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第二章『神皇篇』
第三十三話『十字架との戯れ』 急
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丹桐家は十桐流の系統だが、その立ち位置は一桐家や十桐家と比べて独特であった。
現代の当主・丹桐士糸は、甲派で独自路線を布く公殿家に接近し、六摂家の中での第三勢力を作って両派のキャスティングボートを握ろうとしていた。
政界の有力者である甲夢黝と、神皇からの信頼が厚い一桐陶麿の両者に働きかけ、皇國の貴族社会を恣にしようという計略である。
六摂家の中にあって、腹に一際の一物を持つのが丹桐士糸という男だった。
そんな丹桐が、根尾にまんまと一杯食わされた。
その表情は屈辱からの怒りで火が着いた様に激しい。
「絶望だと? 皇國に於いて、絶望とは神皇陛下に連なる我々貴族へ弓を引く者にこそ与えられるものです。思い上がった貴方に、格の違いというものを思い知らせて差し上げましょう!」
丹桐の瞳が激しい光を放つ。
その光が根尾の周囲に輪を作り、数十人にも及ぶ大量の分身を模った。
「なっ……! これ程までの数を作れるとは……! 六摂家当主、やはり恐るべき神為だ……!」
「当然です! さあ、どこまで保ちますか!」
分身達が一斉に根尾へと襲い掛かる。
根尾は掌で攻撃を払い、触れた一瞬で分身を次々と石化させていく。
たが、敵の数が多過ぎる。
痛烈な拳を、激烈な蹴りを、何発も食らう事を前提に少しずつ敵の数を削っていくことしか出来ない。
「確かに、その石化能力は厄介なものです! 進行速度を極限まで高めれば、触れた瞬間に戦闘不能へ至らしめるというのは脅威に違いありません! しかし、それは身分卑しき者には過ぎた力です! 甚大な神為を消費し、長期戦に堪えるものではないでしょう!」
分身の拳が蟀谷に炸裂し、根尾の視界と意識が揺らぐ。
防戦一方の根尾だが、今度は演技ではない。
本気を出していなかったのは丹桐もまた同じで、両者の実力には依然として分厚い壁があるのだ。
それでも、敗ける訳には行かなかった。
明確な格の差があっても、百戦百勝とはいかないのが実戦である。
万に一つも勝ち目が無いならば、億に一つを死に物狂いで手繰り寄せるのだ。
「うおおおおおっっ!」
次から次へと襲い来る分身に対し、根尾は気力を振り絞って応戦する。
多勢を前に、力を温存する余裕など無い。
神為を大量消費しようが、兎に角最大速度で分身を石化させるしかない。
(あと少し、反撃に重要なのはタイミングだ!)
石化した分身は順次光の粒となり、丹桐の本体へと吸収されていく。
これら全ての力が上乗せされれば、次なる分身には敵うべくもないだろう。
(おそらく、この狙いが最初で最後のチャンスだ!)
