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三年目の新婚クライシス
No,269 五月闇 其の二十
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貴志さんの生活スタイルが変わった。
激変したと言っても過言ではない。
五時に起きて六時までジムでトレーニングをして早朝に汗を流してたのに。アタシとゆっくり朝寝をして一緒に六時に起きて「おはよう」のキスをして(照)。アタシは簡単に着替えエプロンを着けてお弁当作りを開始し、貴志さんはシャワーを浴びてワイシャツに着替えダイニングテーブルに座ってエスプレッソを飲みながら新聞を読む。いや、読む振りをして、アタシの様子を盗み見してる。視線を感じるから間違いないと思う。だって、ちょっと夫を振り返ると必ず瞳が合って、ニコッと微笑まれてしまうもの(赤面)。
朝食は一日の活力の源だ。とにかく貴志さんは働き過ぎだと思われる程頑張ってらっしゃるから、しっかり食べて英気を養って頂きたい。特に季節の変わり目は体調を崩しやすいから充分に気を付けて欲しいと心から願う。アタシの食欲も戻りつつあるし、三食頂ける幸せを噛み締めつつ簡単な朝食を二人で頂く。食後は珈琲を飲みながらしばしののんびりタイムだ。ちなみにカップは【Ginori】の【ベッキオホワイト】のペアマグだ。貴志さんのマグカップと同じ物をアタシが買って来た。今まで貴志さんがアタシに合わせてくれてたが、アタシだって【WEDGWOOD】じゃなきゃ使わないなんて傲岸不遜な事を言う気は更々ないのだから。たまにはアタシだって貴志さんの好みに合わせてみたいと思ったのだ。
スーツに着替えた貴志さんをお見送りする為に玄関まで行くと必ず抱き締められる。その際、包まれる香りが【DUENDE】ではない事に違和感を感じる事はもうなくなった。この男性は記憶があろうがなかろうが、『アタシの上井貴志さん』である事は間違いようのない事実なのだから。ムスクの香りの代わりに薫るスパイシーな香りに包まれながら「行ってらっしゃい」「行ってきます」のキスをして、アタシの作ったお弁当を持って出勤する彼を見送れば一段落だ。
お昼にランチボックスの写メが送られて来る事はなくなったけど、代わりにアタシを気遣うメールが届くようになった。アタシの昼食を心配してくれてるのだ。だからアタシも奮起した。愛する旦那さまに余計な心労は掛けたくない。少量でも必ず何か食べるようになって、工夫をして上手に出来て見栄えが良くなれば誰かに見てもらいたくなるものだ。キャラ弁ほど凝ってはいないが可愛いパンケーキが焼けた時は思わず写メを撮って貴志さんに送ってしまったらとっても喜んでもらえて。こっちまで嬉しくなってしまった。
夜は必ず定時で帰宅してくれる。これも嬉しい変化の一つだ。残業がある時は会社ではなく、仕事部屋で済ませるようにしてくれるのだ。夫は必ず玄関でホッとため息を吐く。お香の匂いに安心するのだそうだ。「ただ今」「お帰りなさい」のキスを交わすが、アタシの腕輪の金剛石にも接吻を落とすのが習慣となってしまってる。部屋着に着替えた貴志さんと君枝さんの心尽くしの夕飯を頂くのだが。アタシもお喋りするが、貴志さんが会社での出来事を色々と話してくれる事がすごく嬉しい。今まで貴志さんはそんなにお喋りな方ではなかったから。こんな時、『ああ、この男性は、まだ二十代なんだなァ』なんてしみじみしてしまうのは、アタシだけの秘密だ。決してアラサーのオバサンの感傷ではありません(笑)。
そして夜の生活ですが(照)。
こちらにもちょっとした変化があったのでございます(なぜか敬語)。
行為の最中、しきりにアタシに言葉をねだるようになったのだ。
「…ねえ…俺が好き…?」
「…愛してるって言って…」
アタシの身体を焦らしながらも、精神は縋り付くようで。
