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今宵もリッチな夜でした

その25

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 そして、美香は目を覚ました。
 薄暗く、ほこりの目立つ何処かの室内に、窓から蒼白い月光がうっすらと差し込んでいる。
 古い客室だろうか。
 大きなベッドの上に寝かされていた事を確認し、美香は体を持ち上げようと上体を起こした。
 途端、下方へ引き寄せられるような強い倦怠感が、少女を襲ったのだった。
 体に力がまるで入らない。
 ベッドの上で上体を起こした所で、美香は体力のほぼ全てを使い果たしてしまった。
「な……何、これ……?」
 呻くように呟いた美香は、冷や汗すら伝った顔で辺りを見回す。
 割と広い間取りの一室であった。
 床や壁にはほこりや汚れが目立つものの、ここはホテルの一室のようである。自分が腰掛けたベッドへ目を落とせば、それは円形のダブルベッドであった。室内の様子と同じく、これもまたほこりだらけのほころびだらけであったが、昔は大分派手な彩色の施された代物であったらしい。
 自身が置かれた状況が今一つ掴めず、そこに疲労も加わって、美香はベッドに座り込んだまま呆然としていた。
 そうしてしばらくの後、ベッドの斜交いから部屋の扉の開く音が流れて来る。
 音源の方へと首を巡らせた美香は、直後、顔を強張らせたのであった。
「目が覚めたかね」
 その言葉はやはり美香の脳裏に直接響いた。
 薄暗い室内に更に濃い闇を刻み付けるように、黒いデニムジャケットとハーフパンツ姿の少年がベッドの方へと近付いて来た。
 相手の薄く朱に染まった双眸そうぼうを認めて、美香は上擦った声を漏らす。
「あ、あなたは……」
「おや、そうして口を利けるだけの余力があるとは、意外と体力があるようだねぇ、お姉さん」
 冷やかすように言って微笑むと、フェドセイはベッドの手前で立ち止まった。
「まあそう怯えなくていいよ。目的は君にある訳じゃない。端的に言って、君はあの男を誘い出す為の餌に過ぎない。早い話が人質と言う訳だ」
「あの男って、先生……?」
 満足に動かぬ体を引きるようにしてフェドセイからどうにか距離を置こうと試みる美香の前で、当のフェドセイは首をわずかにかしいだ。
「こういう回りくどい真似をするのは主義ではないんだがね、やっとあいつの居所を掴んだんだ。この上むざむざ取り逃がす訳には行かないんだよ。この際どんな手を使ってでも、奴にはこちらの望みを叶えて貰う」
「……望み? 何を言ってるの?」
 美香が戸惑い気味に問うと、フェドセイは投げ遣りに視線を逸らした。
「ま、君なんかが知ってるとは到底思えないけど、あいつは凄腕の化学者であり魔術師でもあるんだ。数々の霊薬を作り出し、果ては新たな生命すら創造したという。それだけの技量を持っているのなら、一度死んだ者を黄泉から引き戻すぐらい容易いだろうとは思わないかい?」
 そこで美香に話を振ると、フェドセイはベッドの前から離れて、部屋の窓辺へと移動した。
 曇ったガラス越しに望む遠い街の様子を、フェドセイは朱い瞳に収める。市街の中心部は今夜もきらびやかなネオンで染め上がり、様々な色彩を夜空に放っていた。
「しかし、この辺りは綺麗だなぁ。街の明かりがまるで宝石箱みたいで、星の光さえ押し退けて、何だかこうして眺めてるだけでもワクワクして来るじゃないか」
 窓辺から遠景を見つめて、フェドセイは背中越しに言った。
「僕の生まれた村には、まともな明かりなんて灯されちゃいなかった。一本の蝋燭ろうそくですら貴重品だった。お陰で夜はいつも真っ暗で、星ばっかりぎらぎらと輝いていた。何も面白くなかったね。来る日も来る日も空きっ腹を抱えては、寂れた村と眩しいだけの空を眺めてうんざりしていたものさ」