絞れる限りの力を振り絞り、残す分身は四体となった。
先ずは両腕を左右に突き出し、両脇の二体を石化させる。
更に、腰を捻って背後の一体を。
正面は最後に残す、それこそが反撃の布石であった。
「しぶといですねえ。まあ、よく頑張りましたが次でお終いでしょう。これだけの数の分身が得た経験値を上乗せするのです、今までの強化とは次元が違いますよ」
最後の分身が光の粒となり、丹桐に吸収される。
しかしその時、待ち構えていたように根尾は光に紛れて丹桐へ急接近した。
「え?」
「分身を大量展開したのは失敗だったな」
根尾が石化させた分身は順次光の粒となって丹桐に吸収される。
その大量の分身、大量の光が間合いを詰める根尾の隠れ蓑となる。
光が収まった時、根尾は既に丹桐の肩を掴んでいた。
「あっ……!」
「掌で触れた。つまり終わりだ、丹桐!」
根尾に掴まれた肩を見て顔を引き攣らせる丹桐の体が石化していく。
もう一瞬で石化させる神為は残っていなかったが、丹桐は悪足掻きの間も無く石に姿を変えて固まった。
「勝ったか、なんとか……」
根尾は安堵と共に石化した丹桐の肩から手を離した。
長距離走を終えた走者の様に足元がふらつく。
当に死力を尽くした末の、逆転の一手だった。
なんとか、奇跡的に勝利を掴み取れた――根尾はそう信じて疑わなかった。
『ほほほほほ。起死回生の一手してやったり、奇跡の勝利に一安心、と言ったところでしょうかね?』
「何!?」
突如何処からともなく響いた丹桐の声に驚き、根尾は瞠目した。
その時、根尾の背後に斃した筈の丹桐が姿を顕し、肘打ちで後頭部を打ち付けてきた。
根尾は堪らず崩れ落ちて膝を突く。
「莫迦な!」
振り返って丹桐の姿を認めた根尾は驚愕を禁じ得なかった。
傍らには確かに石化した丹桐の姿がある。
しかしそれは、すぐに光の粒となって突如顕れたもう一人の丹桐に吸収された。
「本体ではなかったのか、今まで戦っていたのは? 今の今まで、真の本体は姿を隠していたとでもいうのか!」
「失敬な、そんな卑怯千万なる戦法は採りませんよ。これは吾人の術識神為、その切札とも言うべき能力なのです」
丹桐は最大限の嘲りを込めて根尾を見下し、得意気に語り出す。
「吾人の分身は普段意識して作り出すのとは別に、意思とは無関係に自動発動して形成するもう一つの能力があるのですよ。発動条件はズバリ、本体が戦闘不能に陥ることです」
「つまり、石化した瞬間に、か」
「御名答。この分身は本体としての機能を其方に移してしまう特殊な分身なのですよ。言い換えれば、この能力が発動した瞬間に新たな無傷の肉体が本体に、戦闘不能に陥った古い体が分身に切り替わるのです」
根尾は戦慄した。
丹桐の脅威は、斃しても斃しても更に強く作り直される分身を、無尽蔵に大量展開出来る事だとばかり思っていた。
だが、それは思い違いだった。
土壇場で発動させた丹桐の切札は、これまでの能力とは比較にならない理不尽なものだった。
「要するに、貴様は不死身か! 化物が……!」
「良いですねえ、その絶望に染まった表情。今も昔も、尊き者に刃向かう身の程知らずにこれ程相応しい表情は御座いません」
丹桐は根尾を蹴り飛ばし、更に勝ち誇って高笑いを上げた。
「ほーっほっほっほ! すぐに誅殺しては面白くありません。これからたっぷりと、身分卑しき者が吾人ら皇國貴族に対して抱くべき心構えというものを、骨の髄まで教えて進ぜましょう」
「ぐぅ……う……!」
根尾には既に立ち上がる力も無かった。
満身創痍の体で、視線だけが尚も屈服せずに丹桐を睨み上げていた。
「心構え……だと?」
「ええ。愚かなる歴史を歩んだ身の程知らずが抱くべき心構え、即ち一度でも没落の辛酸を舐めさせた罪に対する『懺悔』ですよ」
丹桐は歪んだ笑みを浮かべ、根尾を見下ろしている。
「懺悔……?」
「その通り。抑も、身分卑しき者とはすぐに尊き者から受けた恩を忘れ、隙あらば引き摺り下ろそうとする。日本という国を開いた帝と功を認められ氏姓を授かった貴族が治める正しき政治を潰し、不届きにも抑え付け驕り高ぶった野蛮な武士共然り。迫り来る欧米列強の脅威に際し、国を守る為の基盤と体制を必死で作り上げた我々を一度の敗戦に乗じて追い落とした無恥なる国賊共然り。最早これは、この国の卑しき民共に脈々と流れる血の性癖と言っても良い」
