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第二章『神皇篇』
第四十五話『救援辞退』 急
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ほんの少しだけ時を遡る。
滑走路から虎駕が半狂乱で逃げ出し、航がそれを追い掛けた後のことだ。
根尾弓矢もまた、航の後を追おうとしていた。
彼もまた、虎駕を放っておくことは出来ないと考えていた。
だがその時、事態は更に渾沌を深める。
突如として予想だにしない問題が起こったのだ。
「ゴホッ……!」
皇國外務省の役人・総源量子が突如咳き込んだ。
湿り濁った、嫌な咳だった。
否、彼女は掌に付着した血反吐を見て瞠目していた。
只事ではない異変が総源の体に起こっていた。
「総源さん!?」
総源と擦れ違おうとした根尾に彼女の体が寄り掛かった。
体の力を失って倒れたのだ。
「ごふアッッ!!」
根尾の腕の中で再び吐血した総源は白目を剥いて痙攣していた。
何が起きたか訳が分からぬ彼らを置行堀に、総源の体は目に見えて痩せ細って朽ち果てていく。
明らかに何らかの力が作用し、総源を死に追いやったのだ。
「何が起こっている……?」
根尾は総源の変わり果てた体をそっと降ろすと、白檀揚羽の方を向いた。
「白檀、俺は岬守君と虎駕君を呼び戻しに行く。その間、お前は能力でこの場の皆を隠していてくれ。何か、非常に拙いことが起こっているのは間違い無いんだ……」
「アイアイ、了解しましたー」
根尾は白檀に場を任せると、改めて海に向かって走り出した。
⦿
時を戻し、海辺。
全身から血を噴き出した虎駕の体は崩れ落ち、嫌な音を立てて倒れ込んだ。
声にならない末期の言葉を発した彼は、そのまま動かなくなった。
航はその絶命を目の当たりにし、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
「虎……駕……」
航の全身を締め付けるのは無力感・喪失感、そして行き場を見付けられない怒りだった。
行き場が無い、のではない。
虎駕は明らかに誰かによって陥れられ、失意の中で死を選んだのだ。
誰かにぶつけるべき怒りが航の中で渦巻いていた。
「誰だ……!」
航は全身をわなわなと震えさせていた。
「虎駕を嵌めやがったのは誰だ……!」
心臓の鼓動が、荒れる呼吸が、航を激しく駆り立てる。
渦巻く感情が胸の奥底から爆発して逆上する。
闇空へ叫ばずにはいられなかった。
「誰がこんなことしやがったああッッ!!」
それは悲痛な絶叫だった。
「岬守君……」
後から駆け付けた根尾も、その光景を見て沈痛に顔を歪めた。
皇國に奔ろうとした虎駕を強く問い詰めた彼も、後味の悪い物を感じているのだろう。
もっと早く根尾が駆け付けたところで結果が変わったとは考え難い。
航もそれは解っているし、根尾に非があるとは一切思っていない。
それでも、根尾は航に声を掛けられずにいる様だ。
「根尾さん、皇國に奔ろうとした虎駕は、死ななければならない罪を犯したんですか?」
「そんなことは決してない。褒められた選択ではないが、日本の法はそれを禁じていないし、第一に自由権の範囲内であって、罰することなどあってはならない。あの映像の通りなら話は変わるが、莫迦げた捏造だ。彼は何も悪くない」
航は虎駕の両目を閉じさせた。
しかし彼らに、その死を悼む時間など無かった。
