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今宵もリッチな夜でした
その28
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中天に細い三日月が掛かっていた。
星の未だ顔を覗かせぬ都会の夜空に白い月はぽつんと浮かんで、何処か突き放した様子で地上を俯瞰している。
その月の見下ろす先で今、フェドセイとリウドルフは相対したのだった。
ひと気のとうに失せたラブホテルの屋上には干上がったプールがだらしなく口を開き、その周りには長らく置き晒しにされたと思しき色褪せたリラックスチェアが疎らに散らばっている。同じ月が照らし出した遠い日にここに満ちていたであろう歓声や嬌声は、今や微かな残響すらも漂ってはいない。
何処までも広がる紺色の夜空へ向け、ただ寂寞だけをこの空間は拡散させていた。
「……先生」
フェドセイの斜め後ろ、散らばったリラックスチェアの一つに座らされた美香が、離れて立つリウドルフへと縋るような眼差しを寄せた。
乾いたプールの横手に佇んで、フェドセイは五メートル程の距離を取って立つリウドルフへと緋色の瞳を据える。
「邪魔が入った時は心配したが、やっと顔を合わせる事が出来たね、錬金術師。君と直接会うのはこれが初めてになる。僕は……」
「聞いている。遠くルーマニア生まれの『吸血鬼』。今は流れ流れてロシアの食客になっているそうだが……」
自身の前に立つ少年の形を取った魔性を、リウドルフは顎を僅かに引き、冷ややかに見遣った。
「『神祖』でこそないが、その能力はそれに匹敵するという。教会勢力のみならず国連機関からも危険視される程に、各地で随分と暴れ回ったらしいじゃないか」
「ほう、知られているとは光栄だね。だが、それも一重に君に会う為さ。そして僕の望みの為……」
詠うようにそう言うと、フェドセイは自分の斜め後ろに座り込んだ美香をちらと一瞥する。
「さて、僕は焦らすのも焦らされるのも嫌いなんだ。煩わしい連中が追って来る前に要件を済ませたい。取り急ぎ、この娘を返して欲しければ……」
「『不死の霊薬』を置いて行け、か?」
相手の弁を再度遮り、リウドルフは挑発気味に言葉を投げ掛けた。
ごく弱い夜風が、その時、廃屋の屋上を吹き抜ける。
その風の中でリウドルフはやおら足元へ目を落とし、何処か寂しげな眼光を義眼の表に覗かせたのであった。
「全く、この五百年の間に何百何千と同じ要求を繰り返されたか、もう数える気にもなれん。結局、お前のようなチンピラから各国首脳のお偉方に至るまで、俺は金の卵を産む鵞鳥程度にしか見られていないのだな……」
悪態とも愚痴とも付かぬ、それは永劫の揺り返しから来る嘆息であった。
然るにそんな感傷を覗かせたのも束の間、彼はうっすらと蒼く輝き始めた双眸を目前の邪鬼へと向け直す。
「そしてその都度、俺の返す答えは一つだ。『そんなものは初めから無い』」
途端、フェドセイは瞳に輝く光を血の色に近付けた。
「……おい、変な出し惜しみや勿体付けはお前の寿命も縮めるぞ。僕はただ大恩ある主君を蘇らせたいだけなんだ。お前も医者だと言うなら救命の手助けぐらいしたらどうなんだ?」
場に散らされる念が急に鋭いものに変わった。
殺気すら滲み出させ始めた相手から視線を逸らさず、リウドルフは尚も斜に構えた口調を崩さない。
「面白い。一体『誰』の寿命が縮むと言うんだ? 本当にそんな真似が出来るのなら、お前は一躍世界の救世主になれるぞ。いっそこっちから縋り付きたいぐらいだ」
およそ恐れと呼べるものを微塵も垣間見せずに、痩せこけた冴えない風貌の男は尚も挑発的に言い放つ。
「確かに俺は医者であり『医療の探究者』だが、どんな名医であれ一度死んだ人間を蘇らせるなど不可能だ。純粋に人を救いたいという想いは買うが、土台無理なものは無理だし、何よりお前のように人の命を屁とも思わん奴に指図されるのは不愉快だ。諦めて他を当たるんだな」
「ふざけるなよ、この藪医者ッ!!」
刺すような絶叫が夜気に撒き散らされてすぐ、フェドセイの全身を赤黒い影が覆った。彼の小さな体躯はそのまま夜空へとふわりと浮かび上がり、己の要求を拒絶した愚者を高みより見下ろす。
「吝嗇は身を亡ぼすだけだと今すぐ教えてやる!! お前を這い蹲らせて奪い取ってやる!! 腹の底から後悔させてやる!!」
「生憎、後悔ならいつでもしている」
