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第91話 聖騎士クロード①

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 ――――異世界ラゼルハイジャン。

 サアトル帝国と聖王国ファスナの中間に、悪魔も寄りつかぬと噂される不気味な峡谷がある。
 草木も生えぬ尖った山々に囲まれたその峡谷は『次元の狭間』『奈落の入り口』と噂され旅人の間で恐れられている。
 そこに渡った吊り橋の上で、一人のエルフの男がじっと佇んでいた。
 底の見えない谷底を見つめ、吹き上げてくる強風に長い金髪をなびかせている。

「クロード様、付近を捜索いたしましたが、やはり這い上がってきた痕跡はありませんでした」

 部下の報告を聞くとクロードと呼ばれた男は、青白く輝く聖騎士の鎧をカチャリと鳴らし「そうか」とわかりきっていた返事をする。

 ――――聖騎士クロード。
 聖王国ファスナに籍を置く貴族で、代々武家の家柄として王国に仕える。
 聖王国第一将軍を父に持つ三男で、二人の兄もまた聖王国に使える騎士である。

 半年ほど前。
 クロードはこの吊り橋の上で、かつての宿敵、帝国最強と噂された暗黒騎士アルテマを打倒した。
 とどめの剣を嫌ったアルテマは自らこの谷へと身を投げ、死んだはずだった。

 ――――しかし。

 ここ最近になってアルテマ生存の噂が流れ、それと同時に、一度は落ち込んだ帝国軍の指揮が回復。帝国領内へと深く入り込んでいた聖王国軍は押し戻され、戦況は帝国側に巻き返されつつあった。

 アルテマを討ち取ったのではなかったのか、一体どうなっている!?

 証拠となる首を持ち帰らなかった事を、父である将軍にそう強く責められ、クロードはふたたびこの峡谷へと戻ってきた。
 かつて自分を幾度も打ち負かした相手に、せめて死に方だけは選ばせてやろうと情をかけてやったのが仇となったか。

 もし本当に生きていたのなら。
 奈落に落ちたと見せかけて、何らかの方法で這い上がってきたと言うことになる。
 しかし、いくら探索魔法をかけさせてもアルテマの魔素は検知できず、それはやはりアルテマは谷の底に落ちたままなのだと証明していた。

 轟々と吹き荒れる風に揺られながらクロードは奈落の闇を睨みつける。
 出張った足場も、引っかかる都合のいい枝も、何もない闇。
 ここから落ちて助かるはずがない。
 わかりきっていた結果だが、しかし、おかしな噂がアルテマの姿をチラチラと浮かび上がらせる。

 ――――異世界からの戦略物資。

 枯渇させたはずの水源も、そこに仕掛けた毒計略も、ことごとく、どこからともなくもたらされた不思議な援助により無効化された。
 特に最近配られたと噂される解毒薬は、帝国はもちろん聖王国すらも、いや、ラゼルハイジャン全土の技術をかき集めてでも作り出すことのできない特級品で、それはこの世ではない別世界からの贈り物だと噂されている。

『ビタットスメクタ・アルファB錠』

 聖王国のスパイが件の村から持ち帰ってきた秘薬の切れ端である。
 そこに書かれた文字らしきものはクロードには全く読めなかったが、その材質や加工具合からこの世界で作られた物でないことはわかった。

 馬鹿馬鹿しい……本当に馬鹿馬鹿しい話だが……。

 もしこの峡谷が、伝承通り次元の狭間であるのなら。
 そしてそこに飛び込んだアルテマが、その先の世界で生きていたのなら。
 それらの不思議な噂と物資の存在は説明ができてしまう。

 帝国には皇帝一族と一部の有望家臣にのみ伝えられる秘術があるという。
 開門揖盗《デモン・ザ・ホール》と呼ばれるその秘術は、声姿のみならず、物質も転移させることができる超級戦術魔法。

 たしか……アルテマはそれを使えたはず。
 かつて戦場で、幾度となくその驚異に打ち破られた。
 別次元。アルテマ。物質転移。
 この三つのキーワードが、どうにもヤツの生存を囁いてくるのだ……。

 クロードは吸い込まれそうな深い闇を睨んで歯ぎしりする。
 やはり生きているはずがない。
 ヤツは死んだ。
 この俺が討ち取ったのだ。
 それはゆるがない事実だ。

 しかし……忌まわしいが……しかしだ!!

 死してなおヤツは英雄となり、俺の前に立ちふさがる。
 このまま証拠もなく、おめおめと帰還などできるか!!
 そうなればこの先ずっと帝国はアルテマの生存をうそぶき、俺は千載一遇の捕物を逃した間抜けとして不面目を晒して生きていかねばならない。

 そんなことになってたまるか!!
 勝ったのは俺だ!!

「誰か、この谷の底に下りろ!! 下りて、何としてでもアルテマの死の痕跡を探して出し、俺の元に持ってこい!!」
「む、無茶ですクロード様。こ、この谷は底が知れず、探索に下りた冒険者も誰一人として生還できた記録がありません」
「ならば本当に次元の狭間だ、などと言うつもりなのか貴様は!?」
「い、いえ!! し、しかし魔物などの巣窟ではとの噂もあります、と、と、とにかくここはいったん陣営に戻り、新たに捜索隊を組織し直してはどうでしょう!?」
「はん、臆しおって!! 貴様それでも栄えある聖王国軍人か!!」

 苛立ちのままに怒鳴りつけるクロード。
 だがそのとき、
 ――――ずごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!
 ひときわ強烈な谷風が深い割れ目の底から吹き上がってきた!!

「――な、なに!?」

 強風に持ち上げられ、吊り橋が激しくうねる。

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 舞い上がり、浮かび上がったように踊る橋板に隣の部下が足をとられて落下した。

「くっ!!??」

 クロードも体をあおられ落下しかけるが、かろうじて縄を掴んで踏みとどまる。

「「クロード様!!」」

 岸に集まった部下たちが血相を変えて騒ぎ立てるなか――――
 ――――ブチブチブチ。
 捻れた橋は荷重のバランスを崩し、縄がだんだんと解《ほつ》れて細くなり、

 ――ブチンッ!!

 あっけなく断ち切れてしまった。
 支えのなくなったクロードはその落差の衝撃で手を離してしまい、

「う、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 絶叫の声とともに奈落の暗闇に飲み込まれていった。
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