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第七章 ネコはお母さん

35話 戦争は終わった

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『ばっかもーん!!』
『んみゃあ!』

 ネコのクリームパンみたいな前足が、勢いよく振り下ろされる。
 強烈な猫パンチを額に食らって、大きな図体にそぐわない可愛らしい悲鳴を上げたのは、ライガーサイズのレーヴェ──元祖チートだった。
 三階は総督府長官執務室のバルコニーに伏せをして、すっかりイカ耳になっている。
 私の腕の中からそれを見下ろし、ネコの説教が続いた。

『人の前には姿を表すなと、あれほど言い聞かせたじゃろうが! なーんで、お前が先頭切って登場しとるんじゃいっ!!』
『だ、だってぇ……』

 ミケが、元祖チートの俊足を見込んで頼んだのは、国境からやってくるベルンハルト王国軍に指示を認めた葉っぱと毛玉を届けることだった。
 毛玉を見れば、ベルンハルト王国軍に同行しているチートとソマリが私達からのメッセージだと気づき、何としてでもミットー公爵らにそれを渡してくれると踏んだのだ。
 その際、騒ぎになるのを避けるため、元祖チートには隠れているように伝えたのだが……

『お、おれも! ミットーさんに会いたかったんだ、にゃああっ……!!』

 怒り狂うネコにビクビクしつつ、彼は涙目で言い返した。
 幼少期に世話になったミットー公爵の姿を目にしたとたん、居ても立っても居られなくなって飛び出してしまったらしい。

『すわ巨大レーヴェの襲撃か、と一触即発の状況でしたわ』
『こいつと一緒にいた末っ子が状況を説明してくれたから、おれ達が慌てて人間を止めたんだにゃ!』

 伏せをした元祖チートの顔の横に座り、ソマリとチートがじとりとした目で彼を見て言う。
 そんな新入りときょうだいを見比べる三匹の子ネコの首の動きが、見事にシンクロしていた。

『そんなに怒んないでほしいにゃ……』

 元祖チートは、小さな同朋達の冷たい目に晒されて凹みまくっている。
 それを見かねて、私も口を挟んだ。

「まあまあ、そんなに責めないであげてよ。結果的には、この子がベルンハルト王国軍と一緒に来てくれて助かったし……それに、トラちゃんがラーガストの人達の心を捉えるのにも貢献してくれたしさ」

 トラちゃんの登場シーンは、インパクトが絶大だった。
 なにしろ、巨大なレーヴェに跨って城門を飛び越えてきたのだから。
 ネコは元祖チートを見下ろしつつ、フンと鼻を鳴らす。

『まあな。国王を生き神として崇めておったという信心深いラーガスト民が、あの小僧に心酔するのに十分な光景じゃったろうよ』
「一緒に乗っていたのが、ロメリアさんだったのも大きいよね」

 まさしく美の結晶ともいうべきロメリアさんが、まるで守護神のごとくトラちゃんの背中を支えていた光景も、人々に鮮烈な印象を与えたに違いない。
 私はその場に膝を突くと、腕からネコを下ろした。
 そして、自由になった両手で、元祖チートの耳周りをマッサージするみたいに優しく揉む。

「急にお願いしたのに協力してくれて、どうもありがとうね。門を飛び越えてきたのも、かっこよかったよ」
『うにゃ……褒めてもらえると、うれしいにゃあ……』

 耳周りは、猫が撫でられて喜ぶことの多いポイントの一つだ。
 ライガーサイズの超特大猫ちゃんも、ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らした。

『うにゃあん、もっとぉ……もっと、撫でてほしいにゃあーん』
「アッ、ハイ……」

 元祖チートはさらに、ゴロンと仰向けになって甘えてくる。
 妙に色っぽいイケボと目の前に差し出された大きなお腹に怯みつつも、私はせっせとそれを両手で撫で回した。

『あーっ! そいつだけ、ずるいにゃ! 珠子ねーちゃん、おれも! おれも、撫でてほしいにゃんっ!』
『わたくしもお願いしますわ、珠子姉様!』
「「「ミー! ミー、ミー!」」」

 すかさずチートとソマリが、左右から私の腕に前足をかけて立ち上がる。
 子ネコ達も、一斉に私の体をよじ上り始めた。

「わあ、わああ……私の弟妹、可愛いいい……!」

 ベンガルっぽいのに、ソマリっぽいの。そして、真っ白な子猫っぽいのに全方向から甘えられ、私は思わずデレデレしてしまう。
 するとここで…… 

『たっ、珠子! 我もっ……!』

 ネコが子供達を押しのける勢いで、我先にと肩に上ってきた。
 私の後頭部に顎の下を擦り付けつつ、ニャンニャンと殊更騒ぎ立てる。

『我も我も我も! 我も、撫でろーっ!!』
「はいはい、チートとソマリと子ネコ達の後でねー」
『いやじゃっ! 先に撫でろ! この母を、一番に撫でろーっ!!』
「いや、大人げないな……順番に撫でまーす! 並んでくださーい!」