面白くもなさそうに切り返したリウドルフへ向け、空中より赤黒い影が怒涛の如く襲い掛かった。周囲の暗闇よりも尚暗く、よりおぞましい闇の塊が濁流のように氾濫して痩身の影を忽ち呑み込んだのだった。
「先生……!」
離れた場所でリラックスチェアにへたり込んだまま、美香が震える声を漏らした。
直後、屋上に澄んだ音が鳴り響いた。
まるで透き通った結晶に金槌を勢い良く打ち付けたような、高く、鋭く、それでいて儚げな音色が渦巻く赤黒い影の只中から発せられたのだった。
次の瞬間、屋上の床に蟠っていた闇が消し飛んだ。
水溜まりを踏み散らすよりも容易く、赤黒い異形の影は一瞬で消滅したのであった。
そして蠢く影の消えた中心に、『それ』は屹立していた。
ぼろぼろに綻んだ漆黒の衣を纏い、露わになった黒い骨格を周囲の暗がりに刻み付けて、死を超越した賢人は月光の下に真の姿を現した。
髑髏の眼窩に灯った蒼白い光が闇の中で爛々と輝く。
それは正しく、『不死なる者共の王』と呼ぶに相応しい異形であった。
夜の深みの中へ、中天に上る月へと向けて骨格のみとなった体躯がゆっくりと昇って行った。
その身に纏った闇色の衣は生者のそれとは異なる内なる力の胎動を受けてか、風も無い中を絶えず揺らめき、全ての者の頭上にいずれ垂れ掛かる屍衣のようにはためく。
そして程無く、リウドルフは空中の一点にてフェドセイと再び相対したのだった。
赤黒い影を体表に揺らめかせて、フェドセイは異国の夜を照らす月明かりの下、同じ不死者を緋色の双眸に改めて収めた。
「ふん、それがお前の本性か。何だか余計に貧相になった感じだね」
嘲る幽鬼に、リウドルフは頭蓋骨の剥き出しになった面を最早一切変化させず、ただ眼窩に灯った蒼い光のみを小刻みに震わせた。
「……もう一度言っておく。この世に反魂の秘法など存在しないし、『不死の霊薬』などもまた幻想の産物に過ぎない。魚が天空を羽ばたく事を夢見るのと同じく、それは摂理に反した愚かな妄想だ」
「馬鹿言ってんじゃないよ。何処が妄想だと言うんだ? お前という確たる見本が現に目の前に在るじゃないか。お前はそうして存在しているじゃないか」
「好きでこんな様になったんじゃない」
フェドセイの指摘に、リウドルフは酷く不愉快そうに答えた。
「そんな秘薬の錬成に成功していたなら俺はもっと多くの人間を救えたし、みすみす何かを失う事も無かった。真に後悔の無い人生を間違い無く送って来られただろうよ」
苦々しげに述懐したリウドルフを、しかし、フェドセイは鼻先で一笑する。
「はっ、そうやって勿体付けた事を抜かして、秘儀を独占する積もりなんだろう? そうは行くか。お前みたいな奴のやる事はいつもそうだ。学者にしろ医者にしろ、お高く留まった奴ら程自分の既得権益を守る事しか考えないもんだ」
そう切り捨てた後、フェドセイは目前に浮かぶ同類へ鋭い眼差しを送り付けた。
「いいさ……飽くまでも強情を張り通すと言うなら、無理矢理にでも口を割らせてやる。僕は吸収した相手の知識を会得する事だって出来るんだ。その干乾びた頭の中に仕舞ってあるものを、今から残らず僕のものにしてやる!」
「この判らず屋……!」
リウドルフが忌々しげに唸った直後、彼の下へと赤黒い影が再び殺到した。
三日月の俯瞰する最中、二種の人ならざる影法師は空中で激突した。
頭上で繰り広げられるその様子を、美香はリラックスチェアに座り込んだまま見上げていたが、その肩へ、この時、何者かの手が差し伸べられた。
右肩を揺すられ驚いて顔を戻した美香は、自分の傍らにいつの間にか立っていた人影を認めて目を丸くする。
「……アレグラさん」
「やっ、ど~も~」
場にそぐわぬ緊張感に欠けた声で、アレグラは囚われの少女へ挨拶を遣した。今はその身を黒のレザースーツに包んだ彼女は、色褪せたリラックスチェアに蹲る美香へ肩を貸して立ち上がらせる。
「良かった……まだ咬まれた様子は無いみたいね。ちょっと消耗してる感じだけど、ここを離れて休息を取れば回復するでしょ」
安堵した口調で言いながらアレグラは美香を歩かせつつ、屋上端のペントハウスへとゆっくりと向かう。
「……済みません」
「ん~ん、気にしないでって。君も巻き込まれたようなもんなんだしさ、あいつが上手く敵の目を引き付けてる間に脱出出来れば万事めでたしって……」
力無く感謝の言葉を口にした美香へとアレグラは笑顔で答えたが、その両者の向かう先、ペントハウスの近くに淀む影が不意に蠢き、床の上へ盛り上がって形を成し始めたのであった。
夜風の吹き抜けるまにまに、低く濁った唸り声が漂った。
