日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第三十六話『不撓不屈』 破

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 所変わって、しよくだいの明かりがぼうぼうと照る薄暗いせん階段を、会食服タキシードまとった長身の男が降りていく。
 まげの如く長髪を結った男――公爵・きのえくろの秘書・つきしろさくである。

 彼の進む先、地下深くからは女の絶叫が悲痛に響き渡る。
 どうやらこの先では、何やら良からぬ事が行われている様だ。

 辿たどいた螺旋階段の先に待ち構えていた扉を、つきしろの拳が軽く三回たたいた。

「御主人様、つきしろに御座います。仰せの件につきまして御報告に伺いました」
「入れ」

 つきしろは扉を開け、怪しげな地下室へと足を踏み入れた。
 中には悪趣味な拷問器具が所狭しと並べられ、最奥では傷だらけの女がはりつけにされている。
 そのすぐ手前に一本むちを持ったきのえくろが立っていたところを見ると、どうやら彼女をせつかんする最中だったらしい。
 はりつけられた長身の女――女中のはたが息を切らしてがっくりとうなれている。

「お取り込み中に申し訳御座いません。一刻も早くお耳に入れるべきかと」
「ふむ、申せ」

 つきしろに対するきのえの扱いはに対するそれよりもかなり甘かった。
 そこには、つきしろが軍を中心に勢力を伸ばす政治勢力「こうどうしゆとう」の青年部長を務めている、という事情がある。
 権力を握った後で軍を抑えるためこうどうしゆとうに影響力を持ちたいきのえにとって、つきしろはぞんざいに扱う訳にはいかないのだ。

「六摂家当主方に、確実に四名全員で事の対処に当たるようくぎを刺しました。反応は上々、とおどうきようの別宇宙空間にて始末なさるおつもりのようです」
よろしい。他の者はかくとして、最悪はいちどう卿さえ確実に抑えておけば良い。こうこく貴族の中にいて、最も多くのはんぎやく者を葬ってきたのがいちどう卿だ。じんのう陛下への揺るぎ無い忠誠心、百十を超えるよわいに不老の心身を鍛え続けてきた基礎戦闘力、そしてこうこく社会の安定に対する強い責任感、どれを取っても申し分無い、他とは一線を画す不敗の男よ」

 きのえは、というよりこうこく貴族の誰もがいちどうすえ麿まろを高く評価していた。
 それはつきしろもまた同じである。

「はい。一目で御主人様が唯一一目置かれる理由が理解出来ましたよ。この分ですと、間も無く吉報をお耳に入れられるかと存じます」
「うむ。期待しておるぞ。もう良い、下がれ」

 きのえに退席を命じられたつきしろは「失礼します」と一言添えて頭を下げた。
 そして地下室の扉を閉めて螺旋階段を上り始める。
 同時に、彼は懐から電話端末を取り出した。

おとはずは整った」
『成程、きみが本命と呼んでいたのは彼らだったのか』

 電話口から少年の様な声が聞こえる。
 相手はそうせんたいおおかみきばの首領補佐・おとせいである。
 彼とつきしろは、人知れず怪しげな陰謀を巡らせる様に暗躍している。

「いや、の中で戦士として期待出来る者など限られている。はやはり、最も信頼の置ける同志に安全装置として働いてもらいたい」
『面倒な話だな。でもまあ、きみぼくの仲だし別に良いや。その頼み、引き受けてあげようじゃないか』

 良からぬたくらみを巡らせるのは、何も六摂家当主のみでは無かった。
 つきしろは薄暗い階段を上っていく。



    ⦿⦿⦿



 かの薄闇の中、しんは思い知った。
 いちどうすえ麿まろの強さは、他の六摂家当主と種類の違うものだ。
 たかつがいよるあきどうあきつら殿でんふしとおどうあやと、他の四人は理不尽なまでに強力な能力こそが脅威のよりどころである。
 一方で、いちどうの能力は「しんを消す」という効果の脅威はあるものの、その発動には大きな隙の生じる動きを要し、戦闘中容易に狙えるものではない。

麿まろの拳を腹に受けて風穴が空かず、蹴りを頭に受けて首を失わず、か。いずれもじんのう陛下のでは初めてのことでおじゃる。じゆつしきしんる小細工のせる業とはいえ、素直に褒めておこう」

 いちどうの構えからすさまじい威圧感が醸し出されている。
 しんは既に敵が持つ桁違いの戦力を察していた。
 いちどうの真の脅威、それはただ只管ひたすらに圧倒的な格闘能力に他ならない。

