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フレンチでリッチな夜でした

その23

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 その日は朝から小雨が降り続いていた。
 街外れ、市街の輪郭の外に設けられた共同墓地には少なくない数の市民が集まっていた。
 数日前に森で新たに遺体となって発見された猟師の葬儀に、彼らは参列したのであった。
 他の参列者と同じく静かに雨に打たれながら、喪服姿のアレグラは顔に垂らしたベールの内側からそれとなく周りを見回した。
 彼女の隣には黒いコートを着たリウドルフが立ち、その斜め前にはナタナエルが立って、ふたの固く閉ざされた棺へと祈りの言葉を述べている。白い祭服アルバに同じ色のストラを両肩から垂らした司祭は痛ましげな面持ちで、しかるに声にかげりはまとわせず朗々たる口調で祈りを捧げ続けた。
 アレグラはベールの内で静かに目を細めた。
 控え目に見積もっても、そこそこ以上の人数が集まったようであった。
 ガエタンと言う名であった猟師は職人気質の強い人物であったようだが、同時に人懐っこい面も備えていたようで仲間からの人望は厚かったらしい。それを裏付けるように、葬儀の場に集まった人の中には表情を未だ大きく歪めている者や、こらえ切れずに嗚咽を漏らしている者も散見される。
 正しく悲しみに覆われた空気が、小雨の中で墓地の一角に垂れ込めていた。
 そして棺に花が添えられ、いよいよ地中に埋められようとしたその時、悲痛な叫びが参列者の間から上がった。それと一緒に、棺の下へと小さな人影が駆け寄ろうとする。周囲の大人達にたちまち取り押さえられたのは一人の少女であった。
 泣き腫らした目を閉ざされた棺へと据え、幼い少女は尚も泣きじゃくった。
 その様子をアレグラは人垣の向こうから静かに見ていた。
 恐らくは死んだ猟師の娘なのだろう。
「パパ! パパ! 地面の中になんか行かないで!!」
 近くにいた男に抱き留められながらも、それでも泣き喚く少女の姿をアレグラはじっと見つめた。
 こうした現場と言うのは、やはりどうしても居心地が悪い。
 悲痛とは異なる憂鬱な眼光を彼女はいつしか双眸そうぼうたたえていたのだった。
 決して『悲哀』と言う感情が理解出来ない訳ではない。
 ただ、それを己の『実感』として未だに認識出来ないのである。
 これまでいくつもの、それこそ星の数程の死別の現場に立ち会って来た。
 我を忘れる程の悲しみに打ちひしがれる人々の様子もまた、数え切れない程垣間見て来た。時に主に食って掛かる程の悲しみに暮れる人の姿を、間近で捉えた事もあった。
 しかるに同情を抱く抱けないとは別の問題として、他者の抱える『悲しみ』と言うものが、今一つ自身の一部として直感的に理解出来ないのである。
 言うなれば『主観性』の欠落だろうか。不死王の眷属として『死』の可能性がいちじるしく低い我が身にいては、悲しみとは常に客観的にうかがう他無い代物だからである。老いる事も病む事も、まして飢える事も無い身の上では、何かを喪失する事に対しての不安や焦燥などそう容易たやすく生まれ出る筈も無い。
 『死』とは常に完全なる他人事、わば彼岸の情景なのだ。
 『客観』的に『理解』は出来ても、『主観』として『実感』する事は叶わない。
 我が身に置き換えて考えると言う事が土台不可能であるからだ。
 だからこそ、こうした永訣の場に立ち会う事を自分はずっと苦手として来た。
 所詮、己は不完全な『作り物』に過ぎないのではないか。
 天然自然の輪の外に弾き出された、出来損ないの『紛い物』に過ぎないのではないのか。
 人並に涙も流せない、無様な『人形』に過ぎないのではないのだろうか。