彼女らの行く手を遮るように影から現れたのは、四頭の大きな犬であった。但し、その背を覆う体毛は刃のように鋭く、そして鼻先から額に掛けて縦に走った亀裂から巨大な単眼が覗いている。
主と同じく、血のように赤い瞳を収めた単眼が。
立ち塞がる魔性の番犬を認めて、美香は怯えた表情を浮かべた。
「な、何あれ……?」
「見張りを置いていたか……別に勝てない相手じゃないけど、この状況じゃちょっと面倒そうね」
愚痴を零すのと一緒に、アレグラは煩わしげに目元を歪めた。
他方、その様子を空からフェドセイが面白そうに眺め遣る。
「ほう……気付かない所であんな真似をしていたとはね」
そう言ってから、フェドセイは美香を抱えたアレグラへと目を凝らした。
「……何だ? 気配を感じないな。となると使い魔の一種か」
何やら合点した様子で、フェドセイはリウドルフへと顔を戻す。
「あんなのに裏で動かれたのでは発見も儘ならない訳だ。しかし上手く裏を掻いた積もりだったろうが、僕がその程度の事を予測していないとでも思ったのかい? 入口で妙な邪魔が入った件もあるからね。警戒はしていたんだよ」
フェドセイが冷然と言い放った下で四頭からなる単眼の魔犬は鼻息を荒くし、アレグラと美香へじわじわと距離を詰めて行く。美香を肩に抱えたまま、アレグラは険しい面持ちを浮かべてじりじりと後退した。
そんな地上の様有様を俯瞰し、リウドルフはぽつりと呟く。
「……ならば尚の事、『あいつ』には特別手当以上の働きを見せて貰わんといかんな」
そのリウドルフの前で、フェドセイは全身から赤黒い影を湧き出させた。
「さて、そっちの手札はあれだけなのかね? さっきから見ていれば僕の一体も呼び出そうとしないが、よもやそれでこの場を切り抜けられると考えているのか?」
嘲る口調で言い放ったフェドセイの肩や首筋の後ろから、銀色の甲虫の群がぞろぞろと顔を覗かせる。紡錘形の頭を並べた虫達もまた主人と同じく、その視線を眼前の黒い躯へと据えていたのであった。
「まあ、切り抜けさせる積もりも初めから無いがね。大人しく絡め取られてくれよ。全て御屋形様が授けて下さった、この『力』によって!」
緋色の瞳を爛々と輝かせたフェドセイの全身から、赤黒い影が標的へと向けて空中を伸びる。さながら磯巾着の触手のように無数に枝分かれした影は忽ちリウドルフの体躯を覆い尽くし、四肢に絡み付いて緊縛したのであった。
一方その足元では、美香を抱えたアレグラが、躙り寄る単眼の魔犬から尚も距離を取ろうと試みている最中であった。
獰猛な息遣いが薄暗がりに絶えず拡散する。
四つの赤い目はじわじわと後退する二つの人影にぴたり据えられ、その表面にはただ嗜虐的な光が過ぎるのみである。
そして程無く、単眼に貪欲な殺意を溢れさせて、四頭の魔犬は二人の女へと躍り掛かった。
然るにその刹那、鋭い牙と爪とがアレグラと美香へ突き立てられようとする瞬間、ペントハウスの扉が唐突に押し開かれ、その奥より一陣の突風が駆け抜けたのだった。階下に繋がる扉の暗がりより巻き起こった疾風は屋上を走り、獲物へと跳躍した四頭の魔犬をまとめて弾き飛ばしたのであった。
それぞれに髪を乱された美香とアレグラが、突然の風の来る方向へと顔を向ける。
遅れてペントハウスの奥から現れたのは、長身の人影であった。
「……ふむ、どうやら宴も酣と言った所か……」
黒い扇子で悠然と顔を扇ぎながら、司は敷居を跨いで屋上へと足を踏み入れたのだった。
「……先生? どうしてここに……?」
事態を一人呑み込めず、困惑気味に呟いた美香の横で、アレグラは両目を細めて息をつく。
「あ~ら、いつもの色男さん、相変わらずの重役出勤ですこと」
「これはこれは『剣の君』。出会い頭に随分な御挨拶ですね。これでも火急の律令の如く馳せ参じたというのに……」
司が少しおどけた様子で切り返すと、アレグラは眼差しに冷ややかなものを乗せる。
「仰いますこと。どうせ陰から機を窺っていたのでしょ? 恩を売る絶好の好機と睨んで、今になって割って入って来たんでしょうに」
実に胡散臭そうに指摘したアレグラの声に、だがその時、低い唸り声が重なる。
居並ぶ三人の周囲で、先程疾風に撥ね飛ばされた四頭の魔犬がそれぞれに身を起こした所であった。暗がりに光る深紅の単眼が、数を増した獲物へ獰猛な眼光を送り付ける。
然るに魔性の視線の交わる先にあって、司はアレグラと美香の横へと平然と歩み寄ると、自身を取り囲む単眼の魔犬をつまらなそうに見回したのだった。
