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去年のリッチな夜でした

その41

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 日は、すでに西へと傾き始めていた。
 南中を下り、天の頂より少しずつ滑り落ちようとする太陽に照らされて、車道を走る無数の車がそれぞれに車体を輝かせる。
 その内の一つ、黒いラングラーの中で、リウドルフは物憂げな面持ちをたたえていた。
 助手席に腰を下ろした彼の背後では、司と二人の『子供達』が後部座席に寄り掛かっていた。
「……まだ着かないの、爸爸バーバ?」
 司の左隣に座った金髪の男の子が、眠そうな声を上げた。事実、彼は左右のまぶたを半ば辺りまで下げ、瑠璃色の瞳から焦点をぼやけさせていた。
 司を挟んだ反対側では、黒髪の女の子が、司の脇腹の辺りに頭を押し付けてすでに寝入っていた。
「もう少しだよ」
 司は微笑を崩さず、かたわらの男の子へ答えた。
 その司の後を継ぐようにして、運転席でハンドルを握るアレグラがシート越しに声を掛ける。
「眠いんなら、今の内に五分でも十分でも寝ちゃいなよ。着いた途端に荒事に巻き込まれんのは目に見えてんだし」
 金髪の男の子がすぐに何も答えない中、アレグラはルームミラーを通して司を一瞥する。
「全く、昼寝途中の子供まで連れて来る事無いのに……」
「これも、この子達の為になると思えばこそですよ。学びの場と機会は大切にした方が良いと思いまして」
 やはりにこやかに答えてから、司はリウドルフへと呼び掛ける。
「しかし、随分と御執心ですね、この件について。告げ口をした手前、余り偉そうな事も言えませんが、何も学校を抜け出してまで現場に向かわなくともよろしかったのでは?」
「人命に関する事柄であれば、可能な限り無理は通すさ」
 助手席から肩越しに振り返り、リウドルフは威張るでもなく即答した。
「それに、まだいくつか腑に落ちない点があるのも事実だ。一度、その『犯人』をじかに見ておきたいと言うのもある」
 そう言うと、リウドルフはまたしかつめらしい表情を浮かべた。
「中国公安部の記録からも察するに、『奴』は『蟲毒』によって生み出した様々な有毒生物から特殊な毒素を採取し、それを精製、加工する事で全く新しい『薬物』を創り出しているのだと思われる。これの最も厄介な点は、都市部に潜伏しながらでも、足が付く事無く様々な『薬物』を製造出来ると言う所にある。毒の素となる生き物さえ一旦いったんそろえてしまえば、後は精々せいぜいそいつらに食わせる餌ぐらいしか、原材料と呼べる物は無くなる訳だからな」
る意味ではエコロジーですね」
「だが、ここで一つ疑問が湧いて来る」
 司が挟んだ言葉の後に、リウドルフは顎先あごさきに手を遣った。
「そもそも、『蟲毒』はそんな軽々しく用いられるような生易しい術ではない。生み出された生き物が、当の術者にとっても危険極まる存在であるからだ。壺の中に無理矢理押し込められ、共食いと殺し合いを強要された生き物は、当然と言えば当然だが、例外無く敵意と殺意の塊のような代物と化してしまう。そして、その敵愾心てきがいしんの矛先は、そんな真似を仕向けた術者に対しても向けられる事が多々ある。そうした底無しの憎悪や怨嗟えんさを、特定の対象へ上手く誘導する事によって呪殺を成功させるのが、『蟲毒』と言う術の肝でもあるのだ。『人を呪わば穴二つ』と言う奴だな。決して、術者に従順な使い魔を生み出して、思い通りに行使出来るような術ではない」
「如何にした所で、ミラノ大公プロスペロー大気の精霊エアリアルのような関係を構築出来るとも思えませんからねえ。精々せいぜい築けたとして、孤島の怪物キャリバン程度のさもしい間柄ですか」
 後部座席でやんわりと評した司を、リウドルフは助手席から改めて見つめた。
「にもかかわらず、『奴』はそれを今に至るまで平然と繰り返して来た。『薬物』を大量に生産する都合上、生み出す『蟲毒』の数と種類もそれに比例するのを余儀無くされるだろうに、一体どうやって『自爆』の危険性を抑えているのか、これが判らない。東洋の術者として、何か思い当たる節でもあるかね?」
 司は、小さくかぶりを振った。
「生憎と、ああした陰気で後ろ向きな術には然程さほど詳しくないもので。そもそも、『天然自然』に生まれたものを『人』の手で恣意しい的に殺し合わせると言うのも、太極に反した愚かな行ないですよ。自然淘汰を促進させている訳でもなく、まして、それをさらに私利私欲の為に利用するなど、浅ましいと評してしかるべきでしょうね」
 いささか冷たい口調で言うと、司は自分の膝の上で眠り始めた、金髪の男の子の頭を優しくでた。
「まあ、考えられる手段はいくつかありますが、この場で推測ばかり並べても詮無き事でしょう。こうして出張って来た以上、まずは相手の様子を確認してみない事には」
「そうだな……」
 リウドルフは鼻息をいてから、助手席で姿勢を戻した。
 フロントガラスの向こうには、昼下がりの街並みがいつもと変わらず広がっている。
 そこを歩く人々の姿にもまた、普段と変わる所は何も表れていなかった。
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