 若干の苛立ちさえ乗せて話すフェドセイの小さな背中を、美香はおずおずと見遣る。
「……あなた、何処から来たの? 家族の人が心配してるんじゃないの?」
「家族? 心配だって? 馬鹿言うんじゃないよ。奴らにそんな立派な性根が備わってるもんか」
 首の角度を変えてフェドセイは嘲るように答えてから、美香の方へと振り返った。
 次いで彼は右手をおもむろに掲げる。
 胸の辺りまで持ち上げた右手に赤黒い影が集まり、程無くその内より一個の髑髏どくろが現れたのだった。
「僕にとって家族と呼べるのはこの御方だけさ」
 言って、フェドセイは掌中の頭蓋骨を懐かしそうに見つめた。
「元々の身内なんて、そもそもろくなものじゃなかった。食べる物も着る物も満足に遣さず、その癖朝から晩まで働かせて、終いには僕を殺そうとしたんだ。皆の為だとか仕方が無いんだとか抜かしていたが、要は口減らしって奴かな」
 そこまで語った所でフェドセイは手元の頭蓋骨から視線を外すと、鋭い目付きで美香を見据えた。
「間引きだよ、間引き。確かに頭数だけは多かったからな、あの家は」
「それは……」
 美香が咄嗟に言葉を詰まらせる先で、フェドセイは打って変わって手元の頭蓋骨へ温かみのある眼差しを今一度寄せる。
「どうにか村から逃げ出して、食うや食わずで野原を彷徨さまよっていた所を僕はこの方に救われた。偶々たまたま地方の巡視に来られた最中での事だったらしいが、兎も角その日から僕の新しい、本当の人生が始まったんだ。偉大な主君にお仕えするという、真に価値ある生き方を始められたんだ」
 古びた頭蓋骨は何も答えはしなかった。
「この方の事を恐ろしい暴君のように言う奴もいる。実際苛烈な一面もあわせ持った御方だった。でも、それでも僕には優しかったんだ。僕には……」
 揺らいだ口調で独白したフェドセイを、美香は心配そうに見遣った。
 赤黒い影を全身にまとわせた少年は、そこでふと表情を冷めたものに変える。
「……だが、そんな満ち足りた生活も長くは続かなかった。人の足を引っ張る事しか取り柄の無い糞虫共におとしめられた末、御屋形様は厚顔無恥な侵略者共の手に掛かって命を落とされた。その上、首を塩漬けにされてさらし物にまでされたんだ……!」
 深紅の瞳の内に、抑えきれない怒気がにわかに立ち昇った。
「他の奴らが誰一人見向きもしなくなった中、僕はこの御方を取り戻す事に全霊を捧げた。腕をがれ足をがれ、それでも力尽くで奪い返してやった。邪魔する奴らは何人も何十人も殺してやったよ。兵士だろうが司祭だろうが数え切れない程ね……!」
 頭蓋骨を握る手に力が篭ったようだったが、それでもフェドセイは顔を素に戻すと元通りの斜に構えた口調で言葉を続ける。
「そしてそれ以降、僕は主を蘇らせるすべを探して各地を放浪するようになったんだ。その過程で『あの男』の噂を聞き付けたという次第さ」
「……で、でも、一度死んだ人を生き返らせるなんて、そんな突飛な真似が出来ると思うの?」
 美香が気圧されたていで問うと、フェドセイは薄く笑って答える。
「出来るんだろう? 事実、あいつは死んでから蘇ったそうじゃないか。当の本人が格好の事例として存在しているんだからな。それを他人に施せない筈が無い」
「そうかも……知れないけど……」
 ベッドの上で、美香は視線を下げた。
 本当にそんな力がこの世にあるのなら、そんな事が出来るのなら……。
 もう一度、『あの人』を……。
 ほんの一瞬、瞳の奥に逡巡めいた光をちらつかせた美香の前で、フェドセイは不敵な微笑をたたえる。
「必ず蘇らせてみせるさ。その為に、その為だけに僕はここまで来たんだ。無理矢理にでも協力させてやる。必要なら何百人でも何千人でも殺してやる……!」
