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Date:5月30日(3)
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紗綾は女性をかばうように白い化け物の前に立ちはだかる。何が逆鱗に触れたのか、奇襲をかけてきた化け物は悲鳴をあげる女性の声に導かれるように、紗綾たち目掛けて大きく両手を広げている。
「十和」
「そこは普通、ボクの名前でしょ」
「ダリル」
強く目を閉じて絶体絶命の覚悟を口にした紗綾は、次の瞬間、雨の水たまりにグシャリと音を立てて倒れ込んだ化け物の先に、黒い使者の存在をみつけた。銀色の模様に闇溶ける衣装、巨大な黒い鎌をもった姿は自称死神を名乗るにはふさわしいいで立ちだった。
「え、なに、どういうこと」
ばしゃりと、紗綾の後ろで腰を抜かせた女性がしりもちをつく音がする。
死神を理解しろという方がどうかしているが、ここは見たすべてが説明のつかない現実の一片。起き上がった白い化け物を黒い鎌で両断し、闇の中で閃光を描いた青紫の瞳は黒に混ざった水しぶきを浴びて、その手に黒い種を掴んでいた。
死神が魔種を回収する現場に初めて居合わせた紗綾だったが、当の死神は浮かない顔をしている。何がダリルにそういう顔をさせるのかと、闇になれた目をこらすまえに、ダリルの手の中にあった黒い魔種は蒸発するように消えてしまった。
「やっぱり偽物か」
ダリルの声が闇に溶けるように冷たい。どこかで人間と大差ないように感じていたが、こうして狩りをするように呆気なく力をふるうダリルを見て、やはり死神なのだと紗綾は一人小さくうつむいた。縮まったと感じていた距離は、何も変わらないのかもしれない。死神と人間。そもそも生きている世界が違うという事実は揺るがない。
「さて、と」
ダリルがいつもの様子で、ニコリとほほ笑むのが紗綾にはわかった。
「いや、来ないで」
しりもちをついた状態から起き上がることができないのか、雨に濡れた女性は、目の前でおこった流れを認識できないまま、近づいてくる黒い死神を拒絶するように両手をふるう。ゆっくりとスローモーションのように、青紫の瞳が女性の瞳を覗き込むのを紗綾はどこか他人事のように眺めていた。
* * * * *
「どう、ゆっくりあったまった?」
「あ、はい」
どうしてこういうことになっているのか、紗綾はまだ戸惑いを隠せないままでいた。
高級マンションの上階。窓から見える景色はまだ雨の降り注ぐ都会をぼんやりと色鮮やかに写している。
目の前にはまるで我が家のようにくつろいでいる死神。そしてその横には恰幅のいい強面の男性と、泥だらけの衣装を脱いで着替えたらしい美人がひとり。
「本当にありがとうございました」
シャワーを浴びて戻ってきた紗綾は、もう何度目になるかわからない感謝の言葉を耳にする。濡れた服はどうやらクリーニングに出してくれているそうだが、女性のものらしい服を借りて、初めて招かれる家でくつろげるほど紗綾の神経は図太くない。
「いえ、たまたま通りがかっただけなので」
困ったように紗綾は、同じく初めて招かれる家でくつろぐ死神を視界にいれた。
今はあの死神の衣装をやめて、普通の服をきている。ここにいる人間には姿を見せることにしたのか、ダリルは出されるがままに注がれる酒を飲みながら、どうみても一般人には見えない男と談笑しているのだから気が滅入る。
「もう、ゴリちゃん。ほら、紗綾ちゃんが見えたわよ」
金髪の巻髪、オトナの色気しか漂ってこないが美人だと一言で表現できる彼女が、ダリルと談笑している男に向かって呼びかける。少し酔っているのか、あっはっはと笑っていたそのゴリさんは、紗綾の姿をみかけて「おお」と嬉しそうにテーブルを叩いた。
「きみが紗綾ちゃんか、芙美香(ふみか)を助けてくれたそうだな」
「いえ、たまたま通りがかっただけなので」
「いやいや、謙遜はいらない。どうだこっちにこんか」
「もう、ゴリちゃん。可愛い子に見境がないんだから」
「そうですよ、紗綾ちゃんはボクの大事な子なんですから」
「誤解を招く言い方をしないで」
