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サイドストーリー
朔太郎と鈴木少佐(前)
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昭和十九年の晩秋。
冷たくなって来た風に身を縮めながら新嘗祭の準備を進める朔太郎に、背筋のシャキッと伸びた鈴木少佐が話しかけた。
「新嘗祭が終わったら、少し出かけませんか」
珍しく遊びの誘いだった。
二人が知り合ってから半年近く経つ。なかなか忙しい鈴木少佐の代わりに所用を買って出た事は何度かあったが、この様な遊びの誘いは初めてかもしれない。
「映画なんか如何です」
「良いですねぇ。キネマは暫く振りです」
鈴木少佐はくすりと笑った。
懐かしい言い方をしますね、と。
朔太郎も一緒にくすっと笑ったが、内心は少しヒヤッとした。
彼よりも若い設定の自分が、彼よりも古い言い回しをしてしまうのは違和感がある。
(活動と言った方がまだ自然だったかな)
いくら気を許した友人の前とはいえ、気を引き締めねば。
新嘗祭はつつがなく終わった。
宮中で行われる祭事に合わせ、全国の神社でも新穀を神々にお供えして収穫を感謝する。
しかし、このご時世であるから、朔太郎の神社は規模を縮小して行った。
新嘗祭から数日が経って、鈴木少佐との約束の日。
朔太郎は服装に迷っていた。
ほぼ毎日着ているが仕事着である浄衣を着て行く訳にはいかない。国民服を着ようか、それとも何時ぞやに買った背広を着ようか。
迷った挙句、和装に決めた。
墨色の着物と羽織、唐茶の帯。目立つ頭髪を誤魔化す為の紳士帽。
井戸端会議中のご近所の奥様方に挨拶をして、待ち合わせのバス停へ向かった。
鈴木少佐が隣町からバスに乗って来る為である。
朔太郎がバス停へ着くと、鈴木少佐は既に到着していた。バス停の案内板の横に立って、煙草を吸っている。ただ煙草を吸っているだけの所作にも品がある。
朔太郎に気が付いた鈴木少佐は備え付けの灰皿に吸いかけの煙草を揉み消した。
「すみません、待たせてしまいましたね」
「お気になさらず」
鈴木少佐は、紺色の背広姿だった。揃いの紳士帽によく手入れされた革靴。
その姿はとてもスマートだが、柔和な笑みを浮かべる彼はとても軍人には見えない。
「"私"の同居人が五月蝿くてね。一本早いバスで来たんです」
鈴木少佐は公私をしっかり分けるタイプらしい。
軍服を着ている時の一人称は「自分」だが、普段は「私」のようだ。
初めて見る背広姿と初めて聞く一人称は新鮮で、朔太郎は少し感動した。
歩いて映画館を目指す。
車道側を歩いていた朔太郎の腰に鈴木少佐の右手がスッと伸びたかと思うと、あっという間に立ち位置が逆になっていた。
走る車から遠い方、少しでも安全な方へ移動させたのだった。
自然で無駄のない、スマートな動きであった。
街の外れにある映画館に着いた。
上映中の映画の看板が掲げられている。
新作映画を上映する程の余裕はないと見え、既存の作品を再上映しているようだ。看板のどれもが、軍服を着て軍刀を掲げたり大空を飛ぶ戦闘機を望んでいたり……勇ましいものばかりであった。
「うーん、これは……」
「休日にまで戦争映画は観たくありませんよねぇ」
二人は顔を見合わせて苦笑いをした。
さて、どうしようかと考えた鈴木少佐が提案する。
「もう少し歩いた所に博物館がありましたよね」
「えぇ、ありますよ」
「行っても良いですか」
「もちろん」
今度は博物館まで歩く。
この街の博物館の規模は小さい。
しかし、この地域の歴史と文化をぎゅっと詰め込んだ展示があった。
「あ、この天平瓦、源さんのお父様が寄贈された物ですよ」
江戸の後期、源田家が現在の土地へ移り住んだ際に天平時代の瓦が数枚出土した。源田家で保管していたが、二代目源さんがこの博物館に寄贈したのであった。
「そういえば、鈴木少佐は髭は生やさないんですか」
「髭、ですか?」
「えぇ。僕、薄くて生えないので髭が憧れなんですよ」
鈴木少佐が苦笑いしながら口元を撫でた。
「一度、生やした事はあるんですが、揶揄いとやっかみが酷くて、直ぐに剃ってしまいました。それからは生やしてません」
「何だか勿体無いなぁ」
「貴方が望むなら生やしましょうか?」
人差し指を鼻と上唇の間に置いて、悪戯っぽく目を細めた。
朔太郎は思わず吹き出して、頭を横に振った。
「あぁ、僕も生えるなら口髭を生やしてみたいなぁ、源さんのような」
「源さん、ね……」
展示物を眺めていた鈴木少佐が、ポツリと呟いた。
「源田氏と仲が良いのですね」
「えっ」
「あ……いや、歳が離れている割に仲が良いと言いますか、何と言いますか」
「うーん、家族ぐるみの付き合いだからですかねぇ」
「はぁ、成る程」
「でも」
朔太郎が頭一つ分背の高い鈴木少佐の顔を覗き込んだ。
ニコッと笑って、
「僕と貴方だって少し歳が離れてますけど、仲良く遊んでるじゃないですか」
と言った。
現代的に言うと小悪魔的なあざとい所作であった。これを無意識にやってしまう、恐ろしい爺である。