普段は恥ずかしがり屋のアタシも、こんな時は言葉を惜しみはしなかった。
こんな瞬間、心底実感するのだ。
この男性が、アタシの愛する夫である事を。
「真唯ちゃん、良かったわァーーッ!!」
「マイ、良かったわねェー!」
『女三人寄れば姦しい』とは言うけど、約一名性別不詳の方がおいでの場合は何と言うのだろう? なんて明後日の事を考えて一瞬現実逃避してしまうのは、リザさんに抱き締められて泣かれてしまったから。
アタシは自分が面倒臭い性質である事を充分自覚してる。
メッチャ内に籠り自分の精神でグチャグチャ色々と考えてしまうのだ。
他人に相談するのは、その後だ。自分の内部で結論が出てからなのだ。
なぜなら、『話す』事は『放す』事であり、『離す』事でもあるからだ。
自分の内部で起こった事象を充分に『消化』し、『昇華』する為に他人に『話』し、『離す』のだ。
そんなアタシの事をリザさんは充分に理解してくれてる。
だから、こんな大変な事が起こっても、アタシに連絡するのを我慢しててくれたのだ。
そしてようやく事態が落ち着いて、アタシの内部での決着がついた時、散々気を揉ませて心配させてしまったであろうリザさんに連絡をしたのだが、待ち合わせ場所にはなぜか【提督閣下】までいらっしゃったのだ。アタシより遥かに女子力高い完璧な女装をなさって。
【椿屋珈琲店】銀座本店の個室で久し振りにお会いするお二人は相変わらず眼福だった。超ド急の美女(?)二人に抱き付かれた時、『…ああ…こんなに心配してくれる人がいるって、幸せな事だなァ…』と、申し訳ない気持ちと一緒に感謝の念が湧き上がったのだった。
「…こんなに痩せちゃって…」
「…タカシ…一発ブッ飛ばす…」
低いヒックイ声は怖かったケド。
三人それぞれがソファーに落ち着いて、好みの珈琲を注文して。しばらくは無言だった。誰もが言葉を発する事はなかった。そしてみんなの珈琲が揃って、それぞれ珈琲を飲み出す。アタシはいつもの【椿屋珈琲店】の珈琲の芳しい香りと豊かな円みを普通に味わえる事が言葉には出来ないほどの感慨を齎した。
「…真唯ちゃん…」
「…マイ…」
「…アハ…ッ、…すみません、ちょっと湯気が眼に沁みちゃって…」
「………………………」
「………………………」
慌てて目元を拭った。リザさんと云う理解者と、アドミラルと云う絶対的に信頼してる女性の前で気が緩んでしまったらしい。“普通”、“当たり前”と思い込んでた事が実は一番有り難くて尊い事なのか身に沁みて理解してしまったからこそ、余計に。二人の優しい視線を感じる。柔らかで温かな精神を映す瞳。俯いて珈琲を飲み干して。ひと息吐くと、アタシは改めて向かいに座るお二人の瞳を見つめて。そして話し始めた。貴志さんに忘れられてしまってからの精神の葛藤の全てを。
全て話し終えた時には既に三杯目のお代わりを飲み干していた。四杯目を飲んでしまうとさすがにお腹がキツクなるな、なんて考えてる時。「…真唯ちゃん、貴女って…家族環境だけだって随分な設定をしてると思ってたけど…夫婦関係にまでこんな試練を用意して来るなんて、かなりの兵ねェ…称賛に値するわと言うか、マジで尊敬します…」心底感心したようなリザさんの声と。「…タカシ…やっぱ、ゼッテェ一発はドテッ腹に入れてやる…」凄味のあるアドミラルの声が重なった。
やっぱり、リザさんは、理解って下さってますね。メッチャ嬉しいです。
ってか、アドミラル。貴女は仮にも“近衛兵”の統領なんでしょう?
そんな女性に殴られたら、貴志さんが無事でいられません。
お願いですから、止めて下さい。
「…で…?」
「…はい…?」
「…惚けなさんな…全部フッ切んたんなら、真唯ちゃんはどうしてそんな表情してんの…?」
「………………………」 ……やっぱり、リザさんにはバレちゃうなァ……
「…自白しちゃいなさいな…スッキリするよ…?」
「………………………」 ……リザさん、ここは取調室ですか…?
