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第一部

研究室にて

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 フラエとミスミが連れ立って寮へ戻る頃には、雪の月の早い日没が訪れていた。ミスミはフラエの荷物を暖房の効いた部屋まで運搬し、「植木鉢は研究室に戻しておこうか」とふさふさ茂った葉を摘まむ。
「いいよ。それくらい、僕がやる」
 フラエは植木鉢を受け取り、ミスミは「じゃ」と軽く手を挙げて部屋を後にした。フラエは革靴をつっかけて研究棟へ向かい、明かりの灯った「生体魔術研究室」と書かれた部屋の扉をノックする。
「リンカーです」
 すぐに扉は開かれ、同僚であるカシエが顔を出した。中肉中背の彼はフラエに「お疲れ」と気安く声をかけ、入室を促すように身体をどける。フラエは軽く会釈して入室し、実験道具や書類の山をかきわけて進んだ。その中でも一際散らかった自分の机の横に、植木鉢を置く。コートを脱いで椅子の背もたれにかけて、一息ついた。
 フラエが産んだ種子は、あともう一株発芽させたものの他は、検体としてエーテル漬けにされていた。発芽させた一株は普段温室で管理されており、面倒なので明日戻そうと思う。そういえば、自分がもらっている標本棚がそろそろ限界を超えそうだった。少しは棚を整理して、置き場に余裕を持たせた方がいいかもしれない。
「研究発表、どうだった?」
 背中をぽんと叩かれて振り返ると、ミジーが資料を手に立っていた。彼女は商家出身で、噂に耳ざとい。くりくりとした青い瞳を細め、人懐っこく笑う。
「色々大変だったみたいだね」
「そうなんだよ」
 げんなりした声を出せば、「リンカーはそういうの、苦手そう」と彼女は肩を竦める。フラエは「やっぱり、分かる?」と頭を掻き、ミジーは気安い様子で「後で話を聞かせてよ」と言いながら書類を差し出した。
「実験してたフラスコ、特定魔力属性と指向性付与だっけ? 詳細な分析が終わった報告が返ってきてたから、渡しておくね」
 ありがとう、と受け取ると、低くねっとりとした声がフラエへかけられる。
「血統書つきはいいよなぁ、簡単に研究ができて」
 フラエを揶揄する、椅子に座ってニヤニヤしている筋肉質な彼はギック。貧しい生まれからここまでのし上がってきた彼は、何かと貴族出身のフラエを目の仇にしていた。フラエは彼にどうしてそんなことを言われたのかが心底分からないので、腹も立たないし、不思議に思って首を傾げる。
「僕の実力が優れているから、研究が簡単にできるように見えるだけでは?」
 その言葉にギックは顔をしかめ、「お貴族様なら嫌味のひとつくらい分かれってんだ」と吐き捨てる。見かねたミジーが「ひがむのもいい加減にしなさいよ」と口を挟み、ギックはぎくりと口をつぐんで退散した。研究室内で、ギックがミジーに片思いしていることは暗黙の了解だった。知らないのは、フラエとミジー本人だけだ。
「幼稚だな」
 フラエが言うと、リンカー、とミジーが咎めるように言った。フラエは首を横に振り、「もったいない」と続ける。
「ギックは僕よりずっと優秀なんだから、血筋がどうとか、気にしなくていいのに」
 ミジーはそれに呆れたように笑って、自分の机へと戻っていく。フラエが書類を整理しようとしたら雪崩が起こったので、ひとまず植木鉢を窓際に避難させる。生体研究室の標本室は研究室の隣であり、部屋の奥に取り付けられた鉄扉から出入りする必要がある。重たい扉を開けて標本室へ入ると、暖かい部屋よりもひやりと冷えた空気が肌を撫でた。四隅の魔導ランタンが燃えている以外の光源のない薄暗い部屋だ。研究員一人あたりに、一つの棚が割り当てられている。
 フラエは自身の棚に並べられた瓶を整列させ直していく。大まかな種類を分別し、日付ごとに並べていった。今度、ラベルをつけ直した方がいいかもしれない。淡々と透明なエーテル体が満ちた重たい瓶を並べ、すべてを整列し終えて立ち上がると、丁度エイラが入室するところだった。
「所長」
 声をかけると、エイラは眼鏡をかけ直して「リンカー君か」と不愛想に言う。フラエは彼に寄っていって、「今日はありがとうございました」と礼を言う。怪訝な顔をしたエイラに、「研究発表のとき、助けていただきましたから」と笑みを向ける。彼は、ああ、と気のない返事をして、首を横に振る。
「学者として当然のことをしたまでだ」
 その言葉に、フラエは痺れてしまった。エイラは生体魔術の第一線で研究成果を上げ続けている、フラエが学生時代から憧れ続けている研究者だ。その彼に認められたということは、フラエの自尊心を大いにくすぐった。
「僕は、学生時代からずっと、所長に憧れているんです」
 胸を張って、エイラを見上げた。なかなか人と目を合わせないエイラは斜め下を見ているが、フラエは気にせず続ける。
「所長のように研究成果をあげ、世の役に立つことが、僕の目標です」
 その言葉にエイラは首を横に振り、「役に立たないことも研究するのが、学問だよ」と呟いて、部屋の奥にある彼の棚へと向かっていった。かっこいいな、とフラエは思う。鉄扉を開けて研究室へ戻ると、カシエがちょうど入れ違いに標本室へと入っていった。中をのぞくと、カシエはエイラと親しげに話しているようだった。何やら白熱しているようで、エイラはカシエの顔を真っすぐ見つめ、熱弁を振るっている。