「それにしても、無明な主人には無明な僕が付き従うものだ……ま、今回は露払いに勤しむのが私の役目と言う所か……」
溜息交じりにそう言うと、司はスーツの懐から二枚の札を取り出した。
直後、月下に朗々たる声が鳴り響く。
「臨む兵、闘う者、皆陣列べて前を行く!! 来たれ、『无常狼』!!」
さながら月へ捧げるように頭上に真っ直ぐ符を掲げ、号令を下した司の左右で空気が矢庭に歪み始める。
そして間も無く、二つの巨大な影が屈曲した空気の中心から現れたのだった。
主の両脇を固めるようにして並ぶのは、人の背丈を優に超える二頭の狼である。司の右手に座るものは輝く白い体毛で、左手に座すのは艶やかな黒い体毛で全身を覆い、いずれも瑠璃の宝玉を嵌め込んだような紺碧の双眸を備えていた。気高く煌めく体毛は一瞬たりとも形を一定させず、陽炎のように絶えず揺らめいてはその都度豊かな輝きを放ち、夜の闇の中に朧ながらも鮮烈な輪郭を晒すのだった。
二頭の神獣の後ろに立って、司は厳かに命令を下す。
「出番だ、『明牙』、『黑爪』。相手にとって不足も甚だしいが、偶には体を動かしておいた方がいいだろう。急ぎ律令の如くせよ」
その言葉が終わるや否や白と黒の神獣は間に鏡を挟んだように同時に身を起こし、眼前で尚も唸りを上げて身構える単眼の魔犬を視線を据えたのであった。
それぞれの紺碧の瞳に、冷たくも鋭い一条の光が過ぎった。
その刹那、二頭の神獣の姿は全く同時に司の前から掻き消えた。
否、消えたと錯覚するまでの速さで、正に影すら捉える事も許さず二頭の神獣は四頭の魔犬を強襲したのであった。白と黒の狼は自身の巨躯を何ら妨げとせずにそれぞれの獲物へと肉薄すると、相手の喉元へ一息に食らい付いた。
濁った悲鳴が、天空の三日月に向けて放たれた。
実に獅子と野良犬程の体格差がある獣同士での事である。白と黒の神獣に喉を噛み付かれたそれぞれの獲物は、戒めを振り解く事も苦し紛れに抵抗する事も儘ならず、断末魔のそれに近い低い唸り声を漏れ出させるのが精一杯であった。
二頭の魔犬が敵の顎に捕らわれている最中、残る二頭の魔獣は仲間の危機を逆に好機と捉えたか、白と黒の狼へ側面から襲い掛かった。
然るに次の瞬間、二頭の神獣は咥えた獲物を揃って宙に放り上げると、またもその場から同時に姿を掻き消したのだった。優雅にうねる体毛の残像を中空に残して、白と黒の狼は単眼の魔犬の後方へと文字通り瞬間的に移動した。
異状に気付いた単眼の魔犬が振り返るよりも早く、二頭の神獣は愚鈍な駄犬へと競い合うように間合いを詰める。そうして艶やかな黒の狼は前肢の豪壮な爪を以って右の魔犬の頭部を半ば以上粉砕し、煌めく白の狼は猛き牙を以って左の魔犬の首筋を半ば以上食い千切った。
先程喉笛を噛み切られ、空中に放り上げられた二頭の魔犬が屋上に落下した時には、残る二頭もまた力無く床に崩れ落ちていたのであった。
紺碧の瞳を輝かせつつ白と黒の体毛を悠然と靡かせる巨大な狼の体表から、白金の燐光がうっすらと浮かび始める。間も無く二頭の神獣の体表を覆った光は輝く稲妻と化し、屋上の床の上で痙攣を続ける四頭の魔犬へと容赦無く突き立てられた。
白金の光の槍に体を幾度も幾度も貫かれ、四頭の単眼の魔犬はいずれも全身から炎を噴き上げたのであった。苦悶や無念の唸りを末期に発する事も出来ず、単眼の魔犬はそれぞれの身をただ燃え上がらせて行く。
対する白と黒の狼は昂然たる勝利の雄叫びを発するでもなく、当然の様相を瑠璃色の双眸に収めてただ静かに傍観を続けた。
屋上に輝いた四つの小さな炎は、直にひっそりと燃え尽きた。僅かに残った灰燼が微かな夜風に乗って何処かへと吹き流されて行く。
左右に白と黒の神獣を従えて初めから判り切った結果を退屈そうに確認した後、司は頭上に浮かぶ人影へと大声で呼び掛ける。
「テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム様! 私は少々飽きて来ましたよ! 遊びもそろそろ切り上げては頂けませんか!」
催促するような、と言うよりはやや僻むような物言いに、だが、傍らで美香は眉根を寄せる。
「テオ……フラ……え……?」
その美香に肩を貸していたアレグラは、訝る少女へ笑い掛けた。
「ややこしいよね~。それがあいつの本当の名前。今じゃ何の値打ちも無い呼び名だって、本人は嫌ってるんだけどね」
そう告げてから、アレグラもまた夜空を仰ぎ見た。
