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第五章 三国間宰相会議

第二十一話 脳裏に浮かんだ人

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 三国間宰相会議の間は皇帝執務室にも頻繁に人の出入りがある。
 一時的とはいえ、そんな環境の変化がただでさえ芳しくない生育に悪影響を与えてはいけないと考えたソフィリアは、プチセバスを私室に移動させていた。
 そんなプチセバスが、忽然と姿を消してしまった。
 大本であるセバスチャン同様に、身振り手振りによって意思の主張が可能だとはいえ、自力で水から這い出してどこかに行ったとは考えにくいし、そもそもガラス容器までがなくなってしまっている。
 となると、何者かがガラス容器ごと彼を持ち出したということになるのだろうか。

「一体誰が……?」

 しかしながら、ソフィリアの私室に彼女以外の人間が立ち入ること自体は、実は珍しいことではなかった。
 というのも、朝から晩まで皇帝執務室に詰めていて、自室には基本寝に帰るだけの彼女を見兼ねた両隣の部屋の侍女達が、時折掃除やリネンの交換を代行してくれているからだ。
 そんな世話好きの姉のような侍女達には、父ロートリアス公爵から差し入れられた珍しいお茶やお菓子を振る舞ったり、休みの日に仕事を手伝うなどしてお返しをしている。
 ともあれ、元々私物の少ない部屋である。
 手持ちの金銭に限っては鍵付きの引き出しに保管してあるものの、それ以外に持ち出されて困るものはなかったため、ソフィリアは普段自室に鍵をかけていなかった。
 気心の知れた侍女の誰かが、日光に当てようと気を利かせてプチセバスを持って出たのだろうか。
 しかし、彼を置いていた窓際のテーブルの上を見たとたん、その可能性は潰えることになる。

「これは……」

 テーブルには、一枚のメモが置かれていた。
 手のひら大の真っ白い紙の隅に、ソフィリアのものとは違う小さな字が書かれている。
 状況から見て、プチセバスを持ち出した者からの言伝と捉えるのが妥当だろう。 
 そこには、こう書かれていた。

『アカシア』


 

 コンラートの高名な植物学者ロバート・ウルセルが手がけたグラディアトリア城の庭園には、様々な樹木が植えられている。
 黄色い可愛い花をつけるアカシアの木も何本もあったが、その中でも一際大きくて立派なのが、先日令嬢達とモディーニがお茶をしたあの東屋の側に立つ一本だった。
 グラディアトリア城の庭園を歩いたことのある者が〝アカシア〟と聞けば、おそらくほとんどが件の場所を真っ先に思い浮かべるだろう。
 それが、夜の城下町や寂れた場所にあったならばソフィリアも警戒して、時間を改めるか、あるいは弟のユリウスや幼馴染のダリスのような騎士に同行を頼んだかもしれない。
 しかし、プチセバスを連れ去ったと思われる何者かが指定したのは、勝手知ったる王城の敷地内。
 はたして、かのアカシアの木の下には、確かにソフィリアを待つ者がいた。

「嬉しいです、ソフィリアさん! やっと、僕の思いがあなたの心に届いたんですね!!」
「こんばんは――オズワルドさん」

 日が落ちた庭園の中、それでも眩しいくらいに満面の笑みを浮かべて立っていたのは、コンラート宰相一行の一員、オズワルドだった。
 辺りを見回した限り、他に人はいないようだ。
 しかしながら、生まれて初めてグラディアトリアに来たばかりの彼が、誰にも見咎められずにソフィリアの私室にまで忍び込めるとはさすがに考えにくい。
 
「オズワルドさんは、プチセバス……いえ、ポトスの若葉はお持ちではないですか?」
「え? ポトス? ポトスって何ですか? 若葉ってことは植物なんでしょうけど、あいにく僕はそういうのには疎くて……」

 きょとんした顔でそう言うオズワルドに、とぼけている様子はない。
 それどころか、照れ臭そうに、けれどもとても嬉しそうな様子で続けた。

「女性から手紙で呼び出されるなんて初めてのことで……僕、ドキドキしてしまいました」
「まあ、手紙……?」
「〝アカシアの木の下で待っています〟だなんて……僕が今日の昼間、母后陛下にそちらの東屋のテーブルでお茶をご馳走になったの、ご存じだったんですね?」
「……その手紙、どなたから受け取られましたか?」

 オズワルドにソフィリアを騙った手紙を渡したのは、彼とはそれまで面識のなかった若い女性らしい。
 実を言うとソフィリアは、私室に置かれていたメモ書きの筆跡に覚えがあった。
 その人物と、オズワルドに手紙を渡したという若い女性の特徴が一致する。
 ソフィリアとオズワルドをわざわざ人通りの少ない夜の庭園で落ち合わせて、二人の仲を取り持ったつもりだろうか。
 ともあれ、嬉しそうなオズワルドの様子に水を差すのは気が引けたが、手紙を書いたのが自分ではないこと、何者かによってここで会うように仕向けられた可能性があることを、ソフィリアは正直に告げた。
 ところがである。

