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第一章 異世界のような現実

【独白】Sideロイ~尾行の結末~

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趣味の悪いネオンが輝く店の名前はアッパーリード。
ブラックライトで仄かに緑色に光るバッタのスタンプを肌に押されてから入る店は、二十代の若者にとって出会いと刺激を堪能できる娯楽の場所として有名。


「懐かしいな」


ランディが隣ですでに店員からもらったお酒を飲みながら歩いている。


「早くない?」


心で浮かんだままに口にすれば、ランディは「シラフでいられない」と本音で返してくる。
遊び盛りもとっくにすぎて、心に決めた唯一の女性とめでたく結ばれたばかりのボクたちがどうしてこんな場所にいるかと聞かれれば、答えは一つしかない。


「アヤってば、あんな格好で何考えてるの?」

「あの男、さっきからアヤを見る目がふざけてやがる」

「ランディ、この年になって騒ぎをおこすのはやめてね。今夜の目的はアヤに気付かれずに息抜きさせることなんだから」

「……ああ、わかってる」

「本当かなぁ」


重低音の音楽が鳴り響き、露出度の高い服を着た男女が密着して踊りあう。
アヤは慣れていないことが丸出しな感じでキョロキョロと物珍しそうに周囲を観察しているが、そのアヤの手を引いて奥へと足を進めていくのは赤い髪をしたランディの部下。
セイラ・テイラー。
良くも悪くも目立つから見つけやすくて助かるんだけど、アヤをこんな場所に連れてきたのは正直言ってマイナス評価に値する。


「あのドレス、丈が短いし、胸元あきすぎ」


アヤはまったく気にしてない。
自分の恰好よりも周囲が気になるみたいで、始終びくびくしながらセイラに手を引かれて奥に運ばれて行く。警戒心が強いのに無防備だから、ボクたちみたいなのに目をつけられちゃうんだけど、ボクたちみたいなのって、総称してヤバいやつだからね。
自分で言っておいて悲しくなってくるけど。


「ロイ、スヲンが上の席とれたって」

「さすが皇帝」


ランディの言葉にボクはアヤから視線を外さずにうなずく。
上の席。それは、このアッパーリードのメインホール全体を見渡せる特等席のようなもので、マジックミラーになっている上階の個室。大抵の客はただの壁だと思っているこの個室の存在を知らない。


「懐かしいな」


今度はランディじゃなく、ボクの口がこの言葉を吐いた。
ちなみにランディはアヤに声をかけそうな男が多すぎるって理由で、階下で絶賛待機中。殴ったりして騒ぎを起こさなければいいんだけど、ランディにそれはないってわかってるからその場を譲ることにした。


「それにしてもスヲン、よく空いてたね。出禁になるまでこの部屋がボクたちの居城みたいなもんだったから懐かしくてテンションあがるよ」

「空けてもらったんだよ。俺たちの可愛い子猫ちゃんを観察するにはこの部屋が一番いいから」


上機嫌に微笑むスヲンの目が笑っていない。
空けてもらったとか言ってるけど、空けさせたことは明白で、お楽しみの最中だった連中がさっき別の場所に移動していくのがみえた。


「ねえ、もういっそのことアヤを拉致って来て、ここに監禁しちゃわない?」


階下に見えるアヤはいつの間にか置き去りにされて、ひとりでじっと座っている。セイラの戻りを待っているんだろうけど、大人しく静かに座って待っている姿が庇護欲をそそる。
場慣れしていないのは一目瞭然。ああ、そんな怯えた目で周囲を上目遣いで見ないで。ここには女を漁る獣しかいないんだから。


「アヤが可愛すぎて、ボクの頭がおかしくなりそう」

「大丈夫だ、すでに狂ってる」

「スヲンがいうと迫力が違う」


壁もソファーも黒一色に支配された空間。間接照明の橙は適度に室内を照らしてくれるが、視界の端に映る鎖や足枷はもちろん、ここがそういう部屋として利用できることを物語っている。
アッパーリードの裏の顔。
乱交会場やSM部屋として提供している会員制の倶楽部でもある。一部、ちょっとヤバい取引現場にも使われていて、数年前にそのチームを半壊状態にしたらなぜかボクたちのほうが出禁になった。


「皇帝が現れただと!?」


これまた懐かしい声がする。


「お前ら、ここで待ってろ。俺様が話をつけてくる」


扉をけ破る勢いで姿をみせたのは、実に体格のいい一人の男。複数の部下に廊下で待つように言いつけて入ってくる。その腕にはランディと同じタトゥーをいれていて、長い黒髪を小さく編み込んでからひとつに束ね、舌にいれたピアスを見せつけるように相手を挑発してくる。名前をジョージ・バルボッサ。半壊状態にしたチームのリーダー。