どうすればそう簡単に打ち解けられるのかはわからない。わからないが和やかな雰囲気は紗綾の記憶が正しければ、シャワーを浴びる前にはなかったものだ。紗綾は芙美香と呼ばれた美人に招かれるようにその場に設けられた椅子に座る。
落ち着かない。
それでも進められた甘いジュースを口に含む頃には、少し冷静に記憶の整理がついてきた。
「男に襲われて気絶するなんて、私もまだまだね」
そう言いながら薄い黄金色の液体が入ったグラスを傾けた芙美香は苦笑の息を吐いた。
「紗綾ちゃんとダリルさんが助けてくれなかったらって思うとぞっとしちゃうわ」
「そうだぞ、芙美香。お前はもっと自分の身を案じねばならん」
「だからって店に強面の黒服が増えるのは勘弁よ」
「そうはいってもな」
形のいい胸を支えるように片手で腕を組み、グラスの中味を飲み干す芙美香にゴリさんとよばれた年配の男は、どこか煮え切らない表情を向けている。この状況でどう空気を読めばその発言が生まれるのか「ゴリさんは芙美香ちゃんの太客なんですか?」とダリルの呑気な声まで聞こえてくる。
「あら、ゴリちゃんを店に招いたことは一度もないわ」
手からジュースの入ったグラスを滑らせそうになった紗綾の隣で、シャンパンの入ったグラスをテーブルにおいた芙美香がふふんと鼻をならして、たわわに実った自分の胸にその手を押し当てる。
「私はこの美貌と口だけでトップに立っているのが誇りなの。翼心会会長の愛人だなんて肩書は、私の仕事には必要ないわ」
今度こそ確実に、紗綾の手からコップが滑り落ちてテーブルの上に巨大な染みが浮かび上がった。
「すっすみません」
声では謝罪をしているが、紗綾の胸中は謝罪よりも衝撃の方が大きい。
「あら、ごめんなさい。驚くわよね、突然」
くすくすと困ったように笑っているが、テーブルの上にこぼした液体を拭きとるための布を取りに席をはずして、帰ってきた芙美香は放心したような顔で立ち尽くす紗綾に向かって悪戯な視線を向けていた。
「翼心会、知ってるでしょ?」
この町に暮らしていても暮らしていなくても、その名前くらいは誰もが一度は聞いたことがある。有名なんてものではない。言われてみれば、一度テレビのニュースで報道されていた会長らしい人物の顔は、今そこで死神と酒を交わしている人物と瓜二つのように思えてきた。
「自己紹介がまだだったな、わしの名前は天広五里(あまひろいざと)翼心会の会長をしている」
「五里って書いて、いざとって読むのよ。だから私はゴリちゃんって呼んでいるのだけど」
「紗綾ちゃんもわしを好きに呼ぶといい」
わっはっはと笑っているが、ここでどうやって笑えばいいのだろうか。口を開けたまま困惑する紗綾の代わりに、テーブルの上のジュースを拭き終えた芙美香が「次は私ね」と改まるように五里の横に並んだ。
「本名は坂口芙美(さかぐちふみ)。芙美香は源氏名」
「源氏名?」
「クラブマドンナで働いているの」
ニコリと笑う顔は美しい。これが大人の色気だと魅せ付けられているような妖しい雰囲気が芙美香からはにじみ出ている。
「夜の町で芙美香を知らんやつはおらん」
五里が得意げに芙美香の腰を抱き寄せた。
「この国で今、一番稼ぐ女だ」
そう豪語する五里の腕の中で、芙美香は少し照れたように頬を染めながら、それでもまんざらではなさそうな笑みを浮かべている。愛人関係だと言っていたが、二人の間には高校生の紗綾にはわからない特別なものがあるのだろう。
「最近、町ではシュガープラムとかいう麻薬が出回っているだろう?」
「え?」
「まあ、高校生にはわからんかもしれんが、わしの町ではそういう物騒なもんが出回っていてな。芙美香には日頃から気をつけるように言っていたんだが、まさかその被害にあうとは思っていなかった」
「シュガープラムって翼心会が流しているんじゃないんですか?」
ダリルには怖いものがないのかもしれない。紗綾はこのタイミングでその質問を投げた死神の代わりに謝罪したいと、口の中が急速に乾いていくのを感じていた。しかし、五里は不機嫌を露わにするどころかその豪快な声でわっはっはと笑ったのだから調子が狂う。
「わしが、自分の町をつぶす代物を流すと思うのか?」