彼女らの見上げる先で漆黒の人影は三日月を頭上に頂き、小兵の幽鬼と相対している。
夜は今正に深みを増して行こうとしていた。
星の未だ顔を覗かせぬ都会の夜空に白い月はぽつんと浮かんで、何処か突き放した様子で地上を俯瞰している。
その月の見下ろす先で今、フェドセイとリウドルフは相対したのだった。
ひと気のとうに失せたラブホテルの屋上には干上がったプールがだらしなく口を開き、その周りには長らく置き晒しにされたと思しき色褪せたリラックスチェアが疎らに散らばっている。同じ月が照らし出した遠い日にここに満ちていたであろう歓声や嬌声は、今や微かな残響すらも漂ってはいない。
何処までも広がる紺色の夜空へ向け、ただ寂寞だけをこの空間は拡散させていた。
「……先生」
フェドセイの斜め後ろ、散らばったリラックスチェアの一つに座らされた美香が、離れて立つリウドルフへと縋るような眼差しを寄せた。
乾いたプールの横手に佇んで、フェドセイは五メートル程の距離を取って立つリウドルフへと緋色の瞳を据える。
「邪魔が入った時は心配したが、やっと顔を合わせる事が出来たね、錬金術師。君と直接会うのはこれが初めてになる。僕は……」
「聞いている。遠くルーマニア生まれの『吸血鬼』。今は流れ流れてロシアの食客になっているそうだが……」
自身の前に立つ少年の形を取った魔性を、リウドルフは顎を僅かに引き、冷ややかに見遣った。
「『神祖』でこそないが、その能力はそれに匹敵するという。教会勢力のみならず国連機関からも危険視される程に、各地で随分と暴れ回ったらしいじゃないか」
「ほう、知られているとは光栄だね。だが、それも一重に君に会う為さ。そして僕の望みの為……」
詠うようにそう言うと、フェドセイは自分の斜め後ろに座り込んだ美香をちらと一瞥する。
「さて、僕は焦らすのも焦らされるのも嫌いなんだ。煩わしい連中が追って来る前に要件を済ませたい。取り急ぎ、この娘を返して欲しければ……」
「『不死の霊薬』を置いて行け、か?」
相手の弁を再度遮り、リウドルフは挑発気味に言葉を投げ掛けた。
ごく弱い夜風が、その時、廃屋の屋上を吹き抜ける。
その風の中でリウドルフはやおら足元へ目を落とし、何処か寂しげな眼光を義眼の表に覗かせたのであった。
「全く、この五百年の間に何百何千と同じ要求を繰り返されたか、もう数える気にもなれん。結局、お前のようなチンピラから各国首脳のお偉方に至るまで、俺は金の卵を産む鵞鳥程度にしか見られていないのだな……」
悪態とも愚痴とも付かぬ、それは永劫の揺り返しから来る嘆息であった。
然るにそんな感傷を覗かせたのも束の間、彼はうっすらと蒼く輝き始めた双眸を目前の邪鬼へと向け直す。
「そしてその都度、俺の返す答えは一つだ。『そんなものは初めから無い』」
途端、フェドセイは瞳に輝く光を血の色に近付けた。
「……おい、変な出し惜しみや勿体付けはお前の寿命も縮めるぞ。僕はただ大恩ある主君を蘇らせたいだけなんだ。お前も医者だと言うなら救命の手助けぐらいしたらどうなんだ?」
場に散らされる念が急に鋭いものに変わった。
殺気すら滲み出させ始めた相手から視線を逸らさず、リウドルフは尚も斜に構えた口調を崩さない。
「面白い。一体『誰』の寿命が縮むと言うんだ? 本当にそんな真似が出来るのなら、お前は一躍世界の救世主になれるぞ。いっそこっちから縋り付きたいぐらいだ」
およそ恐れと呼べるものを微塵も垣間見せずに、痩せこけた冴えない風貌の男は尚も挑発的に言い放つ。
「確かに俺は医者であり『医療の探究者』だが、どんな名医であれ一度死んだ人間を蘇らせるなど不可能だ。純粋に人を救いたいという想いは買うが、土台無理なものは無理だし、何よりお前のように人の命を屁とも思わん奴に指図されるのは不愉快だ。諦めて他を当たるんだな」
「ふざけるなよ、この藪医者ッ!!」
刺すような絶叫が夜気に撒き散らされてすぐ、フェドセイの全身を赤黒い影が覆った。彼の小さな体躯はそのまま夜空へとふわりと浮かび上がり、己の要求を拒絶した愚者を高みより見下ろす。
「吝嗇は身を亡ぼすだけだと今すぐ教えてやる!! お前を這い蹲らせて奪い取ってやる!! 腹の底から後悔させてやる!!」
「生憎、後悔ならいつでもしている」
面白くもなさそうに切り返したリウドルフへ向け、空中より赤黒い影が怒涛の如く襲い掛かった。周囲の暗闇よりも尚暗く、よりおぞましい闇の塊が濁流のように氾濫して痩身の影を忽ち呑み込んだのだった。
「先生……!」