「久しぶりだね、バルボッサ」

「キング……それからメイソン。よくも顔を出せたもんだな」

「まだレイプドラッグなんて趣味の悪いもん使って女を従えているのか?」

「うるさい、貴様らは出禁にしたはずだ。なんで我が物顔でここに居座ってやがる」


スヲンが手にしているそれには見覚えがある。
小さな袋に入った粉末状の白い薬。液体に溶かせば無色透明、無味無臭。催淫効果を発揮する強力な媚薬だが、依存性も強いから法律的には禁止されている。所持が見つかれば即逮捕の代物。


「別に今さら荒らしにきたわけじゃないよ。キミを相手にしてるほど、ボクたち今は暇じゃないし」


スヲンの代わりに答える。
視線は常にアヤにくぎ付けだけど、そういう空気を読まないのがこのバルボッサという男。許可もしていないのに、ボクの隣に腰かけるとか本当いい迷惑。
しかも仲良くもないのに肩まで組んじゃって。昔からボクのこと好き過ぎて困るよ。


「暇じゃないってなんだ、王様は高みの見物が好きだからなぁ。また俺様の女でもここに連れ込もうってのか?」

「うわぁ。バルボッサってば、まだそのこと根に持ってるの?」

「まだってなんだ、ふざけるな。俺様の人生最大の汚点だ」

「だって、スヲン。言われてるよ?」

「勝手についてきて、迫ってきたのは彼女のほうだって知ってるだろ。当時の彼氏がヘタクソすぎて欲求不満だから慰めてほしいって、ああ、その場にいたから自分がどれだけヘタクソか身に染みてわかったって礼か。なら別にいいぞ」


あ、スヲンが怒ってる。アヤを観察しながら楽しむ予定だったのが狂わされて怒ってる。
でもそんな言い方したら血の気の多いバルボッサが、ほら、泣いちゃった。


「へっ、ヘタクソとかじゃねぇし、貴様らがおかしいんだよ、ばーか。あれから俺様は…ぅ…うぅ…こんな変態やろうに、俺様のヴァネッサ」

「ジョージ、三十路にもなる男が泣いてたらみっともないよ。失恋を何年も引きずってないで、新しい恋を探しなよ」

「うるせぇ、俺様を名前で呼ぶな…っ…ノーマルの気持ちなんて、お前らにわかるわけないんだ」


ぐすぐすと鼻をすすって泣いているバルボッサを放置して、ボクはスヲンとアヤを眺め続ける。まあ、確かに入り浸ってた時はアヤに顔向けできない色々があったけど、それはもう過去の話ってことで封印しちゃおう。


「バルボッサ、まだボクの横でめそめそ泣くなら、前みたいに壁に磔にしてあげるけど?」

「ひっ!?」

「名案だな。幸い、当時の名残が視界にちらついている」

「いっ、いやだ、俺様はノーマルなんだ」

「ヴァネッサを目の前で犯されて勃起させちゃうだけじゃなくて、恍惚な顔で逝っちゃう男がノーマルなんて笑っちゃうね」

「お前はマゾだよ」

「違う、やめろ、それ以上はやめてくれ…ぅぅ…くそっ。何が望みだ!!」


バルボッサってなんでこんなに可愛いんだろう。
昔からボクたちに絡んではこうしてイジメられてるけど、ときどき心配になるくらいにチョロくて笑ってしまう。こんなのがチームのリーダーをしてるっていうんだから驚きだよね。
まあ、バルボッサの性癖を歪めたのはボクたちだろうけど。


「望みなんてないよ。静かにここで今晩を楽しませてくれたらそれでいい」

「しっかり望んでんじゃねぇか!!」

「ランディが暴れる前に回収しないといけない子がいるからね」

「ランディ兄貴まで来てるのか、まっ、まさかあいつも!?」

「そんなに怯えなくてもイーサンはいない」

「あ…あいつがいたら、俺様は……終わりだ」


頭を抱えながら子ウサギみたいにプルプル震えて、見ていて飽きない。悪い奴じゃないんだけど、女の趣味だけはすこぶる悪い。ヴァネッサは色んな男と乱交がするのが趣味の女なのに、そんな女に惚れた上に性癖まで歪める原因をもらっちゃうなんて……ジョージったら、困ったやつだね。


「ジョージ、よく覚えて。ほら、あそこにいる髪の黒い可愛い子」

「え、あの青いドレスの女?」

「違うよ、馬鹿なの。ランディがさっきからずっと見つめてる子だよ。ジョージが言った女の右斜め向かいにいる日本人の」

「それがどうかしたのか?」

「名前はアヤ。ボクたちがようやく見つけた唯一の女性。あの子にもしものことがあったら、ボクたちは何をするかわかんない。スヲンが手に持ってるあれ、管理くらいはちゃんとしてくれないかなぁ?」

「ヒィッ…その笑顔はやめ…やめて」

「追加条件としてアヤの情報は逐一ボクたちに報告してくれる?」

「わかった、わかったから…っ…その笑顔怖いから」

「あとは今まで通り、不法所持者や密売人から回収したレイプドラッグをちゃんと管理してくれていたらそれでいいよ。ジョージが寝取られて興奮しちゃう変態だっていう秘密は、ボクたちが出禁になることで交渉成立してるんだから」

