日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第二十八話『昼餉』 急

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 しんせいだいにっぽんこうこく首都とうきょう特別行政区すぎなみ区、そこに居を構えているきのえ公爵邸は、ゴルフ場を含んだ広大な庭地に西洋城を思わせる館が建つ豪邸である。
 更に、内装に至っては外観以上にきらびやかに貴金属や宝石が装飾されており、ややもすれば皇宮の御所以上にごうしやであるかもしれない。

 そんな廊下のあかじゆうたんの上を、一人の女中が台車にティーセットを乗せて運んでいる。
 台車といっても車輪は無く、脚が浮いていて絨毯を傷めることなく運搬が出来る様になっている。
 細かいところだが、こうこくの高い文明力が見て取れる。

 運搬しているのは長い黒髪をポニーテールにまとめた背の高いメイド服の美女、男爵令嬢・はたである。
 は書斎の前で立ち止まり、一つ深呼吸してから扉を軽く三回たたいた。

「御主人様、お申し付けの通りお茶を持って参りました」
「入れ」

 扉の奥から低い男の声がした。
 たった一言の響きにすら、その主の尊大な人間性がにじているかのような声だ。

「失礼します」

 は扉を開け、台車と共に入室した。
 書斎の奥では一人の男が椅子を机と反対方向に向け、すわったまま窓の外を眺めている。
 の入室も意に介さず背中を向ける態度はただただ不遜であった。

「お茶をしいたします。よろしいでしょうか」
「うむ」

 は胸の内に不快感と恐怖心をとどめ、努めて平静を装いつつ紅茶をカップに注ぐ。

「御砂糖はいつもどおりで宜しいでしょうか」
「いや、今日は少し気を張って疲れておる。角砂糖一つ多くせよ」
かしこまりました」

 ここで初めて、男は椅子を回して正面を向いた。
 は文句一つ言わずに男の指示に従い、紅茶を準備する。

「お待たせいたしました」
「良い香りだ。せんな者にしてはしつけが行き届いておる」

 紅茶を差し出したの眉尻がピクリと動いた。
 彼女は自身の家にそれなりの誇りを持っている。
 しかし、それを下賤呼ばわりされようと、は目の前の男に逆らえなかった。

「どうした? 褒めてやったのだぞ? 何ぞ不服でも?」

 男の声に不機嫌な心中が滲み出る。
 彼は少しでも機嫌を損ねるとすぐ態度に出るのだ。

「滅相も御座いません。貴方あなた様のめにあずかり、光栄のあまり戸惑いました。なにとぞ御容赦を」

 男はにらみ上げた。
 見た目は朱夏の最中にあるオールバックの紳士といった様相だが、その実の三倍以上を重ねた年齢をけんしわだけに刻んだ厳しい目付きである。

「お前は何か勘違いしているようだな」

 にも恐ろしげな声に、の背筋が震えた。

はた男爵家……新華族などというぽっと出の新参者が貴族をかたるなど勘違いも甚だしい。貴族とは、しん政府以前よりみかどの臣下としてお仕えした我ら旧華族のことをいう。だいこうはその中でも最高位の六摂家当主、より正確には、世が世なら帝にすらなり得た皇別摂家の当主よ。お前ごとき、だいこうに言わせれば下賤そのもの。本来ならば側仕えすることすらがましいと心得よ」

 にとっては、ともすれば侮辱的ですらある言葉だが、彼女は心を押し殺すしかない。
 男も言うとおり、二人は家柄が違い過ぎるのだ。

 六摂家・すなわち摂関家の中でも、きのえ家といちどう家は幕藩体制の時代に臣籍降下した皇族が養子に入り、その血筋を受け継いでいる。
 かつてはたかつがい家もそこに含まれていたが、革命のあおりを受けて皇別摂家としては断絶の憂き目に遭い、現在は殿でん家の男子が養子に入った血筋を受け継いでいる。
 故に、きのえ家といちどう家は皇別摂家と呼ばれて六摂家の中でもまた一段と皇族に近く、それに見合った権威がある。

 そんな背景から、は素直に頭を下げるしかなかった。
 彼に掛かればはた家など簡単に消し飛ぶのだ。

「申し訳御座いませんでした。肝に銘じ、以後気を付けますので何卒御慈悲を……」
「ふん、まあ良い。丁度例の件に次の手の目途が立ち、一息吐こうとしていたところだ。そんな折にな叱責を続けることもない」
「寛大なお心に感謝申し上げます、きのえ公爵閣下」

 は目の前の主、きのえくろおおなほど深々と頭を下げた。
 もつとも、この男に対してはそれくらいで丁度良い。
 きのえくろは敬うのは皇族のみ、対等に扱うのですらいちどう家が加わるのみで、他の摂関家ですら見下している。
 してや侯爵以下の家などごみ同然にしか思っていない。

「あやつが例の集団と同行する女に恨みを抱いているのは幸いだった。摂関家にあるまじき失態もばんかいさせねばならん」
「一石二鳥の素晴らしい一手かと。すがに御座います」

 の言葉が終わるや否や、きのえはティーカップをの額に投げ付けた。

「お前はいつだいこうを褒められるほど偉くなった?」
「申し訳御座いません……」

 は慌てて再び頭を下げた。

「まるで身の程をわきまえておらんな。今夜だいこうの寝室へ身一つでさんじよ。たっぷりと躾け直してやる」
「……畏まりました」

 夜に寝室に呼び出したと行っても、を抱くわけではない。
 徹底的に他者を見下すきのえは、如何に美女と言っても「下賤の者」を抱いたりはしない。
 寝室で行われるのは、もっと凄惨なせつかんである。