離れた場所でリラックスチェアにへたり込んだまま、美香が震える声を漏らした。
直後、屋上に澄んだ音が鳴り響いた。
まるで透き通った結晶に金槌を勢い良く打ち付けたような、高く、鋭く、それでいて儚げな音色が渦巻く赤黒い影の只中から発せられたのだった。
次の瞬間、屋上の床に蟠っていた闇が消し飛んだ。
水溜まりを踏み散らすよりも容易く、赤黒い異形の影は一瞬で消滅したのであった。
そして蠢く影の消えた中心に、『それ』は屹立していた。
ぼろぼろに綻んだ漆黒の衣を纏い、露わになった黒い骨格を周囲の暗がりに刻み付けて、死を超越した賢人は月光の下に真の姿を現した。
髑髏の眼窩に灯った蒼白い光が闇の中で爛々と輝く。
それは正しく、『不死なる者共の王』と呼ぶに相応しい異形であった。
夜の深みの中へ、中天に上る月へと向けて骨格のみとなった体躯がゆっくりと昇って行った。
その身に纏った闇色の衣は生者のそれとは異なる内なる力の胎動を受けてか、風も無い中を絶えず揺らめき、全ての者の頭上にいずれ垂れ掛かる屍衣のようにはためく。
そして程無く、リウドルフは空中の一点にてフェドセイと再び相対したのだった。
赤黒い影を体表に揺らめかせて、フェドセイは異国の夜を照らす月明かりの下、同じ不死者を緋色の双眸に改めて収めた。
「ふん、それがお前の本性か。何だか余計に貧相になった感じだね」
嘲る幽鬼に、リウドルフは頭蓋骨の剥き出しになった面を最早一切変化させず、ただ眼窩に灯った蒼い光のみを小刻みに震わせた。
「……もう一度言っておく。この世に反魂の秘法など存在しないし、『不死の霊薬』などもまた幻想の産物に過ぎない。魚が天空を羽ばたく事を夢見るのと同じく、それは摂理に反した愚かな妄想だ」
「馬鹿言ってんじゃないよ。何処が妄想だと言うんだ? お前という確たる見本が現に目の前に在るじゃないか。お前はそうして存在しているじゃないか」
「好きでこんな様になったんじゃない」
フェドセイの指摘に、リウドルフは酷く不愉快そうに答えた。
「そんな秘薬の錬成に成功していたなら俺はもっと多くの人間を救えたし、みすみす何かを失う事も無かった。真に後悔の無い人生を間違い無く送って来られただろうよ」
苦々しげに述懐したリウドルフを、しかし、フェドセイは鼻先で一笑する。
「はっ、そうやって勿体付けた事を抜かして、秘儀を独占する積もりなんだろう? そうは行くか。お前みたいな奴のやる事はいつもそうだ。学者にしろ医者にしろ、お高く留まった奴ら程自分の既得権益を守る事しか考えないもんだ」
そう切り捨てた後、フェドセイは目前に浮かぶ同類へ鋭い眼差しを送り付けた。
「いいさ……飽くまでも強情を張り通すと言うなら、無理矢理にでも口を割らせてやる。僕は吸収した相手の知識を会得する事だって出来るんだ。その干乾びた頭の中に仕舞ってあるものを、今から残らず僕のものにしてやる!」
「この判らず屋……!」
リウドルフが忌々しげに唸った直後、彼の下へと赤黒い影が再び殺到した。
三日月の俯瞰する最中、二種の人ならざる影法師は空中で激突した。
頭上で繰り広げられるその様子を、美香はリラックスチェアに座り込んだまま見上げていたが、その肩へ、この時、何者かの手が差し伸べられた。
右肩を揺すられ驚いて顔を戻した美香は、自分の傍らにいつの間にか立っていた人影を認めて目を丸くする。
「……アレグラさん」
「やっ、ど~も~」
場にそぐわぬ緊張感に欠けた声で、アレグラは囚われの少女へ挨拶を遣した。今はその身を黒のレザースーツに包んだ彼女は、色褪せたリラックスチェアに蹲る美香へ肩を貸して立ち上がらせる。
「良かった……まだ咬まれた様子は無いみたいね。ちょっと消耗してる感じだけど、ここを離れて休息を取れば回復するでしょ」
安堵した口調で言いながらアレグラは美香を歩かせつつ、屋上端のペントハウスへとゆっくりと向かう。
「……済みません」
「ん~ん、気にしないでって。君も巻き込まれたようなもんなんだしさ、あいつが上手く敵の目を引き付けてる間に脱出出来れば万事めでたしって……」
力無く感謝の言葉を口にした美香へとアレグラは笑顔で答えたが、その両者の向かう先、ペントハウスの近くに淀む影が不意に蠢き、床の上へ盛り上がって形を成し始めたのであった。
夜風の吹き抜けるまにまに、低く濁った唸り声が漂った。
彼女らの行く手を遮るように影から現れたのは、四頭の大きな犬であった。但し、その背を覆う体毛は刃のように鋭く、そして鼻先から額に掛けて縦に走った亀裂から巨大な単眼が覗いている。
