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2話 ブレンドコーヒーでさようなら

ブレンドコーヒーでさようなら 1

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「ウィリアム様――好きです。キスしてください」
「ぶっ……!?」

 口をつけていたブラックコーヒーを吹きかけて、ゲホゲホと盛大にむせるのは、今をときめくアンドルフ王国の第一王子ウィリアム。
 そして、カウンター越しに手を伸ばしてその背をさするのが、彼をそう至らしめた張本人『カフェ・フォルコ』の店長代理イヴである。

「イ、イヴ……なんだって……?」
「えっと、ですから、好きです。キスしてください、と……」

 ウィリアムがおそるおそる涙目で見下ろすも、イヴの顔には照れも恥じらいも浮かんでいない。
 彼女の表情とセリフがいっこうに釣り合わないことでピンときたウィリアムは、隣でカップを傾けている人物を睨みつけた。

「クローディア、君の仕業か!」
「うふふ、バレましたかー。――あっ、お茶目な冗談ですので、キスはしてもらわなくて結構ですよ?」
「当たり前だ、誰がするものか! そもそも、君が私を好きだのキスしてほしいだの、本気で言うわけないだろう!」
「あっらー、心外な。ちゃーんとウィリアム様のことは好きですよ。私達、幼馴染みじゃないですかー。まあ、キスは心底していらないですけどね」

 なんということはない。イヴのセリフは、ただの伝言だったのだ。
 実は昨今、ウィリアムを動揺させるような伝言をイヴに託して彼の反応を楽しむという、悪質極まりない遊びが流行っている。
 主に、クローディア・ロゴスの中でだが。
 ウィリアムともイヴの兄とも幼馴染みのクローディアは、宰相閣下の右腕と謳われる優秀な文官だ。
 緩く波打つ亜麻色の髪を背中に流し、丸い眼鏡をかけた優しげな顔立ちの女性である。
 エリート文官らしくかっちりとした濃紺のジャケットを羽織っているが、その下はふんわりとしたシルエットの白いワンピースだった。
 おっとりとして見えるが、噛み付かんばかりの勢いで怒鳴る王子殿下の前でも平然としている。
 彼女に何を言っても無駄だと思ったらしいウィリアムは、コホンと一つ咳払いをしてから、厳めしい顔を作ってイヴに向き直った。

「イヴもイヴだ。なんでもかんでも伝えればいいというものではないだろう」
「あっ、耳がピーンと……」

 しかし残念ながら、こちらも別のことに気を取られているため、兄役の言葉はまったくもって響かない。
 というのも、キスして、なんていうイヴの不意打ちに驚きすぎたせいで、ウィリアムの頭からはフサフサのオオカミの耳が飛び出してしまっていたのだ。
 もちろん、尻尾もである。

「ウィリアム様、世界一かわいい……モフモフさせてください」
「イヴ? こら、少しは私の話をだな……」

 ウィリアムの背中をさすっていたはずの両手を伸ばし、イヴは彼の耳に触れようとする。
 兄役らしく説教を続けようとしたウィリアムも、懸命に爪先立ちをして手を伸ばしてくる彼女を見てしまうと、目尻を下げずにはいられなかった。
 結局は腰を折って、カウンターの向こうに頭を差し出している。
 そんな王子殿下の後ろ姿を、『カフェ・フォルコ』の側を通りかかった人々は、いつものことながら微笑ましく見守っていた。

 殿下の尻尾、今日も元気いっぱいブンブンしてるなー、と。

「ウィリアム様が幸せそうで何よりだわー。それにしても、イヴちゃん! 今日のコーヒーもとってもおいしかった!」
「恐れ入ります」
「でもねえ、不思議。なんだか途中で香りが変わったみたいだったんだけど、気のせいかしら?」
「気のせいではありませんよ。本日クローディアさんにお出ししたのは、花のような香りの豆と、ナッツ系の香りの豆をブレンドしたものです。香りがはっきりと異なる豆を合わせますと、前半と後半で香りの変化を楽しむことができるんです」

 コーヒーは、挽いた豆をブレンドすることで新たな味わいを生み出すことができる。
 豆は似通った風味ものではなく、はっきりと性格の異なるものを選ぶのがいい。そうすると、味に立体感が出て深みも増すのだという。
 そんなウンチクをウィリアムとクローディアに披露したのは、昼休憩のことだった。
 この時のイヴは、後にとんでもない修羅場に遭遇することになるなんて思ってもいなかったのだ。




「この泥棒猫! 恥を知りなさい!」
「言いがかりはやめてよ、女狐っ!」




 午後のお茶の時間である十五時を少し回った頃のこと。
 若い侍女が二人、『カフェ・フォルコ』のカウンターの真ん前で睨み合っていた。

「えええ……?」

 イヴはただ呆然と、侍女達の凄まじい形相を見比べるばかり。
 通りかかった人々も何事かと顔を見合わせていた。
 泥棒猫と女狐――ぶつけ合う罵倒はまったくもって褒められたものではないが、侍女達の属性という意味では間違ってはいないかもしれない。
 というのも、彼女達はそれぞれヤマネコ族とキツネ族の獣人の先祖返りであり、両人とも獣の耳と尻尾持ちだったのだ。
 どちらもなかなかの美人である。
 そんな侍女達がついに取っ組み合いを始めようとしたところで、ようやく我に返ったイヴが慌ててカウンターと飛び出す。

