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第一章
迫力美人
しおりを挟む赤味の強い長い金髪を背中に流し、新緑の色をした瞳は切れ長で涼やか。
きっちりと襟元まで閉まったドレスは慎ましく、豊満な胸元のラインもいやらしさをまったく感じさせない。
踝までを覆うAラインのドレスは華美ではないが、よくみるとフリルもレースも手が込んでいて、繊細な美しさがある。
すらりと背が高い、どこか迫力のある美女だった。
彼女はしばしの間、その場に立ち尽くしてルータスと郁子を見つめていたが、抱えていた衣服がずるりと腕からずり落ちそうになって、ようやくはっと我に返ったようだ。
郁子は、彼女がルータスの大切な女性であるならば、密着している自分達の今の状況を誤解されても困ると思い、慌てて彼の腕から降りようとした。
ところが、もがく郁子を不思議そうに見下ろしたルータスは、彼女を下ろすどころかさらに深く抱え込んでしまった。
「危ないぞ、イクコ。暴れるな」
「……で、でも……」
もしも自分がルータスの妻や恋人だったら、他の女と彼がくっついているのを見せられるのは気分がよくないに決まっている。
現に郁子は、件の美女からの視線をひしひしと全身に感じていた。
しかも、ついにはカツカツと高いヒールの音を響かせて、彼女がこちらに近づいてくる気配がした。
これは、困った。
誤解で修羅場に巻き込まれるのは勘弁してほしい。
郁子は、とにかく事情を説明しようと顔を上げた。
何となく、色恋沙汰の弁解をルータスに任せるのは無理なような気がしたのだ。
ところが、顔を向けた先にあったのは、郁子の想像とはまったく正反対の表情であった。
「ちょっとちょっと、ルータス! 何これ誰これっ!? 黒髪の子なんて、どこで見つけてきたのー?」
興奮気味にそう叫び、キラキラと光を宿した彼女の瞳に、郁子は激しくデジャヴを感じた。
それはつい先ほど、「君に興味がある」と言ったルータスと同じ、新しいおもちゃを見つけた子供のような、無邪気な好奇心の塊だった。
「ああもう! レディに、いつまで君の上着なんて華のないもの着せておく気っ!」
「そう言うなら、さっさと彼女の服をよこしてくれ」
「もちろん! さあさあお嬢さん、着替えを持ってきたよ。どれがいいかな?」
やはり少しハスキーな声でそうまくしたてた美女は、ルータスが郁子をソファに戻すと、抱えていたドレスをそれぞれ彼女の首の下に当てた。
「うん、濃い色も似合うね。サイズは少し余るかもしれないけど、裾は直してあげるから一回着てみて」
「あ、はい……」
郁子のために選ばれたのは、鮮やかな朱色がベースのドレス。
ところどころに施された細かなレースと、控えめに飾られた薔薇が華を添え、上品な中にもどこか愛らしさを感じさせる逸品だった。
しかし、ドレスなど着たことのない郁子はどうやって着ればいいのか分からなくて戸惑い、困ったように美女を見た。
すると彼女は心得たようににっこりと微笑み、「任せて」と呟いたかと思うと、ぽぽいっ素早くと郁子を下着に剥いてしまった。
同じ部屋にはルータスも執事コルドもいるままだったが、それに恥ずかしがる隙も与えない。
借りていたルータスの上着も、ぼろ切れになり下がったチュニックワンピースも、下に履いていたスキニージーンズさえ、驚くべき手際の良さで脱がせ切った美女は、郁子が我に返る前にドレスをずぼっと彼女に被せ、さささっと背中のボタンまで留め終えた。
「うんうん、よく似合う。意外にもサイズちょうどよかったね。君、着やせするタイプ?」
「……さあ」
彼女の言った通り、まるでそれは郁子にあつらえたかのように、胸元もウェストもぴったりだった。
それに満足げに頷いた美女は、どこからか針と糸を取り出したかと思うと、少しだけ引きずりそうだった裾を目にもとまらぬ早さで縫い上げる。そのあまりの素早さに、郁子の口からは思わず感嘆のため息が零れた。
「はい、できた。どう、ルータス」
「いいんじゃないか」
そうして、郁子を華麗に変身させた美女は胸を張り、傍らで見守っていたルータスの隣に並ぶ。
そんな二人のツーショットに、郁子はその時はたとあることに気づいた。
赤味の強い金髪に、淡い緑色の瞳。
何よりも、その端正な顔立ちは、こうして並べてみると……
「そっくり……。もしかして、あなた達って……」
「うん、兄弟だよ。お嬢さんのお名前は?」
「あ、郁子といいます。あの……ドレス、ありがとうございます」
「いいんだよ。弟が女物のドレスを欲しがるから何ごとかと思ったけど、イクコちゃんみたいな可愛いお嬢さんなら大歓迎」
ルータスを弟と言ったのだから、美女は彼の姉なのだろう。
彼女がルータスの妻や恋人ではないのだと知って、どこかほっとした自分に郁子は戸惑った。
それにしても、背の高いお姉さんだ。
ヒールの靴を履いているにしても、こちらも長身のルータスよりもまだ高い。
慣れない美貌に高い位置から見下ろされ、郁子はたじたじとしながら愛想笑いを浮かべた。
「で、ルータス。これはいったいどういうこと? 彼女の服、ぼろぼろになってたけど、まさかまさか君がやったんじゃないだろうね? 君に限って、女性を無理矢理……なんてこと、あり得ないとは思うけれど」
「当たり前だろう」
「本当に本当だろうね? おにーちゃんの目を見て、言える?」
「言える」
郁子は慣れないドレスを身に着けた我が身を見下ろしながら、頭の上の方で交わされている会話をそれとはなしに聞いていたが、その中にふとおかしな単語を見つけてしまって、「ん?」と首を傾げた。
それに目敏く気づいたらしいルータスが、彼女に声をかける。
「どうかしたか、イクコ」
「え……あの、今、おにーちゃんって……?」
郁子がそう呟くと、ルータスは「ああ」と何でもないことのように頷いて続けた。
「言ったな、リヒトが。彼は、俺の一つ上の兄だからな」
そう言った彼の視線の先では、リヒトと呼ばれた迫力美人がにこにこと微笑んでいる。
郁子は思わず声を裏返して叫んだ。
「あ、兄っ!? 姉じゃなくって……?」
「はじめまして、イクコちゃん。ルータスの兄、リヒト・ウェル・コンラートだよ。今度全身測らせてね。ドレスを作ってあげる」
そう言ってばっちんとウィンクをかましたリヒトに、一瞬郁子はぽかんとしたが、次の瞬間たいへんなことを思い出して顔を真っ赤にした。
「ぎゃああっ! さっき、思いっきり着せ替えされちゃったじゃないっ……!!」
「だーいじょうぶっ、見てない見てない。……けど、イクコちゃんってば意外におっぱいデカいんだねぇ」
「みっ、見たんじゃないっ……!!」
「えへへ~」
――ひどいっ、恥ずかしいっ!
そう叫んでソファの上で縮こまってしまった郁子の髪を、よしよしと宥めるように撫で、ルータスはじろりと兄リヒトを睨んだ。
「リヒトのすけべえ」
「いやん。ルータスこそ、むっつりすけべー」
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