主と同じく、血のように赤い瞳を収めた単眼が。
立ち塞がる魔性の番犬を認めて、美香は怯えた表情を浮かべた。
「な、何あれ……?」
「見張りを置いていたか……別に勝てない相手じゃないけど、この状況じゃちょっと面倒そうね」
愚痴を零すのと一緒に、アレグラは煩わしげに目元を歪めた。
他方、その様子を空からフェドセイが面白そうに眺め遣る。
「ほう……気付かない所であんな真似をしていたとはね」
そう言ってから、フェドセイは美香を抱えたアレグラへと目を凝らした。
「……何だ? 気配を感じないな。となると使い魔の一種か」
何やら合点した様子で、フェドセイはリウドルフへと顔を戻す。
「あんなのに裏で動かれたのでは発見も儘ならない訳だ。しかし上手く裏を掻いた積もりだったろうが、僕がその程度の事を予測していないとでも思ったのかい? 入口で妙な邪魔が入った件もあるからね。警戒はしていたんだよ」
フェドセイが冷然と言い放った下で四頭からなる単眼の魔犬は鼻息を荒くし、アレグラと美香へじわじわと距離を詰めて行く。美香を肩に抱えたまま、アレグラは険しい面持ちを浮かべてじりじりと後退した。
そんな地上の様有様を俯瞰し、リウドルフはぽつりと呟く。
「……ならば尚の事、『あいつ』には特別手当以上の働きを見せて貰わんといかんな」
そのリウドルフの前で、フェドセイは全身から赤黒い影を湧き出させた。
「さて、そっちの手札はあれだけなのかね? さっきから見ていれば僕の一体も呼び出そうとしないが、よもやそれでこの場を切り抜けられると考えているのか?」
嘲る口調で言い放ったフェドセイの肩や首筋の後ろから、銀色の甲虫の群がぞろぞろと顔を覗かせる。紡錘形の頭を並べた虫達もまた主人と同じく、その視線を眼前の黒い躯へと据えていたのであった。
「まあ、切り抜けさせる積もりも初めから無いがね。大人しく絡め取られてくれよ。全て御屋形様が授けて下さった、この『力』によって!」
緋色の瞳を爛々と輝かせたフェドセイの全身から、赤黒い影が標的へと向けて空中を伸びる。さながら磯巾着の触手のように無数に枝分かれした影は忽ちリウドルフの体躯を覆い尽くし、四肢に絡み付いて緊縛したのであった。
一方その足元では、美香を抱えたアレグラが、躙り寄る単眼の魔犬から尚も距離を取ろうと試みている最中であった。
獰猛な息遣いが薄暗がりに絶えず拡散する。
四つの赤い目はじわじわと後退する二つの人影にぴたり据えられ、その表面にはただ嗜虐的な光が過ぎるのみである。
そして程無く、単眼に貪欲な殺意を溢れさせて、四頭の魔犬は二人の女へと躍り掛かった。
然るにその刹那、鋭い牙と爪とがアレグラと美香へ突き立てられようとする瞬間、ペントハウスの扉が唐突に押し開かれ、その奥より一陣の突風が駆け抜けたのだった。階下に繋がる扉の暗がりより巻き起こった疾風は屋上を走り、獲物へと跳躍した四頭の魔犬をまとめて弾き飛ばしたのであった。
それぞれに髪を乱された美香とアレグラが、突然の風の来る方向へと顔を向ける。
遅れてペントハウスの奥から現れたのは、長身の人影であった。
「……ふむ、どうやら宴も酣と言った所か……」
黒い扇子で悠然と顔を扇ぎながら、司は敷居を跨いで屋上へと足を踏み入れたのだった。
「……先生? どうしてここに……?」
事態を一人呑み込めず、困惑気味に呟いた美香の横で、アレグラは両目を細めて息をつく。
「あ~ら、いつもの色男さん、相変わらずの重役出勤ですこと」
「これはこれは『剣の君』。出会い頭に随分な御挨拶ですね。これでも火急の律令の如く馳せ参じたというのに……」
司が少しおどけた様子で切り返すと、アレグラは眼差しに冷ややかなものを乗せる。
「仰いますこと。どうせ陰から機を窺っていたのでしょ? 恩を売る絶好の好機と睨んで、今になって割って入って来たんでしょうに」
実に胡散臭そうに指摘したアレグラの声に、だがその時、低い唸り声が重なる。
居並ぶ三人の周囲で、先程疾風に撥ね飛ばされた四頭の魔犬がそれぞれに身を起こした所であった。暗がりに光る深紅の単眼が、数を増した獲物へ獰猛な眼光を送り付ける。
然るに魔性の視線の交わる先にあって、司はアレグラと美香の横へと平然と歩み寄ると、自身を取り囲む単眼の魔犬をつまらなそうに見回したのだった。
「それにしても、無明な主人には無明な僕が付き従うものだ……ま、今回は露払いに勤しむのが私の役目と言う所か……」
溜息交じりにそう言うと、司はスーツの懐から二枚の札を取り出した。
