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フレンチでリッチな夜でした

その5

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 リウドルフらが村へ引き返した頃、辺りは喧騒に包まれていた。
 村の中央を伸びる車道に数台の警察車両が止められ、その周りを人垣が覆っていた。住民達の頭越しにリウドルフが見遣れば、コミュニティセンター前の路肩に止められた搬送車へと、制服姿の警官数名が担架に乗せた大きなビニール袋を運び込む所であった。人間の遺体を収容していると一目で判る黒い長大なビニール袋が車内の収められる間、周囲からは不安げな呟きと共にすすり泣くかすかな声が聞こえて来る。
「折悪しく、って奴か。着いて早々こういう現場に立ち会うたぁなあ……」
 百目鬼が遣り切れない様子で呟いた横で、リウドルフは鋭い眼差しを警察車両へと注ぐ。
「新たな犠牲者とすると……これで八人目になるのか?」
「そうですね。今月に入ってからは、確か三人目だった筈です」
 その後ろからゾエが険しい面持ちで答えた。
 西へと傾き始めた太陽の下、全ては粛々と進んだ。
 る者は悲しげに、またる者は悔しげに、そしてる者は忌まわしげに。
 集まった住民達の見据える先で、遺体を収容した搬送車はパトカーに誘導されて街道を走り出した。次第に遠ざかって行く駆動音の中、通りに集まった人々もまた本来の居場所へと徐々に戻り始める。
 そうした緩やかな人通りを遡行するように歩いていたリウドルフら三人は、程無くして路肩にたたずむ若い男の前で立ち止まった。
「こりゃ、刑事さん。先程はどうも」
 百目鬼が片手を上げて見せた先で、相手も近付いて来た三つの人影へと首を巡らせた。中肉中背でスーツを着た、これと言って目立たぬ風貌の青年である。六時間程前に彼らの聴き取りを行なった、ウジェーヌと言う名の警官であった。
「ああ、あんた方は……うーん……」
 こちらの顔を認めるなり眉間にしわを寄せ、何やら難しい表情を浮かべたウジェーヌを百目鬼は不思議そうに見遣る。
「どうなすったんです? いや、何か事件でも起こったらしい事ァ察しが付きますが」
 百目鬼が微妙にとぼけた口調で訊ねると、ウジェーヌは浮かない面持ちを来訪者へと向けた。
「どうもこうも殺人ですよ、殺人。村の敷地で死体が発見されたんです」
「うへぇ、そうだったんですか」
 百目鬼が顔をしかめた後ろで、リウドルフも眉根を寄せた。
 彼らの前で、若手警官はシャツの襟口をきながら説明する。
「被害者の詳しい身元は現在確認中ですが、昼前にここを訪れた宅配業者が、車を置いて行方不明になってます。電話も通じないし、これはほぼ確定でしょう」
「昼前ってえと、丁度ちょうどあっしらがあすこで取り調べを受けてた頃ですかい?」
 道を挟んで建つコミュニティセンターを百目鬼が指し示すと、ウジェーヌはうなずいた。
「そうなりますね。おおむね、あの時分に起きた事件だったんでしょう」
「となると、我々には完璧な『現場不在証明アリバイ』が生じる事になりますか」
 リウドルフがしれっと遣した指摘に、ウジェーヌは何とも渋い面持ちを返したのだった。
「全く以ってその通り。他でもない私が立ち会ったんですからね。ただ、別にそういう事ばかりを気にしてた訳じゃない。あんたらだって、一足違いで犠牲者になってたかも知れないんですよ? 今頃あの気の毒な配達員と入れ替わりに遺体搬送車に載せられて、司法解剖へ一直線てな具合にね」
 村の中央を伸び、畑の間を抜けて遠くロデーズへと続く道をウジェーヌは背中越しに親指で指し示した。先程の取り調べの際には斜に構えた態度を覗かせていた青年も、現実に起きた事件の現場に居合わせたが故か、真摯かつ尖った所のある態度を能天気な旅行者に対して覗かせたのであった。
「何を好き好んで海外から野次馬に来たのか知りませんがね、実際にこういう事が起こるのが今のこの地域の現実なんです。それに、こんな陰気な事件が相次いでりゃ住民の感情だってどんどん悪化して行きますから、そんな中を大喜びで探り回って痛い目に遭っても、こっちも擁護し切れませんよ。被害届を出される身にもなって下さい」
 非難轟々と評す程の激しい口振りでもなかったが、痛い所を率直に突かれてか、百目鬼もリウドルフもそれぞれ口を一文字に引き伸ばして何も反駁はんばくしなかった。
 そこへゾエが慌てて間に入る。
「まあまあ、この方々も飽くまで研究目的で来訪された訳ですから」
 可愛げの無い男二人の後ろから若い女が急に現れたのを見て、ウジェーヌもいささか面食らった様子を覗かせた。
「あなたは……ああそうか、昼前にこの二人を引き取りに来た……」
「ゾエ・サマンと申します。パリの製薬会社に勤めておりまして、この度こちらの先生方の現地案内を担当する事となりました。地元の人間として公序良俗に反するような振る舞いは避けるよう努力しますから」
「それはどうも……」
 ゾエの溌溂はつらつとした物腰に何やら気圧されたていで、ウジェーヌはにわかに言葉を濁したのだった。
 遺体の収容に訪れた警察車両も去った今、村は表面上の静けさを取り戻し、辺りは蝉の声が淡白に鳴り響くのみとなっていた。
 夕刻に近付く夏空を鳥の一群が通り過ぎた。