そして芙美香をその腕に抱きながら、ダリルと紗綾を見つめるその瞳には明らかな戦意が浮かんでいた。
「シュガープラムを流している連中を知っているならすべて教えろ。わしが潰してやる」
「十和」
「そこは普通、ボクの名前でしょ」
「ダリル」
強く目を閉じて絶体絶命の覚悟を口にした紗綾は、次の瞬間、雨の水たまりにグシャリと音を立てて倒れ込んだ化け物の先に、黒い使者の存在をみつけた。銀色の模様に闇溶ける衣装、巨大な黒い鎌をもった姿は自称死神を名乗るにはふさわしいいで立ちだった。
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ばしゃりと、紗綾の後ろで腰を抜かせた女性がしりもちをつく音がする。
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死神が魔種を回収する現場に初めて居合わせた紗綾だったが、当の死神は浮かない顔をしている。何がダリルにそういう顔をさせるのかと、闇になれた目をこらすまえに、ダリルの手の中にあった黒い魔種は蒸発するように消えてしまった。
「やっぱり偽物か」
ダリルの声が闇に溶けるように冷たい。どこかで人間と大差ないように感じていたが、こうして狩りをするように呆気なく力をふるうダリルを見て、やはり死神なのだと紗綾は一人小さくうつむいた。縮まったと感じていた距離は、何も変わらないのかもしれない。死神と人間。そもそも生きている世界が違うという事実は揺るがない。
「さて、と」
ダリルがいつもの様子で、ニコリとほほ笑むのが紗綾にはわかった。
「いや、来ないで」
しりもちをついた状態から起き上がることができないのか、雨に濡れた女性は、目の前でおこった流れを認識できないまま、近づいてくる黒い死神を拒絶するように両手をふるう。ゆっくりとスローモーションのように、青紫の瞳が女性の瞳を覗き込むのを紗綾はどこか他人事のように眺めていた。
* * * * *
「どう、ゆっくりあったまった?」
「あ、はい」
どうしてこういうことになっているのか、紗綾はまだ戸惑いを隠せないままでいた。
高級マンションの上階。窓から見える景色はまだ雨の降り注ぐ都会をぼんやりと色鮮やかに写している。
目の前にはまるで我が家のようにくつろいでいる死神。そしてその横には恰幅のいい強面の男性と、泥だらけの衣装を脱いで着替えたらしい美人がひとり。
「本当にありがとうございました」
シャワーを浴びて戻ってきた紗綾は、もう何度目になるかわからない感謝の言葉を耳にする。濡れた服はどうやらクリーニングに出してくれているそうだが、女性のものらしい服を借りて、初めて招かれる家でくつろげるほど紗綾の神経は図太くない。
「いえ、たまたま通りがかっただけなので」
困ったように紗綾は、同じく初めて招かれる家でくつろぐ死神を視界にいれた。
今はあの死神の衣装をやめて、普通の服をきている。ここにいる人間には姿を見せることにしたのか、ダリルは出されるがままに注がれる酒を飲みながら、どうみても一般人には見えない男と談笑しているのだから気が滅入る。
「もう、ゴリちゃん。ほら、紗綾ちゃんが見えたわよ」
金髪の巻髪、オトナの色気しか漂ってこないが美人だと一言で表現できる彼女が、ダリルと談笑している男に向かって呼びかける。少し酔っているのか、あっはっはと笑っていたそのゴリさんは、紗綾の姿をみかけて「おお」と嬉しそうにテーブルを叩いた。
「きみが紗綾ちゃんか、芙美香(ふみか)を助けてくれたそうだな」
「いえ、たまたま通りがかっただけなので」
「いやいや、謙遜はいらない。どうだこっちにこんか」
「もう、ゴリちゃん。可愛い子に見境がないんだから」
「そうですよ、紗綾ちゃんはボクの大事な子なんですから」
「誤解を招く言い方をしないで」
どうすればそう簡単に打ち解けられるのかはわからない。わからないが和やかな雰囲気は紗綾の記憶が正しければ、シャワーを浴びる前にはなかったものだ。紗綾は芙美香と呼ばれた美人に招かれるようにその場に設けられた椅子に座る。
落ち着かない。
それでも進められた甘いジュースを口に含む頃には、少し冷静に記憶の整理がついてきた。
