日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第四十五話『救援辞退』 急

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 ほんの少しだけ時をさかのぼる。
 滑走路からが半狂乱で逃げ出し、わたるがそれを追い掛けた後のことだ。
 きゆうもまた、わたるの後を追おうとしていた。
 彼もまた、を放っておくことは出来ないと考えていた。

 だがその時、事態は更にこんとんを深める。
 突如として予想だにしない問題が起こったのだ。

「ゴホッ……!」

 こうこく外務省の役人・そうげんかずが突如んだ。
 湿り濁った、嫌なせきだった。
 いな、彼女はてのひらに付着したを見てどうもくしていた。
 ただごとではない異変がそうげんの体に起こっていた。

そうげんさん!?」

 そうげんと擦れ違おうとしたに彼女の体が寄り掛かった。
 体の力を失って倒れたのだ。

「ごふアッッ!!」

 の腕の中で再び吐血したそうげんは白目をいてけいれんしていた。
 何が起きたか訳が分からぬ彼らをおいてけぼりに、そうげんの体は目に見えて痩せ細って朽ち果てていく。
 明らかに何らかの力が作用し、そうげんを死に追いやったのだ。

「何が起こっている……?」

 そうげんの変わり果てた体をそっと降ろすと、びやくだんあげの方を向いた。

びやくだんおれさきもり君と君を呼び戻しに行く。その間、お前は能力でこの場の皆を隠していてくれ。何か、非常に拙いことが起こっているのは間違い無いんだ……」
「アイアイ、了解しましたー」

 びやくだんに場を任せると、改めて海に向かって走り出した。

    ⦿

 時を戻し、海辺。
 全身から血を噴き出したの体は崩れ落ち、嫌な音を立てて倒れ込んだ。
 声にならない末期の言葉を発した彼は、そのまま動かなくなった。
 わたるはその絶命を目の当たりにし、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。

…………」

 わたるの全身を締め付けるのは無力感・喪失感、そして行き場を見付けられない怒りだった。
 行き場が無い、のではない。
 は明らかに誰かによって陥れられ、失意の中で死を選んだのだ。
 誰かにぶつけるべき怒りがわたるの中で渦巻いていた。

「誰だ……!」

 わたるは全身をわなわなと震えさせていた。

めやがったのは誰だ……!」

 心臓の鼓動が、荒れる呼吸が、わたるを激しく駆り立てる。
 渦巻く感情が胸の奥底から爆発して逆上する。
 闇空へ叫ばずにはいられなかった。

「誰がこんなことしやがったああッッ!!」

 それは悲痛な絶叫だった。

さきもり君……」

 後から駆け付けたも、その光景を見て沈痛に顔をゆがめた。
 こうこくはしろうとしたを強く問い詰めた彼も、後味の悪い物を感じているのだろう。

 もっと早くが駆け付けたところで結果が変わったとは考えにくい。
 わたるもそれはわかっているし、に非があるとは一切思っていない。
 それでも、わたるに声を掛けられずにいる様だ。

さん、こうこくに奔ろうとしたは、死ななければならない罪を犯したんですか?」
「そんなことは決してない。褒められた選択ではないが、日本の法はそれを禁じていないし、第一に自由権の範囲内であって、罰することなどあってはならない。あの映像の通りなら話は変わるが、げたねつぞうだ。彼は何も悪くない」

 わたるの両目を閉じさせた。
 しかし彼らに、その死を悼む時間など無かった。

さきもり君、こんな時にすまんが、すぐに戻って来てくれ。そうげんさんが何者かに殺された。我々は明らかに狙われている」
「分かりました……」

 わたるを待たずに来た道を戻っていった。
 わたるもすぐに行かなければならない。
 の体をまみれのまま置いておくのは忍びないが、この場に長くとどまれない理由が出来てしまった。

、少しだけ待っていてくれ。お前をこのまま置いて帰ったりは決してしないから……」

 わたるの遺体と、そして自分の胸へと静かに言い聞かせる様につぶやき、立ち上がった。
 そして息を整えると、の後を追って滑走路へと戻っていった。



    ⦿⦿⦿



 うることたつかみやしきから自動車で送迎を受けていた。
 同乗しているのはくもたかくもの兄妹、そしてたつかみの侍従・かいいんありきよである。
 後部座席に日本国へ渡る予定の三人が、向かい合う席にかいいんすわっている。
 当然、彼女らもまた空に映し出された映像に気が付いていた。

君……一体何が……!」

 不測の事態に、ことは警戒を強めた。
 同時に四人の乗る車にも異変が起こった。

「この加速……!」
「妙ですね。制限速度を超過している……」

 かいいんも背後の運転席にげんそうな視線を送っていた。
 彼の言う様に、四人を乗せた車は異常な程加速している。
 このまま事故を起こせば大事になってしまう。

「どうやら良からぬたくらみが我々を攻撃しているようですね……」

 かいいんはそう呟くと、落ち着いた様子で背後の助手席を引いて席を移った。
 皇族が利用する送迎用の自動車は、運転手に万が一のことが起きた場合に侍従が運転を迅速に代行出来るよう、すぐに席を移って助手席からも操縦可能な構造になっている。