あぶ
「ああ、サンキュ」

 いちどうの攻撃、その破壊力を警戒し、は自身としんの懐と頭周りに金剛石ダイヤモンドの防御壁を仕込んだ。
 二人はいちどうの言葉が外連はったりでも何でもないということを心の芯から理解していた。
 彼の攻撃は、しんで耐久力を強化した肉体ですら一撃で破壊してしまう。
 の能力無しで戦うのは不可能だと判断したのだ。

「賢明な判断でおじゃる。もつとも、今度は……」

 いちどうの姿が刹那にしてしんの間に割り込んだ。
 破壊力だけで無く、この速度にも対抗しようがない。

よろいごと砕くッ!」

 跳び上がったいちどうは、両脚でそれぞれしんの胴を蹴った。
 凄まじい脚力に再び鏡の防御壁は砕け、二人は別々に吹き飛んでいった。

「ふむ……」

 いちどうの両足が一分のブレも無く地に着いた。
 蹴り飛ばされたしんはピクリとも動かない。
 肉体は原形をとどめているが、はや止めを刺されるばかりである。

 ゆっくりと、いちどうの足がの方へと歩を進める。
 此処まで自分の攻撃を防いだず優先的に始末するべきだと判断したのだろう。

「ガッ……! くそ!」

 あおけに倒れていたが辛うじて意識を取り戻した。
 彼自身知らないことだが、鏡の防壁は他者よりも能力者自身に対してみが良く、耐久性能にほんのわずかな差が出来るのだ。
 この差が、まだ目を覚まさないしんとの差となって現れたのだ。

くそ、立てないのだよ……!」

 目を覚ましたは焦っていた。
 指一本まとに動かせない程のダメージが残っているのだ。
 そんなを、いちどうは厳しいで見下ろしている。

金剛石ダイヤモンドの鏡で出来た板を形成するじゆつしきしん……。僅か一箇月余りの期間でよくぞ此処まで磨いたものでおじゃる」

 いちどうは両腕を振り上げた。
 このまま例の動きを取れば彼のじゆつしきしん、能力は発動し、しんは完全に消える。
 それはそのまま決着を意味する。

いつきゆうどうしんたい二機の襲撃をさばききった手腕、実に見事なものでおじゃった。正直、叛逆者として始末するにはあまりに惜しい人材。だが、こうこくあだなす者に情けは掛けられぬ。覚悟を決めるが良い」

 は必死でこうとする。
 だが、彼にはえることしか出来ない。

おれは死ねない……! こんな所では死ねないのだよ! おれは誇りを……! 日本人に誇りを思い出させなきゃいけないのだよ!」

 その時、今まさに両腕を振り下ろされんとしていたいちどうの動きが止まった。
 彼は目を皿の様に見開き、きようがくの表情でを見下ろしていた。

「今……何と申した?」

 いちどうは体から力を抜き、能力を発動させずに腕を降ろした。
 いちどうの行動をげんに思ったが、そのまなしに不思議な奇妙な感覚を抱き、誘われる様に語り出す。

「日本は……先の大戦に敗戦し、歴史への誇り、先祖への感謝、神々への畏敬、国家への愛情を失ってしまった……。先人達が何を思って国を築き、何の為に戦ったのか、その国是や大義を忘れ去ってしまった……。残ったのはいたずらに自分達をおとしめる卑屈な後悔だけ……。おれはそれを変えたい……! 日本人に失った心を、国家への自信を取り戻させ、その歩みの意義を改めて世界に問い、そして認めさせたいのだよ!」

 の声には段々と熱がこもり、最後には声を張り上げていた。
 そこにはかいふくの為の時間稼ぎ以上に、彼の魂の訴えがあった。

 基より、おそらくはかなはずも無い、願うことさえ許されない思いである。
 しかしそれは、目の前の男に届いたらしい。

「そうか……。貴公はかつての麿まろと同じなのだな……」

 穏やかな声で納得した様につぶやいたいちどう、その眼から感じられるものをは今何気なく察したようだった。
 これはもしかすると、共感や同情の類なのだろうか。
 いな、もっと別の何かがある気がする。

「嘗て、ヤシマ政府の時代……。麿まろもまた貴公と同じ思いを胸に生きた……」

 いちどうは懐旧の念の籠った静かな声で語り始めた。
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