「岬守君、こんな時にすまんが、すぐに戻って来てくれ。総源さんが何者かに殺された。我々は明らかに狙われている」
「分かりました……」
根尾は航を待たずに来た道を戻っていった。
航もすぐに行かなければならない。
虎駕の体を血塗れのまま置いておくのは忍びないが、この場に長く留まれない理由が出来てしまった。
「虎駕、少しだけ待っていてくれ。お前をこのまま置いて帰ったりは決してしないから……」
航は虎駕の遺体と、そして自分の胸へと静かに言い聞かせる様に呟き、立ち上がった。
そして息を整えると、根尾の後を追って滑走路へと戻っていった。
⦿⦿⦿
麗真魅琴は龍乃神邸から自動車で送迎を受けていた。
同乗しているのは雲野幽鷹と雲野兎黄泉の兄妹、そして龍乃神の侍従・灰祇院在清である。
後部座席に日本国へ渡る予定の三人が、向かい合う席に灰祇院が坐っている。
当然、彼女らもまた空に映し出された映像に気が付いていた。
「虎駕君……一体何が……!」
不測の事態に、魅琴は警戒を強めた。
同時に四人の乗る車にも異変が起こった。
「この加速……!」
「妙ですね。制限速度を超過している……」
灰祇院も背後の運転席に怪訝そうな視線を送っていた。
彼の言う様に、四人を乗せた車は異常な程加速している。
このまま事故を起こせば大事になってしまう。
「どうやら良からぬ企みが我々を攻撃しているようですね……」
灰祇院はそう呟くと、落ち着いた様子で背後の助手席を引いて席を移った。
皇族が利用する送迎用の自動車は、運転手に万が一のことが起きた場合に侍従が運転を迅速に代行出来るよう、すぐに席を移って助手席からも操縦可能な構造になっている。
「やはり運転手は既にあの世か。皆さん、すぐに車を停止させます。急減速になりますが御容赦ください」
運転手が絶命している様は、魅琴もまた灰祇院が助手席を引いた時に目撃していた。
灰祇院は事もなげにハンドルを切りながらブレーキを踏み込む。
車体は全体を大きく前傾させ、タイヤの磨り減る音を鳴らしながら停止した。
「御怪我は御座いませんか?」
「ええ」
魅琴は当然、この程度で堪えたりはしない。
心配なのは雲野兄妹だが、気が付くと双子の姿はそこに無かった。
「居ない……あの二人が……!」
「何ですって?」
珍しく灰祇院が大きな声を出した。
守るべき者が車内から忽然と消えたというのは失態であるが、あり得ぬ事態故に防げという方が無理だろう。
そして状況は二人を待ってはくれず、自動車は無数の飛翔機械に取り囲まれた。
「参級為動機神体か……」
弐級為動機神体よりも小さい人形、或いはドローンの様な型式が参級為動機神体である。
一機一機は神為の使い手にとって大した戦力ではないが、数が容易に増えるというのが面倒なところである。
灰祇院は懐から一輪の薔薇を取り出した。
三本の指で持ったそれを軽く振るうと、彼らが乗っていた車が無数の薔薇の花弁となって舞い散った。
必然、魅琴と灰祇院は屋外に曝される。
「御婦人、この場は私が引き受けましょう。退路を拓きますので龍乃神邸へと一旦お戻りください。双子の少年少女も誓って皆様の元へと送り届けます」
そう魅琴に言い聞かせると、灰祇院は薔薇の花を振り上げた。
車から変化した薔薇の花弁は花嵐となって辺りに吹き荒れ、参級為動機神体を次々と破壊していく。
「さあ、早く!」
魅琴は灰祇院の言葉通り、その場から走り去った。
ただ、行き先は龍乃神邸ではない。
(車が襲われたということは、敵は私達の動向を把握している。となると、皇族の近くに居た誰かが黒幕か……!)