 夜に入ると建ち並ぶ家々からは速やかに明かりが消え、街灯を除いて辺りは真っ暗になった。
 街並みは宵闇に包まれ、ひしめき合う星々だけが輝く典型的な郊外の夜の景色を、リウドルフは民宿シャンブル・ドットの窓から眺めていた。肉体労働に従事する人間が人口の大半を占める地区では、夜と言う時間も速やかに流れて行く。それでも尚窓から灯りを覗かせている家も点在していたが、それらの家々は付近で起こる不穏な事件に対する予防措置として照明を点けたままにしているのかも知れない。
 窓辺にたたずむリウドルフがふと鼻息をついた時、後ろから百目鬼の声が掛かる。
「犬の遠吠えも聞こえて来ねえなぁ、しっかし」
 肩越しに振り向いたリウドルフの斜め後ろ、壁に並べられたベッドの一つに横になった百目鬼が、やんわりと声を上げたのであった。農家の一室を客室として利用している室内は小奇麗にまとまっており、化粧台やティーテーブルなどの調度品も華美な装飾こそ無いが、いずれも清楚な印象を放つ代物であった。
 室内に等間隔に配置された二つのベッドの内、入口側に置かれた方に百目鬼が陣取り、厚手のペーパーバックを今も読んでいる。
 窓の方へと顔を戻しながらリウドルフは口をおもむろに開く。
「警官が絶えず巡回している最中では野鼠だって居心地が悪くなるだろうさ」
 そう言った彼の下方、彼らが身を置く農家の前の小道を懐中電灯の小さな明かりが通り過ぎて行く。二人一組の警官達が寝静まる夜の農村を黙々と警邏する様子を、リウドルフはいささか物憂げに見下ろした。
 それから少ししてリウドルフは部屋の中央に置かれたティーテーブルへ歩み寄ると、卓上に置かれたタブレット端末を拾い上げたのだった。
「……どうにも要領を得ない事件であるようだな」
 液晶画面を操作しつつ彼は浮かない口調で述懐した。
「昼間出た被害も含め、一連の殺人事件で被害者を結ぶ線は今の所見付からない。年齢も職業も性別もまるでばらばら。出身地に関してもだ。ユダヤやムスリム、アジア、アフリカ系ばかりが付け狙われてる訳でもないからヘイトクライムの線は薄いし、農村部を標的にした職業差別的な犯行とも考え難い」
「全くの通り魔的犯行ってか。ま、だからこそ『ジェヴォーダンの獣』の再来だなんて噂も立つんだろうが」
 ベッドで仰向けに本を読みながら百目鬼が気だるげに言った。
 一方リウドルフは窓辺まで再び進むと、濃い闇ばかりが辺りを覆う農村を見渡した。
「しかし、ここまで実態の掴めない事件であれば、この地域の住民に圧し掛かる不安も相当なものだろう。実際、村全体が疑心暗鬼の渦中にあると見て間違い無い。外部から遣って来た殺人鬼が潜伏しているにせよ、内部の誰かがそれに変わったにせよ、互いを見る猜疑の眼差しは日増しに濃くなって行く」
「警察が一番恐れてるのはやっぱその辺りなんだろうなぁ。見えない所で密告なんかもすでに横行してんじゃないのか?」
「向こうも住民同士の悪感情が臨界を迎える前に早期解決を図りたい所なんだろうが、如何せん情報が少な過ぎる」
 百目鬼が遣した嘆息交じりの言葉に答えた後、リウドルフもまた溜息を漏らした。
「……その内、またぞろ『新教徒ユグノー』に疑惑の目が向けられるのかな……」
 小さな呟きが漏れ出た後ろで百目鬼は読んでいた本を枕元に置くと、大きな欠伸あくびを発したのであった。
「何にせよ、俺ァそろそろ寝かして貰うぜ。時差ボケも直してぇとこだし、明日以降に向けて野次馬根性を養っとかなきゃな。そっちゃあ夜通し調べ物かぁ?」
「そうだな。もう少し確認しておきたい事もある」
「んじゃ、お先に。Bonnバンe nuitニュイ,le médecinレ・メドゥサン
 そう告げると、百目鬼は羽根布団を被ってベッドに潜った。
 窓辺に立ったリウドルフは、ふと鼻先で一笑する。
先生le médecin、か……」
 何処か懐かしそうに独白した後、リウドルフはまた窓の外を見遣った。
 虫の声を除けば辺りは静かで、空を埋め尽くす満天の星々だけが宵闇に沈む集落を見守っていた。
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