丹桐の両目が再度光を放ち、彼の背後に百を超す分身が並べられた。
それはまるで、身分の低い者、血筋の由緒無き者には決して打ち倒せない圧倒的な力を誇示しているかの様だった。
「大日本の民は我々皇族貴族に嘗て酷い事をした。だからその罪を徹底的に教え込み、懺悔の意識を刷り込み、もう二度と貴族に刃向かおうと思わない様に啓蒙しなくてはならないのです。そうして、大日本は永遠に我々が、二百足らずの華族家が千代に八千代に支配し続けるのですよ!」
「それが……貴様らのやり方、皇國の統治だというのか」
「まだ完成してはいませんがね。しかし、甲卿が権力に返り咲けば、法制を作り変えて我々にとって理想的な統治を築けます。勿論、代わりに臣民には国家の栄光と繁栄を約束しましょう。孰れ吸収される貴方達明治日本の民にもね」
根尾は激しく顔を顰めた。
込み上げる嫌悪感を抑えることが出来なかった。
成程、確かに皇國は嘗て民衆の手で地獄に落とされたのだろう。
共産主義革命が起きたとあっては、神和維新政府の旧体制下で高い地位にあった者達には、時に理不尽な程苛烈な粛清の嵐が吹き荒れたのだろう。
結果、国民が食うにも困る状態に陥ったとすれば、それが二度と繰り返してはならない過去とされるのも宜なることである。
だが、丹桐や甲はその過去を都合良く摘まみ食いして、自分達の支配に利用しようとしている。
言ってしまえば、自分達がどんな支配を行おうとも逆らわないように民衆を洗脳し、叛意を抱けば思い出させる様に痛む焼印を刻もうとしている。
既に国家をも動かす大権力者になっているのに、未だ民衆に対して良心の施しを要求し、それを社会規範的に強いようとしているのだ。
おまけに、皇國の過去には何ら関与していない、別の世界線の日本に住んでいた人々も巻き込んで。
「反吐が出る。我が国を吸収した上で行う思想矯正がそれか。真平御免としか言い様が無いな」
根尾は黙っていられず、声を振り絞って啖呵を切った。
そんな彼に、丹桐はその圧倒的な力を振るい、卑劣な裁きを下そうとする。
「言い遺す言葉はそれで宜しいですね! では、挽肉になりなさい!」
百を超す分身が一斉に根尾へ襲い掛かった。
「くっ……!」
万事休す、根尾には既に戦う力は残されていない。
それでも根尾は分身に触れ、石化の能力を行使しようとする。
だが、最早一瞬で石にする様な力は残っていなかった。
それどころか、手を触れた分身は石というよりは泥人形にしかならない。
「どうやら神為が枯渇してきているようですね。体力も恢復していませんし、思った通りです。石にならないのは体の水分が混じるからでしょう。情けない限りですな」
「ぐ……糞……!」
根尾の体は分身の大群に押し潰されてしまった。
「終わりですね。下手に足掻かない方が楽に死ねたものを」
分身の動きが止まり、攻撃が終わった。
数体の分身が泥人形となって崩れ落ちたものの、それが精一杯だったようだ。
じわじわと進行した泥化で崩れ落ちた分身の体が泥溜まりを拡げるばかりだった。
丹桐は分身を掻き分け、悠々とその中心に歩を進める。
分身が光の粒となって本体に吸収されていく。
後は死体を確認すれば丹桐の勝利である。
「残念ながら跡形も無く擂り潰されてしまったようですね」
泥溜まりを見下ろし笑う丹桐だったが、すぐにある疑問に気が付いて表情を変えた。
「何故泥が残っている? 分身は泥化したものをも含めて全て吸収した筈……」
その瞬間、丹桐の足下に伸びていた泥溜まりから人間の手が伸び、足首を掴んだ。
「何!?」
泥は徐々に人の形、根尾の姿を模っていく。
最終的には膝を突いて丹桐の足首を掴む根尾が顕れた。
「ふう、一時はどうなることかと思ったが、これで俺の勝ちだな。もう術識神為は使ってくれるなよ、良いな?」
丹桐の体が足から徐々に石化していく。
「莫迦な! もう神為は使い尽くしたのではないのですか?」
「泥人形のことか? これは任意で石化の形状を変えられるだけだ。そして、俺の能力は自分自身にも適用し、石化や泥化を行うことが出来るのだ」
