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第三章 二人の公爵令嬢

第十話 レイヴィス公爵家

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 突然グラディアトリアにやってきて、唐突にルドヴィークに結婚を迫った、レイヴィス公爵令嬢モディーニ。
 ルドヴィークはひとまず、彼女を自分の母――母后陛下に預けることにした。
 母后の下には、侍女をまとめる侍女頭もいるし、面倒見のいいルリもいるので安心だろうと思ったのだ。
 さらにルドヴィークは、諸々の事情を記した母后宛てのメモと一緒に、モディーニをある人物に託そうと決める。
 その人物は、ルドヴィークにとって信頼できる騎士であるとともに、気の置けない友人でもあった。

「ユリウス、お前をモディーニの護衛騎士に任命する」
「おそれながら!」

 すかさず、ユリウスが異議を唱える。
 しかしルドヴィークはそれに耳を貸さないまま、カーティスに対しては十日間の休暇を申し渡した。
 それを聞いたユリウスは、ついには騎士の仮面を脱ぎ捨てて彼に詰め寄る。

「ひどいですよぉ、陛下! 隊長は休暇で、私はじゃじゃ馬のお守りだなんて、あんまりですっ!!」

 ユリウスの言葉に、今度はモディーニが眉を顰めた。

「じゃじゃ馬、とは私のことですか?」
「ユリウス、失礼ですよ」

 ソフィリアも姉として彼を叱るが、ユリウスは拗ねた子供のような顔をして女達を睨み付ける。
 そんな彼に向かい、ルドヴィークが淡々と告げた。

「カーティスは、奥方の出産に備えて休暇を自宅で過ごすことになるだろう。ならば、ユリウスにも同じだけ休暇を与えるかわりに、その間ロートリアス家で過ごすようにと命じてもよいか?」
「うええっ!? いや……それもちょっと、勘弁願いたいんですが……」

 ユリウスはロートリアス公爵家の跡取り息子である。
 しかし最近では、早く結婚しろとうるさい母の相手に辟易し、実家から足が遠のいて久しかった。
 それなのに、十日もロートリアス家の屋敷で過ごすとなると、あの母が張り切って縁談でも持ってきかねない。
 休暇はけっこうです、と顔を引きつらせて告げるユリウスに、ルドヴィークはにこりと微笑んだ。

「では、モディーニの護衛を引き受けてくれるな?」
「うう……陛下ぁ……ひどぉ……」

 騎士らしからぬ情けない声を出すユリウスに、ルドヴィークは笑顔のまま母后への手紙を押し付ける。
 それを渋々受け取ったユリウスの、スミレに言いつけてやる、なんていう謎の恨み節を聞き流しつつ、彼はモディーニに向き直った。

「モディーニ・ラ・レイヴェス」
「はい……」

 よく通る声で名を呼ばれ、モディーニが思わずといった様子で姿勢を正す。
 その淡い灰色の瞳を見据え、ルドヴィークが落ち着いた口調で告げた。

「残念だが、そなたの望みに応えることはできない。私はまだ、結婚を考えてはいないのだ」
「ルドヴィーク様……」
「だが、グラディアトリアはそなたを歓迎する。パトラーシュに帰りたくなるまで、いつまででも我が国に居てもらってかまわない」
「……」

 ルドヴィークのきっぱりとした謝絶、それに続いた寛大な言葉に、モディーニは唇を噛んで俯いた。
 そんな彼女に向かい、不承不承ながらも護衛騎士となったユリウスが片手を差し出す。

「お手をどうぞ、お嬢様。託児所へと、ご案内いたしますよ」
「ユリウス、おやめなさい」

 弟の大人げない言葉を、ソフィリアはまた叱る。
 一方のモディーニはぎっと彼を睨み上げると、その手をべしりと叩いた。
 そのまま、ユリウスの手を借りることなくソファから立ち上がる。
 そうして、強張った顔をしたままではあるが、両手でドレスを摘み、ルドヴィークに向かいレディの礼をして見せた。

「お言葉に甘え、お世話になります」




 窓の向こうに月を探すのを諦めたらしいポトスの若葉――プチセバスは、ただただ水に浮かんでゆらゆらと漂っている。
 先にレイスウェイク大公爵家の蔦執事セバスチャンから分たれた眷属達に比べると、随分と大人しい印象だ。
 彼が静かに見守る中、火花を散らしながらも連れ立って出て行くユリウスとモディーニの背を、ソフィリアは心配そうに見送っていた。
 やがて、彼らの足音が遠ざかったのを確認し、皇帝執務室に残ったカーティスがルドヴィークに向かって尋ねる。

「陛下、フランディース様からの書簡には何と? モディーニ嬢には、何か込み入った事情があるのでしょうか?」
「……ああ」

 ルドヴィークは重々しいため息をついて頷くと、立ったままだったカーティスに向かいのソファを勧める。
 ソフィリアにも、自分の隣に座るように告げた。
 そうして、モディーニから受け取った手紙をテーブルの上に広げる。