「そ、そのことなんだけど」


ようやく解放されてホッとした様子のジョージが人差し指同士を合わせて目を泳がせている。これで年上とか、信じられないよね。ジョージが従えている仲間がこの姿をみたら絶対もっと気に入られると思うんだけど、ジョージはかたくなにこの性癖を隠したがる。
まあ、それはさておき言いにくそうなジョージの話を促すためにスヲンが「なに?」と問いかけている。


「え、あの…さ、最近、エドガーってやつが怪しい動きを見せてる。レイプドラッグの回収数も合わなくなってて……だけど、いくら調べても合法のドラッグしか持ってない。たぶん仲間内に裏切り者がいる」

「エドガー……たしか、ランディの後輩じゃなかった?」

「そういえば、ここで何度か顔を見たことはあるな」


ランディの弟からも名前を聞いたことがある。エドガー。ボクたちが出禁になったあとでアッパーリードに入り浸るようになったっていう、割と新しいチームだった気がする。


「やつらのまわしてる薬は少量でもかなり効くらしい。俺様の店だ、絶対しっぽをつかんでやる」

「あ、アヤが帰る。ロイ、俺たちも行こう」

「うん、そうだね。じゃあね、バルボッサ。ちゃんと頼んだよ」


そうして店を出て、アヤが無事に帰宅するまで見届けて家に帰る。
無駄につかれた、というか疲労感がヤバい。まだ火曜日の夜だよ。日曜日にアヤとドライブデートして、まだ二日目の夜とか信じられないんだけど。


「っていうかぁ、なんでアヤはこっちに帰ってこないの?」

「俺に聞くな」

「スヲン。ランディが何か冷たいんですけどー」

「そりゃ、レイプドラッグが盛られる可能性のある店に俺たちに内緒でアヤが行ってたっていう現実味がじわじわきてるんだろ」


そういえば、アヤの無事を確かめて安心してたけど、ボクたちはアヤから直接出かけることを聞いてないんだった。
ランディから「テイラーが今晩、アヤを誘って飲みに行くらしい」と情報をもらって、三人で尾行して、あの店にたどり着いただけ。たしかに運よく無事に済んでいるけど、ボクたちがそれを知らなかったら、今頃捜索願いとか出す勢いでアヤを探しているかもしれない。
そうしているうちに、誰かにドラッグを盛られて……うっ。想像だけで人を殺せそう。


「ボクまでなんか気分悪くなってきた」


スヲンにいわれて現実味が全身に渦を巻く。


「明日、会社で顔を合わせたときに帰ってこなかった理由を聞く。それしかない」

「……帰りたくなかったりしてな」

「え、ランディ。やめて、そのマイナス思考、怖い」

「だって考えてもみろ。俺たちだってアヤを無理矢理彼女にしたのは変わりない。ああいう場所に行って、もしかしたら俺たちと一緒にいるのが怖くなったんじゃ」

「アヤ自身が、他に男を作りたくなった?」

「スヲンまでそんなこと言わないで、ボク、アヤに捨てられたら正気でいられなくなっちゃう」


好きな人と両想いになれたと喜んでいたのに、まさかの破局。そんなの無理。想像もしたくない。
アヤ以外に考えられないくらい、こんなに頭の中がアヤで染まってるのに、そんな……他の男に乗り換えるつもりなんて微塵も思ってなかった。


「……ぅ…うぅ…アヤ…」


気付けばもう金曜日。
アヤに会いたくて出勤時間を合わせてみたり、廊下で偶然を装ってみたり、そういう努力の甲斐もむなしく、あの日から一度も姿をみていない。


「泣くな、ロイ。うっとうしい」

「バルボッサのことが言えなくなるぞ」


ランディとスヲンの機嫌も超絶最悪。めちゃくちゃ怖い。


「だって、アヤが足りない。アヤに会いたい、アヤに避けられてるのがつらすぎる」


悲しみというのは声に出しても出さなくても勝手に募っていくらしい。
本当に気が変になりそうだ。あー、悲しみが一周して段々イライラしてきた。
え、ちょっと待って。これどういう状況?
三日も避けられるって、彼女に無視されるって、そんなことありえなくない?
アヤは本当にボクたちに嫌気がさして別れようとしてるってこと?
それともボクたちが知らないうちに、すでに他の男に言い寄られて気持ちが傾いちゃったとか?
……浮気相手、どこのどいつだよ。
このまま自然消滅なんて絶対にしないけど、問題はどうやってアヤを捕まえるか。


「これ以上、目の届かない場所にアヤがいくとか耐えられない」


涙を拭いて立ち上がったボクをスヲンとランディが同じような表情で見つめている。
うんうん、わかるよ。ボクたちって本当、運命共同体っていう言葉がしっくりくるよね。
みんな一緒の気持ち。
つまり、アヤに大激怒してる。


「今晩、絶対捕まえてやる」


金曜日の夜、アヤは会議室でひとり片づけをして帰ることはわかってる。
あと数時間。ああ、神様。どうかアヤがボクたちを捨てませんように。
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