「な、なんですって!?」
「因みに、演技のときに血を吐いていたのもこの能力を使ったんだ。舌先だけを石化させ、喉奥を傷付けてな。まあ、神為を使い尽くしたのは事実だな。もうこんなにゆっくりとした石化しか出来ん。そしてこれが終われば出涸らしだろう」
根尾の言葉を聞き、丹桐は再び笑みを浮かべた。
「莫迦め、忘れたのですか? 吾人にはもう一つの切札があることを!」
「ああ、勿論それも対策済みだ」
丹桐の石化が進行し、首から上だけが生身の状態となった。
最早この本体は戦闘不能に陥ったと言って良い。
「な、何故分身が自動形成されない? 我が不死身の能力はどうした?」
「命令したからな。もうお前は術識神為を使えない。俺は石化させる相手に命令を与えて従わせることが出来るんだ。念押しの言葉を発動条件としてな」
「何だと!?」
「自分だけが切札を隠していると思ったが運の尽きだな。配られた手札は貴様が完全に上でも、手札の切り方は俺の方が上手かったということだ」
屈辱に眼を血走らせる丹桐の石化は顎にまで及んだ。
最早彼には吠えることしか出来ない。
「おのれ!! 覚えていろ!! この借りは必ず何倍にもして返してやるからな!!」
「もう一つ言っておくが、俺の石化は神為の有無に拘わらず俺が解除しなければ解けん。仮に解除しないまま俺が死んだとしたら、永久にそのままだ」
「う、嘘でしょ!?」
「まあ、遥か格上の相手に報復を宣言されてしまうと、怖くてとても解放出来んな」
「そ、そんな!! い、嫌だ!! どうかお許しください!! お許しください!! お許しくださ……」
狂乱の中で許しを請う口のまま、丹桐の体は完全に石となった。
「そのまま暫く反省してろ。絶望の中で、俺の気が済むまでな」
全てを出し尽くして疲れ果てた根尾は、大きな溜息を吐いてその場で仰向けになった。
現代の当主・丹桐士糸は、甲派で独自路線を布く公殿家に接近し、六摂家の中での第三勢力を作って両派のキャスティングボートを握ろうとしていた。
政界の有力者である甲夢黝と、神皇からの信頼が厚い一桐陶麿の両者に働きかけ、皇國の貴族社会を恣にしようという計略である。
六摂家の中にあって、腹に一際の一物を持つのが丹桐士糸という男だった。
そんな丹桐が、根尾にまんまと一杯食わされた。
その表情は屈辱からの怒りで火が着いた様に激しい。
「絶望だと? 皇國に於いて、絶望とは神皇陛下に連なる我々貴族へ弓を引く者にこそ与えられるものです。思い上がった貴方に、格の違いというものを思い知らせて差し上げましょう!」
丹桐の瞳が激しい光を放つ。
その光が根尾の周囲に輪を作り、数十人にも及ぶ大量の分身を模った。
「なっ……! これ程までの数を作れるとは……! 六摂家当主、やはり恐るべき神為だ……!」
「当然です! さあ、どこまで保ちますか!」
分身達が一斉に根尾へと襲い掛かる。
根尾は掌で攻撃を払い、触れた一瞬で分身を次々と石化させていく。
たが、敵の数が多過ぎる。
痛烈な拳を、激烈な蹴りを、何発も食らう事を前提に少しずつ敵の数を削っていくことしか出来ない。
「確かに、その石化能力は厄介なものです! 進行速度を極限まで高めれば、触れた瞬間に戦闘不能へ至らしめるというのは脅威に違いありません! しかし、それは身分卑しき者には過ぎた力です! 甚大な神為を消費し、長期戦に堪えるものではないでしょう!」
分身の拳が蟀谷に炸裂し、根尾の視界と意識が揺らぐ。
防戦一方の根尾だが、今度は演技ではない。
本気を出していなかったのは丹桐もまた同じで、両者の実力には依然として分厚い壁があるのだ。
それでも、敗ける訳には行かなかった。
明確な格の差があっても、百戦百勝とはいかないのが実戦である。
万に一つも勝ち目が無いならば、億に一つを死に物狂いで手繰り寄せるのだ。
「うおおおおおっっ!」
次から次へと襲い来る分身に対し、根尾は気力を振り絞って応戦する。
多勢を前に、力を温存する余裕など無い。
神為を大量消費しようが、兎に角最大速度で分身を石化させるしかない。
(あと少し、反撃に重要なのはタイミングだ!)