 などと言い交わしつつ、バルコニーにて大小のモフモフをせっせと撫でて回る。
 そんな私を、部屋の中からはいくつもの目が見ていた。

「まったく、おタマは何をしているのかしら──めちゃくちゃ癒やされますわね」
「完全に同意する」

 掃き出し窓の側に立って、真顔で頷き合うのはロメリアさんとミケだ。
 
「殿下が崖から飛び下りるのを目にした時は、生きて再び出会えたならば一発殴ってやろうと思っておりましたが……モフモフ塗れのおタマを見ていると、どうでもよくなってまいりましたわ」
「まあ、なんだ……皆には迷惑も心配もかけてすまなかったと思っている。一発殴って気が済むのならば、そうしてもらっても構わん。ただ私は、あの時の行動を後悔するつもりはない。タマを救えたのだからな」
「もうどうでもよいと申しておりますでしょう。それよりも、さっさと話を終わらせておタマを愛でまくりたいですわ」
「完全に同意する」

 再びこくりと頷き合う真顔の二人に、部屋の中でソファに座ったミットー公爵が、はははっと声を立てて笑う。
 その首が右に傾いているのは、数十年ぶりの再会に興奮した元祖チートに飛びつかれて痛めたせいだ。

「ゴキャッ! とすごい音がして、首の骨が折れたかと思いましたー!」

 准将が身震いしながら、その時のことを語ってくれた。
 そんな准将は今、総督府の責任者である大佐と並んでミットー公爵が座るソファの後ろに立ち、向かいのソファにはラーガスト革命軍の代表とトラちゃんが座っていた。
 なお、カタリナさんは、中尉とメイドの少女が別室に連れていった。
 トラちゃんも、バルコニーにいる私やネコ達を気にしてはいるが、どうにも顔色が優れない。
 というのも……

「くそっ……!」

 ローテーブルが取り払われたソファとソファの間の床に、後ろ手に縛られたマルカリヤンが座らされていたからだ。
 元祖チートの超強力猫パンチを食らって気絶していた彼だが、半時間ほどして目を覚ました。
 その間に、ネコ達にこてんぱんにされた彼の部下達は連行され、現在別室にてベルンハルト王国軍の将官達が取り調べを行っている。
 一人この場に残されたかつてのラーガスト王太子は、屈辱的な状況に随分とショックを受けている様子だったが、やがて投げやりに呟いた。

「……殺せ」
「殺さん」

 即答したのはミケだ。
 私は彼らのやりとりを、ネコ達を撫でながらそっと窺っていた。
 床に座り込んだままのマルカリヤンを、腕組みをしたミケが威圧的に見下ろす。

「戦争は終わった。もうこれ以上、無益な血は流したくはない」
「ふん……綺麗事を」
「どうとでも言え。だが、お前の隠し財産とやらは、根こそぎ没収させてもらうぞ」
「……口を滑らせたことを、心底後悔している」

 マルカリヤンは、隠し財産のことをミケにチクった私を見つけて軽く睨む。
 しかし、モフモフ達に囲まれているのを見ると、毒気が抜かれたような顔になった。

『ぐふふ……あいつも結局、珠子には敵わんのじゃ。ネコの下僕が、ネコを害することなど不可能なようにな!』

 ネコが言うように、私を咎める言葉も吐かずに睨むのをやめたマルカリヤンは、はー……、と肺の中が空っぽになるくらい大きな息を吐いた。
 その身の内からぞわぞわと黒い綿毛が湧き出すのが見えて、私はそわそわしてしまう。

「あの人の負の感情も、取り払ってあげられないかな」
『なんじゃあ。お前、あいつに吸われたり撫でられたりするのを、さっきはあんなに嫌がっとったじゃろうに』
「うん、でも……もう、観念しきってるみたいだし……」
『ふん! 王子は、珠子とあの男が接触するのを許さんと思うがな!』

 革命軍との協議の末、マルカリヤンの身柄はベルンハルト王国に護送されることになった。
 皮肉にも、末弟であるトラちゃんと入れ替わりだ。
 しかし、マルカリヤンはもはやそれに対して何の感想も口にせず、代わりにぽつりと呟いた。 

「ベルンハルトに行くのは、初めてだな……レオナルド殿の墓に花を手向けたいのだが」
「……善処しよう」

 ミケの亡き兄レオナルドは、マルカリヤンと同い年だった。
 兄が生きていれば何かが違っただろうか──ミケはきっと、そんなことを考えたこともあっただろう。
 けれどもレオナルドは亡くなり、マルカリヤンと剣を交えることになったのはミケだった。
 ミケは、冷静になったマルカリヤンに再び問う。

「ラーガスト国王は、なぜ戦争をしようとした?」
「……さあな。父の考えなど、さっぱりわからん」

 マルカリヤンのなげやりな言い草に、ミケをはじめとするベルンハルト王国の人々が眉を顰めた。
 鼻面に皺を寄せたネコが、彼らの思いを代弁するように喚く。

『何じゃい何じゃい! 王太子ともあろうもんが、随分と無責任なことじゃわい!』
「そうだね。でも、国王を神格化していたって話だから、その言葉は絶対で……あのマルカリヤンって人も、わけもわからないまま戦争をさせられていたのかも……」

 マルカリヤンが鬱々とした様子で、もう一度大きなため息をついた。
 それから、ふと思い出したように言う。

「だが……私は、父があの男に唆されたのではないかと思っている」
「あの男? それは何者だ?」
「私よりいくつか年上に見えたが、素性は知らん。ただ、父が数年前から重用していてな──右目の下に泣き黒子のある男だ」
「右目の下に……泣き黒子……」

 ミケが、はっとした顔をした。
 彼の過去の記憶を共有していた私の心もざわりとする。
 ミケの兄レオナルドを殺した男の右目の下にもまた、泣き黒子があった。
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