胸騒ぎに駆り立てられ、猛然と航達の待つ空港へと向かって行った。
⦿⦿⦿
皇宮で狛乃神嵐花の出立を見送った貴龍院皓雪は、夜空の月を見上げて一息吐いた。
「一先ずこれで良いかしらねぇ……」
「ああ、向こうの首尾も上々みたいだよ」
いつの間にか、招かれざる客が貴龍院の背後に立っていた。
少年を思わせる小柄な青年は、明らかに皇族でない、場違いな存在だった。
しかし、貴龍院には特段慌てる様子も無い。
「あらあら貴方、こんな所に来ちゃって良いの? 朔馬君と違って、貴方はお尋ね者ではなくって、征一千君?」
武装戦隊・狼ノ牙の首領補佐・八社女征一千が第一皇子・獅乃神叡智の近衛侍女・貴龍院皓雪と並び立ち、親しげに話している。
二人は月に向けて邪悪な微笑みを浮かべた。
「愈々、僕達の陰謀は貴女の野望に変わって動き出す訳だ」
「そうね。そこでついでに、征一千君にお願いがあるのだけれど」
貴龍院の頼み事を聴くと、八社女は白い歯を見せて笑った。
「くっくっく。畏まりました、御媛様」
八社女はそう言い残すと、その場から忽然と姿を消した。
後に残った貴龍院は変わらず闇空を見上げている。
「美しきもの、比翼の鳥が離れ落ちるその刹那、互い心の移ろう様、違う心の拗れる様、うふふふふ……」
月が深い。
不穏な風が吹いている。
「さあ、澤山聞かせてくださいな。歎きの詩の二重螺旋を……」
空が昏い。
狂気の陰謀が渦巻いている。
女の悪意が時代を嗤う。
「貴龍院、そろそろ戻るぞ」
「はい獅乃神殿下、只今参りますわ」
貴龍院は平然と、わざとらしい程朗らかに主の呼び掛けに応えた。
女の悪意が世界を嗤う。
⦿⦿⦿
航と根尾が仲間達の元へ戻ってみると、総源の死体はすっかりと朽ち果てていた。
「何が起きているんだ。一体誰が次から次へとこんな惨いことを……」
航は困惑よりも怒りから拳を握り締めた。
一連の事件を起こした黒幕は、事も無げに他者の人生と尊厳を弄び、滅ぼしてしまう。
それはあまりにも邪悪な所業である。
武装戦隊・狼ノ牙に近い嫌悪感があるが、正体も目的も判らない分此方の方が不気味さでは上回っている。
とその時、遠くから爆発音が聞こえた。
どうやら空港の建屋が爆破されたらしく、一般旅行客の悲鳴が聞こえてくる。
「非っ道ぇ。もう無茶苦茶じゃねえか」
「どれだけ殺せば気が済むんだろう」
「一体何が狙いなのかしら……」
虻球磨新兒・久住双葉・繭月百合菜も立て続けに爆破される遠くの建屋と飛行機を睨んでいた。
「これは早く帰国した方が良さそうですねー。さっさと乗り込んで飛行士さんに離陸してもらいましょう」
「待ってください白檀さん。虎駕を置いてはいけません。二井原さんや折野を送り届けた様に、御家族に事情を説明する為にも一緒に帰らないと……」
白檀は嫌そうな顔を見せたが、航は引き下がらない。
虎駕の遺体に話し掛けたことは航の本心であり、このまま皇國に放置するのはあまりにも忍びなかった。
白檀は根尾に判断を仰ぐ様に無言で顔を見る。
「岬守君の言うことも尤もだ。我々にはその義務があるだろう」
「それはそうですかねー。一刻を争いますが、幻惑で隠れて運んで来ちゃいましょう」
白檀は航と根尾も光で包み、幻惑能力の対象に加えた。
隠れて安全に動くには、全員で行動する必要がある。
このまま航と根尾の案内で虎駕の許へと向かおうとした、その時だった。
「ふーん……。お前達、本性を現したって訳かぁ……」
突如、航達の為に用意された飛行機の上から声が聞こえた。
制服姿だが派手な出で立ちの少女が月明かりを浴びて航達を見下ろしていた。
航は彼女に見覚えがあった。
「第三皇女・狛乃神嵐花……!」
その少女は確かに、甲邸で見た皇族の一人だった。
どういう訳か彼女には白檀の幻惑が通じず、航達の姿が見えているらしい。
「おいお嬢ちゃんよ! 俺達の本性ってどういうことだ!」
新兒が大声で狛乃神嵐花を問い詰める。
だが彼以外は大方事情を察していた。
狛乃神は不快そうに目を眇めて答える。
「ハァ? お前達、皇國と戦争になりそうだからって破壊工作を始めたんじゃねーの? 外交官を殺して、空港に爆破テロまで仕掛けるなんて悪逆非道過ぎっしょ」
航達は身構えた。
漸く彼らは周囲で起きた一連の工作の意味を思い知った。
黒幕の何者かは航達に狛乃神をぶつけるつもりだった。
その為の下準備だったのだ。