 自身の足元をじっと見つめていた赤毛の女はややあって、かたわらにたたずむ痩身の人影を見遣った。
 リウドルフは葬儀が始まってからずっと、特に表情を変化させなかった。引き締まっているようで、それでいて力の微妙に抜けた相変わらずの面持ちを小雨の舞う中でも保ち続けている。
 主の飄々ひょうひょうとした横顔を眺める内、彼女の中にる疑念が湧いて出る。
 この人は己の不死を、決して朽ちる事の無い自分の存在をどう定義しているのだろうか。
 周囲で消え行く命を幾度いくども見送り、その上で己の有様をどのように見做しているのだろうか。
 アレグラは口元をわずかに引き締めた。
 少なくとも優越感に浸っている様子は見受けられない。
 むしろ己の不死を、いくら振り払ってもまとわり付いて来る寒気のように疎ましく思っている節さえある。
 天地のことわりに背く呪わしき事象として心中密かに忌み嫌っているのか、さもなくば……
 彼女がそこまで考えあぐねた所で、死者の眠る棺は土の下へ粛々と収められたのであった。
 ナタナエルが祈りの言葉を締め括るのと一緒に、体の前で十字を切った。
 終始厳かな空気の中で葬儀は終了を迎えたのであった。
 参列者が次第に解散して行く中で、墓碑の前に尚もたたずむリウドルフへとナタナエルが近付いて行く。
「では先生、明朝また」
「ええ。また明日」
 答えて会釈したリウドルフにならって、アレグラもナタナエルへと一礼した。
 一切は穏やかに、遡行を許さぬ冷厳さすらにじませて過ぎ去って行く。
 銀の飛沫のような細かな雨が閑散としつつある墓地に降り続いた。
 小鳥の軽やかなさえずりさえも、何処からも届かぬ中で。

 そして三日後、アレグラは主のいなくなった診療所に尚も一人留まっていた。
 民家を改装した診療所は実際にはそこまで広い間取りを誇っている訳ではなかったが、人の姿が消えれば随分と広大に感じられる。普段は意識した事も無かったが、彼もあれで中々大きな存在感を放っていたのだろうか。
 外見は如何にも頼り無く、時には案山子かかしと間違えそうになるのだが。
 取りえず床の掃除を終え、彼女は昨日までの帳簿を確認しようと事務室の方へ歩き出した。
 歩き出そうとした。
 正にその刹那、背後の扉が外から叩かれる。
 固く閉ざされた筈の玄関の扉が。
 怪訝な表情を浮かべて振り返ったアレグラの見つめる先で、建物の内と外とを仕切る扉は再度叩かれた。
 前回よりも力の篭った、催促の度合いの強いノックであった。
 家主たる主治医が街を留守にしている事は広く知られている筈だが、何処かの家で急患でも出たのだろうか。
 少なくとも、今日は診療は行なっていないむねを相手へと伝えなければならない。
 そう思って、アレグラはからの長椅子がいくつも並ぶ無人の廊下を進むと、玄関の扉を開いたのであった。
 途端、表の石畳に照り返る眩い日差しと共に、直接の陽光をさえぎってたたずむ巨漢の影姿が、彼女の視界に飛び込んだ。
 陰と陽のコントラストが彼女を一瞬戸惑わせ、しかる後、アレグラは眉をひそめていた。
 敷居のすぐ先に立っていたのは、見た事も無い面相と出で立ちの来客であった。
 この街の住民ではない事は戸を開いた刹那に察せられる。この時いぶかった彼女を真向かいから見下ろしていたのは、重々しい胸甲で胴を覆った魁偉かいいな男であった。赤い羽根飾りの付けられた兜より覗く顔もまた頑健そうで、豊かな顎髭あごひげがその印象を増幅させた。
 左の腰には剣をき、そして右の腰には大型のマスケット銃を吊るしている。
 それは正しく軍隊の精鋭、『胸甲騎兵キラッシー』と呼ばれる者達の姿であった。
 診療所の戸口に立って扉を半開きにしたまま、アレグラは尚も怪訝な表情を保つ。