鈴木少佐は目をパチクリと瞬かせて、そうですねと言って微笑んだ。
冷たくなって来た風に身を縮めながら新嘗祭の準備を進める朔太郎に、背筋のシャキッと伸びた鈴木少佐が話しかけた。
「新嘗祭が終わったら、少し出かけませんか」
珍しく遊びの誘いだった。
二人が知り合ってから半年近く経つ。なかなか忙しい鈴木少佐の代わりに所用を買って出た事は何度かあったが、この様な遊びの誘いは初めてかもしれない。
「映画なんか如何です」
「良いですねぇ。キネマは暫く振りです」
鈴木少佐はくすりと笑った。
懐かしい言い方をしますね、と。
朔太郎も一緒にくすっと笑ったが、内心は少しヒヤッとした。
彼よりも若い設定の自分が、彼よりも古い言い回しをしてしまうのは違和感がある。
(活動と言った方がまだ自然だったかな)
いくら気を許した友人の前とはいえ、気を引き締めねば。
新嘗祭はつつがなく終わった。
宮中で行われる祭事に合わせ、全国の神社でも新穀を神々にお供えして収穫を感謝する。
しかし、このご時世であるから、朔太郎の神社は規模を縮小して行った。
新嘗祭から数日が経って、鈴木少佐との約束の日。
朔太郎は服装に迷っていた。
ほぼ毎日着ているが仕事着である浄衣を着て行く訳にはいかない。国民服を着ようか、それとも何時ぞやに買った背広を着ようか。
迷った挙句、和装に決めた。
墨色の着物と羽織、唐茶の帯。目立つ頭髪を誤魔化す為の紳士帽。
井戸端会議中のご近所の奥様方に挨拶をして、待ち合わせのバス停へ向かった。
鈴木少佐が隣町からバスに乗って来る為である。
朔太郎がバス停へ着くと、鈴木少佐は既に到着していた。バス停の案内板の横に立って、煙草を吸っている。ただ煙草を吸っているだけの所作にも品がある。
朔太郎に気が付いた鈴木少佐は備え付けの灰皿に吸いかけの煙草を揉み消した。
「すみません、待たせてしまいましたね」
「お気になさらず」
鈴木少佐は、紺色の背広姿だった。揃いの紳士帽によく手入れされた革靴。
その姿はとてもスマートだが、柔和な笑みを浮かべる彼はとても軍人には見えない。
「"私"の同居人が五月蝿くてね。一本早いバスで来たんです」
鈴木少佐は公私をしっかり分けるタイプらしい。
軍服を着ている時の一人称は「自分」だが、普段は「私」のようだ。
初めて見る背広姿と初めて聞く一人称は新鮮で、朔太郎は少し感動した。
歩いて映画館を目指す。
車道側を歩いていた朔太郎の腰に鈴木少佐の右手がスッと伸びたかと思うと、あっという間に立ち位置が逆になっていた。
走る車から遠い方、少しでも安全な方へ移動させたのだった。
自然で無駄のない、スマートな動きであった。
街の外れにある映画館に着いた。
上映中の映画の看板が掲げられている。
新作映画を上映する程の余裕はないと見え、既存の作品を再上映しているようだ。看板のどれもが、軍服を着て軍刀を掲げたり大空を飛ぶ戦闘機を望んでいたり……勇ましいものばかりであった。
「うーん、これは……」
「休日にまで戦争映画は観たくありませんよねぇ」
二人は顔を見合わせて苦笑いをした。
さて、どうしようかと考えた鈴木少佐が提案する。
「もう少し歩いた所に博物館がありましたよね」
「えぇ、ありますよ」
「行っても良いですか」
「もちろん」
今度は博物館まで歩く。
この街の博物館の規模は小さい。
しかし、この地域の歴史と文化をぎゅっと詰め込んだ展示があった。
「あ、この天平瓦、源さんのお父様が寄贈された物ですよ」
江戸の後期、源田家が現在の土地へ移り住んだ際に天平時代の瓦が数枚出土した。源田家で保管していたが、二代目源さんがこの博物館に寄贈したのであった。
「そういえば、鈴木少佐は髭は生やさないんですか」
「髭、ですか?」
「えぇ。僕、薄くて生えないので髭が憧れなんですよ」
鈴木少佐が苦笑いしながら口元を撫でた。
「一度、生やした事はあるんですが、揶揄いとやっかみが酷くて、直ぐに剃ってしまいました。それからは生やしてません」
「何だか勿体無いなぁ」
「貴方が望むなら生やしましょうか?」
人差し指を鼻と上唇の間に置いて、悪戯っぽく目を細めた。
朔太郎は思わず吹き出して、頭を横に振った。
「あぁ、僕も生えるなら口髭を生やしてみたいなぁ、源さんのような」
「源さん、ね……」
展示物を眺めていた鈴木少佐が、ポツリと呟いた。
「源田氏と仲が良いのですね」
「えっ」
「あ……いや、歳が離れている割に仲が良いと言いますか、何と言いますか」
「うーん、家族ぐるみの付き合いだからですかねぇ」
「はぁ、成る程」
「でも」
朔太郎が頭一つ分背の高い鈴木少佐の顔を覗き込んだ。
ニコッと笑って、
「僕と貴方だって少し歳が離れてますけど、仲良く遊んでるじゃないですか」
と言った。
現代的に言うと小悪魔的なあざとい所作であった。これを無意識にやってしまう、恐ろしい爺である。
鈴木少佐は目をパチクリと瞬かせて、そうですねと言って微笑んだ。
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