになっている。
 その席が、次の会議からは用意されないことが、今しがた決定したところだった。
 会議室には、重苦しい空気が満ちている。
 ところがそれも長くは続かなかった。
 憂鬱な気分を払拭するような存在が、大会議室の扉をノックからだ。

「――失礼します」

 会議の終了を待っていたかのように、侍女頭に伴われて扉を潜った相手を見て、議長を務めていた第一王子ウィリアムは金色の目を丸くする。

「イ――」
「イヴぅう!?」

 大会議室に現れたのは、オリーブ色のワンピースの上に白いエプロンドレスを重ね、黒髪にヘッドドレスを付けた少女、イヴである。
 そんな彼女のもとに、声をかけようとするウィリアムを遮って真っ先に飛んでいったのは、扉に近い場所にいた金色のモフモフだった。

「どうしたんだい、イヴ? ボクに会いたくなっちゃったのかにゃあ? 奇遇だね! ボクも会いたかったっ!!」
「はい、マンチカン伯爵閣下。お会いできてうれしいです」

 御年五百歳を超えるマンチカン伯爵は国政の第一線を退いてはいるものの、相談役という立場で歴代のアンドルフ国王を支えてきた。
 ピンク色の肉球でプニプニと自分の手を挟み込む猫又じいさんに、イヴはにっこりと微笑んで話を合わせる。
 ネコ族の獣人と少女の仲睦まじい姿は、控えめに言っても尊い。
 とたん、大会議室はほのぼのとした雰囲気に包まれた。

「おやおや、しばらく見ないうちにイヴはお姉さんになったなぁ」
「昔は、両手に乗るくらい小さかったのにねぇ」

 そう言って、ふふふと笑みを交わす仲良しおじさん二人組は、宰相と財務大臣だ。後者は、いつぞやマンチカン伯爵を釣りに誘ったご隠居の息子である。
 二人の言葉に、そうじゃったそうじゃったと他の大臣達も頷くが、あいにくイヴが彼らの両手に乗ったという事実はない。

「この子は、わたくしが乳をやって育てたのですよ」

 手乗りイヴを妄想してほっこりするおじさん達をじろりと見回し、ふんすと胸を張るのは、プラチナブロンドの髪を結い上げた麗しい貴婦人――アンドルフ王国の王妃殿下である。
 驚くことに、彼女の言い分は妄想ではない。
 イヴは恐れ多くも、王妃殿下の母乳を飲んで大きくなった。

「イヴ、おいでおいで! おじさんがお菓子をやろう!」

 そして、デレデレした顔でイヴを手招きする、この実に怪しいおじさん――彼こそがアンドルフ王国の現君主、国王陛下である。
 父が亡くなった後は、イヴも兄も彼にたいそう世話になった。
 言うまでもないが、国王と王妃はウィリアムの両親である。
 そのウィリアムは、重鎮達の大歓迎にニコニコするイヴを見て顔を綻ばせかけたものの、すぐさまはっと我に返った。
 十五時というと、『カフェ・フォルコ』が殊更繁盛する時間帯である。
 にもかかわらず、店を離れたということは……

「――イヴ、何かあったのか?」

 険しい顔をしたウィリアムが、議長席から彼女のもとへ駆けつけようとした、その時だった。



「――いい加減にしていただけますかしら」



 一際凛とした声がその場に響いた。
 大会議室がたちまち静まり返る。
 声の主は王妃の隣の席にいた、イヴと同じ年頃の美しい少女である。
 椅子から立ち上がった彼女は、凍るような眼差しで一同を見回したかと思ったら、最後にじっとイヴを見据えた。
 アンドルフ王国の重鎮達が、突然やってきたイヴをちやほやするのが気に入らないのかと思われたが……

「イヴは、この私に会いにきたに決まっていますでしょう? お呼びじゃない皆様は、すっ込んでいてくださいませ」

 逆である。
 少女はしずしずと扉の側まで歩いていくと、張り付いていたマンチカン伯爵をベリッと引き剥がし、自分よりいくらか背の低いイヴを抱き締めた。
 その瞳は金色で、髪は銀色――つまり、ウィリアムとおそろいである。
 そればかりか、彼女の頭の上には……

「ロメリア様、今日もとってもかわいいです」

 銀色のフサフサの毛に覆われたオオカミの耳が立っており、イヴは両手を伸ばして断りもなくそれをモフモフした。
 ロメリア・アンドルフ――アンドルフ王国の王女で、ウィリアムの妹である。
 マンチカン伯爵家のジュニアと同じく、獣の耳と尻尾を持って生まれた先祖返りだ。
 十ヶ月ほど先に生まれた彼女が卒乳したばかりだったこともあり、イヴは王妃から乳をもらうことができたのだ。
 兄にとってのウィリアムのように、イヴにとってはこの王女ロメリアが唯一無二の幼馴染みだった。

「ロメリアとイヴは相変わらず仲良しさんですわねぇ」
「うんうん。うちの娘達は世界一かわいいなぁ」

 国王夫妻がそう言って微笑み合う横で、ウィリアムは人知れず安堵のため息を吐く。
 ロメリアの耳をひたすらモフモフしているイヴに、切羽詰まった様子は見受けられないため、緊急を要することでここを訪ねてきたのではないと判断したのだ。
 それにしても、ネコ獣人と少女が仲睦まじいのも微笑ましいが、可愛い少女二人がキャッキャしている光景でしか得られない栄養がある。
 またもやほのぼのとした空気に包まれる大会議室だったが、そんな中で食い気味なロメリアの声が響いた。
 
「私はかわいい? 本当に? 世界一ですの!?」
「ロメリア様は、とってもとってもとーってもかわいいですが、世界一の称号はウィリアム様のものです」
「くっ、悔しい……でも、お兄様さえ消せば、私が世界一なのでは……?」
「殺意のこもった目でこっちを見るんじゃない」

 ウィリアム自身は別に世界一にこだわってはいないため、その栄誉を妹に譲ることも厭わない。しかし……


「世界一かわいいのはウィリアム様です。これは、覆すことの叶わない真理です」


 ウィリアムが許してもイヴが許さないのだ。
 頑なに主張を譲らないイヴを前に、ロメリアは悔しそうに唇を噛み締め、重鎮達は微笑しげに目を細める。
 そして、結局ウィリアムはというと……


「もういい。わかった。認める。認めればいいんだろう? ――めちゃくちゃうれしいよ!」


 心の中の尻尾がブンブンしてしまうのであった。
 と、ここで、脱線しまくった状況を修正する救世主が現れる。
 王家ともフォルコ家とも付き合いが長く、この茶番に慣れっこな侍女頭だ。

「イヴさん、よろしいのですか? 冷めてしまいますよ?」
「――あっ、そうでした。失礼しました」

 ウサギ族の先祖返りである侍女頭は長い耳をピンと立て、イヴの丸い耳に囁く。
 これにはっとしたイヴは、ロメリアを張り付かせたまま、ようやくここを訪ねた本題に入った。

「会議でお疲れのところ、申し訳ありません。実は、舌の肥えた皆様に、新しいコーヒー豆の試飲をお願いしたくて参りました」
「新しいコーヒー豆、ということは……イヴ、もしかして?」

 真っ先に事情を察したウィリアムの問いに、イヴはにっこりと微笑んで答えた。


「はい、ウィリアム様――つい先ほど、兄が戻って参りました」



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