直後、月下に朗々たる声が鳴り響く。
「臨む兵、闘う者、皆陣列べて前を行く!! 来たれ、『无常狼』!!」
さながら月へ捧げるように頭上に真っ直ぐ符を掲げ、号令を下した司の左右で空気が矢庭に歪み始める。
そして間も無く、二つの巨大な影が屈曲した空気の中心から現れたのだった。
主の両脇を固めるようにして並ぶのは、人の背丈を優に超える二頭の狼である。司の右手に座るものは輝く白い体毛で、左手に座すのは艶やかな黒い体毛で全身を覆い、いずれも瑠璃の宝玉を嵌め込んだような紺碧の双眸を備えていた。気高く煌めく体毛は一瞬たりとも形を一定させず、陽炎のように絶えず揺らめいてはその都度豊かな輝きを放ち、夜の闇の中に朧ながらも鮮烈な輪郭を晒すのだった。
二頭の神獣の後ろに立って、司は厳かに命令を下す。
「出番だ、『明牙』、『黑爪』。相手にとって不足も甚だしいが、偶には体を動かしておいた方がいいだろう。急ぎ律令の如くせよ」
その言葉が終わるや否や白と黒の神獣は間に鏡を挟んだように同時に身を起こし、眼前で尚も唸りを上げて身構える単眼の魔犬を視線を据えたのであった。
それぞれの紺碧の瞳に、冷たくも鋭い一条の光が過ぎった。
その刹那、二頭の神獣の姿は全く同時に司の前から掻き消えた。
否、消えたと錯覚するまでの速さで、正に影すら捉える事も許さず二頭の神獣は四頭の魔犬を強襲したのであった。白と黒の狼は自身の巨躯を何ら妨げとせずにそれぞれの獲物へと肉薄すると、相手の喉元へ一息に食らい付いた。
濁った悲鳴が、天空の三日月に向けて放たれた。
実に獅子と野良犬程の体格差がある獣同士での事である。白と黒の神獣に喉を噛み付かれたそれぞれの獲物は、戒めを振り解く事も苦し紛れに抵抗する事も儘ならず、断末魔のそれに近い低い唸り声を漏れ出させるのが精一杯であった。
二頭の魔犬が敵の顎に捕らわれている最中、残る二頭の魔獣は仲間の危機を逆に好機と捉えたか、白と黒の狼へ側面から襲い掛かった。
然るに次の瞬間、二頭の神獣は咥えた獲物を揃って宙に放り上げると、またもその場から同時に姿を掻き消したのだった。優雅にうねる体毛の残像を中空に残して、白と黒の狼は単眼の魔犬の後方へと文字通り瞬間的に移動した。
異状に気付いた単眼の魔犬が振り返るよりも早く、二頭の神獣は愚鈍な駄犬へと競い合うように間合いを詰める。そうして艶やかな黒の狼は前肢の豪壮な爪を以って右の魔犬の頭部を半ば以上粉砕し、煌めく白の狼は猛き牙を以って左の魔犬の首筋を半ば以上食い千切った。
先程喉笛を噛み切られ、空中に放り上げられた二頭の魔犬が屋上に落下した時には、残る二頭もまた力無く床に崩れ落ちていたのであった。
紺碧の瞳を輝かせつつ白と黒の体毛を悠然と靡かせる巨大な狼の体表から、白金の燐光がうっすらと浮かび始める。間も無く二頭の神獣の体表を覆った光は輝く稲妻と化し、屋上の床の上で痙攣を続ける四頭の魔犬へと容赦無く突き立てられた。
白金の光の槍に体を幾度も幾度も貫かれ、四頭の単眼の魔犬はいずれも全身から炎を噴き上げたのであった。苦悶や無念の唸りを末期に発する事も出来ず、単眼の魔犬はそれぞれの身をただ燃え上がらせて行く。
対する白と黒の狼は昂然たる勝利の雄叫びを発するでもなく、当然の様相を瑠璃色の双眸に収めてただ静かに傍観を続けた。
屋上に輝いた四つの小さな炎は、直にひっそりと燃え尽きた。僅かに残った灰燼が微かな夜風に乗って何処かへと吹き流されて行く。
左右に白と黒の神獣を従えて初めから判り切った結果を退屈そうに確認した後、司は頭上に浮かぶ人影へと大声で呼び掛ける。
「テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム様! 私は少々飽きて来ましたよ! 遊びもそろそろ切り上げては頂けませんか!」
催促するような、と言うよりはやや僻むような物言いに、だが、傍らで美香は眉根を寄せる。
「テオ……フラ……え……?」
その美香に肩を貸していたアレグラは、訝る少女へ笑い掛けた。
「ややこしいよね~。それがあいつの本当の名前。今じゃ何の値打ちも無い呼び名だって、本人は嫌ってるんだけどね」
そう告げてから、アレグラもまた夜空を仰ぎ見た。
彼女らの見上げる先で漆黒の人影は三日月を頭上に頂き、小兵の幽鬼と相対している。
夜は今正に深みを増して行こうとしていた。
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