(これではわたりの方がまだマシだ……)

 きのえに下がるよう命じられたは、悟られぬように主を呪うしかなかった。

    ⦿

 きのえの書斎を後にするの後ろ姿を、二人の男が見詰めていた。
 二人の使用人、執事の子爵・くろこうふなかずと秘書のつきしろさくであった。

つきしろ殿、はた男爵令嬢をお呼びしたのは貴方あなただとか。心中お察しします」

 壮年の執事・黒小路が溜息を吐いた。
 長身の偉丈夫・つきしろは黙ったまま何も答えない。

「公爵は元からあのようなひどかたではなかった。嘗ては摂関家以外の者にも敬意を持って接していた。特におんみきのりきようのことはもう一人の父の様に慕っておいでだった。それがあの、若き日の巴里パリ留学からすっかり人が変わってしまった……」
「そのおん公爵をうしなってしまったことが余程のことだったのでしょうな……」
ぞんでしたか……」
「大恩ある相手を奪われた憎しみは世界を焼き尽くすほどのものなのでしょう……」

 つきしろは何を思ってか、を細めて書斎の扉を見詰めていた。



    ⦿⦿⦿



 再びつのみや、工事中のビルの前に一台のワゴン車がまっている。
 運転席にはびやくだんが、助手席にはが坐り、残るメンバーの乗車を待っていた。
 そんな大通りは、昼間にしては異様なほど静まりかえっている。

「どうした、こと?」

 自動車に乗ろうとするわたるは、最後に残ったことに声を掛けた。
 彼女だけは車に乗ろうとせず、誰も居ない通りを見詰めている。
 そう、誰も居ない、人っ子一人見当たらない日曜昼の大通りを。

 それはまるで、世界がことれて、ことためだけに街中の景色を切り取って用意したかの様だった。
 しかし、彼女の発したたった一言が状況を静から動へと転換させる。

「このしん、来ている!」

 ことつぶやくや否や、車内に脚を掛けてスライドドアをまたいでいたわたるの背後に筋肉質な男があらわれた。
 上質な会食服タキシードを纏った、適度な運動で健康的に日焼けした男に、ことは見覚えがあった。

 ことは即座に男の顔面へ拳を放った。
 しかし男はこれを紙一重でかわし、彼女の手首をつかむ。

「久し振りだな、女。わたしを忘れたとは言わさんぞ。そして、お前の拳速はあの時既に把握している」

 男は端正な顔をゆがませて笑い、ことの手首を力一杯握り締めた。

たかつがいよるあき……!」

 この男、たかつがいよるあきことが会ったのは、ほんの数日前のことだ。
 きのえ家と同じ六摂家の当主であり、ことに声を掛けて無礼を働いたことでけんもほろろに振られている。
 おそらく、その時のふくしゆうしんきのえと利害を一致させたのだ。

たかつがいだと!? うる君!」
「先に行ってください! わたしも後から行く!」

 動揺が走った車内へことが一喝した。
 それに呼応する様に、びやくだんは扉を閉めて発車させた。

「クク、自己犠牲か。だがこのわたしがあの時のように不覚を取ると思うなよ。先程言ったように、わたしの能力は既にお前の拳速を把握しているのだ。そして、このたかつがいよるあきのもう一つの能力とは……!」

 ことは一瞬目をすがめた。
 どうやらただ手首を掴まれているだけではないらしい。

「気付いているか? わたしに触れたものは触れた時間だけ筋力が衰えるのだ。一ミリ秒につき一%の割合でな。たかが一%と思って甘く見るべきではないぞ。それが意味するところは、一秒触れれば筋力が二万分の一以下になるということだ。て、もう何秒触れ続けた? お前が如何に怪物的な身体能力の持ち主だろうが、今やわたしが腕を掴んでいるから立っていられるに過ぎん。はやわたしの慰み者になるしか道は無い! あの時言ったように、お前には雌として雄にびることを存分に教えてやろうではないか! 楽しみにしておけ! ははははは!!」

 勝利を確信し、高笑いするたかつがい
 しかし、ことたかつがいの手を強引にほどき、返しの手首で彼の顔面に強烈な裏拳をたたんだ。
 たかつがいは大きくり、尻餅をいた。

「で?」

 ことたかつがいを横目に見下ろし、長台詞にたった一文字で冷たく返した。
 そんなことの態度にげつこうしたのか、たかつがいは後方に宙返りして起き上がると、その反動を利用して勢い良く彼女に飛び掛かる。
 しかしその時、たかつがいの鼻先を一筋の光線がかすめた。

「誰だ!」
ぼくだ!」

 光線の発射元、たかつがいが視線を向けた先に居たのはわたるだった。
 わたるは右腕にちょうきゅうどうしんたい・ミロクサーヌ改の光線砲を形成し、たかつがいを撃ったのだ。

ことの前にぼくがお前の相手をしてやる! 薄汚い手でことに触りやがって! ただじゃ置かないからな!」

 たかつがいは怒りとも愉悦ともつかぬ歪んだ表情を浮かべた。
 二人の視線は交錯し、一触即発といった様相だ。

「良い度胸だ、小僧……。では貴様からわたしの雄に屈服させてやろう」
「お前、ぼくが一番嫌いなタイプの男だな……」

 そんな二人を、ことは恨めしそうに見詰めている。

、なんで一緒に乗って行かなかったのよ……」

 わたる達の帰国への道程、その第二幕は早くも不測の事態に陥り、最初の戦いが幕を開けようとしていた。
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