BLショートショート

鳥羽ミワ

文字の大きさ
上 下
1 / 8

夢みたいに抱きしめて(穏やか大人な攻め×ちょっと幼くて感情豊かな受け)

しおりを挟む
就活の時に喧嘩別れしたカップルが、社会人になってから元鞘になる話。
穏やか大人な攻め×ちょっと幼くて感情豊かな受け。
受け視点。



 大学四年の頃に別れた元彼の夢を見た。抱きしめられる夢だった。
 四月、朝の五時。まどろみの中で、あいつの腕の中で嬉しくなってしまったことを自覚する。寝起き早々、嫌な気持ちになった。
 ベッドから這い出てスーツに着替える。ネクタイを散々結び慣れたセミ・ウィンザーノットで結ぶ。就活から数年経って、より形の整った結び目。それを、あいつが見ることはない。
 前日買った二十円引きのおにぎりを胃に詰め込む。スーツを着て、髪の毛を整髪剤できっちりと撫でつけた。
 おろしていた前髪を上げて額を出せば、少しは幼さが薄れる、気がする。耳元の十八金ピアスを外して透明なものに変えれば、社会人の俺の出来上がり。
「アホらし……」
 身だしなみを整えて、家を出るためにビジネスリュックを背負う。前日に全て荷物を入れたそれは、しかし通学用リュックよりはるかに軽い。
 あいつによく、荷物を全部入れたリュックをからかわれていた。教科書もノートも筆記用具も、パソコンも、タブレット端末も、いつも持ち歩いていた。
 背中の軽さがいまだに心許ない。何年か履いている革靴の踵を、意味もなく上下させる。ため息がもれた。
 もう何年も経つのに、あの低い声の軽やかさが懐かしくなる。
 またこうして歩いていれば、後ろから声をかけてくれないか、なんて。

 就活中のよくある言い争いだ。優秀なあいつは早く内定をもらって、当時将来が決まっていなかった俺がそれをひがんだ。
 喧嘩別れをして、その後に就職先が決まった。結局お互いに進路を知らないまま、大学を卒業した。