「そんな……!」
 悦楽に浸るようにうそぶいた相手を、美香は悲しげながらも鋭い目付きで見遣った。
「言ってる事はよく判らないけど、あなたは誰かを生き返らせたいんでしょ? でも、だからって何をしたって許される訳じゃない。誰かを助ける為なら別の誰かを押し退けにしてもいい、幾らでも無理を通していいなんて考え方は間違ってるよ」
「何……?」
 叱り付けるように言い募った美香の前で、フェドセイは目元を鋭くした。
「どんなに悲しい事でも、つらい事でも、それを受け入れなきゃならない場合だってあるでしょ? でなきゃ、いつまで経っても前へは進めないから……」
 最後のくだりに掛けて、美香の声は次第に勢いを衰えさせて行ったのだった。
「そうだよ……幾ら気を吐いてみた所で、それでその人の心がこっちになびいてくれるとは限らないんだからさ……」
 フェドセイの小さな肩が、ぴくりと震えた。
 他方、足元へと目を落とし、美香は苦しげな面持ちを浮かべる。
 『あの人』の周りには、いつも大勢の人がいた。
 病室で寝た切りとなってからもずっと。
 きっとその内の誰かは、自分などとは比べるのもおこがましい程に親しかったのではないだろうか。自分などとは最初から比較にもならない悲哀を抱いていた『誰か』が、きっと身近にいたのではないだろうか。
 自分は結局、最後まで遠巻きに眺める事しか出来なかった。
 本当の別れとなったあの夜、あの葬儀の夜に至ってさえも。
 束の間、影が差したように浮かび上がった過去の情景を瞳に映していた美香の意識に、だがその時、突き刺さるような声が鳴り響く。
うるさいんだよッ!!」
 稲妻の轟きのような強烈な叫びが薄暗い室内に一閃する。それが肉声であったかのように錯覚するまでに、放たれた念は強力で鋭かった。
「ひっ……!」
 思わずびくりと肩を縮ませた美香の前で、フェドセイは両の瞳を血の色に染め上げると己に意見した不届きな少女を睨み付けた。
「誰が口答えをしろと言った!? お前も自分の身の程が判らない手合いか、糞虫!! だったら今すぐにでも判らせてやろうか!?」
 フェドセイの全身を包む影が炎のように揺らめいた。
「お前は奴を誘き寄せる為の餌だ! だが、これでもし奴が食い付いて来なかったら、何処かに逃げおおせるような事になったなら……!」
 身を覆う赤黒い影と共に、強烈な怒気と殺気とを少年の形を取った闇はみなぎらせていた。
「……腹いせにお前を殺してやる! お前らの通っている、あの学校とかいう下らない場所に、よく目立つように叩き付けて殺してやる! 壁に蹴り付けられて潰された便所虫のようにしてな……!」
 正しく闇の底から吹き上がって来るかのような声を浴びて、美香はベッドの上から動く事も出来ず、ひたぶるに怯えた表情をたたえるばかりであった。
 完全に射すくめられた少女を更に睨み付け、フェドセイは苛立ちに満ちた言葉を続ける。
「無駄口を叩かず、精々あいつが来てくれる事を祈ってろ、この蛆虫!! あいつと何処までねんごろな関係か知らないが、これ以上余計な事を抜かすようならやはりお前を殺すぞ……!」
 混じり気の無い、純粋な殺意によって紡ぎ出された宣告であった。
 そしてそれを捨て台詞とし、フェドセイは美香の前を横切るとそのまま部屋を後にする。
 程無くして室内はまた静かになった。
 煤けた窓ガラスから蒼白い月明かりが差し込む中、ベッドの上に座り込んだ美香は、すぐには何も出来ず、何を言う事も叶わずにじっとしていた。
 窓の向こうで、街の明かりがきらびやかに瞬く。
 まるで彼岸の景色のようなその様子を、美香は悲しげに眺めたのであった。
「……先生……」
 か弱い呟きが、その口元から漏れ出た。
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