「貴龍院が話してくれたんだよね。甲が言っていた『明治日本の連中が叛逆者と繋がっている』というのはあながち全くの出鱈目じゃないかも知れない、って。全部腑に落ちたし。要するに、戦時に皇國社会を内部から混乱させる為に最初から手を組んでたってことっしょ。拉致も工作の一環だったって訳だ」
狛乃神の推察は断片的な情報を都合良く繋ぎ合わせた全くの出鱈目である。
だが、彼女に話し合いは通じそうにない。
言葉とは裏腹に、狛乃神は無邪気で嗜虐的な笑みを浮かべている。
「ま、良いや。最近刺激が無くてつまんないと思ってたから、お前達で遊ばせともらおうじゃん? 残念だったね、もう生きて帰れないよ?」
狛乃神の無慈悲な宣言に、航達は一様に青褪めた。
特に久住双葉は動揺して珍しく大声を張り上げる。
「待って! これは罠! 誰かが私達を嵌めようとしているの! そんなことも解らないの!? 私達は何も……!」
双葉が全て言い切る前に狛乃神の姿が消えた。
刹那、狛乃神は双葉の目の前に顕れて裏拳を放ちながら背後へと通り過ぎる。
双葉の体はあっさりと宙を舞い、そのまま滑走路に叩き付けられて動かなくなった。
「ウザッ。それに貴方達、さっきから私様にタメ口利くとか随分生意気じゃん。別に私様は御父様や麒姉様に言い訳が立てばお前らの正邪なんかどうでも良いし。ただ暴れる相手が欲しいだけなんだよね。そんなことも解らないの?」
狛乃神は冷淡な、人としての情に欠けた表情で航達の方へ振り向いた。
その振る舞いは宛ら、傍若無人に育った御嬢様の癇癪といったところか。
「久住さん!」
航が双葉の許へ駆け寄り、彼女の体を抱えた。
気絶しているが息はあるようだ。
しかしそれはたった一撃で双葉の神為が尽きたことを意味する。
狛乃神嵐花が恐るべき敵であることは間違い無い。
「弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂か……」
根尾弓矢が逼迫した表情で構えた。
そんな彼を狛乃神は鼻で笑う。
「ふーん、私様とやる気なんだ。身の程知らず」
狛乃神は煽り気味に全員を見下して不敵に笑う。
皇國に於ける最高権威たる皇族の一人がその猛威を振るおうとしていた。
滑走路から虎駕が半狂乱で逃げ出し、航がそれを追い掛けた後のことだ。
根尾弓矢もまた、航の後を追おうとしていた。
彼もまた、虎駕を放っておくことは出来ないと考えていた。
だがその時、事態は更に渾沌を深める。
突如として予想だにしない問題が起こったのだ。
「ゴホッ……!」
皇國外務省の役人・総源量子が突如咳き込んだ。
湿り濁った、嫌な咳だった。
否、彼女は掌に付着した血反吐を見て瞠目していた。
只事ではない異変が総源の体に起こっていた。
「総源さん!?」
総源と擦れ違おうとした根尾に彼女の体が寄り掛かった。
体の力を失って倒れたのだ。
「ごふアッッ!!」
根尾の腕の中で再び吐血した総源は白目を剥いて痙攣していた。
何が起きたか訳が分からぬ彼らを置行堀に、総源の体は目に見えて痩せ細って朽ち果てていく。
明らかに何らかの力が作用し、総源を死に追いやったのだ。
「何が起こっている……?」
根尾は総源の変わり果てた体をそっと降ろすと、白檀揚羽の方を向いた。
「白檀、俺は岬守君と虎駕君を呼び戻しに行く。その間、お前は能力でこの場の皆を隠していてくれ。何か、非常に拙いことが起こっているのは間違い無いんだ……」
「アイアイ、了解しましたー」
根尾は白檀に場を任せると、改めて海に向かって走り出した。
⦿
時を戻し、海辺。
全身から血を噴き出した虎駕の体は崩れ落ち、嫌な音を立てて倒れ込んだ。
声にならない末期の言葉を発した彼は、そのまま動かなくなった。
航はその絶命を目の当たりにし、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
「虎……駕……」
航の全身を締め付けるのは無力感・喪失感、そして行き場を見付けられない怒りだった。
行き場が無い、のではない。
虎駕は明らかに誰かによって陥れられ、失意の中で死を選んだのだ。
誰かにぶつけるべき怒りが航の中で渦巻いていた。
「誰だ……!」
航は全身をわなわなと震えさせていた。
「虎駕を嵌めやがったのは誰だ……!」
心臓の鼓動が、荒れる呼吸が、航を激しく駆り立てる。
渦巻く感情が胸の奥底から爆発して逆上する。
闇空へ叫ばずにはいられなかった。
「誰がこんなことしやがったああッッ!!」
