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第三章

戦神の枷

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 エルザとの関係に進展があった。

 事件の翌日には、エルザが見舞いに来てくれたのだ。あの件で少しは打ち解けてくれた‥‥と思っていたら事情が違っていた。

「そそ、その後のお、おか、おかげ、げんは‥‥」

 体を震わせ真っ赤になって激しくどもる。そして何故か泣きながら退室逃走。腕を治療してくれた時もこんな風だった。事情がよくわからない。
 エルザは部屋を出たり入ったりして三回目にはフリードに押さえ込まれた。

「いい加減に慣れろ!!二ヶ月経ってもまだダメなのか?!」
「ダメ!!ダメですぅ!!」

 何が?
 きょとんとしたエレノアの顔を見たエルザはキャーッイヤーッと両手で真っ赤な顔を覆う。

「こいつは!激しく人見知りであがり症で恥ずかしがりなんだ!」
「はい?!」

 思わず聞き返してしまった。人見知り?あがり症?恥ずかしがり?これが?こんなに暴れましたっけ?
 真っ赤になって暴れるエルザをフリードが首根っこを持って押さえ込む。

「公務では変なスイッチが入って大丈夫なんだがな。人慣れするのに時間がかかるやつだが今回は酷すぎるぞ!エレノアに会えるって喜んでたじゃないか!」
「だって!あの姫将軍様が目の前にいらっしゃるんだもん!」

 ますますわからない。どうしてこうなった?

「こいつ、巷で流行ってる武勇伝サーガにハマってて姫将軍見たさにオレと一緒に係争地帯に来たほどだ!」

 バラさないでぇ!と両手で顔を覆ったエルザから悲鳴が上がる。

「武勇伝?なんですかそれ?」
「知らないのか?姫将軍の武勇伝。巷で大流行だぞ?」
「全く存じません。フリード様はご存知で?」
「いや!オレは別に興味など‥その、こいつが家の中で大声で読み上げるから仕方なく‥‥。」

 言わないでぇ!と両手で顔を覆ったエルザからさらに悲鳴が上がる。

 赤面涙目エルザが持ってきた武勇伝集にはエレノアの身に覚えがないことばかり書かれていた。
 これ誰のこと?美しすぎて兜で美貌を隠している?竜なんて倒してませんよ?聖剣って何?なんでここで敵国の皇太子と恋に落ちてるの?あれ?これは‥‥?

 フリードは目元を赤らめ視線を外す。

「バカ売れの最新版は今回の婚約で付け足された。戦場でオレ達が‥その‥そういう仲になったと。」
「はぁ?!なんで?どうして?誰が書いてるんですか?!こんな勝手なこと!!」

 エレノアは真っ赤になった。自分の恋愛事情が大衆本にされて見られている!なんで知っているの?恥ずかしすぎる!!そこをフリードが勘違いする。

「そこまで全力で怒ることないだろう?!」
「怒ってません!ただ勝手に書くなと!!」
「勝手なことで悪かったな!!」

 途中から二人の口喧嘩になりエルザが呆気に取られていた。

 慣れるためだと、エルザは毎日エレノアの部屋にやってきてはたどたどしく会話をして帰っていく。なんとか聞き出した話では、最初から話はしたかったが、目も合わせられずいたたまれず逃走していただけらしい。
 嫌われていたと思っていたのはこちらの勘違いだったようだ。
 必死に会話をしようと頑張る涙目エルザが可愛らしく、悪いと思いつつもエレノアは笑ってしまった。



 フリードもエレノアを気遣い見舞いによく顔を出した。毒か痺れ薬の後遺症か少しだるさがある。そこを気遣われた。
 体調が戻れば午後のお茶を復活させましょう。そうエレノアがいえば歯を見せて笑ってくれた。エレノアはそれが嬉しかった。
 フリードはもう公務以外はほとんどエレノアの側に入り浸っている。その様子を見てマルクスがこぼした。

「仲睦ましいのは喜ばしいことですが、おかげで残った公務をこなす私が大変です。」
「皇太子の代わりの訓練だからちょうどいいだろう?」
「これは訓練というていなんですか?ずっと続く予感がします。」

 マルクスは忌々し気に兄を見た。
 
 毎日誰かがエレノアの部屋に見舞いに来た。それがとても楽しくて嬉しかった。
 ハイランド王国では無視されて独りぼっちだったのに、今は独りではない。
 穏やかな日々が愛おしかった。


 だがある日からフリードの様子がおかしくなった。表情が暗い時がある。話していればいつものオレ様なのだが、たまに何を思ってか押し黙る。それでもエレノアの側を離れない。