リザさんの言葉以上に雄弁で真剣な眼差しに観念して、アタシは気になってる事を二人に聴いてもらったのだった。そしてその結果、二人の反応はまたしても正反対。
「ざまァ。自業自得。」身も蓋もない、一刀両断のアドミラルと。
「…貴志…めんどくさい子…」呆れたような、それでも『しょーがねーな、衆生は。』って云う観音さまの慈悲と慈愛に満ちたお顔にも似た表情のリザさんと。
アタシが懸念してるのは、最近の貴志さんの様子だ。
彼は【上井真唯】と云う“妻”の存在は認めてくれた。
“愛する女”としての認識もしてくれた。
かなりの天邪鬼なアタシだが、その事を疑う心算はない。
けれど。
彼の中には以前の『貴志さん』のような歳月の積み重ねがない。
その自信のなさが態度に出てるような気がするのだ。
アタシに対するだけならまだ良い。いくらでも受け止める覚悟があるから。
だけどこれが、お仕事にまで影響を及ぼす事になってしまったら…?
アタシの不安はその一点に尽きるのだ。
でも、お二人は、アタシのそんな気掛かりを一蹴して下さった。
「真唯ちゃん、心配する気持ちは理解るけど…これは貴志の問題よ。」
「そうそう。手前ェの尻くらい、自分で拭かせろってね。」
「………………………」 ……アドミラル…お下品デス。
無言で不服を示すと、リザさんは苦笑い交じりのお言葉でアタシの傲慢を撃ち抜いて下さった。
「あの子が自身で設定して生まれて来たんだから、これから起こる問題に対処するのは貴志の課題よ。外野からどうこう出来る問題じゃないし、して良い事でもないわ。大丈夫よ、貴志を信じなさい。真唯ちゃんが自身の問題を解決出来たように、きっと乗り越えてくれる筈だから。」
鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。いつかのアドミラルにSPさんたちの事を諭された時と一緒だ。これじゃ過保護な母親と同じだ。過干渉の毒親だ。SPさんたちを侮辱した時の教訓を生かせずに、一番信頼するべき男性を侮辱してしまった。ズズ~ンと漬物石を頭に乗せられたように自己嫌悪に陥って俯いてると、右から柔らかい感触と左から軽い衝撃が同時に来た。向かい側に座ってたお二人がこちらの一人掛けのソファー椅子にいらしたのだ。
右の肘掛けに座ったリザさんに頭を抱き締められ。
左の肘掛けに座ったアドミラルにはデコピンをされた。
「コラッ、またネガティブしてるでしょ★」
と。
二人の労わりのお気持ちが嬉しくて、甘えてしまった。
「…アドミラルがイジメル…慰めて下さい…」
と、リザさんに寄り掛かって。
「…まったく…自分がシンドイ目に遭って、立ち直ったばかりなのに…」
リザさんの優しい声と。
「自己反省は大事だけど、自虐は良くないよ…気を付けたまえ。」
一瞬だけ男言葉になった【提督閣下】の声と。
お二人の柔らかい雰囲気に癒されて、眼を瞑ってしばしこの身を任せた。
それでも気恥しくて「…お二人とも、この香りは初めてなんですけど…アンティークなんですか…?」と余計な事を聞いてしまうのは、天邪鬼の習性だろう(苦笑)。
しかし、それが二人に火を点けてしまったらしい。
リザさんのお店に連れて行かれ散々着せ替え人形にされた挙句、新品の服を押し付けられ。アンティークショップ【ドーヌム】で綺麗で豪奢な香水瓶を押し付けられてしまった。「遅くなってしまったけど、バースデープレゼントよ。」「勿論、受け取ってくれるわよね?」と有無を言わせない雰囲気で。その迫力に押され、「…はい…勿論、有り難く頂きます…アリガトウゴザイマス…」としか言えなかったのは、正しく自業自得と云うものだろう。
『口は災いの元』と云う教訓が頭を掠めて猛省してたアタシには、リザさんとアドミラルの小さな呟きが聴こえる事はなかったのだった。
「…真唯ちゃんてば…ホントに良い娘…」