 少しだけ胸が切なくなって、フラエはすぐに扉を閉じた。カシエはエイラのお気に入りで、だからそれが何だということはないのだ。
 研究室に戻って、ここ最近研究発表のために片付けられずにいた書類をまとめていく。なんだか少しだけ、寂しい気持ちだったので、これを終えたら外へ食事に行くと決めた。
「フラエ」
 声をかけられて振り返ると、ミスミが立っていた。あれ、と首を傾げると「研究発表の反省レポートだよ」と、彼の席であるフラエの真後ろの椅子に座る。少しうんざりした様子で、彼が研究発表で使用した資料と、実験結果の詳細が書かれた紙を鞄に入れている。
「お前も忘れず出せよ。十日後が締め切りだ」
「見ていろ。三日で出してやる」
 冗談めかして言えば、彼は笑って「そう言って、締め切りギリギリで出すのがフラエだ」と言った。フラエは締め切りギリギリまで粘って推敲するタイプで、ミスミもそうだった。フラエも笑って、「でも今日は、疲れたな」と椅子の背もたれにもたれかかる。
「この後は、ゆっくりしたい。外食もしたい。たっぷりお湯が張られたお風呂に入りたい」
 駄々っ子のように足をぱたぱた振りながら言うフラエに、ミスミは苦笑して「一緒にメシ、行くか?」と誘う。一も二もなく頷いた。
「シチューがいい」
「それじゃ、あそこの定食屋だ」
 伸びをしたミスミが伸びをして、「今日はもう上がるか」とコートを羽織りはじめる。フラエもいそいそとコートを羽織り、手持ちの財布に入った金額を確認する。休日に参加した初級ダンジョン攻略で得た、報酬金が入っている。薄給な研究員の割に、多少懐は潤っていた。ダンジョン攻略は、騎士団に入団できる程度にはあるフラエの戦闘能力を生かした、ちょっとした小遣い稼ぎだ。
「行こう」
 ミスミに先んじて歩き出す。彼は「酒が飲みてぇ」と唸りながらフラエの隣に並び、あくびをする。このゆるい連帯が心地よくて、フラエもあくびをした。二人で研究棟から出たところで、そういえば、とミスミが歩みを止めた。つられてフラエも足を止める。
「フラエって、グノシス殿下とどういう関係だったんだ?」
「え~……」
 無遠慮な質問でも、揶揄や悪意を感じなかったので、素直に答えることにした。
「元同級生で、元親友?」
 へぇ、とミスミが驚いた声をあげた。
「そもそも、フラエと殿下って同級生だったんだ」
「中級学校からの同級生だよ」
 ミスミは興味深そうに頷いた。フラエは話しているうちに、なんでもかんでもぶちまけたい、投げやりな気持ちになってきた。ミスミは自分の話をなんでも聞いてくれるし、受け止めてくれる。それだけの友情が二人の間にあると、信じている。フラエは息を吸い、続けた。
「初対面から殴り合いの喧嘩になって」
「王族と殴り合いに……」
 絶句するミスミに「学内では身分の平等という規則があったからね」と胸を張る。
「有名無実になっていたそれを、僕が復活させてやったんだ」
 誇らしげなフラエ。彼は何かを飲み込んで、「……よく、仲良くなれたな」とフラエに続きを促す。
「僕はあそこまで徹底的に殴られたことがなかったし、殿下も歯向かわれたのが初めてだったから、お互いに興味を持ったんだ」
「コミュニケーションが独特すぎる」
 というか、お前って案外実力行使するんだ……と慄くミスミに、フラエは「僕は結構武闘派だぞ」と冗談めかして言った。
「騎士団には、魔術じゃなくて身体格闘能力で入ったんだ」
 同時に、フラエが騎士団内で軽んじられた理由はそれだった。
「僕を変わり者扱いして敬遠しなかったのは、グノシス殿下だけだった」
 その言葉に、ミスミはどこか湿度を感じた。そうなんだ、と頷くと、フラエは寂しそうに目を伏せた。彼の緑の瞳はしどけなく潤み、ミスミは、なんだか幼い子どもを相手にしているような気持ちになる。
「好きだったんだな。殿下のこと」
「うん」
 フラエに頷かれてから、ちょっと言い方がまずかったかな、とミスミは思った。少し思考する間を挟んで、訂正する。
「友達として好きだったんだな」
 言い直したミスミに、フラエは曖昧に頷いた。その態度を見て先ほどよりもずっと、なんだか気まずくなった。これはきっと、友達以上の気持ちがフラエにはあったんだろうと、何も知らないミスミが察するには十分だった。それはグノシス王子も同じなのだろう。フラエは「本当に、ふざけないでほしい」と吐き捨てる。
「今更、……なんなんだよ。ふざけないで」
 そう言って俯き、首を横に振る。ミスミは彼の背中が、いつもよりずっと小さく感じた。見ていられなくて、フラエの低い位置にある肩に腕を回す。うわ、と驚くフラエの背中を叩き、「こういう時は飲むぞ」とわざとらしく拳を突き上げた。
「酒飲んで寝て、忘れようぜ」
 そう言えば、フラエの顔がじわじわとほどけた。うん、と頷き、微笑みながら彼も拳を突き上げる。
「飲む! あんな馬鹿のことは忘れよう」
「くれぐれも発言には、気をつけろよ」
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