それは悲痛な絶叫だった。
「岬守君……」
後から駆け付けた根尾も、その光景を見て沈痛に顔を歪めた。
皇國に奔ろうとした虎駕を強く問い詰めた彼も、後味の悪い物を感じているのだろう。
もっと早く根尾が駆け付けたところで結果が変わったとは考え難い。
航もそれは解っているし、根尾に非があるとは一切思っていない。
それでも、根尾は航に声を掛けられずにいる様だ。
「根尾さん、皇國に奔ろうとした虎駕は、死ななければならない罪を犯したんですか?」
「そんなことは決してない。褒められた選択ではないが、日本の法はそれを禁じていないし、第一に自由権の範囲内であって、罰することなどあってはならない。あの映像の通りなら話は変わるが、莫迦げた捏造だ。彼は何も悪くない」
航は虎駕の両目を閉じさせた。
しかし彼らに、その死を悼む時間など無かった。
「岬守君、こんな時にすまんが、すぐに戻って来てくれ。総源さんが何者かに殺された。我々は明らかに狙われている」
「分かりました……」
根尾は航を待たずに来た道を戻っていった。
航もすぐに行かなければならない。
虎駕の体を血塗れのまま置いておくのは忍びないが、この場に長く留まれない理由が出来てしまった。
「虎駕、少しだけ待っていてくれ。お前をこのまま置いて帰ったりは決してしないから……」
航は虎駕の遺体と、そして自分の胸へと静かに言い聞かせる様に呟き、立ち上がった。
そして息を整えると、根尾の後を追って滑走路へと戻っていった。
⦿⦿⦿
麗真魅琴は龍乃神邸から自動車で送迎を受けていた。
同乗しているのは雲野幽鷹と雲野兎黄泉の兄妹、そして龍乃神の侍従・灰祇院在清である。
後部座席に日本国へ渡る予定の三人が、向かい合う席に灰祇院が坐っている。
当然、彼女らもまた空に映し出された映像に気が付いていた。
「虎駕君……一体何が……!」
不測の事態に、魅琴は警戒を強めた。
同時に四人の乗る車にも異変が起こった。
「この加速……!」
「妙ですね。制限速度を超過している……」
灰祇院も背後の運転席に怪訝そうな視線を送っていた。
彼の言う様に、四人を乗せた車は異常な程加速している。
このまま事故を起こせば大事になってしまう。
「どうやら良からぬ企みが我々を攻撃しているようですね……」
灰祇院はそう呟くと、落ち着いた様子で背後の助手席を引いて席を移った。
皇族が利用する送迎用の自動車は、運転手に万が一のことが起きた場合に侍従が運転を迅速に代行出来るよう、すぐに席を移って助手席からも操縦可能な構造になっている。
「やはり運転手は既にあの世か。皆さん、すぐに車を停止させます。急減速になりますが御容赦ください」
運転手が絶命している様は、魅琴もまた灰祇院が助手席を引いた時に目撃していた。
灰祇院は事もなげにハンドルを切りながらブレーキを踏み込む。
車体は全体を大きく前傾させ、タイヤの磨り減る音を鳴らしながら停止した。
「御怪我は御座いませんか?」
「ええ」
魅琴は当然、この程度で堪えたりはしない。
心配なのは雲野兄妹だが、気が付くと双子の姿はそこに無かった。
「居ない……あの二人が……!」
「何ですって?」
珍しく灰祇院が大きな声を出した。
守るべき者が車内から忽然と消えたというのは失態であるが、あり得ぬ事態故に防げという方が無理だろう。
そして状況は二人を待ってはくれず、自動車は無数の飛翔機械に取り囲まれた。
「参級為動機神体か……」
弐級為動機神体よりも小さい人形、或いはドローンの様な型式が参級為動機神体である。
一機一機は神為の使い手にとって大した戦力ではないが、数が容易に増えるというのが面倒なところである。
灰祇院は懐から一輪の薔薇を取り出した。
三本の指で持ったそれを軽く振るうと、彼らが乗っていた車が無数の薔薇の花弁となって舞い散った。
必然、魅琴と灰祇院は屋外に曝される。
「御婦人、この場は私が引き受けましょう。退路を拓きますので龍乃神邸へと一旦お戻りください。双子の少年少女も誓って皆様の元へと送り届けます」
そう魅琴に言い聞かせると、灰祇院は薔薇の花を振り上げた。
車から変化した薔薇の花弁は花嵐となって辺りに吹き荒れ、参級為動機神体を次々と破壊していく。
「さあ、早く!」
魅琴は灰祇院の言葉通り、その場から走り去った。
ただ、行き先は龍乃神邸ではない。
(車が襲われたということは、敵は私達の動向を把握している。となると、皇族の近くに居た誰かが黒幕か……!)
