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十三
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田山と別れた後、沙耶子は駅近くの公園に立ち寄った。
傾き始めた日差しは未だ暑く、熱せられたコンクリートの道を歩いて帰る気力を削がれた。涼を求めて木陰のベンチに座った。
青々とした芝生の生命力が眩しい。
一体私は何をしたいのだろう。どうするべきなのだろう。
ここ数日の出来事を反芻しては自問自答を繰り返す。泥沼に嵌まったように前に進まない。
沙耶子は泣きそうになって、通行人に気付かれまいと、汗を拭うふりをして顔を隠した。
「奥さん?」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げると、清水が立っていた。
濃紺の細身のスーツを纏い、よく磨かれた焦茶色の革靴を履き、左手には革の鞄。髪を軽く撫で付けたその様は、とてもスマートである。
清水は一言断りを入れて、沙耶子の隣に腰掛けた。
「顔色が悪いですよ」
「そう。ちょっとね……」
「もしかして」
田山にあったんですか、と清水は問うた。
沙耶子は頷いて、今日の出来事のあらましを話した。しかし、田山が目撃したという主人と清水の行動については伏せた。
清水は溜め息を吐いて、首を横に振る。
少し大袈裟なその仕草も、端正な顔立ちの清水がすると何故か様になった。
「アイツは真面目を具現化した様な男です。だけど口が上手い。父親だと思って慕っていた、なんて都合の良い嘘でしょう」
もう一度、やれやれといった風に首を横に振った。
微風に乗って、整髪料の匂いが沙耶子の鼻をくすぐった。
田山には実際に両親の写真を見せてもらって父親と主人の雰囲気が似ている事は、沙耶子も確認している。
嘘にしては準備が良すぎるのではないか。
「奥さん、大丈夫ですか」
清水の茶色い瞳が覗き込む。
不思議な魅力のそれに吸い込まれそうな感覚。見詰めてはいけないと思い、咄嗟に目を逸らした。
「今日は、日曜日ですのにお仕事でしたの?」
清水が初めて会った時とは対照的な、ビジネススーツを着ている事を思い出した。
「ええ、まぁ。どうしても今日しか都合がつかない相手だったもので」
「それはご苦労様ね」
清水が微風に吹かれて少しずれた前髪を、左手で撫で付けた。
太陽の日にキラリと光ったものが、沙耶子の目を射る。
それは腕時計であった。
見ると、十二時と五時の所に青色の石が埋め込まれている。
綺麗ね——
紳士用の腕時計は父親と主人のものしか見た事がなかったが、どちらも革のベルトに何の変哲もない文字盤だった様に思う。
「これはトルコ石ですよ。自分は十二月五日生まれなので、その数字の場所に埋めてもらったんです。特別品ですよ」
「まぁ、素敵ね」
腕時計を顔の前に掲げて、清水はニコリと微笑んだ。
トルコ石の鮮やかな青色が、清水の好青年な雰囲気とよく合っていた。
帰宅した沙耶子は、帰りが遅いと心配していたタエに小言を食らった。
夕食と入浴を済ませ、早めに床に就く。
疲れているはずなのに、何故か目が冴えて眠れない。
ふと、ベッド脇の机に一冊の冊子が置いてあるのに気が付いた。主人の日記帳であった。書斎に戻すのを忘れてそのままにしていたのだ。
沙耶子はそれを手にとって、一ページずつ捲る。
仕事の記録が多いが、沙耶子との行動も書かれた日記帳。心身ともに疲れた今、主人との生活が思い出されて、感傷に浸るには十分過ぎる内容であった。
(これは何かしら——)
ある日の記録に「※革の名刺入れ」とメモが書かれていた。
暫く読み続けていると、今度は「●●」と黒く塗りつぶされた文字が度々登場する様になった。
沙耶子を悩ませる、愛人らしき人物の存在である。
忌々しく睨みながらページを捲っていると、また「※セイラーの万年筆」「※ネクタイとチーフ」等とメモ書きがあった。
どうやら、これらは私塾の生徒へのお祝いに送った品物のメモらしかった。
こういったものまで日記帳に記入する几帳面さはあの人らしいわ、と懐かしんで捲ったページに、目が釘付けになった。
鼓動の音が内耳に響いて五月蝿い。深く呼吸が出来ない。背中に嫌な汗が流れた。