「…同感です…アイツには、勿体ない妻です…」
「…だからって、あの子から奪っちゃダメよ…?」
「…さあ、どうでしょうか…恋愛は自由ですからね…」
激変したと言っても過言ではない。
五時に起きて六時までジムでトレーニングをして早朝に汗を流してたのに。アタシとゆっくり朝寝をして一緒に六時に起きて「おはよう」のキスをして(照)。アタシは簡単に着替えエプロンを着けてお弁当作りを開始し、貴志さんはシャワーを浴びてワイシャツに着替えダイニングテーブルに座ってエスプレッソを飲みながら新聞を読む。いや、読む振りをして、アタシの様子を盗み見してる。視線を感じるから間違いないと思う。だって、ちょっと夫を振り返ると必ず瞳が合って、ニコッと微笑まれてしまうもの(赤面)。
朝食は一日の活力の源だ。とにかく貴志さんは働き過ぎだと思われる程頑張ってらっしゃるから、しっかり食べて英気を養って頂きたい。特に季節の変わり目は体調を崩しやすいから充分に気を付けて欲しいと心から願う。アタシの食欲も戻りつつあるし、三食頂ける幸せを噛み締めつつ簡単な朝食を二人で頂く。食後は珈琲を飲みながらしばしののんびりタイムだ。ちなみにカップは【Ginori】の【ベッキオホワイト】のペアマグだ。貴志さんのマグカップと同じ物をアタシが買って来た。今まで貴志さんがアタシに合わせてくれてたが、アタシだって【WEDGWOOD】じゃなきゃ使わないなんて傲岸不遜な事を言う気は更々ないのだから。たまにはアタシだって貴志さんの好みに合わせてみたいと思ったのだ。
スーツに着替えた貴志さんをお見送りする為に玄関まで行くと必ず抱き締められる。その際、包まれる香りが【DUENDE】ではない事に違和感を感じる事はもうなくなった。この男性は記憶があろうがなかろうが、『アタシの上井貴志さん』である事は間違いようのない事実なのだから。ムスクの香りの代わりに薫るスパイシーな香りに包まれながら「行ってらっしゃい」「行ってきます」のキスをして、アタシの作ったお弁当を持って出勤する彼を見送れば一段落だ。
お昼にランチボックスの写メが送られて来る事はなくなったけど、代わりにアタシを気遣うメールが届くようになった。アタシの昼食を心配してくれてるのだ。だからアタシも奮起した。愛する旦那さまに余計な心労は掛けたくない。少量でも必ず何か食べるようになって、工夫をして上手に出来て見栄えが良くなれば誰かに見てもらいたくなるものだ。キャラ弁ほど凝ってはいないが可愛いパンケーキが焼けた時は思わず写メを撮って貴志さんに送ってしまったらとっても喜んでもらえて。こっちまで嬉しくなってしまった。
夜は必ず定時で帰宅してくれる。これも嬉しい変化の一つだ。残業がある時は会社ではなく、仕事部屋で済ませるようにしてくれるのだ。夫は必ず玄関でホッとため息を吐く。お香の匂いに安心するのだそうだ。「ただ今」「お帰りなさい」のキスを交わすが、アタシの腕輪の金剛石にも接吻を落とすのが習慣となってしまってる。部屋着に着替えた貴志さんと君枝さんの心尽くしの夕飯を頂くのだが。アタシもお喋りするが、貴志さんが会社での出来事を色々と話してくれる事がすごく嬉しい。今まで貴志さんはそんなにお喋りな方ではなかったから。こんな時、『ああ、この男性は、まだ二十代なんだなァ』なんてしみじみしてしまうのは、アタシだけの秘密だ。決してアラサーのオバサンの感傷ではありません(笑)。
そして夜の生活ですが(照)。
こちらにもちょっとした変化があったのでございます(なぜか敬語)。
行為の最中、しきりにアタシに言葉をねだるようになったのだ。
「…ねえ…俺が好き…?」
「…愛してるって言って…」
アタシの身体を焦らしながらも、精神は縋り付くようで。
普段は恥ずかしがり屋のアタシも、こんな時は言葉を惜しみはしなかった。