胸騒ぎに駆り立てられ、猛然と航達の待つ空港へと向かって行った。
⦿⦿⦿
皇宮で狛乃神嵐花の出立を見送った貴龍院皓雪は、夜空の月を見上げて一息吐いた。
「一先ずこれで良いかしらねぇ……」
「ああ、向こうの首尾も上々みたいだよ」
いつの間にか、招かれざる客が貴龍院の背後に立っていた。
少年を思わせる小柄な青年は、明らかに皇族でない、場違いな存在だった。
しかし、貴龍院には特段慌てる様子も無い。
「あらあら貴方、こんな所に来ちゃって良いの? 朔馬君と違って、貴方はお尋ね者ではなくって、征一千君?」
武装戦隊・狼ノ牙の首領補佐・八社女征一千が第一皇子・獅乃神叡智の近衛侍女・貴龍院皓雪と並び立ち、親しげに話している。
二人は月に向けて邪悪な微笑みを浮かべた。
「愈々、僕達の陰謀は貴女の野望に変わって動き出す訳だ」
「そうね。そこでついでに、征一千君にお願いがあるのだけれど」
貴龍院の頼み事を聴くと、八社女は白い歯を見せて笑った。
「くっくっく。畏まりました、御媛様」
八社女はそう言い残すと、その場から忽然と姿を消した。
後に残った貴龍院は変わらず闇空を見上げている。
「美しきもの、比翼の鳥が離れ落ちるその刹那、互い心の移ろう様、違う心の拗れる様、うふふふふ……」
月が深い。
不穏な風が吹いている。
「さあ、澤山聞かせてくださいな。歎きの詩の二重螺旋を……」
空が昏い。
狂気の陰謀が渦巻いている。
女の悪意が時代を嗤う。
「貴龍院、そろそろ戻るぞ」
「はい獅乃神殿下、只今参りますわ」
貴龍院は平然と、わざとらしい程朗らかに主の呼び掛けに応えた。
女の悪意が世界を嗤う。
⦿⦿⦿
航と根尾が仲間達の元へ戻ってみると、総源の死体はすっかりと朽ち果てていた。
「何が起きているんだ。一体誰が次から次へとこんな惨いことを……」
航は困惑よりも怒りから拳を握り締めた。
一連の事件を起こした黒幕は、事も無げに他者の人生と尊厳を弄び、滅ぼしてしまう。
それはあまりにも邪悪な所業である。
武装戦隊・狼ノ牙に近い嫌悪感があるが、正体も目的も判らない分此方の方が不気味さでは上回っている。
とその時、遠くから爆発音が聞こえた。
どうやら空港の建屋が爆破されたらしく、一般旅行客の悲鳴が聞こえてくる。
「非っ道ぇ。もう無茶苦茶じゃねえか」
「どれだけ殺せば気が済むんだろう」
「一体何が狙いなのかしら……」
虻球磨新兒・久住双葉・繭月百合菜も立て続けに爆破される遠くの建屋と飛行機を睨んでいた。
「これは早く帰国した方が良さそうですねー。さっさと乗り込んで飛行士さんに離陸してもらいましょう」
「待ってください白檀さん。虎駕を置いてはいけません。二井原さんや折野を送り届けた様に、御家族に事情を説明する為にも一緒に帰らないと……」
白檀は嫌そうな顔を見せたが、航は引き下がらない。
虎駕の遺体に話し掛けたことは航の本心であり、このまま皇國に放置するのはあまりにも忍びなかった。
白檀は根尾に判断を仰ぐ様に無言で顔を見る。
「岬守君の言うことも尤もだ。我々にはその義務があるだろう」
「それはそうですかねー。一刻を争いますが、幻惑で隠れて運んで来ちゃいましょう」
白檀は航と根尾も光で包み、幻惑能力の対象に加えた。
隠れて安全に動くには、全員で行動する必要がある。
このまま航と根尾の案内で虎駕の許へと向かおうとした、その時だった。
「ふーん……。お前達、本性を現したって訳かぁ……」
突如、航達の為に用意された飛行機の上から声が聞こえた。
制服姿だが派手な出で立ちの少女が月明かりを浴びて航達を見下ろしていた。
航は彼女に見覚えがあった。