 すぐ目の前に立つのは、不穏な気配を陽炎のように体表からにじませた壮年の男であった。街の自警団などとは装備の質がまるで違う。そして何より、身にまとった武具以上に剣呑な眼光を今もこちらへと注いで来るのである。
 白昼に突然現れた訪問者は、眼前にたたずむ赤毛の女へぴたりと眼差しを据えたままおもむろに口を開く。
「失礼。拙者は聖ミゼア騎士団団長、ヴァンサン・ド・ルンと申す。こちらがリオネル・シャブリエ殿の診療所かな?」
 体格と相違せぬ太く明瞭な声であった。
 しかし相手の簡潔極まる紹介を耳に入れるなり、アレグラは疑念を更に濃くした。
 『騎士団』とはまた一体どういう手合いの来訪であろうか。
 何処かの遠征へ出向く途中、軍医が急遽きゅうきょ必要になったとでも言うのだろうか。
 その時になって、アレグラは眼前の偉丈夫の後ろに見え隠れする複数の人影に気付いたのだった。
 ヴァンサンと名乗った男と同様、分厚い胸当てと赤い羽根飾りの施された兜を着用し、それぞれにピストルやラッパ銃で武装した集団が通りを埋め尽くしていた。周囲で街の住民達も集まっているらしく、驚きの声や憶測を交わし合う話し声が騎兵達の向こうから聞こえて来る。
 青天の霹靂へきれきの騒ぎの渦中で、アレグラは飽くまでも事務的に応対する。
「……左様ですが。生憎と先生は留守で、戻られるのは今日の夕刻になるかと」
「そうか……」
 アレグラが愛想の無い声で説明した途端、ヴァンサンは鋭い目付きの奥に更に鋭利な眼光を過ぎらせた。ぎらり、と言う音が実際に聞こえて来そうなまでに激しく、双眸そうぼうが瞬いたのである。
「……なれば、まずは家人に御同行願う事としよう」
 穏やかに告げた後、診療所の戸口に立った偉丈夫は打って変わって厳かな声で宣言する。
「当主、リオネル・シャブリエには『悪魔使い』の嫌疑が掛けられた!! 管区大司教の要請に基き、汝らを『異端』として連行する!!」
 周りの空気を打ち砕かんばかりの太い声が、通りの一角に響き渡った。
 間を置かず、ヴァンサンは相対するアレグラの面前に一枚の書簡を提示して見せたのだった。
 唐突過ぎる宣告を受けて眉間に深いしわを刻んだアレグラは、それでも鼻先へ突き付けられた書の文面へ目を走らせた。何やら無駄に迂遠うえんな文章ではあったが、ヴァンサンが今述べた事をなぞる内容がそこには確かに書き込まれていた。
 さしもの彼女もこれには困惑し、非難じみた視線を宣告者へと送り返した。
「悪魔使いなどと、とんだ言い掛かりです。ここは只の診療所なんですよ。街の人々の怪我や病気を癒す場であって……」
「外法に当たる錬金術を用いて怪しげな薬剤を製造し、市井に広く流通させているとの指摘もある。併せてそちらの言い分とも照らし合わせてみようではないか。我々の下でじっくりとな」
 鋼鉄の城門を閉ざすような重々しい口調で、ヴァンサンはアレグラの言葉をさえぎった。
 しかる後、壮年の騎士団長は戸口にたたずむ赤毛の女へ向け、一際強い眼光を浴びせたのであった。
「御同行願う。こちらとて手荒な真似はしたくないのだ」
 配慮を覗かせているように聞こえて、その実お仕着せがましいだけの一方的な通達に、アレグラは尚も疑惑と困惑を綯い交ぜにした表情をたたえ続けた。
 だが、程無くして彼女はヴァンサンの後ろに見え隠れする人影に気付き、矢庭に目を見張ったのであった。
 胸当てを着て武装した男達の間に一人、別の出で立ちの人物が混ざっている。
 茶色の貫頭衣トゥニカに黒い修道服スカプラリオを着た、場違いな様相の年若い修道士が表通りの端の方に姿を覗かせていた。
 何やら引け目を感じているような面持ちを浮かべたベルナール・ド・カミュの姿を認めるなり、アレグラは当惑の度合いをより一層濃くしたのだった。
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