 何かあればいつでも相談する間柄なのではなかったのか。エレノアは訝ったが問いただすのは躊躇われた。
 それはとても恐ろしく触れてはいけないもののように感じられた。

 そうして事態は悪化していった。




 それは夜遅く。エレノアは人の気配で目が醒めた。枕元にフリードがいた。外套を纏っている。出かけるのか、出かけていたのか。

「起こしてすまない。今少しいいか?」

 エレノアは頷いて半身を起こす。ベッドから出ようとするところを留められ、寝具に入ったままのエレノアにフリードが肩掛けをかける。フリードは椅子を引き寄せてエレノアの傍に腰掛けた。
 満月の夜。灯りがいらないほど部屋は明るかった。

「これから『視察』に行ってくる。」

 その言葉にぞくりとした。青ざめてフリードを見た。フリードは完全に表情を殺していた。

「以前オレが『視察』に行った村が壊滅した。魔物が出た。」
「あれは‥魔物はいなかったと。」
「あの土地柄を見落としていた。あの地域には魔物を神に崇める土着信仰があった。だから村人は御神体を隠し通したようだ。」

 魔物が神?御神体?よくわからない。どういう宗教なんだろうか。

「強いものを崇める宗教はよくある。魔物に限らず太陽や山を崇める原始宗教もある。魔物を崇めるのは邪教だと思うが。だがそこで見落とした。念のため置いてきた騎士隊も全滅だった。完全にオレのミスだ。」

 表情を殺したフリードは続ける。顔には出さないが多分自分を責めている、エレノアはそう思った。

「その後近隣の村も壊滅した。追加で派兵したがそれも連絡を絶った。恐らくその魔物は人を食らっている。人を食った魔物は巨大化し力が強くなる。人肉の味を覚えた魔物を野放しにすれば人肉を求めて村をさらに襲う。」

 それ程に肥大した魔物。人の手で狩ることなどできるのだろうか。たとえ黒剣であったとしても。エレノアの体がぶるりと震える。

「被害が拡大する。もう血が流れすぎた。だから駆除しなければならない、早急に。」

 静かな語り口はもう決めた、と言っている。それでも縋った。声が掠れる。震えが止まらない。こんなことは初めてだ。

「フリード様が‥‥向かわれるのですか?どうして?!」
「そうだ。オレのミスだから。怠慢だから。」

 フリードは手を伸ばしエレノアの頬に触れる。エレノアはびくりと震えた。これはまた別の震え。心が躍る。

「お前の側にいたくて時を逃した。悪化するのはわかっていたのにな。これは職務放棄だ。だからオレが行く。オレが始末をつける。」
「ならば私も!」
「立場をわきまえろ。ハイランド王国第四王女エレノア。」

 小さくも低く圧のあるフリードの声にエレノアは言葉を飲み込んだ。

「お前は帝国の賓客だ。和平の条件で嫁いできた。そして相手は帝国皇太子。オレでなくてもいい。」

 そう言い放たれては何も言えない。言わさないようにしている。ひどいと思った。

「お前は和平条約のかなめ。お前が死ねば和平は崩れると知れ。軽々しくその身を危険に晒すことは許されない。そのことを肝に銘じろ。」
「—— いやです。」
「エレノア!」
「いやです!一緒に行きます!もう一人残されるのはいやです!!」

 この皇太子が冷たくなって横たわる。そんなことは耐えられない!だから——

 エレノアが悲痛な声を上げればフリードはくしゃりと苦笑した。その笑みがものすごく弱々しく見えた。フリードは目元に手を当てて俯き、吐き出すように言葉を紡ぐ。

「お前は軽く言う。だがお前が死ぬと思うとオレはとてつもなく弱くなる。この間思い知った。あの三人を斬り伏せたことすら覚えていない。お前はそういう存在なんだ。」

 その声に涙声がかすかに混じる。フリードの肩が震えている。

「もしオレに強くあって欲しいと願うならここにいてくれ。そうでないとオレはお前の死に怯えて何もできなくなる。」

 自分も同じだ。この男の死に怯えている。
 自分がこの戦神の枷になってしまっている。何も言えなかった。
 では何を言えばいいのだろう。思考がまとまらない。だからあの言葉を繰り返した。

「‥‥ではお早いご帰還をお待ちしております。でなければ私は‥‥フリード様のお顔を忘れてしまうかもしれませんよ。」

 声を詰まらせながら言った。さあ言って。早く帰ると。オレを忘れるのは許さない、と。
 フリードはふわりと笑う。だが何も言わない。そうしてエレノアの手を取りそこに口づけた。

 フリードは旅立っていった。



 フリードが『視察』に出たことはすでに皆知っていたようだ。カールは激怒していた。

「行くなとは言いません。ですがなぜフリード兄は僕を連れて行かなかったのか。僕がいるのといないのでは全然違うのに!」
「お前がいると口うるさいからじゃないか?勝手に先走るな、布陣を考えろと叱るだろ?」

 マルクスが軽口で応じているが、雰囲気は暗かった。

 エレノアはただそこに留まっていた。
 ここにいれば肉体は護られる。でも心は死んでいた。かつて剣を折れと命じられたあの時に似ていた。

 そして五日後、フリードの生死不明の報がもたらされた。



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