こんな瞬間、心底実感するのだ。
この男性が、アタシの愛する夫である事を。
「真唯ちゃん、良かったわァーーッ!!」
「マイ、良かったわねェー!」
『女三人寄れば姦しい』とは言うけど、約一名性別不詳の方がおいでの場合は何と言うのだろう? なんて明後日の事を考えて一瞬現実逃避してしまうのは、リザさんに抱き締められて泣かれてしまったから。
アタシは自分が面倒臭い性質である事を充分自覚してる。
メッチャ内に籠り自分の精神でグチャグチャ色々と考えてしまうのだ。
他人に相談するのは、その後だ。自分の内部で結論が出てからなのだ。
なぜなら、『話す』事は『放す』事であり、『離す』事でもあるからだ。
自分の内部で起こった事象を充分に『消化』し、『昇華』する為に他人に『話』し、『離す』のだ。
そんなアタシの事をリザさんは充分に理解してくれてる。
だから、こんな大変な事が起こっても、アタシに連絡するのを我慢しててくれたのだ。
そしてようやく事態が落ち着いて、アタシの内部での決着がついた時、散々気を揉ませて心配させてしまったであろうリザさんに連絡をしたのだが、待ち合わせ場所にはなぜか【提督閣下】までいらっしゃったのだ。アタシより遥かに女子力高い完璧な女装をなさって。
【椿屋珈琲店】銀座本店の個室で久し振りにお会いするお二人は相変わらず眼福だった。超ド急の美女(?)二人に抱き付かれた時、『…ああ…こんなに心配してくれる人がいるって、幸せな事だなァ…』と、申し訳ない気持ちと一緒に感謝の念が湧き上がったのだった。
「…こんなに痩せちゃって…」
「…タカシ…一発ブッ飛ばす…」
低いヒックイ声は怖かったケド。
三人それぞれがソファーに落ち着いて、好みの珈琲を注文して。しばらくは無言だった。誰もが言葉を発する事はなかった。そしてみんなの珈琲が揃って、それぞれ珈琲を飲み出す。アタシはいつもの【椿屋珈琲店】の珈琲の芳しい香りと豊かな円みを普通に味わえる事が言葉には出来ないほどの感慨を齎した。
「…真唯ちゃん…」
「…マイ…」
「…アハ…ッ、…すみません、ちょっと湯気が眼に沁みちゃって…」
「………………………」
「………………………」
慌てて目元を拭った。リザさんと云う理解者と、アドミラルと云う絶対的に信頼してる女性の前で気が緩んでしまったらしい。“普通”、“当たり前”と思い込んでた事が実は一番有り難くて尊い事なのか身に沁みて理解してしまったからこそ、余計に。二人の優しい視線を感じる。柔らかで温かな精神を映す瞳。俯いて珈琲を飲み干して。ひと息吐くと、アタシは改めて向かいに座るお二人の瞳を見つめて。そして話し始めた。貴志さんに忘れられてしまってからの精神の葛藤の全てを。
全て話し終えた時には既に三杯目のお代わりを飲み干していた。四杯目を飲んでしまうとさすがにお腹がキツクなるな、なんて考えてる時。「…真唯ちゃん、貴女って…家族環境だけだって随分な設定をしてると思ってたけど…夫婦関係にまでこんな試練を用意して来るなんて、かなりの兵ねェ…称賛に値するわと言うか、マジで尊敬します…」心底感心したようなリザさんの声と。「…タカシ…やっぱ、ゼッテェ一発はドテッ腹に入れてやる…」凄味のあるアドミラルの声が重なった。
やっぱり、リザさんは、理解って下さってますね。メッチャ嬉しいです。
ってか、アドミラル。貴女は仮にも“近衛兵”の統領なんでしょう?
そんな女性に殴られたら、貴志さんが無事でいられません。
お願いですから、止めて下さい。
「…で…?」
「…はい…?」
「…惚けなさんな…全部フッ切んたんなら、真唯ちゃんはどうしてそんな表情してんの…?」
「………………………」 ……やっぱり、リザさんにはバレちゃうなァ……
「…自白しちゃいなさいな…スッキリするよ…?」
「………………………」 ……リザさん、ここは取調室ですか…?