「フランディースの手紙によると、彼女をすぐにパトラーシュに帰してはならないようだ」

 パトラーシュ皇帝フランディースからルドヴィークに宛てて書かれた手紙。
 そこには、モディーニに関する複雑な事情が綴られていた。 

 現レイヴェス公爵ライアン・リア・レイヴィスは、モディーニの長兄にあたる――ただし、腹違いの兄である。
 モディーニの父親である前レイヴェス公爵は、皇帝からの信頼も厚い優れた政治家ではあったが、若い頃は無類の女好きとしても有名だったという。
 彼はライアンを産んだ正妻とは別に、何人もの愛人を持ち、何人もの子供をもうけていた。
 そしてモディーニは、そんな彼が最後に愛した女性との間に生まれた最後の庶子――つまり、前レイヴェス公爵の末子ということになる。
 前レイヴェス公爵は彼女の十六歳の誕生日のすぐ後に、長年患っていた病が原因で息を引き取った。それが、二月ほど前のことである。
 問題は、彼の死後間もなく発覚した。
 フランディースからの手紙を読んだカーティスとソフィリアが、揃って眉を顰める。

「遺産の分配が、これでは……」
「あまりにも、不公平が過ぎますね……」

 前レイヴェス公爵がもうけた大勢の子供達の中で、女の子供はモディーニただ一人であったそうだ。
 そのため、彼女を溺愛していた前レイヴェス公爵は、遺言状にこのように綴った。

『屋敷と遺産の半分は跡継ぎである長男に、残りの大部分をモディーニに渡す』

「これでは、子供達が揉めるのも無理はあるまい……」

 優れた政治家として名を馳せた人物も、個人としては随分粗末な最後を飾ってしまったようだ。
 ルドヴィークはその事実に切なささえ覚え、大きくため息をつく。
 ともかく、充分な取り分を得て爵位も継いだライアン以外――愛人やその子供達にとって、前レイヴィス公爵の遺言は到底納得できる内容ではなかった。
 とはいえ、文句を言おうにも、当の本人はすでに墓の下。
 愛人や腹違いの兄達の怒りや苛立ちの矛先は、自然とモディーニに向けられてしまう。
 ルドヴィークは、先ほどよりもさらに大きなため息をつきつつ続けた。

「現レイヴェス公爵であるライアンが、彼女の生活を保証することを条件に相続を放棄させたらしい。よって、遺産の半分は庶子達が均等に相続できることになったのだが……」
「それなのに、わざわざグラディアトリアに避難させたということは、まだなお、彼女の危険は去ってはいないということでしょうか?」

 ソフィリアが言う通り、腹違いの兄達の憎しみは、モディーニが遺産の相続を放棄しようとも、もう消し去ることができないほど大きく膨れあがっていた。
 そもそも、唯一の娘であるモディーニの待遇は別格だった。母親が早くに亡くなったこともあり、前レイヴィス公爵は彼女を本邸に住まわせ、それこそ嫡出子の長男と同等ーーあるいは、それ以上に大事に育てたようだ。
 そんなあからさまな贔屓に、他の愛人や庶子達が不満を抱くのも無理からぬことだろう。
 そして、この度の遺言が決定打となり、ずっと燻っていた彼らの負の感情は爆発してしまったのだ。
 彼らは、騎士くずれの傭兵や街のならず者を金で雇い、秘かにモディーニを亡き者にしようとしたらしい。

「前レイヴェス公爵も、残された者の気持ちをもう少し慮れなかったものか……」
「ご両親ともにお亡くなりになり、腹違いとはいえ兄上達に命を狙われて……モディーニさんはさぞ辛い想いをなさったでしょう」

 ルドヴィークとソフィリアは、先ほどまでこの部屋にいた、まだあどけなさを残す少女に同情する。
 間もなく父親になろうとしているカーティスも、沈痛な面持ちでフランディースからの手紙に視線を落とした。
 モディーニにとって唯一幸いだったのは、長兄であるライアンが彼女に対して好意的であったことだ。
 年が随分離れていることと、腹違いとはいえたった一人の妹であるモディーニが可愛かったのだろう。
 亡き父に代わって、彼はモディーニを手厚く保護した。
 ところが先にも述べた通り、レイヴェス公爵家の騒ぎは遺産問題が片付いてもいっこうに収まる気配がない。
 愛人や庶子達に対抗しようにも、騎士団の手を借りてしまえばお家騒動が表沙汰になってしまうだろう。
 そうすれば、由緒正しきレイヴェス公爵家の醜聞を世間に知らしめることになる。
 困り果てたライアンは、恥を忍んで主君である皇帝フランディースに相談したのだという。
 それを受けて、フランディースは一計を案じ……

「ちょうどその時、パトラーシュに訪問予定があった陛下に白羽の矢を立てた、と?」
「まったく、迷惑な話だ……」

 呆れたように言うソフィリアにため息で答えつつ、ルドヴィークは片手で頬杖をついて唸った。
 グラディアトリアとしても、少女一人匿うくらいやぶさかではない。
 忌憚のないことを言えば、モディーニの身柄を預かることは、パトラーシュに恩を売ることにもなる。
 ただ、自国の一貴族のお家騒動に、隣国の皇帝を気軽に巻き込んでしまうフランディースには、正直呆れ果てる。
 彼の手紙から顔を上げたソフィリアとルドヴィーク、そしてカーティスは、揃って何とも言えない渋い表情をしていた。

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