石化した分身は順次光の粒となり、丹桐の本体へと吸収されていく。
これら全ての力が上乗せされれば、次なる分身には敵うべくもないだろう。
(おそらく、この狙いが最初で最後のチャンスだ!)
絞れる限りの力を振り絞り、残す分身は四体となった。
先ずは両腕を左右に突き出し、両脇の二体を石化させる。
更に、腰を捻って背後の一体を。
正面は最後に残す、それこそが反撃の布石であった。
「しぶといですねえ。まあ、よく頑張りましたが次でお終いでしょう。これだけの数の分身が得た経験値を上乗せするのです、今までの強化とは次元が違いますよ」
最後の分身が光の粒となり、丹桐に吸収される。
しかしその時、待ち構えていたように根尾は光に紛れて丹桐へ急接近した。
「え?」
「分身を大量展開したのは失敗だったな」
根尾が石化させた分身は順次光の粒となって丹桐に吸収される。
その大量の分身、大量の光が間合いを詰める根尾の隠れ蓑となる。
光が収まった時、根尾は既に丹桐の肩を掴んでいた。
「あっ……!」
「掌で触れた。つまり終わりだ、丹桐!」
根尾に掴まれた肩を見て顔を引き攣らせる丹桐の体が石化していく。
もう一瞬で石化させる神為は残っていなかったが、丹桐は悪足掻きの間も無く石に姿を変えて固まった。
「勝ったか、なんとか……」
根尾は安堵と共に石化した丹桐の肩から手を離した。
長距離走を終えた走者の様に足元がふらつく。
当に死力を尽くした末の、逆転の一手だった。
なんとか、奇跡的に勝利を掴み取れた――根尾はそう信じて疑わなかった。
『ほほほほほ。起死回生の一手してやったり、奇跡の勝利に一安心、と言ったところでしょうかね?』
「何!?」
突如何処からともなく響いた丹桐の声に驚き、根尾は瞠目した。
その時、根尾の背後に斃した筈の丹桐が姿を顕し、肘打ちで後頭部を打ち付けてきた。
根尾は堪らず崩れ落ちて膝を突く。
「莫迦な!」
振り返って丹桐の姿を認めた根尾は驚愕を禁じ得なかった。
傍らには確かに石化した丹桐の姿がある。
しかしそれは、すぐに光の粒となって突如顕れたもう一人の丹桐に吸収された。
「本体ではなかったのか、今まで戦っていたのは? 今の今まで、真の本体は姿を隠していたとでもいうのか!」
「失敬な、そんな卑怯千万なる戦法は採りませんよ。これは吾人の術識神為、その切札とも言うべき能力なのです」
丹桐は最大限の嘲りを込めて根尾を見下し、得意気に語り出す。
「吾人の分身は普段意識して作り出すのとは別に、意思とは無関係に自動発動して形成するもう一つの能力があるのですよ。発動条件はズバリ、本体が戦闘不能に陥ることです」
「つまり、石化した瞬間に、か」
「御名答。この分身は本体としての機能を其方に移してしまう特殊な分身なのですよ。言い換えれば、この能力が発動した瞬間に新たな無傷の肉体が本体に、戦闘不能に陥った古い体が分身に切り替わるのです」
根尾は戦慄した。
丹桐の脅威は、斃しても斃しても更に強く作り直される分身を、無尽蔵に大量展開出来る事だとばかり思っていた。
だが、それは思い違いだった。
土壇場で発動させた丹桐の切札は、これまでの能力とは比較にならない理不尽なものだった。
「要するに、貴様は不死身か! 化物が……!」
「良いですねえ、その絶望に染まった表情。今も昔も、尊き者に刃向かう身の程知らずにこれ程相応しい表情は御座いません」
丹桐は根尾を蹴り飛ばし、更に勝ち誇って高笑いを上げた。
「ほーっほっほっほ! すぐに誅殺しては面白くありません。これからたっぷりと、身分卑しき者が吾人ら皇國貴族に対して抱くべき心構えというものを、骨の髄まで教えて進ぜましょう」