「第三皇女・狛乃神嵐花……!」
その少女は確かに、甲邸で見た皇族の一人だった。
どういう訳か彼女には白檀の幻惑が通じず、航達の姿が見えているらしい。
「おいお嬢ちゃんよ! 俺達の本性ってどういうことだ!」
新兒が大声で狛乃神嵐花を問い詰める。
だが彼以外は大方事情を察していた。
狛乃神は不快そうに目を眇めて答える。
「ハァ? お前達、皇國と戦争になりそうだからって破壊工作を始めたんじゃねーの? 外交官を殺して、空港に爆破テロまで仕掛けるなんて悪逆非道過ぎっしょ」
航達は身構えた。
漸く彼らは周囲で起きた一連の工作の意味を思い知った。
黒幕の何者かは航達に狛乃神をぶつけるつもりだった。
その為の下準備だったのだ。
「貴龍院が話してくれたんだよね。甲が言っていた『明治日本の連中が叛逆者と繋がっている』というのはあながち全くの出鱈目じゃないかも知れない、って。全部腑に落ちたし。要するに、戦時に皇國社会を内部から混乱させる為に最初から手を組んでたってことっしょ。拉致も工作の一環だったって訳だ」
狛乃神の推察は断片的な情報を都合良く繋ぎ合わせた全くの出鱈目である。
だが、彼女に話し合いは通じそうにない。
言葉とは裏腹に、狛乃神は無邪気で嗜虐的な笑みを浮かべている。
「ま、良いや。最近刺激が無くてつまんないと思ってたから、お前達で遊ばせともらおうじゃん? 残念だったね、もう生きて帰れないよ?」
狛乃神の無慈悲な宣言に、航達は一様に青褪めた。
特に久住双葉は動揺して珍しく大声を張り上げる。
「待って! これは罠! 誰かが私達を嵌めようとしているの! そんなことも解らないの!? 私達は何も……!」
双葉が全て言い切る前に狛乃神の姿が消えた。
刹那、狛乃神は双葉の目の前に顕れて裏拳を放ちながら背後へと通り過ぎる。
双葉の体はあっさりと宙を舞い、そのまま滑走路に叩き付けられて動かなくなった。
「ウザッ。それに貴方達、さっきから私様にタメ口利くとか随分生意気じゃん。別に私様は御父様や麒姉様に言い訳が立てばお前らの正邪なんかどうでも良いし。ただ暴れる相手が欲しいだけなんだよね。そんなことも解らないの?」
狛乃神は冷淡な、人としての情に欠けた表情で航達の方へ振り向いた。
その振る舞いは宛ら、傍若無人に育った御嬢様の癇癪といったところか。
「久住さん!」
航が双葉の許へ駆け寄り、彼女の体を抱えた。
気絶しているが息はあるようだ。
しかしそれはたった一撃で双葉の神為が尽きたことを意味する。
狛乃神嵐花が恐るべき敵であることは間違い無い。
「弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂か……」
根尾弓矢が逼迫した表情で構えた。
そんな彼を狛乃神は鼻で笑う。
「ふーん、私様とやる気なんだ。身の程知らず」
狛乃神は煽り気味に全員を見下して不敵に笑う。
皇國に於ける最高権威たる皇族の一人がその猛威を振るおうとしていた。
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保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
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とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
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