「やはり運転手は既にあの世か。皆さん、すぐに車を停止させます。急減速になりますが御容赦ください」

 運転手が絶命している様は、こともまたかいいんが助手席を引いた時に目撃していた。
 かいいんは事もなげにハンドルを切りながらブレーキを踏み込む。
 車体は全体を大きく前傾させ、タイヤのる音を鳴らしながら停止した。

「御怪我は御座いませんか?」
「ええ」

 ことは当然、この程度で堪えたりはしない。
 心配なのはくも兄妹だが、気が付くと双子の姿はそこに無かった。

「居ない……あの二人が……!」
「何ですって?」

 珍しくかいいんが大きな声を出した。
 守るべき者が車内からこつぜんと消えたというのは失態であるが、あり得ぬ事態故に防げという方が無理だろう。
 そして状況は二人を待ってはくれず、自動車は無数のしよう機械に取り囲まれた。

さんきゆうどうしんたいか……」

 きゅうどうしんたいよりも小さい人形、或いはドローンの様な型式がさんきゆうどうしんたいである。
 一機一機はしんの使い手にとって大した戦力ではないが、数が容易に増えるというのが面倒なところである。

 かいいんは懐から一輪の薔薇ばらを取り出した。
 三本の指で持ったそれを軽く振るうと、彼らが乗っていた車が無数の薔薇の花弁となって舞い散った。
 必然、ことかいいんおくがいさらされる。

御婦人マドモアゼル、この場はわたくしが引き受けましょう。退路をひらきますのでたつかみ邸へと一旦お戻りください。双子の少年少女も誓って皆様の元へと送り届けます」

 そうことに言い聞かせると、かいいんは薔薇の花を振り上げた。
 車から変化した薔薇の花弁は花嵐となって辺りに吹き荒れ、さんきゆうどうしんたいを次々と破壊していく。

「さあ、早く!」

 ことかいいんの言葉通り、その場から走り去った。
 ただ、行き先はたつかみ邸ではない。

(車が襲われたということは、敵はわたし達の動向を把握している。となると、皇族の近くに居た誰かが黒幕か……!)

 胸騒ぎに駆り立てられ、猛然とわたる達の待つ空港へと向かって行った。



    ⦿⦿⦿



 皇宮でこまかみらんの出立を見送ったりゆういんしらゆきは、夜空の月を見上げて一息いた。

ひとずこれで良いかしらねぇ……」
「ああ、向こうの首尾も上々みたいだよ」

 いつの間にか、招かれざる客がりゆういんの背後に立っていた。
 少年を思わせる小柄な青年は、明らかに皇族でない、場違いな存在だった。
 しかし、りゆういんには特段慌てる様子も無い。

「あらあら貴方あなた、こんな所に来ちゃって良いの? さく君と違って、貴方あなたはお尋ね者ではなくって、せい君?」

 そうせんたいおおかみきばの首領補佐・おとせいが第一皇子・かみえいの近衛侍女・りゆういんしらゆきと並び立ち、親しげに話している。
 二人は月に向けて邪悪なほほみを浮かべた。

いよいよぼく達の陰謀は貴女あなたの野望に変わって動き出す訳だ」
「そうね。そこでついでに、せい君にお願いがあるのだけれど」

 りゆういんの頼み事を聴くと、おとは白い歯を見せて笑った。

「くっくっく。かしこまりました、ひめさま

 おとはそう言い残すと、その場から忽然と姿を消した。
 後に残ったりゆういんは変わらず闇空を見上げている。

「美しきもの、比翼の鳥が離れ落ちるその刹那、互い心の移ろう様、たがう心のこじれる様、うふふふふ……」

 月が深い。
 不穏な風が吹いている。

「さあ、たくさん聞かせてくださいな。なげきのうたの二重せんを……」

 空がくらい。
 狂気の陰謀が渦巻いている。
 女の悪意が時代をわらう。

りゆういん、そろそろ戻るぞ」
「はいかみ殿下、ただいま参りますわ」

 りゆういんは平然と、わざとらしい程朗らかに主の呼び掛けに応えた。
 女の悪意が世界を嗤う。



    ⦿⦿⦿



 わたるが仲間達の元へ戻ってみると、そうげんの死体はすっかりと朽ち果てていた。

「何が起きているんだ。一体誰が次から次へとこんなむごいことを……」

 わたるは困惑よりも怒りから拳を握り締めた。
 一連の事件を起こした黒幕は、事も無げに他者の人生と尊厳をもてあそび、滅ぼしてしまう。
 それはあまりにも邪悪な所業である。
 そうせんたいおおかみきばに近いけん感があるが、正体も目的もわからない分ちらの方が不気味さでは上回っている。