「男に襲われて気絶するなんて、私もまだまだね」
そう言いながら薄い黄金色の液体が入ったグラスを傾けた芙美香は苦笑の息を吐いた。
「紗綾ちゃんとダリルさんが助けてくれなかったらって思うとぞっとしちゃうわ」
「そうだぞ、芙美香。お前はもっと自分の身を案じねばならん」
「だからって店に強面の黒服が増えるのは勘弁よ」
「そうはいってもな」
形のいい胸を支えるように片手で腕を組み、グラスの中味を飲み干す芙美香にゴリさんとよばれた年配の男は、どこか煮え切らない表情を向けている。この状況でどう空気を読めばその発言が生まれるのか「ゴリさんは芙美香ちゃんの太客なんですか?」とダリルの呑気な声まで聞こえてくる。
「あら、ゴリちゃんを店に招いたことは一度もないわ」
手からジュースの入ったグラスを滑らせそうになった紗綾の隣で、シャンパンの入ったグラスをテーブルにおいた芙美香がふふんと鼻をならして、たわわに実った自分の胸にその手を押し当てる。
「私はこの美貌と口だけでトップに立っているのが誇りなの。翼心会会長の愛人だなんて肩書は、私の仕事には必要ないわ」
今度こそ確実に、紗綾の手からコップが滑り落ちてテーブルの上に巨大な染みが浮かび上がった。
「すっすみません」
声では謝罪をしているが、紗綾の胸中は謝罪よりも衝撃の方が大きい。
「あら、ごめんなさい。驚くわよね、突然」
くすくすと困ったように笑っているが、テーブルの上にこぼした液体を拭きとるための布を取りに席をはずして、帰ってきた芙美香は放心したような顔で立ち尽くす紗綾に向かって悪戯な視線を向けていた。
「翼心会、知ってるでしょ?」
この町に暮らしていても暮らしていなくても、その名前くらいは誰もが一度は聞いたことがある。有名なんてものではない。言われてみれば、一度テレビのニュースで報道されていた会長らしい人物の顔は、今そこで死神と酒を交わしている人物と瓜二つのように思えてきた。
「自己紹介がまだだったな、わしの名前は天広五里(あまひろいざと)翼心会の会長をしている」
「五里って書いて、いざとって読むのよ。だから私はゴリちゃんって呼んでいるのだけど」
「紗綾ちゃんもわしを好きに呼ぶといい」
わっはっはと笑っているが、ここでどうやって笑えばいいのだろうか。口を開けたまま困惑する紗綾の代わりに、テーブルの上のジュースを拭き終えた芙美香が「次は私ね」と改まるように五里の横に並んだ。
「本名は坂口芙美(さかぐちふみ)。芙美香は源氏名」
「源氏名?」
「クラブマドンナで働いているの」
ニコリと笑う顔は美しい。これが大人の色気だと魅せ付けられているような妖しい雰囲気が芙美香からはにじみ出ている。
「夜の町で芙美香を知らんやつはおらん」
五里が得意げに芙美香の腰を抱き寄せた。
「この国で今、一番稼ぐ女だ」
そう豪語する五里の腕の中で、芙美香は少し照れたように頬を染めながら、それでもまんざらではなさそうな笑みを浮かべている。愛人関係だと言っていたが、二人の間には高校生の紗綾にはわからない特別なものがあるのだろう。
「最近、町ではシュガープラムとかいう麻薬が出回っているだろう?」
「え?」
「まあ、高校生にはわからんかもしれんが、わしの町ではそういう物騒なもんが出回っていてな。芙美香には日頃から気をつけるように言っていたんだが、まさかその被害にあうとは思っていなかった」
「シュガープラムって翼心会が流しているんじゃないんですか?」
ダリルには怖いものがないのかもしれない。紗綾はこのタイミングでその質問を投げた死神の代わりに謝罪したいと、口の中が急速に乾いていくのを感じていた。しかし、五里は不機嫌を露わにするどころかその豪快な声でわっはっはと笑ったのだから調子が狂う。
「わしが、自分の町をつぶす代物を流すと思うのか?」
そして芙美香をその腕に抱きながら、ダリルと紗綾を見つめるその瞳には明らかな戦意が浮かんでいた。
「シュガープラムを流している連中を知っているならすべて教えろ。わしが潰してやる」
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