「それって、つまり……僕達の仲を応援してくれている人がいるってことですよね!?」
「はい……?」

 当のオズワルドはがっかりするどころか、ますます目を輝かせた。

「だったら尚更、僕は諦めるわけにはいきませんね! その方の期待に応えなければ!! ――僕と、結婚してください! ソフィリアさん!!」
「えええ……」

 ここまでくると、さしものソフィリアもたじたじである。
 好意を向けられること自体は光栄だが、彼のように独善的に粘り強すぎる相手は、正直荷が重い。
 それに、そもそも――

「いったい私の何を、それほど気に入っていただけたのでしょう。三日前にお会いしたのが初めてですよね?」

 ソフィリアは、オズワルドに求婚される度にずっと疑問だった。
 王城に出入りする他の令嬢達のように可憐に着飾るわけでも愛想を振りまくわけでもなく、ソフィリアはあくまで皇帝補佐官としてしか彼とは接していない。
 コンラート王家に次ぐとも言われるほど広大な農園を所有し、裕福なことでも知られるアンセル侯爵家の嫡子が、ロートリアス公爵家という後ろ盾に固執するとも考えにくい。
 首を傾げるソフィリアに、オズワルドは照れ臭そうな顔をしながら答えた。

「一目惚れ、なんです。初めてお会いした時、皇帝陛下と並んで堂々と立っているあなたに見惚れました」

 オズワルドの父親は、アンセル侯爵家の近縁にあたるメーヴェル公爵家の次男として生を受けた。
 子供のいなかった前アンセル侯爵夫妻の養子になり、幼い頃から随分と厳しく育てられたらしい。
 その結果、自分にも人にも厳しい人間となった彼は、妻として迎えたロレットー公爵の末妹――オズワルドの母にも心無い言葉をかけることが多々あった。
 穏やかな両親に育てられた気が弱い母は、反論することもままならずじっと耐えるばかり。
 今でこそ、オズワルドが間に入って庇ってやれるようになったが、幼い頃は母がしくしくと泣く姿ばかり見ていたという。
 成長するにつれて、オズワルドは母を哀れに思いつつも、一方では父に言い返すこともできない彼女を歯痒く感じ始める。
 そんな両親を反面教師にして、夫の理不尽に耐え忍ぶことを美徳とする女性ではなく、対等な夫婦関係を結べそうな自立した女性との結婚を夢見るようになった。

「ソフィリアさんが、誇りを持って仕事に臨む姿を拝見していました。僕はあなたみたいに、尊敬できる方と家庭を持ちたいんです」
「オズワルドさん……」

 薄暗闇の中、思いがけず相手の真摯な眼差しとかち合って、ソフィリアの胸はトクンと小さく高鳴る。
 見た目や家柄ではなく、今の自分の生き様を褒めてもらえたことが、彼女は素直に嬉しかった。
 顔を合わせる度に求婚してくるオズワルドの言葉をどこか軽薄に感じていたが、いささか偏見だったようだ。
 真摯な想いには、誠意を持って答えねばなるまい。
 ソフィリアも、オズワルドの瞳を真っ直ぐに見上げて口を開く。
 
「オズワルドさんのお気持ちは、本当に嬉しいです。私の仕事ぶりを評価していただけたこと、誇りに思います。ですが、申し訳ありません……」

 しかし――最後まで言わせてはもらえなかった。

「何故ですか? もしかして、他に好きな人がいらっしゃるんですか!?
「それは……」

 好きな人、と聞いたとたん。
 ふいにソフィリアの脳裏に浮かんだのは、ルドヴィークの姿だった。
 思わず言葉に詰まった彼女の方に一歩踏み出し、オズワルドが畳みかける。

「僕ではなく、その人と結婚するんですか?」
「け、結婚!? い、いいえ――いいえ!!」

 ソフィリアは取り乱したみたいにぶんぶんと頭を振った。
 脳裏に浮かんだルドヴィークの姿を振り払おうと、必死だった。
 だって、ソフィリアが彼と結婚する可能性など、とうの昔に潰えたのだ。
 しかも、そうなったのは全てソフィリアの自業自得。
 
「あの方との結婚なんて――そんなこと、私は望んではいけないんです」
「だったら!」

 後退るソフィリアを追いかけるみたいに、オズワルドがさらに一歩踏み出す。
 アカシアの木が、無情にもソフィリアの逃げ場を塞いだ。
 それをいいことに、オズワルドは一気に距離を詰めると――

「僕にも、機会が与えられたっていいはずです!」

 そう叫んで、ソフィリアの手をぐっと掴んだ。

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