「ぐぅ……う……!」
根尾には既に立ち上がる力も無かった。
満身創痍の体で、視線だけが尚も屈服せずに丹桐を睨み上げていた。
「心構え……だと?」
「ええ。愚かなる歴史を歩んだ身の程知らずが抱くべき心構え、即ち一度でも没落の辛酸を舐めさせた罪に対する『懺悔』ですよ」
丹桐は歪んだ笑みを浮かべ、根尾を見下ろしている。
「懺悔……?」
「その通り。抑も、身分卑しき者とはすぐに尊き者から受けた恩を忘れ、隙あらば引き摺り下ろそうとする。日本という国を開いた帝と功を認められ氏姓を授かった貴族が治める正しき政治を潰し、不届きにも抑え付け驕り高ぶった野蛮な武士共然り。迫り来る欧米列強の脅威に際し、国を守る為の基盤と体制を必死で作り上げた我々を一度の敗戦に乗じて追い落とした無恥なる国賊共然り。最早これは、この国の卑しき民共に脈々と流れる血の性癖と言っても良い」
丹桐の両目が再度光を放ち、彼の背後に百を超す分身が並べられた。
それはまるで、身分の低い者、血筋の由緒無き者には決して打ち倒せない圧倒的な力を誇示しているかの様だった。
「大日本の民は我々皇族貴族に嘗て酷い事をした。だからその罪を徹底的に教え込み、懺悔の意識を刷り込み、もう二度と貴族に刃向かおうと思わない様に啓蒙しなくてはならないのです。そうして、大日本は永遠に我々が、二百足らずの華族家が千代に八千代に支配し続けるのですよ!」
「それが……貴様らのやり方、皇國の統治だというのか」
「まだ完成してはいませんがね。しかし、甲卿が権力に返り咲けば、法制を作り変えて我々にとって理想的な統治を築けます。勿論、代わりに臣民には国家の栄光と繁栄を約束しましょう。孰れ吸収される貴方達明治日本の民にもね」
根尾は激しく顔を顰めた。
込み上げる嫌悪感を抑えることが出来なかった。
成程、確かに皇國は嘗て民衆の手で地獄に落とされたのだろう。
共産主義革命が起きたとあっては、神和維新政府の旧体制下で高い地位にあった者達には、時に理不尽な程苛烈な粛清の嵐が吹き荒れたのだろう。
結果、国民が食うにも困る状態に陥ったとすれば、それが二度と繰り返してはならない過去とされるのも宜なることである。
だが、丹桐や甲はその過去を都合良く摘まみ食いして、自分達の支配に利用しようとしている。
言ってしまえば、自分達がどんな支配を行おうとも逆らわないように民衆を洗脳し、叛意を抱けば思い出させる様に痛む焼印を刻もうとしている。
既に国家をも動かす大権力者になっているのに、未だ民衆に対して良心の施しを要求し、それを社会規範的に強いようとしているのだ。
おまけに、皇國の過去には何ら関与していない、別の世界線の日本に住んでいた人々も巻き込んで。
「反吐が出る。我が国を吸収した上で行う思想矯正がそれか。真平御免としか言い様が無いな」
根尾は黙っていられず、声を振り絞って啖呵を切った。
そんな彼に、丹桐はその圧倒的な力を振るい、卑劣な裁きを下そうとする。
「言い遺す言葉はそれで宜しいですね! では、挽肉になりなさい!」
百を超す分身が一斉に根尾へ襲い掛かった。
「くっ……!」
万事休す、根尾には既に戦う力は残されていない。
それでも根尾は分身に触れ、石化の能力を行使しようとする。
だが、最早一瞬で石にする様な力は残っていなかった。
それどころか、手を触れた分身は石というよりは泥人形にしかならない。
「どうやら神為が枯渇してきているようですね。体力も恢復していませんし、思った通りです。石にならないのは体の水分が混じるからでしょう。情けない限りですな」
「ぐ……糞……!」