リザさんの言葉以上に雄弁で真剣な眼差しに観念して、アタシは気になってる事を二人に聴いてもらったのだった。そしてその結果、二人の反応はまたしても正反対。
「ざまァ。自業自得。」身も蓋もない、一刀両断のアドミラルと。
「…貴志…めんどくさい子…」呆れたような、それでも『しょーがねーな、衆生は。』って云う観音さまの慈悲と慈愛に満ちたお顔にも似た表情のリザさんと。
アタシが懸念してるのは、最近の貴志さんの様子だ。
彼は【上井真唯】と云う“妻”の存在は認めてくれた。
“愛する女”としての認識もしてくれた。
かなりの天邪鬼なアタシだが、その事を疑う心算はない。
けれど。
彼の中には以前の『貴志さん』のような歳月の積み重ねがない。
その自信のなさが態度に出てるような気がするのだ。
アタシに対するだけならまだ良い。いくらでも受け止める覚悟があるから。
だけどこれが、お仕事にまで影響を及ぼす事になってしまったら…?
アタシの不安はその一点に尽きるのだ。
でも、お二人は、アタシのそんな気掛かりを一蹴して下さった。
「真唯ちゃん、心配する気持ちは理解るけど…これは貴志の問題よ。」
「そうそう。手前ェの尻くらい、自分で拭かせろってね。」
「………………………」 ……アドミラル…お下品デス。
無言で不服を示すと、リザさんは苦笑い交じりのお言葉でアタシの傲慢を撃ち抜いて下さった。
「あの子が自身で設定して生まれて来たんだから、これから起こる問題に対処するのは貴志の課題よ。外野からどうこう出来る問題じゃないし、して良い事でもないわ。大丈夫よ、貴志を信じなさい。真唯ちゃんが自身の問題を解決出来たように、きっと乗り越えてくれる筈だから。」
鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。いつかのアドミラルにSPさんたちの事を諭された時と一緒だ。これじゃ過保護な母親と同じだ。過干渉の毒親だ。SPさんたちを侮辱した時の教訓を生かせずに、一番信頼するべき男性を侮辱してしまった。ズズ~ンと漬物石を頭に乗せられたように自己嫌悪に陥って俯いてると、右から柔らかい感触と左から軽い衝撃が同時に来た。向かい側に座ってたお二人がこちらの一人掛けのソファー椅子にいらしたのだ。
右の肘掛けに座ったリザさんに頭を抱き締められ。
左の肘掛けに座ったアドミラルにはデコピンをされた。
「コラッ、またネガティブしてるでしょ★」
と。
二人の労わりのお気持ちが嬉しくて、甘えてしまった。
「…アドミラルがイジメル…慰めて下さい…」
と、リザさんに寄り掛かって。
「…まったく…自分がシンドイ目に遭って、立ち直ったばかりなのに…」
リザさんの優しい声と。
「自己反省は大事だけど、自虐は良くないよ…気を付けたまえ。」
一瞬だけ男言葉になった【提督閣下】の声と。
お二人の柔らかい雰囲気に癒されて、眼を瞑ってしばしこの身を任せた。
それでも気恥しくて「…お二人とも、この香りは初めてなんですけど…アンティークなんですか…?」と余計な事を聞いてしまうのは、天邪鬼の習性だろう(苦笑)。
しかし、それが二人に火を点けてしまったらしい。
リザさんのお店に連れて行かれ散々着せ替え人形にされた挙句、新品の服を押し付けられ。アンティークショップ【ドーヌム】で綺麗で豪奢な香水瓶を押し付けられてしまった。「遅くなってしまったけど、バースデープレゼントよ。」「勿論、受け取ってくれるわよね?」と有無を言わせない雰囲気で。その迫力に押され、「…はい…勿論、有り難く頂きます…アリガトウゴザイマス…」としか言えなかったのは、正しく自業自得と云うものだろう。
『口は災いの元』と云う教訓が頭を掠めて猛省してたアタシには、リザさんとアドミラルの小さな呟きが聴こえる事はなかったのだった。
「…真唯ちゃんてば…ホントに良い娘…」
「…同感です…アイツには、勿体ない妻です…」
「…だからって、あの子から奪っちゃダメよ…?」
「…さあ、どうでしょうか…恋愛は自由ですからね…」
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