 それから、何年も経ってしまった。気持ちはちゅうぶらりんのままどこにも行けなくて、結局新しい恋もできていない。
 職場へ向かう満員電車に乗り込んで、ビルに着けばエレベーターに乗り込む。オフィスに着いたらタイムカードを切る。始業十分前に席に着く。
 俺が悪かったんだよ、とこの季節になるたび思い出す。嘘だ、数ヶ月に一度は思い出す。
 好きだったし甘えていたし心を預けていた。だからひがんだし、怒ったし、それを突っぱねられて激昂した。何度思い出しても恥ずかしい。
 謝ろう、と連絡先の画面を開いたこともある。だけど返事が来なかったらと思うと、怖いのだ。
 そしてこの通り、働き出して数年経っても、俺は一歩も進めていない。
 未練がましくあいつからもらったピアスを毎晩つけて、こうしてピアス穴を維持している。
 手帳をめくり、今日の予定を確認する。一番目の予定は、新規の取引先との打ち合わせ。朝十時に先方が来るから、と頭の中で予定を組み立て、準備する。
「ふん……」
 鼻で笑ってみる。自分を嘲笑ってみたところで、何も変わらない。
 資料を用意して、読み直して。そうしているうちに、約束の時間になった。
「三木くん、準備大丈夫?」
「はい、いけます」
 上司に声をかけられ、立ち上がる。名刺入れを懐に入れる手つきも慣れたものだ。
 会社のエントランスに先方がついた連絡が入り、会議室へ向かう。先に部屋にご案内して、と上司が指示しているのを後目に時計を見た。約束の十分前。
 エレベーターを降りてすぐ、右の扉。会議室をノックする。失礼します、と声をかけて入室する。その一瞬、俺は息ができなかった。
 あいつが、いた。シルエットの整った三揃のスーツを着て、髪の毛の色は少し明るくなって、襟足は刈り上げられて。
 おとなしかった印象が、随分華やかになっていた。大人の男だった。
 呆然と立つ俺の横で上司がお辞儀をする。慌ててそれに従うと、先方の代表者が立ち上がる。
 上司同士が名刺を交換している横で、俺は呆然と彼を見つめた。彼は優しく微笑んで、「ひさしぶり」と口の形だけで、言った気がした。
 その後は、本当に散々だった。ほとんど上司に任せきりの俺に先方は呆れた様子だったし、上司からも叱責された。
 散々な一日だ。あいつのせいだ、と責任転嫁したくなる。俺の頭には、あいつの少し明るい髪色が焼きついている。刈り上げたうなじの日に焼けた感じもショッキングだった。
 だけど今日は純粋に、俺のミスだ。あの場で仕事ができていなかったのは、俺だけだ。あいつは、ちゃんと平然としていた。
 情けなくて、帰りの電車でずっとうなだれていた。家に着いたちょうどそのとき、俺のプライベートのメールに一通のメッセージが届く。
 差出人はあいつだった。
 震える指で開けば、「今更だけど」とだけ書かれていた。
 うん、と相槌を送る。それからたっぷり待っても、返信は来なかった。彼は大切なことや大事なことを言うとき、こうしてたっぷり考え込む。
 なんでも口に出す俺とは正反対で、そんなところも好きだった。好きだったのに。
 どうせまだかかるだろう、とスマホを置いてシャワーを浴びる。戻ってくると、メッセージが削除された痕跡だけがあった。
「ふざけるなよ!」
 躊躇わずに通話画面を開き、電話をかける。たっぷり五コール待って、彼はやっと通話に出た。
「取り消すな」
 俺が開口一番にそう言えば、彼が電話口で戸惑う気配がした。
 構わず素直な気持ちのまま、言葉をぶちまける。
「俺に何か言いたいんだろ。言ってくれよ」
『うん、……』
「そんなことされたら、余計気になる。俺に怒ってるのか?」
 彼は息を呑む。それからしばらく経って、大きく息を吸い込んだ。
『怒っていないと、言えば、嘘だ』
 彼の落ち着いた声が、しんと耳に響く。ああ、お前が好きだと告白されたときと、同じ声だ。
『だけど怒ってるだけなら、こんなこと、しない』
 その震えた声に、俺は鼻を啜った。うん、と頷くと、彼は会いたい、と続ける。
『会いたい。お前は?』
「……うん」
 また頷く。うん、うん、と何度も頷く。
「あいたい」
 声を絞り出すと、彼は『泣き虫』と笑った。
『ピアス、まだしてるんだって思った』
 彼のその低い声が優しい。俺のこと、まだ好きなんだろ。会って、抱きしめてほしい。夢の中みたいに。
 泣きたくなる、と言えば、『かわいいね』と彼は湿った声で言った。俺も、お前のそういうところが好きだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?

こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。 自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。 ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?

くまさんのマッサージ♡

はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。 2024.03.06 閲覧、お気に入りありがとうございます。 m(_ _)m もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。 2024.03.10 完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m 今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。 2024.03.19 https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy イベントページになります。 25日0時より開始です! ※補足 サークルスペースが確定いたしました。 一次創作2: え5 にて出展させていただいてます! 2024.10.28 11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。 2024.11.01 https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2 本日22時より、イベントが開催されます。 よろしければ遊びに来てください。

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

おしっこ8分目を守りましょう

こじらせた処女
BL
 海里(24)がルームシェアをしている新(24)のおしっこ我慢癖を矯正させるためにとあるルールを設ける話。

白雪王子と容赦のない七人ショタ!

ミクリ21
BL
男の白雪姫の魔改造した話です。

嫌がる繊細くんを連続絶頂させる話

てけてとん
BL
同じクラスの人気者な繊細くんの弱みにつけこんで何度も絶頂させる話です。結構鬼畜です。長すぎたので2話に分割しています。

処理中です...