根尾の体は分身の大群に押し潰されてしまった。
「終わりですね。下手に足掻かない方が楽に死ねたものを」
分身の動きが止まり、攻撃が終わった。
数体の分身が泥人形となって崩れ落ちたものの、それが精一杯だったようだ。
じわじわと進行した泥化で崩れ落ちた分身の体が泥溜まりを拡げるばかりだった。
丹桐は分身を掻き分け、悠々とその中心に歩を進める。
分身が光の粒となって本体に吸収されていく。
後は死体を確認すれば丹桐の勝利である。
「残念ながら跡形も無く擂り潰されてしまったようですね」
泥溜まりを見下ろし笑う丹桐だったが、すぐにある疑問に気が付いて表情を変えた。
「何故泥が残っている? 分身は泥化したものをも含めて全て吸収した筈……」
その瞬間、丹桐の足下に伸びていた泥溜まりから人間の手が伸び、足首を掴んだ。
「何!?」
泥は徐々に人の形、根尾の姿を模っていく。
最終的には膝を突いて丹桐の足首を掴む根尾が顕れた。
「ふう、一時はどうなることかと思ったが、これで俺の勝ちだな。もう術識神為は使ってくれるなよ、良いな?」
丹桐の体が足から徐々に石化していく。
「莫迦な! もう神為は使い尽くしたのではないのですか?」
「泥人形のことか? これは任意で石化の形状を変えられるだけだ。そして、俺の能力は自分自身にも適用し、石化や泥化を行うことが出来るのだ」
「な、なんですって!?」
「因みに、演技のときに血を吐いていたのもこの能力を使ったんだ。舌先だけを石化させ、喉奥を傷付けてな。まあ、神為を使い尽くしたのは事実だな。もうこんなにゆっくりとした石化しか出来ん。そしてこれが終われば出涸らしだろう」
根尾の言葉を聞き、丹桐は再び笑みを浮かべた。
「莫迦め、忘れたのですか? 吾人にはもう一つの切札があることを!」
「ああ、勿論それも対策済みだ」
丹桐の石化が進行し、首から上だけが生身の状態となった。
最早この本体は戦闘不能に陥ったと言って良い。
「な、何故分身が自動形成されない? 我が不死身の能力はどうした?」
「命令したからな。もうお前は術識神為を使えない。俺は石化させる相手に命令を与えて従わせることが出来るんだ。念押しの言葉を発動条件としてな」
「何だと!?」
「自分だけが切札を隠していると思ったが運の尽きだな。配られた手札は貴様が完全に上でも、手札の切り方は俺の方が上手かったということだ」
屈辱に眼を血走らせる丹桐の石化は顎にまで及んだ。
最早彼には吠えることしか出来ない。
「おのれ!! 覚えていろ!! この借りは必ず何倍にもして返してやるからな!!」
「もう一つ言っておくが、俺の石化は神為の有無に拘わらず俺が解除しなければ解けん。仮に解除しないまま俺が死んだとしたら、永久にそのままだ」
「う、嘘でしょ!?」
「まあ、遥か格上の相手に報復を宣言されてしまうと、怖くてとても解放出来んな」
「そ、そんな!! い、嫌だ!! どうかお許しください!! お許しください!! お許しくださ……」
狂乱の中で許しを請う口のまま、丹桐の体は完全に石となった。
「そのまま暫く反省してろ。絶望の中で、俺の気が済むまでな」
全てを出し尽くして疲れ果てた根尾は、大きな溜息を吐いてその場で仰向けになった。
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お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
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