「ま、待って! お二人とも、落ち着いてくださ――ふぐっ……」

 どうにか二人の間に割り入ったものの、彼女達の豊かな胸に挟まれてムギュッと押しつぶされる羽目になった。

 泥棒猫ならぬヤマネコ族の先祖返りヴェロニカ・リュンクスは、『カフェ・フォルコ』の常連客だ。〝殿下、今日も顔がいい!〟と先日イヴに伝言を託した中の一人で、王宮一階で働く淡灰色の髪をした侍女である。
 一方、女狐ことキツネ族の先祖返りリサ・ウルペースと、イヴは面識がなかった。
 三階宰相執務室付きの、こちらは黄褐色の髪をした侍女だ。宰相の右腕であるクローディアなら知っているだろう。
 そんな侍女達が『カフェ・フォルコ』の前で一触即発となったことに、イヴもまったく無関係というわけではなかった。
 まずはこの日の昼休憩終了間際――ウィリアムとクローディアが執務室に戻った直後のこと、イヴはある常連客から伝言を頼まれた。
 常連客はダミアン・コナーという男性文官で、クローディアと同じく宰相の下で働いている。
 週に三度は『カフェ・フォルコ』を訪れる彼の〝いつもの〟はシナモンコーヒー。
 コーヒーに後からシナモンパウダーやスティックを入れるのではなく、豆と一緒にシナモンも挽いてドリップしたものだ。
 シナモンのように香りの特徴的なスパイスはコーヒーとよく合い、お互いを引き立たせてより豊かな表情になる。
 ダミアンは済ました顔でそれに舌鼓を打ちながら、毎回決まってヴェロニカへの待ち合わせの伝言を託してきたものだから、イヴは二人が恋人同士であると思っていたのだが……

「ええっと……先にダミアンさんとお付き合いされていたのはリサさん、ってことですか?」
「そうよ! 彼が宰相執務室で働くようになってすぐだから、もう五年の付き合いだわ!」
「なにそれ! 私は、一年前に恋人と別れたって聞いて付き合い始めたのよ!?」

 実際の恋人はリサの方で、ダミアンはそれを隠したままヴェロニカとも関係を持っていたのである。つまりは、二股というやつだ。
 リサは、イヴを挟んで向かいに立つヴェロニカを憎々しげに睨んで言った。

「同僚の侍女が教えてくれたのよ。ダミアンが、一階のコーヒー屋を利用して浮気相手と逢瀬の約束をしているみたいだって」

 それを聞いたリサは真偽のほどを確かめるために、こっそり『カフェ・フォルコ』を張っていたのだという。
 そうとは知らないイヴは、ちょうど午後のお茶休憩で来店したヴェロニカに、ダミアンからの伝言を伝えてしまう。
 そこに、逆上したリサが飛び出してきてからの、泥棒猫! 発言だった。
 一連の話を聞いたイヴは、愕然とした。
 何しろ、知らないうちに浮気の片棒を担がされてしまっていたのだから。

 ――何でもかんでも伝えればいいというものではない

 そう、ウィリアムに厳めしい顔で言われたことを思い出す。
 彼のフサフサの耳に気を取られて、あの時は心に響いてはいなかったが、聞いてはいたのだ。
 耳にさえ入れば、イヴの記憶の引き出しに必ず収納されるため、こうしてちゃんと必要な時に出てくる。
 イヴはぐっと唇を噛み締めると、深々と頭を下げて言った。

「私が、考えもせずに伝言を承ってしまったばっかりに……お二人に不快な思いをさせて、申し訳ありませんでした」
「「えっ……」」

 これに驚いたのは火花を散らしていた侍女達だ。
 自分達よりも明らかに年下の女の子がしょんぼりと、しかも謂れのない罪の意識に苛まれているのを見て平気でいられるほど無情ではない。
 イヴのつむじを見下ろして、彼女達はとたんにあわあわとし始めた。

「いやいやいや! 全然、イヴちゃんのせいじゃないわよ!?」
「そ、そうよ、あなたが謝ることなんてないわ! むしろ、巻き込んじゃったこと、こっちが謝らないといけないのに!」

 二人してイヴの頭を上げさせようと躍起になっているうちに、冷静さを取り戻したのだろう。
 しかも、ここが王宮一階大階段脇――つまりは人通りの多い場所だということにもようやく思い至って、ばつが悪そうな顔になった。
 リサとヴェロニカはそんな互いの顔を見て、ついには苦笑いを浮かべる。

「なんだか、ばかみたい……私、なんであんな浮気男に執着しているのかしら」
「私も、二股男とこれ以上付き合い続けるのなんてごめんだわ」

 イヴは図らずも、女達の愛情が冷める瞬間に立ち会うことになった。
 吹っ切れた女ほど強いものはない。
 ダミアンへの報復を決意した二人は、情報の擦り合わせを始める。
 そんな中、すでに料金が支払われていたヴェロニカのブレンドコーヒーを用意しながら、イヴは到底聞き捨てならない話を耳にすることになった。


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