そのページには「※トルコ石の時計 ●●へ」と書かれていた。
日付けは十二月五日であった。
傾き始めた日差しは未だ暑く、熱せられたコンクリートの道を歩いて帰る気力を削がれた。涼を求めて木陰のベンチに座った。
青々とした芝生の生命力が眩しい。
一体私は何をしたいのだろう。どうするべきなのだろう。
ここ数日の出来事を反芻しては自問自答を繰り返す。泥沼に嵌まったように前に進まない。
沙耶子は泣きそうになって、通行人に気付かれまいと、汗を拭うふりをして顔を隠した。
「奥さん?」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げると、清水が立っていた。
濃紺の細身のスーツを纏い、よく磨かれた焦茶色の革靴を履き、左手には革の鞄。髪を軽く撫で付けたその様は、とてもスマートである。
清水は一言断りを入れて、沙耶子の隣に腰掛けた。
「顔色が悪いですよ」
「そう。ちょっとね……」
「もしかして」
田山にあったんですか、と清水は問うた。
沙耶子は頷いて、今日の出来事のあらましを話した。しかし、田山が目撃したという主人と清水の行動については伏せた。
清水は溜め息を吐いて、首を横に振る。
少し大袈裟なその仕草も、端正な顔立ちの清水がすると何故か様になった。
「アイツは真面目を具現化した様な男です。だけど口が上手い。父親だと思って慕っていた、なんて都合の良い嘘でしょう」
もう一度、やれやれといった風に首を横に振った。
微風に乗って、整髪料の匂いが沙耶子の鼻をくすぐった。
田山には実際に両親の写真を見せてもらって父親と主人の雰囲気が似ている事は、沙耶子も確認している。
嘘にしては準備が良すぎるのではないか。
「奥さん、大丈夫ですか」
清水の茶色い瞳が覗き込む。
不思議な魅力のそれに吸い込まれそうな感覚。見詰めてはいけないと思い、咄嗟に目を逸らした。
「今日は、日曜日ですのにお仕事でしたの?」
清水が初めて会った時とは対照的な、ビジネススーツを着ている事を思い出した。
「ええ、まぁ。どうしても今日しか都合がつかない相手だったもので」
「それはご苦労様ね」
清水が微風に吹かれて少しずれた前髪を、左手で撫で付けた。
太陽の日にキラリと光ったものが、沙耶子の目を射る。
それは腕時計であった。
見ると、十二時と五時の所に青色の石が埋め込まれている。
綺麗ね——
紳士用の腕時計は父親と主人のものしか見た事がなかったが、どちらも革のベルトに何の変哲もない文字盤だった様に思う。
「これはトルコ石ですよ。自分は十二月五日生まれなので、その数字の場所に埋めてもらったんです。特別品ですよ」
「まぁ、素敵ね」
腕時計を顔の前に掲げて、清水はニコリと微笑んだ。
トルコ石の鮮やかな青色が、清水の好青年な雰囲気とよく合っていた。
帰宅した沙耶子は、帰りが遅いと心配していたタエに小言を食らった。
夕食と入浴を済ませ、早めに床に就く。
疲れているはずなのに、何故か目が冴えて眠れない。
ふと、ベッド脇の机に一冊の冊子が置いてあるのに気が付いた。主人の日記帳であった。書斎に戻すのを忘れてそのままにしていたのだ。
沙耶子はそれを手にとって、一ページずつ捲る。
仕事の記録が多いが、沙耶子との行動も書かれた日記帳。心身ともに疲れた今、主人との生活が思い出されて、感傷に浸るには十分過ぎる内容であった。
(これは何かしら——)
ある日の記録に「※革の名刺入れ」とメモが書かれていた。
暫く読み続けていると、今度は「●●」と黒く塗りつぶされた文字が度々登場する様になった。
沙耶子を悩ませる、愛人らしき人物の存在である。
忌々しく睨みながらページを捲っていると、また「※セイラーの万年筆」「※ネクタイとチーフ」等とメモ書きがあった。
どうやら、これらは私塾の生徒へのお祝いに送った品物のメモらしかった。
こういったものまで日記帳に記入する几帳面さはあの人らしいわ、と懐かしんで捲ったページに、目が釘付けになった。
鼓動の音が内耳に響いて五月蝿い。深く呼吸が出来ない。背中に嫌な汗が流れた。
そのページには「※トルコ石の時計 ●●へ」と書かれていた。
日付けは十二月五日であった。
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