 とその時、遠くから爆発音が聞こえた。
 どうやら空港の建屋が爆破されたらしく、一般旅行客の悲鳴が聞こえてくる。

ぇ。もうちやちやじゃねえか」
「どれだけ殺せば気が済むんだろう」
「一体何が狙いなのかしら……」

 あぶしんずみふたまゆづきも立て続けに爆破される遠くの建屋と飛行機をにらんでいた。

「これは早く帰国した方が良さそうですねー。さっさと乗り込んで飛行士さんに離陸してもらいましょう」
「待ってくださいびやくだんさん。を置いてはいけません。はらさんやおりを送り届けた様に、御家族に事情を説明するためにも一緒に帰らないと……」

 びやくだんは嫌そうな顔を見せたが、わたるは引き下がらない。
 の遺体に話し掛けたことはわたるの本心であり、このままこうこくに放置するのはあまりにも忍びなかった。
 びやくだんに判断を仰ぐ様に無言で顔を見る。

さきもり君の言うことももつともだ。我々にはその義務があるだろう」
「それはそうですかねー。一刻を争いますが、幻惑で隠れて運んで来ちゃいましょう」

 びやくだんわたるも光で包み、幻惑能力の対象に加えた。
 隠れて安全に動くには、全員で行動する必要がある。
 このままわたるの案内でもとへと向かおうとした、その時だった。

「ふーん……。お前達、本性を現したって訳かぁ……」

 突如、わたる達の為に用意された飛行機の上から声が聞こえた。
 制服姿だが派手なちの少女が月明かりを浴びてわたる達を見下ろしていた。
 わたるは彼女に見覚えがあった。

「第三皇女・こまかみらん……!」

 その少女は確かに、きのえ邸で見た皇族の一人だった。
 どういう訳か彼女にはびやくだんの幻惑が通じず、わたる達の姿が見えているらしい。

「おいお嬢ちゃんよ! おれ達の本性ってどういうことだ!」

 しんが大声でこまかみらんを問い詰める。
 だが彼以外は大方事情を察していた。
 こまかみは不快そうに目をすがめて答える。

「ハァ? お前達、こうこくと戦争になりそうだからって破壊工作を始めたんじゃねーの? 外交官を殺して、空港に爆破テロまで仕掛けるなんて悪逆非道過ぎっしょ」

 わたる達は身構えた。
 ようやく彼らは周囲で起きた一連の工作の意味を思い知った。
 黒幕の何者かはわたる達にこまかみをぶつけるつもりだった。
 その為の下準備だったのだ。

りゆういんが話してくれたんだよね。きのえが言っていた『めいひのもとの連中がはんぎやく者とつながっている』というのはあながち全くのたらじゃないかも知れない、って。全部に落ちたし。要するに、戦時にこうこく社会を内部から混乱させる為に最初から手を組んでたってことっしょ。拉致も工作の一環だったって訳だ」

 こまかみの推察は断片的な情報を都合良くつなわせた全くの出鱈目である。
 だが、彼女に話し合いは通じそうにない。
 言葉とは裏腹に、こまかみは無邪気でぎやく的な笑みを浮かべている。

「ま、良いや。最近刺激が無くてつまんないと思ってたから、お前達で遊ばせともらおうじゃん? 残念だったね、もう生きて帰れないよ?」

 こまかみの無慈悲な宣言に、わたる達は一様にあおめた。
 特にずみふたは動揺して珍しく大声を張り上げる。

「待って! これはわな! 誰かがわたし達をめようとしているの! そんなこともわからないの!? わたし達は何も……!」

 ふたが全て言い切る前にこまかみの姿が消えた。
 刹那、こまかみふたの目の前にあらわれて裏拳を放ちながら背後へと通り過ぎる。
 ふたの体はあっさりと宙を舞い、そのまま滑走路にたたけられて動かなくなった。

「ウザッ。それに貴方あなた達、さっきからわたしさまにタメ口利くとか随分生意気じゃん。別にわたしさま御父様パパきりんねえさまに言い訳が立てばお前らの正邪なんかどうでも良いし。ただ暴れる相手が欲しいだけなんだよね。そんなことも解らないの?」

 こまかみは冷淡な、人としての情に欠けた表情でわたる達の方へ振り向いた。
 その振る舞いはさながら、ぼうじやくじんに育ったじようさまかんしやくといったところか。

ずみさん!」

 わたるふたもとへ駆け寄り、彼女の体を抱えた。
 気絶しているが息はあるようだ。
 しかしそれはたった一撃でふたしんが尽きたことを意味する。
 こまかみらんが恐るべき敵であることは間違い無い。

「弱り目にたた、泣きっ面に蜂か……」

 きゅうひつぱくした表情で構えた。
 そんな彼をこまかみは鼻で笑う。

「ふーん、わたしさまとやる気なんだ。身の程知らず」

 こまかみあおり気味に全員を見下して不敵に笑う。
 こうこくける最高権威たる皇族の一人がその猛威を振るおうとしていた。
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